第21話 冗談ではなく芝居でもなく

 もう十年以上前のことになる。俺は生まれ故郷の森を焼いた。


 きっかけは、まあエリックと似たようなものだ。近所の男に炭焼き小屋へ連れ込まれそうになって、俺の力が暴走したわけだ。

 そのゲス野郎がどうなろうと知ったことではないが、問題は、そのとき生じた爆風で小屋から火が出て、最終的に森を丸焦げにしてしまったことだ。


 焼け崩れる森から俺がどうやって逃れたのか、そのあたりの記憶はない。気がついたら、俺は森の外れで呆然と座り込んでいた。

 同じく焼け出された人々のすすり泣きが耳に届いたとき、俺は自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと理解した。


 それからほどなく、不審な火事の噂を聞いてやって来た“塔”の使者に連れられて、俺は故郷を離れた。

 もともと孤児だった俺である。引き留めてくれる人も、別れを惜しんでくれる人もいなかった。以来、一度も帰っていない。多分この先もそうだろう。


「悪いけど、ギルベルト」


 短い追憶を打ち切って、俺は顔を上げた。


「エリックの面倒を見るのは今日限りにさせてくれ。アデルの世話になるのも」


 無責任なのは重々承知している。でも、やっぱり俺ではだめなのだ。俺ではエリックを間違った方向へ導いてしまう。


「エリックには、もっとちゃんとした師匠をつけてやったほうがいい。それに、どうやらハロルドは俺に興味があるらしいからな。俺は俺で、やつのことを調べるつもりだし、俺のせいでエリックとあいつの接点ができるのもまずいだろ」


 ギルベルトは黙って俺を見つめていたが、ややあって「わかった」とうなずいた。


「きみの主張は理解した。だが、承諾はできかねる」


 おまえのそういうとこ、地味に腹立つんだけど。その「上げて落とす」というか「受け入れて突き放す」みたいなとこ。


「私は、エリックの師としてきみ以上の人材はいないと思っている。ああ、きみの自己評価はこの際問題ではない」


 そんなことは、という俺の反論は口に出すより先に封じられた。


「この場合、なにより優先されるのは依頼主の評価だからな。それから、きみはエリックを傷つけまいとしているのだろうが、私に言わせれば逆効果だ。今きみがエリックのもとを離れたら、あの子はきっときみに捨てられたと思うだろう」

「んな大げさな……」

「大げさじゃない。私はこれでもエリックの叔父だ。あれの気質はよくわかっている。きみに嫌われたのだと、エリックはひどく落ち込むだろうな」

「俺がエリックを嫌うわけないだろ」

「結構」


 満足げにギルベルトは微笑んだ。


「ならば行動で示してくれ」


 うー……この感じ、覚えがあるぞ。気がつけば言いくるめられてるやつだ。今まで何度もやられてきたんだよなあ。

 気を引き締めてけよ、俺。こいつが笑ってるときは要注意だ。


「それに、あの男の身辺調査なら私も力になれると思うが」

「やめとけ。やつは危険だ。不用意に近づくんじゃない」

「ほう、そんなに危険な男なら、なおさらきみ一人に任せておけないな」


 くそ、ああ言えばこう言う。いっそ「つべこべ抜かすな!」と叫んで拳を落としてやれたら楽なのに。

 でも、それはそれで、口ではこいつに勝てないと認めるみたいでしゃくなんだよなあ。


「なにより」


 ええ、まだ言うのかよ。もう面倒だから殴っていいか。加減するから。


「きみが私の側を離れるのは我慢ならない」


 前言撤回。手加減なしでいかせてもらうわ。


「おまえさあ……」


 おさまっていたはずの目眩にふたたび襲われ、俺は額を押さえた。


「いいから、もう。そういうの」

「……なんだって?」

「いや、だからさ、そういう芝居はもういいっての」


 ギルベルトの顔から表情が抜け落ちた。ふん、やっぱりな。ばれていないとでも思ったか。


 一目ぼれだの愛人だの、そんな浮かれた台詞をささやきながら、この男の目はいつだって冷めていた。冷静に、狡猾に、俺を値踏みし、距離を測っていた。

 そんな目を向けられれば、俺でなくとも気づくだろう。

 ああ、こいつは嘘つきだと。

 せっせと甘い言葉を浴びせかけ、相手をたらしこもうとしているだけだと。


「そんなことしなくても、ちゃんと協力してやるから。おまえが本当はアデルのこと好きなのも知ってるし、なんならそっちも協力するし……ってえな、おい」


 強い力で両腕をつかまれて、俺は抗議の声をあげた。


「……おまえは」


 ギルベルトは俺の腕をつかんだまま顔を伏せ、ぼそりとつぶやいた。


「鈍いのか鋭いのかわからんな」


 なんだろ。なんか微妙に失礼なこと言われてる気がするんだけど。

 あと、なんか口調変わってないか? もしかして、アデルのことがばれて照れてんのかな。いや、俺はべつに冷やかすつもりなんて――


 ――え、


 一瞬、思考が停止した。ギルベルトが片手で俺のあごをつかみ、ぐっと顔を寄せてきたからだ。


「ノア」


 えーと、ギルベルトさん、なんだかいつもと感じが違うようですが、どこかお加減でも……


「本気になればいいんだな?」


 思考停止。本日二度目。


「…………じょ」

「冗談を言っているつもりはない。芝居でもない。本気で、他の誰でもなく、お前が欲しいと言ったら――」


 睫毛が触れるほどの距離にある深緑の瞳に、初めて見る光がぎらついた。


「おまえはどうする」


 そこ俺に投げるなよ! あと、なんで怒ってんの!? あれか、演技が下手とか気持ち悪いとか、言ってないけど伝わっちゃった? いや、それは悪いと思うけど本当に……


「……気持ち悪い」

「ノア?」


 ごめん。本当に気持ち悪い。

 さっきから目眩がひどくて、まともに物を考えられない。額が熱い。視界がぐるぐる回ってかすんでいく。


「大丈夫か、ノア」


 や、大丈夫じゃない。全然まったく大丈夫じゃないから、しばらく放っておいてくれないか。


 糸の切れた操り人形みたいに、俺はくたりと長椅子に沈み込んだ。

 慌てた様子のギルベルトが医者を呼んで戻ってくるまで、俺はそのまま転がっていた。虫みたいに背中を丸めて。とっ散らかった頭をかかえて。



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