第25話 控えめな贈り物
遠見の術を使って俺がたどり着いたのは、シエナ地方のとある山の中だった。
銀色の月が浮かぶ空をゆるやかに旋回して、俺の意識はすとんと地上に降り立った。岩肌を
この粗末な祠が、かつては世界の半分を支配したという魔王エリアスの墓所だということを、どれだけの人が知っているだろう。
墓所といっても、実際に祠の中に納められているのは、エリアスの遺骸ではなく愛剣なのだそうだが。
なんでも、えらく凶悪な魔獣だか邪神だかと戦ったエリアスは、辛くも勝利したものの、その肉体は消滅し、残ったのは愛用の剣だけだったとか……なんてことを、俺は占い婆のセルマから一晩かけて聞かせてもらった。
なんで一晩もかかったのかというと、セルマがついでに語りだした亡きご夫君との恋愛叙事詩が長大だったからで、「出会い篇」に始まり「駆け落ち篇」「蜜月篇」へ突入する頃には、もはや魔王伝説のほうが完全に「ついで」になっていた。
いや、あれは正直きつかった……あ、でも「浮気篇」はちょっと面白かったな。
そんなエリアスゆかりの祠を、俺が訪ねるのは二度目になる。
一度目の訪問は俺が魔王に就任して間もない頃だ。セルマの話を聞いた俺が「じゃあ二代目就任の挨拶もかねて墓参りに行こうかな」とつぶやいたら、バラーシュが賛成して準備を整えてくれたのだ。
あの日は楽しかったなあ。バラーシュとゲイルとフィル、それから非番の兵士たちも誘って、結構な大人数で山を登ったんだ。
皆で祠のまわりを掃除してから、ヘルガが用意してくれた弁当をひろげて、あとは昼寝したり散歩したり川で釣りしたりしてさ。
帰りは、はしゃぎすぎて眠っちまったフィルを皆で代わる代わる負ぶってやったっけ。
あのとき「俺も代わる」と申し出たら、「陛下にそんなことは」てバラーシュが猛反対したんだよなあ。あの頃のバラーシュは慎み深かった。今だったらきっと「ほら、保護者の出番ですよ」とか言って……いや、やめよう。感傷にひたりにきたわけじゃない。
ギルベルトが見せてくれた報告書にシエナの名を見つけたとき、真っ先に俺の頭に浮かんだのは、この祠の存在だった。
ハロルドが神託とやらを受けたという地と、先代魔王の魂が眠る場所が一致したのだ。これが偶然であるはずがない。
とはいえ、俺が意識だけ飛ばしてここに来たところで、何がわかるというわけでもないんだけどな。
ただ、どうしようもなく胸が騒いで、いてもたってもいられなくなって、つまりは衝動的に来てしまったというわけだ。
計画性という言葉をご存知ですか、なんて、バラーシュの小言が聞こえるようだ。
まあせっかく来たんだし、と俺は祠に意識を近づけた。
岩をくりぬき、石の扉をつけただけの簡素な祠は、月明りの下でひっそりと沈黙している。前に訪ねたときと何も変わっていない……いや、まてよ。扉の表面、まばらに生えた苔の一部が剥がれている。自然に落ちたようには見えない。ということは、誰かがここを――
「――やあ」
身体があったら、俺はその場で飛び上がっていたと思う。それから、思いっきり苦い顔で舌打ちをしたはずだ。
いま一番会いたくない、だけど一番話を聞かなきゃいけない相手に向けて。
「来てくれると思ったよ」
月光にあわく輝く金髪の男が、そこに立っていた。意識だけの俺と違い、しっかりと実体を備えているハロルドが。
「なんで俺が来るとわかった?」
「なんとなく、かな」
肉声ではない俺の声を、ハロルドは正確に拾いあげた。
ふん、やるじゃないか。この状態の声を捉えるのは、わりと難しいんだけどな。
「きみなら、きっと近いうちにここに来てくれると思ってたんだ。でも、まさか今晩とはね。これってやっぱり運命かな。ぼくら、心が通じ合ってる? ということは体の相性もばっちり? うわあ、最っ高!」
うわあ、最っ低。のっけから気色悪さが半端ない。
「ハロルド」
身をくねらせる不気味な野郎からなるべく意識を離しつつ、俺は呼びかけた。
「おまえは本当にエリアスの生まれ変わりなのか」
「そうだよ」
こともなげにハロルドはうなずいた。
「ぼくが本物。きみは偽者。きみだってわかってるだろう? 自分が間抜けな部下に担ぎ上げられただけの、滑稽な王様だってことくらい」
「おい」
くそ、なんでこの状態だと術が飛ばせないんだ。
やっぱり苦手だとか言ってないで、もっと修行しておけばよかった。そうしたら、こいつのよく動く口をすぐさま止めてやれたのに。
「言葉に気をつけろ。次にあいつらを間抜け呼ばわりしたら八つ裂きにしてやる」
「ええっ、八の字縛りにしてくれる!? なにそれすっごく楽しそう!」
都合のいい時だけ聞き間違えるな!! わかった! もうわかったから認めてやる。おまえが本物の変態だとな!
「せっかくのお誘いだけど、それはまた今度でいいかな。今夜は別の趣向を用意してるんだ。ほら、次は道具を持ってくるって言っただろう? ちゃんとここに……」
え、やだ、やめて。なに出す気? お願いだから見せないで。俺の何かが汚れる気がするから!
「はい、これ」
俺の声なき絶叫を無視して、ハロルドは懐から銀色の何かを取り出した。
なんだ、それ。短剣?
「きみへの贈り物だよ」
ハロルドの手の中で輝くそれは、一振りの短剣だった。抜き身の刀身はごく短く、ナイフと呼んでもいいくらいの控えめな武器だ。
「これで、ノア」
にい、と吊り上がったハロルドの口元に、月光が暗い影を落とす。
「あの皇帝を殺しておいでよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます