第六章 もう一人の魔王様

第37話 緊縛ときどき爆発

「やあ、ノア」


 白皙の面をうっすらと紅潮させて、ハロルドは俺に笑いかけた。きらめく金髪が深紅のマントによく映える。

 惜しいよなあ、と俺は改めて思った。

 こいつ、外見はまったく理想の王子様なくせに、なんで中身はこんなに気色悪いんだろ。


「また会えて嬉しいよ。きみもそうだろう?」

「全然」


 心の底から否定してやったが、ハロルドは「またまたあ」と身をくねらせる。


「素直じゃないんだから。ぼくに会いたくてわざわざこんなとこまで来てくれたんでしょう? 危険を冒してまでさ」


 いや、おめーに会いにきたわけじゃないから。あと、そこまで危険じゃなかったぜ? 


「きみを見つけたとき、ぼくがどんなに興奮したかわかる? まさか正面から来てくれるなんて思ってもみなかったからさ、つい我慢できなくて話しかけちゃった! そしたらきみってば、ぼくを押し倒して服をはぎとって……ああっ! おまけに縛ってくれるなんて!」


 人聞きの悪い言い方すんな! 少なくとも押し倒したのは俺じゃない!


 憤慨する俺の横で、ギルベルト――押し倒したほう――が舌打ちをもらした。


「なんだこいつは」

「おまえの同類」


 即答してからちょっと反省した。さすがにギルベルトはここまで重症じゃないだろう。一括りにして悪かったよ。


「ふざけるな。私は縛られるより縛る派だ」


 なあ、おまえらまとめて吹き飛ばしていい?


 殺意に駆られた俺を正気づかせてくれたのは、意外にも教団長のお言葉だった。


「何をしている、エリアス。さっさとそいつらを始末せんか」


 ――あっぶな!


 まさに間一髪。ハロルドが教団長へ放った見えない刃を、俺はすんでのところではじき落とした。

 ちょいと目算が狂ってザカリウスのローブの裾がすぱんと裂けたが、血飛沫は上がっていないから体は無事のようだ。

 不器用な俺にしては上出来、と思わず口笛を吹きかけた俺の耳に、教団長の裏返った悲鳴が届く。


「ひいっ……! なっ、なにを……」

「うるっさいなあ」


 今度はハロルドが舌打ちをもらし、金の髪をかき上げた。


「あのねえ、ぼくは今ノアと話してるの。邪魔しないでくれる? あと、軽々しくその名で呼ばないでって言ったよね、ぼく」


 へえ、と俺は少しばかり意外に思いながら、今しがた得た情報を整理した。


 そこで這いつくばってる教団長様は、存外柔軟な思考をお持ちらしい。ハロルドが本物――かどうかはまだ疑わしいが、とりあえず本人はそう主張している――の魔王エリアスであると知りながら、手を組んでいらっしゃるとは。


「ノアもノアだよ。そんなやつ庇わなくてもよかったのに」

「冷たいこと言うなよ。おまえのお仲間なんだろ?」

「そんなんじゃないって。言ったよね? たまたま利害が一致しただけだって」

「その利害というのは、私の暗殺のことか」


 うわ、おまえまで口出してくんなよ。その首飛んでも知らないぞ。

 二撃目にそなえて身構えた俺だったが、予想に反してハロルドは「ああ」とうなずいただけだった。


「そっちの老いぼれの目的はそうだけど、ぼくは違うよ? ぼくはさ、ぼくのものを取り返したかっただけだから」


 仲間意識も敬老精神もまるで感じられない返事をよこし、ハロルドは胸の前で手をこすり合わせた。


「あ、でも、一番欲しかったのはきみだけどね、ノア! きみを手に入れるためなら何でもしちゃうよ? ぼく」

「あいにくだが、これはもう私のものだ」


 おまえらちょっと黙っててくんない!? あと、人のこと物扱いするんじゃありません! 


「ええ、そういうこと言う? そしたらやっぱりあなたから片付けとこうかなあ」

「ハロルド」


 ため息をついて、俺は一歩前に出た。


「この馬鹿に乗せられてんじゃねえよ。おまえの相手は俺がしてやるから」

「待て、ノア……」


 ギルベルトの声を無視して、俺は続けた。


「おまえもいろいろ面倒な小細工してくれたけどさ、もうここらで片つけようぜ」


 単純に、力比べといこうじゃないか。勝ったほうが総取りだ。

 なんだかんだで俺もハロルドと同じだな。大事なものを取り戻すためなら、何だってやってやる。


「俺が欲しけりゃ力づくで奪ってみろ」


 俺はあえて挑発的にあごを上げた。

 ほら、食いついてこいよ。おまえの欲しいものはここにある。


「……いいねえ」


 ハロルドは上擦った声をもらし、唇をなめた。


「やっぱりきみって最高だよ! じゃあぼくが勝ったら、またぼくのこと縛ってくれる!?」

「あー……それはそっちの皇帝さんがやってくれるんじゃないかな……」

「おい、ノア」


 うるさいな。いいじゃないか。縛るのお好きなんでしょ?


「そうだ、ジジイ」


 俺は振り向いて教団長に声をかけた。

 存在を忘れられている間に逃げようとしていたのか、切られた裾を引きずって後ずさりしていたザカリウスは「ひっ」と息を呑んで動きを止めた。

 なんだ。胆力だけはあるジイさんだと思ってたのに、どうやら純粋な暴力には弱いと見える。

 あれだけふてぶてしく振る舞っていられたのも、自分の身の安全が確保されていればこそだったというわけか。


「礼拝の時間、いつまで?」

「は……?」

「だからさ、ここって何時まで開いてんの。お客さん皆帰った?」

「大丈夫だよ、ノア」


 震えている教団長のかわりに、ハロルドがのんびりと答えた。


「聖堂はもう閉まってるから。あと、人払いもばっちりだよ。ほら、イケないことするのに人目があるとまずいでしょう?」


 そうだな、皇帝殺害の場面を神官やら騎士やらに見られたら厄介だもんな。さっきから結構な物音立ててるわりに誰も駆けつけてこないから、多分そうじゃないかと思ってたけど。


「そりゃ行き届いたことで。じゃ、ギルベルト」


 俺はザカリウスを指さして皇帝に声をかけた。


「そいつはしっかり捕まえとけよ。貴重な生き証人なんだから。あと、自分の身は自分で守ってくれ」

「任せておけ」


 頼もしい返事を受けとって、俺はもう一人の魔王に向き直った。

 すう、と息を吸い、力をめる。俺の足元をでくるくると風が舞い、ローブの裾がひるがえる。


 ああ、久しぶりだな、この感覚。産毛がちりちりと逆立つような、全身を稲妻が駆け巡るような、いっそ心地よいほどの、この――


「え、ノアってば、それはさすがに……」


 今更つれないこと言うんじゃねえよ!


 一切の手加減なしで放った術が、爆風となって正面の壁を吹き飛ばした。



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