第35話 腹黒どもの競演

「おまえって演技派だよな」


 長椅子の隣に座る皇帝にそう言ってやると、当の本人は「なに」と口の端をつりあげた。


「この程度、大したことはない。先代はもっとすごかった」

「それ、おまえの兄貴のこと?」

「そうだ。兄上の腹芸は見事だったな。俺もよく兄上のいいように踊らされたものだ」


 はあ、そりゃさぞかし心温まるご関係だったんでしょうね。


 どうでもいいけど、エリックだけはあのまま素直に育ってほしい。雇われ師匠として切にそう願う。


 当人いわく兄には及ばないものの、ギルベルトの圧というか、はったりはそれなりの効果をもたらし、俺たちは騎士たちに先導されてこの部屋に通された。


 清貧を旨とする神殿内とは思えないほど広く豪華な客間で、椅子はふかふか、目の前には香り高い茶まで用意されている。


「こんなことなら、最初からおまえに身分明かしてもらえばよかったかな」

「どうだろうな。かたりと思われて獄に繋がれていたかもしれないぞ」

「これからそうなるかもしれないぜ」

「そのときは、希代の天才魔術師どのの力におすがりするとしよう」


 あ、面倒なとこぶん投げられた。おだてりゃ何でもすると思うなよ。


 釈然としない気持ちで茶に手をのばしたところで「待て」と止められた。


「それには手をつけるな」

「ああ……」


 指でカップの縁をはじくと、高く澄んだいい音がした。部屋の内装と同様、茶器もすこぶる上物らしい。


「こんなところで毒なんか盛るとも思えないけど」

「同感だが、万一ということもある。おまえに何かあったら悔やんでも悔やみきれん」


 ギルベルトが口元に苦い笑みを浮かべたとき、背後の扉が開いた。


「これはこれは!」


 騒々しい足音を衣擦れの音とともに、小柄な老人が駆け込んできた。


「まこと陛下でいらっしゃる! ご危篤と聞いておりましたのに、このようにご無事なお姿を拝見できるとは! ああ神よ、感謝いたします……!」


 ――なんかうるさいの来たな。


 教団長ザカリウスへの、俺の第一印象がそれだった。


 長いローブをひきずりながらぺこぺことギルベルトに頭を下げたと思えば、天井に向かって手を合わせたり広げたり。とにかく忙しげに動き回る小柄な老人は、数千の神官の長としての威厳も威風もまるで感じられない、どこにでもいそうな爺さんだった。


 つやつやとした丸顔に、同じくつるりと禿げ上がった頭。半白の眉はふさふさで、その下の目は糸のように細い。


「いやはや、じつに驚きました」


 俺とギルベルトの向かいに腰を下ろした教団長は、細い目をいっそう細めて灰色のあごひげをしごいた。


「陛下が凶刃にお倒れになったと聞き及んでから、このザカリウス、一心に神に祈りを捧げていたところでございます」

「世話をかけたな」


 長椅子で足を組み、ギルベルトは冷めた一瞥を教団長にくれた。


「そなたのことだ。さぞ熱心に祈ってくれていたのだろう。私がそのまま天に召されるように」


 あらら、こいつってばもう取り繕う気もないんだな。まあ、この期に及んで腹の探り合いも時間の無駄だし、そろそろ白黒つけるのもいいんじゃないの。


「滅相もございません! ひとえに陛下のご快癒を祈っておりました」

「ほう?」


 こちらはまだ芝居を続ける気であるらしい教団長が大仰に首を振ると、ギルベルトは皮肉っぽく応じた。


「先帝の時と同じように?」

 

 一瞬、教団長の目の奥に暗い光がよぎる。けれどそれはすぐに消え去り、ザカリウスは元どおりの好々爺めいた笑みで武装した。


「あのときも世話になった。病篤い兄上のもとへ、そなたはわざわざ祈祷師を寄越してくれたのだったな」

「畏れ多いことにございます。しかしながら我らの力及ばず、先帝陛下をご快方にお導きできなかったことは、今も深く悔いるところにて……」

「祈祷の善し悪しなどどうでもいい。そんなことより、私の気にかかっているのは、その祈祷師が先帝崩御から時を置かずして世を去った理由だ」


 ぶわりと、ギルベルトの周囲の空気がゆらいだ。


 腹の底が冷えるような、肌がちりちりするような、その感情の名は、おそらく怒りだ。多分この先何年経とうと、決して色あせることのない激情。


「……さて、人の生き死には神のみぞ知るところにございますれば」


 よく言うぜ、このクソジジイ。でもまあ、こいつの胆力だけは誉めてやってもいいかもな。正面から先代皇帝暗殺の罪を問われながら、顔色ひとつ変えないとは。


「ギルベルト」


 不穏な気配を漂わせている皇帝に、俺は小声で呼びかけた。


「手え貸そうか?」


 もういいだろう。そんな気持ちで、俺は持ちかけた。もう我慢しなくていいんじゃないかと。


 この老人が、ギルベルトの兄を害した張本人であることは間違いない。どんな鈍感でも、この二人のやりとりを目の当たりにすれば、それくらい察しはつく。 


 多分、ギルベルトはずっと耐えてきたのだろう。注意深く、忍耐強く、兄を殺した犯人を追いつめる機会を窺っていたのだろう。それこそ神だけじゃなく誰もが目にし、手に取れるような、確たる証拠をつかんでやろうと。


 だけど、そんな努力も今のところは徒労に終わっているようだ。この演技過剰なジイさんが、そう簡単に尻尾をつかませるとも思えないし。


 だったら、と俺は思ったのだ。


 もういいじゃないか。こういう手合いを公正に裁くなんて不可能だ。乱暴でもいい。卑怯でもいい。手っ取り早く、力づくで、報いを受けさせてやったほうがいいんじゃないか、と。


 名を呼ばれたギルベルトは、ふと我に返ったように俺を見た。深い緑の瞳がまたたく。


 ノア、と。唇の動きだけで、ギルベルトが俺の名を呼んだ。緑の瞳をやわらげて。


 ああ、よかった。いつものこいつだ。癪にさわるくらい余裕も自信もたっぷりな、いつもの落ち着いた深い色だ。


「ときに陛下、そちらの方は……」


 ザカリウスが白々しく尋ねる。まったく嫌なジイさんだ。俺が何者かってことくらい、最初からわかっているだろうに。


「そこのジジイ」


 ギルベルトの紹介を待たず、俺は教団長に声をかけた。あなたはどうしてそう口が悪いのでしょうねえ、なんてバラーシュの小言を思い出しながら。


「俺の仲間をどこにやった?」




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