第38話 不器用者の末路
一枚目の壁をぶち抜いて、俺はすかさず前へ跳んだ。
先手必勝、攻撃は最大の防御……何でもいい、とにかく奴に反撃の隙を与えぬよう、俺は無茶なほどに攻撃を重ねた。
多少の無理は承知の上だ。狡賢いあの男に、小細工を弄する暇を与えてなるものか。
「さっすが、ノア。けど、当たんなきゃ意味ないよねえ!?」
ああ、まったくその通りだな!
ひらひらと身をかわすハロルドを追いかけて瓦礫の山を跳び越えると、だだっ広い空間に迎えられた。
円蓋型の高い天井をもつそこは、俺たちが最初に足を踏み入れた聖堂だった。
「お疲れ、ノア」
ふざけた声のした方を見やれば、長身の騎士が祭壇に腰かけていた。おびただしい燭の灯に、金の髪が照り映える。
「すごかったねえ。力任せもここまでくると感動しちゃうよ。あの城もこんなふうに壊したの?」
魔王城のことか。そうだよ。おまえ達に攻められた夜、俺がこうして潰したんだ。
ちょっとでも仲間が逃げる時間を稼ぎたくて。その時おまえも一緒に潰してやれたら、どんなによかったことか。
「鬼ごっこはもう終わりだ。そこを動くなよ、ハロルド」
「うわあ、悪役っぽい台詞」
嬉しそうに手をたたくんじゃねえよ。ちょうどいい。やつがたたずむ祭壇の後ろには、あの胸糞悪い絵が壁いっぱいに描かれている。
バラーシュにゲイル、トールとフィルと軍団の皆……俺の仲間が踏みつけにされているこの壁画ごと、おまえを粉々に吹き飛ばしてやる。
両手を掲げ、いざ、と術を飛ばしかけた刹那、「ノア」とやつが声をあげた。
「やめときなよ。それ、きみのお仲間も吹き飛んじゃうから」
がん、と頭を殴られたような衝撃だった。なんだ? こいつは今なんと言った?
祭壇に座って足をぶらつかせているハロルドを、俺はまじまじと見つめた。嫌味なほど整ったその顔と、やつの背後に描かれている壁画を。
「おまえ、まさか……」
「そ」
すとんと祭壇から降り立って、ハロルドは壁画を拳でたたいた。
「自慢じゃないけど、ぼくってけっこう器用なんだ」
ずっと昔、俺がまだ“塔”にいた頃に聞いたことがある。他者の時間を止め、絵の中に塗りこめる術のことを。
不器用な俺には逆立ちしたって出来っこない、極めて高度で特殊な術。
「これ、すごくいいでしょ。綺麗で見栄えもいいし、何より世話する手間も、餌代もかからない……」
「貴様!」
「はあい、抑えて抑えて。そんな大声出されたら、ぼくの手元も狂っちゃうかもしれないよ? ほら、こんなふうに」
ハロルドが壁に指を這わせると、ピシリと絵にひびが走った。ちょうど地に伏しているトールの頬にかすめるように。
「やめろ!」
「やめてほしかったらさあ、ノア」
にこりと笑って、ハロルドは懐に手を入れた。
「ぼくの望みを叶えてよ」
真紅のマントの間から、鈍い銀色が顔を出す。昨夜俺が握っていた、魔王エリアスの短剣だ。皇宮を出るとき置いていったはずのそれを、ハロルドは手の中でくるくると回した。
「ほら、おあつらえむきにお相手も来てくれたことだし、今度はずるしないでちゃんとやって?」
背後から聞こえてきた足音に、俺はのろのろと振り向いた。
「ノア!」
ああ、なんで来るかね、こいつは。まあ、思えば最初からこうだったよな。馬鹿みたいに他人の心配なんかしてさ。立場をわきまえろよ。おまえ、皇帝陛下だろ?
「大丈夫か、ノア」
俺は黙ってギルベルトを見上げた。髪も顔も粉塵で白く汚れていたが、その緑の瞳だけは変わらず鮮やかだった。
「おまえ……」
言葉が続かず、俺はうつむいた。
いっそ時間が戻ればいいのに。ほんの半月、いや十日でいい。それくらい時間が巻き戻れば、俺はきっと迷わない。ためらうことなく、こいつの胸に剣でも何でも突き立てられたのに。
そんな思いに支配されていた俺は、たぶん泣きそうな顔をしていたのだろう。俺を見る緑の瞳がふっとやわらいだ。
ノア、とギルベルトが声に出さずにささやく。心配するな、とやつが笑う。幼い子どもをあやすように。
「ギ……」
次の瞬間、いろんなことが同時に起こった。
俺の隣を風が駆け抜けた。抜剣したギルベルトの形をとって。
ハロルドの舌打ちが聞こえた。つまらないなあ、というぼやきと共に。
銀の光が俺の視界を切り裂いた。ハロルドが投じた短剣が、ギルベルトの眉間めがけて――
――キィン!
とっさに俺が放った術が短剣をはじき、軌道を変えた切っ先が、すとんと俺の胸を貫いた。
「ノア!」
あれ、と思う間もなく体がかしいだ。熱い痛みに息が詰まる。視界が急激に暗くなり、両の足から力が抜ける。
ええ、なんでこっちに刺さるんだよ。力の方向からいったら向こう側に飛んでくだろうが。やっぱり俺ってつくづく不器用……なんてことを思ったのを最後に、俺の意識はぶつりと途切れた。
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