第34話 人はそれを自棄と呼ぶ

 人生山あり谷あり。その格言、いまの状況にも当てはまるだろうか。


 神殿の廊下を駆けながら、俺は胸のうちでため息をついた。


「いたぞ! あっちだ!」

「止まれ、おまえら!」


 背後から騎士たちの怒号が聞こえる。がちゃがちゃと鎧が鳴る音も。


 まいったな。結構な人数だぞ、こりゃ。


 なんでこんなことになったかというと、単に俺が下手を打ったからである。


 ギルベルトの服を調達しようと、ちょうど一人で歩いていた神聖騎士団の騎士に飛びかかったはいいが、一撃で気絶させるには至らなかったのだ。

 

 すかさずギルベルトが鳩尾に一発食らわせたその騎士は、倒れる前に首にかけた呼び笛を吹き鳴らした。


 あのとっさの判断は大したものだった。腕っぷしはともかく、ああいう機転の利くやつって重宝するんだよなあ。ゲイルが欲しがりそうな人材だ。


 おかげでいま、俺とギルベルトは警笛を聞いて集まってきた騎士たちに追いまわされているんだけどな!


「こっちだ、ノア」


 押し殺した声とともに手を引かれた。足にまとわりつく神官のローブに閉口しながら角を曲がり、廊下に積まれた樽の陰に倒れこんだところを、ギルベルトに抱きとめられる。


「しばらくこのままで」


 耳元の囁きに、俺はうなずきだけを返した。

 物陰で息を殺す俺たちの側を、猛った足音が駆け抜けていく。


 やれやれ、ほんとにまいったぜ。まあ全部俺のせいなんだけど。


「足は大丈夫か、ノア」

「平気」


 ギルベルトから顔をそむけて、俺はため息をついた。さてと、どうしたもんかねえ。


 さっきの一団はやり過ごしたものの、すぐに新手が集まってくるだろう。


 騎士たちをまとめて吹き飛ばすなど造作もないが、そこは不器用な俺である。術を放ったついでに壁の二、三枚はぶち抜いてしまうかもしれない。


 この神殿が瓦礫の山になろうと痛くも痒くもないが、さすがに聖堂に集まった人々を巻き添えにするのは忍びない。


「ギルベルト」


 結論を出すまでそう長くはかからなかった。最初から選択肢は限られている。


 肩にまわされた腕を振りほどいて、俺は立ち上がった。つづいて腰を浮かせたギルベルトの肩を片手で押しとどめる。


「おまえはしばらくここにいろ。俺がやつらを引きつけるから、その間におまえは上手いこと逃げろよ」

「なんだと……」


 はい、大声禁止。ギルベルトの頭に拳骨を落とし、俺は樽の陰からそっと顔をのぞかせた。


 あーあ、早くも来やがった。完全武装した騎士様たちのお出ましだ。


「おまえがこんなとこで捕まるわけにもいかないだろ。立場を考えろよ、皇帝陛下」


 最後に意地悪くつけくわえてやると、ギルベルトはあからさまに傷ついた顔をした。


 悪いな。けど、わきまえてくれ。おまえにだって、さすがにその程度の分別はあるだろう?


「巻き込んで悪かったよ」


 じゃ、と短く告げて飛び出しかけた俺の腕を、強い力が引き戻した。


「わっ……」


 はずみで後ろに倒れた俺を、ギルベルトが抱きとめる。


「ノア」


 あ、まずい。この響きには覚えがある。三徹目のバラーシュに詰め寄られたときと同じだ。この逃げ場のない絶望感。背筋がぞくぞくするようなこの感じ、ちょっと懐かしい……じゃなくて、とりあえず落ち着こうか。多分おまえ、寝不足でイラついてんだよ。きっとそうだ。


「おまえがここまで馬鹿だとは思わなかった」


 よし、寝ろ! すぐ寝ろ! なんなら俺が寝かせてやる。二度と目え覚めないくらいぐっすりとな!


「おまけに記憶力も悪いらしい。おまえが私を巻き込んだんじゃない。私が勝手に巻き込まれにいったんだ。それを都合よく書き換えて、おまけに逃げろだと? 馬鹿も休み休み言え」


 ……えーと、ギルベルトさん? 少々お言葉が過ぎるようですが……もしかして、もしかしなくても、めちゃくちゃ怒ってる? あと、なんか自棄になってない?


 思わず腰が引けた俺の肩をつかんで、ギルベルトは壁に押しつけた。


「立場ならよくわかっている。逃れようにも逃れられない立場だ。もう逃げる気はない。ついでに言っておくと――」


 暗がりで深い緑の瞳がきらめく。


「おまえを逃がすつもりもない」


 さらっと怖い台詞をささやいて、ギルベルトは身を翻した。


 ちょっと待て、と止める間もなく大股で廊下に歩み出たギルベルトを、駆け寄ってきた騎士たちが取り囲む。


「控えろ」


 さほど大きくはない声だったが、騎士たちは一斉に動きを止めた。俺が常々うらやましいと思っていた声だ。よく通る低い声。理屈抜きで他者を従わせる、王者の声だ。


「皇帝ギルベルトだ。そなたらの主に用があって来た」


 堂々とした背中の陰で、俺はこの日何度目かのため息をついた。


 立場を考えろって、そういう意味で言ったんじゃなかったんだけどなあ。


「疾く教団長のもとへ案内せよ」


 ギルベルトの圧に、騎士たちはうろたえたように顔を見合わせる。


 ご苦労様です、という気持ちを押し隠し、俺はせいぜい重々しい表情を顔に張りつけた。お忍びでやって来た皇帝の、忠実な随従にでも見えるように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る