第39話 乱暴なご招待

 意識がもどったとき、俺は霧の中にいた。


 ミルクのような濃い霧だ。そこで俺は一人あぐらをかいて座っていた。


 なんだこれ、と思ったところで、目の前の霧がすっと晴れた。


「やあ」


 少し離れたところで、背の高い男が愛想よく微笑んだ。


 年は三十そこそこの、柔和な顔立ちの男だ。真っすぐな銀髪を背中に流し、見えない椅子に腰かけているように足を組んでいる。


「あんた誰?」

「誰だと思う?」


 質問に質問で返すなよ。


 むっとした気持ちが表に出たのだろう。男はまた小さく笑った。


「これは失敬。でも、きみならすぐにわかってくれるんじゃないかと思ってね」


 笑みの形をつくった瞳を見て、ああ、と俺は思った。


 なんだ、そういうことか。銀の髪、紫の瞳。たしかに、すぐに気づくべきだった。


「……エリアス」

「ご名答」


 先代魔王はぱちりと指を鳴らした。


 なんというか、思っていたよりずっと気さくな人みたいだな。魔王というからにはもっとこう、威厳あふれるというか、おっかない雰囲気の人を想像していたんだけど。


 いや、今はそれより大事なことがあるだろう。何よりもまず確認すべきは、


「俺は死んだのか?」

「いいや」


 即座に否定されてほっとする。よかった。さすがに二十年とちょっとの人生は短すぎるからな。


「きみと少し話がしたくてね、私がきみをここに招いたんだ。乱暴な方法ですまなかった」

「乱暴な方法って……」


 それってもしかして、あれか。俺の術にはじかれた剣が、ありえない方向に飛んできて――


「……乱暴にもほどがあるだろ」

「だからすまないと言っている」


 全然すまなそうに見えないんですけど。偉そうなとこだけは魔王様っぽいな。まあ、あれが俺の不器用ぶりのせいじゃないってわかったのは良かったけどさ。


「俺も、悪いんだけど」


 だいたいの事情がわかったところで、俺は立ち上がった。


「あんたの話、また今度でいいかな。俺いま急いでるんだよ。とりあえず元のとこに戻してくれると嬉しいんだけど」

「……きみは」


 先代魔王は目を見張り、それからひどく可笑しそうに頬をゆるめた。


「本当におもしろいな。さすが、選ばれただけのことはある」

「あー楽しそうなとこ悪いんだけど、俺ほんとに急いでてさ。なんなら力づくでいかせてもらうけど、どうする?」


 脅しの意味をこめて手を掲げた俺に、エリアスは「そう急くな」と微笑を返す。


「心配しなくていい。こちらと向こうでは時の流れが違ってね。我々がどんなに長く話し込んでいても、向こうでは時の砂の一粒も落ちていないだろうさ」

「あ、そう……」


 急に足から力が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。


 さっきまで派手に暴れ回っていたせいで、じつは相当消耗していた俺である。わけのわからない場所に連れて来られたのは面白くないが、少しでも休息できるのは正直ありがたい。


「なあ、エリアス」


 呼びかけてから、ちょっと馴れ馴れしかったかなと思ったが、呼ばれたほうは気にしたふうもなく「なんだい」と応じた。


「あんたがここにいるってことは、あんたはその、まだ生きているのか?」

「肉体は消滅したな」


 それ、死んだってことじゃないの? 普通。一般的に言って。


「だが、私はまだここにる。思考し、力をふるい、こうしてきみと話すこともできる。その意味では、私はまだ死んではいないのだよ」


 なんか、懐かしいな。こういう訳の分からない問答は。“塔”の古株どもが、この手の話を好んでたっけ。


「私くらいになると、生だの死だのに大した差はないということさ。あと千年ほどすれば肉体も復活するんじゃないか? たぶん」


 いきなり適当になったな。おまけにめちゃくちゃ他人事っぽいんだけど。


「そりゃすごいな。そんなにすごい力を持ってんならさ、あれ何とかしてくれよ、あの変態」


 ちょいといい加減な先代様に、俺は今までの鬱憤をまとめてぶつけてみた。


「あれ、あんたの生まれ変わりなんだろ? ああでも、あんたがまだ生きてんなら違うのか。どっちにしろ、あんたにも多少の責任はあるんだからさ、責任とって、きっちりあいつを始末してくれよ」

「きみはまた……」


 エリアスは感心したようにあごをなでた。


「ずいぶん乱暴な物の考え方をするのだな」


 うるっさい。人の胸刺して拉致したやつに言われたくないからね!?


「あれは私の生まれ変わりなどではない……が、まったく関わりがないわけでもない」


 ああん? と、おそらく傍目には下町のゴロツキのように迫った俺をなだめるように、エリアスは手をふった。


「あれとは昔からの付き合いでね。ああ、誤解のないよう言っておくが、決して仲が良かったわけじゃない。むしろ逆だ。いやまったく、厄介な相手だったよ」


 首をふるエリアスが心底うんざりした顔つきだったので、俺はつい親近感を抱いてしまった。


「厄介って、例えば? しつこくつきまとわれたり?」

「そうだな。毎日のようにやって来られて迷惑この上なかった」

「いくら嫌だって言っても全然こたえないし?」

「ああ、むしろこちらが邪険にすればするほど嬉しそうで……」


 おお、同志よ……お互い苦労したよなあ、おい!


「しまいに縛ってくれとか言い出して!」

「いや、それはないな」


 ちっ、裏切り者め。


「だが、あれの力は本物だよ。この私に並ぶほどの力を持ち、絶えず私の地位を窺っていたあれは、言うなれば、そう」

 

 少しだけ考えこむように紫闇の瞳を伏せ、エリアスは言葉を続けた。


「もう一人の魔王だった」




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