第四章 勇者様の裏の顔

第22話 魔術師の恋愛遍歴

 恋愛経験は豊富ですかという質問に、胸をはって「それなりに」と答えられる人は、そう多くないだろう。

 なんて、えらそうなこと言ってる俺も、残念ながら経験は乏しいほうだ。

 だけど、これはけっして俺自身のせいじゃない――と、俺は思う。


 なにしろ俺は“塔”育ちである。人格が崩壊するんじゃないかってくらい厳しい修行の日々に、色恋の入り込む隙間などあろうはずもなく、おまけに周りは実際に人格が破綻した連中だらけときたもんだ。

 こんな悲しい環境でどうやったら健全な恋をはぐくめるのか、知っているやつがいたらぜひともご教授ねがいたい。


 まあ、過去に“塔”の同僚とあわーい関係を築きかけたこともあったけどさ、結局「周りに比べたらマシに見えたから試しに付き合ってみたけど、やっぱりコイツもまともじゃなかった」という認識を分かち合って終わったし。


 前置きが長くなった。

 つまり何が言いたいかというと、かくも貧しい恋愛経験しかない俺が、昨日のギルベルトの態度に頭を抱えてしまうのも無理はないってことだ。


 あー今日も空が青いなあ……て、現実逃避してる場合じゃないのはわかってるんだけどな。


 波乱の園遊会から一夜明け、俺はアデルの館の庭でぼけっと木にもたれていた。

 かたわらでは馬鹿犬バルトが寝そべっている。エリックはいない。昼までは勉学の時間なのだ。


 昨日はだいぶ怯えていたエリックも、ありがたいことに今朝はすっかり落ち着いた様子だった。

 だけど、安心するのはまだ早い。あとでちゃんと話を聞いてやらないとな。何か不安なことはないか、怖いことはないか、心のどこかにちょっとでも痛むところはないか、と。


「バールト……」


 つぶやくような俺の声を聞き逃さず、馬鹿犬は「わふっ」と身を起こしてちぎれんばかりに尻尾をふった。

 全身で「好き!」と訴えかけてくるさまに降参して両手をひろげてやると、バルトはどかんと飛びついてくる。

 いいよね、おまえはわかりやすくて。


 それに比べて、あいつは俺をどうしたいんだろ。いや、愛人にしたいとは最初から言われてたけど、さすがにそれは悪趣味な冗談……冗談だよな?


 実のところ、俺に愛人話を持ちかけたやからはギルベルトが初めてではない。

 あれは俺がまだ魔術師見習いの頃、先輩にくっついて依頼をこなしにいった先で、どっかの大商人のおっさんに「きみさえよければ一生面倒みてあげるよ」とか何とかささやかれて手を握られたのだ。

 見習いとはいえ魔術師にちょっかい出すなんて、さすが一代でのしあがった富豪はやることが違うわ、と俺が素直に感心したのは、そいつを四分の三殺しにした後のことだった。


 あのときの“塔”の対応は、返す返すもひどかった。

 いついかなるときも理性を手放してはならない魔術師にあるまじき行為、だのと断罪されて、報酬をふいにされたあげく十日も謹慎させられたんだから。

 後で聞いたところによると、「理性なら残ってましたよ。四分の一ほど」という俺の反論がなければ謹慎三日で済んでいたらしい。まったく、どこまでも納得いかねえわ。


 ……なんか、いろいろ思い出したら腹が立ってきた。そもそも、なんで俺がこんなことに頭を悩ませなきゃならないんだ? 今は他に考えるべき問題があるだろう。まずはエリックのこと。それから、


「――やあ」


 背中にかけられた声に、ぞくりとした。

 底ぬけに明るく、底なしにくらい、そいつの声に。


「また会えて嬉しいよ」


 ふりむきざま、俺は馬鹿犬の首を抱えこんだ。

 やめとけ、バルト。おまえの気概は買ってやるが、そいつに噛みついても勝ち目はない。


「……よお」


 唸り声をあげるバルトの首を押さえながら、俺も金髪男に挨拶を返した。


「俺は話なんてないと言ったよなあ」

「つれないねえ」


 芝居がかった仕草で肩をすくめ、ハロルドは舌なめずりにも似た笑みを俺に向けた。


「麗しの元魔王さまは」



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