第15話 塔の魔術師

 魔王エリアス。最初にそう名乗った魔族の王について、俺が知っていることは極めて少ない。

 なんでも一千年ほど前に現れて、それまで無秩序だった魔族の世界をたった一人でまとめ上げた偉大な王だったとか。


 その伝説の王様の、生まれ変わりがなんで俺ということになっているのか、実のところ俺もよく知らない。

 一度バラーシュに尋ねてみたことはあるが、「いいじゃないですか、今更そんなこと」と、ものすごく面倒くさそうに応じられてちょっと傷ついた。

 あとでゲイルにも同じことを訊いたら「犯人探しはやめよう。誰にでも間違いはある」とさとすような笑みで返されたので、以来その件について追及するのはやめた。


 まあ、きっかけは何であれ、当時“塔”の魔術師であることに嫌気がさしていた俺は、渡りに船とばかりに魔王就任を承諾したわけだ。


 “塔”を抜けるにあたっては、ちゃんと上にも話を――多少の実力行使も伴わせて――通したし、後々“塔”に迷惑がかからないよう、俺がいた痕跡はきれいに拭い取ってきた。


 だから、俺の過去についてはごく限られた人間及び魔族しか知らないはずだ。なのに、よりにもよって――


「ギルベルト」


 俺は人差し指を皇帝に向けた。

 べつに手やら指やらをかざさなくても、術を使うのに不都合はない。だから、これは一種の脅しだ。偽りを述べたら直ちにその首ねじ切るぞ、という。


「正直に答えろ。おまえ、どこまで知っている?」


 俺について、どこまで調べた。何をどこまで知っている。


「ほとんど何も」


 臆したふうもなくギルベルトは首を横にふった。


「ほうぼう手を尽くしてようやくわかったことといえば、魔王が生粋の魔族ではないことくらいだった。であれば、必然的に魔術師という可能性が高くなる。そこで“塔”に探りを入れたわけだが、さすがにあそこは固かったな。さんざん回り道をさせられたあげく、一人の魔術師が“塔”を離れたと事実しかつかめなかった」


 いったん言葉を切って、ギルベルトは言い直した。


「希代の天才魔術師が一人、だな」


 世辞はいいんだよ。俺が天才と持ち上げられていたのも最初だけだ。すぐに「使い道がない」とか「才能が残念」とか陰口たたかれるようになったから。

 あ、なんか思い出したら落ち込んできた。酒くれ、酒。


 俺はもう一つの杯を引き寄せて酒を注いだ。傷にさわる、というギルベルトの小言を無視して深紅色の酒に口をつける。

 ああ、さすがに美味いな。酒の良し悪しを語れるほど年を重ねているわけではないが、とろりとした舌触りのこれが間違いなく一級品だということくらいはわかる。


 ふと、ある晩の記憶がよみがえった。夜空の下で城の皆と酒盛りした日の記憶が。

 あの夜は楽しかった。あのときみたいに、また皆で焚火を囲めたらいいのに。安酒を回し飲んで、くだらない話で馬鹿みたいに笑い合えたらいいのに。


「ノア」


 ギルベルトの声で、俺は我に返った。


「……俺のことはもういい」


 頭をふって短い追憶を払い落とす。


「話を戻すぞ。“塔”に探りを入れられるくらいだったら、エリックの師匠を見繕うくらい簡単だろ」

「それはもうやった」


 苦い顔でギルベルトも杯を傾ける。


「私とて手をこまねいていたわけではない。これまで幾人か招いてみたが、結果は惨敗だ」


 ギルベルトは杯を持ったまま両手をひろげた。


「私の甥はなかなか選り好みが激しい。下手に魔術師を近づけると大泣きする。“塔”から招いた魔術師をひと目見るなりひきつけを起こしたこともあったな」

「あー……」


 そっちか。才能があるやつほど敏感なんだよなあ。ことにエリックは視覚が鋭敏だ。相性の合わないやつが側にいるのは辛かろう。


「そこでだ」


 はいはい、その先は聞かなくてもわかってるよ。

 無言で空の杯を突き出すと、ギルベルトも黙って二杯目を注いでくれた。


「……アデルが了承するかねえ」

「それは心配ないだろう。義姉上はずいぶんきみを気に入っているようだし」

「愛人なのに?」

「愛人だからじゃないか」


 そりゃまた、たいそうな自信だな。自分が選んだ相手なら、姉ちゃんも無条件で気に入ってくれるって?


「なにより、エリックはきみに懐いている。あの子があれほど他人に気を許すのは珍しい。義姉上も驚いていたほどだ」


 まあ、それこそ相性てやつだろ。こういうのは理屈じゃない。


「それに、きみもエリックを好いてくれているようだが」


 そりゃあエリックは可愛いし素直だし? どっかの性格ねじ曲がったおじさんとは大違いだ。


「……三月だけだぞ」


 ため息をついて、俺は片手の指を三本立てた。

 なんとなく、こうなるだろうとは思っていた。昼間エリックの描いた絵を見たときから。「きらきら」の秘密を教えてもらったときから。


「おまえとの契約に縛られている間だけ、エリックの面倒をみてやるよ。そこから先のことは、おまえが責任もて」

「もちろん」


 ギルベルトは満足げにうなずいた。


 こいつはきっと、と俺は思った。はなから俺をエリックの世話役にするつもりで連れてきたんだろう。愛人に暗殺者に教育係。やれやれ、酒の一、二杯じゃ到底割に合わないぜ。


「恩に着る、ノア」


 おまえのためじゃない。エリックのためだ。あと、どさくさにまぎれて手え伸ばしてくんな。


 頬に触れかけたギルベルトの指を払いのけて、俺は酒瓶を引き寄せた。とりあえずの報酬として、これはもらっておくからな。


「飲みすぎはよくない……」


 ギルベルトの声を聞き流して、俺は杯をあおった。

 くらりと溶ける意識の片隅で、いつかの焚火の炎がちらついた。

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