第10話 神様がいっぱい
アデルハイドと名乗ったその女性の第一印象は、とにかくきれいな人だな、ということだった。
もちろん顔立ちも整っているのだけど、なにより全体的な雰囲気というか、たたずまいが美しいのだ。
年は三十手前といったところか。年相応の落ち着きを漂わせつつも、身のこなしは少女のように軽やかで、豊かな栗色の髪は鏡のように輝いている。
所作のひとつひとつも思わず見入ってしまうくらい上品で、まさに貴婦人という言葉がぴったりだった。
聞けばエリックの母親だという。エリックの父親はギルベルトの実兄、つまり三年ほど前に崩御した先帝だから、この女性はかつての皇妃様というわけだ。そりゃあ品があるはずだよ。
「お茶のお代わりはいかがかしら、ノアさん」
その元皇妃様と、俺は差し向かいで食後のお茶を飲んでいた。
なんか、流されるままここまできたけど、冷静に考えるとおかしいよな、この状況。
「あ、どうも……」
なんとなくぼんやりした気持ちで、俺は侍女が注いでくれた二杯目のお茶に口をつけた。わけのわからない状況だが、とりあえずお茶は非常に美味しい。
皇宮に着いたところで、ギルベルトは出迎えてくれたこの人に俺を託すと、自身はどこかへ行ってしまった。曲がりなりにも皇帝だしな。それなりに忙しいんだろう。
どうでもいいけど、やつの元へ駆け寄ってきた側近たちの顔つきが、まんまバラーシュでちょっとおもしろかった。「このクソ忙しいときにどこ行ってたんだ!」てやつ。
皆さんご苦労様です。どうぞこってり搾ってやってください。
側近に拉致される皇帝を見送ると、元皇妃様は俺をこの館に伴って夕食をふるまってくれた。
エリックも一緒に食卓を囲んでいたのだが、やはり疲れていたのだろう。食べ終わる頃にはこっくり舟をこぎはじめたので、乳母らしき女官に抱かれて退室した。
「エリックがお世話になったようですね。あの子の相手は大変だったでしょう」
「いえ、それほどでも。俺も楽しかったですし」
「そう言っていただけると嬉しいわ」
エリックと同じ若草色の瞳がやわらかく笑む。
「父親がいないせいか、少しわがままなところがありましてね。今回も、陛下がお出かけについて行くと言って聞かなくて。しまいには荷物に隠れようとして、とうとう陛下も根負けなさいましたの」
はは、やるじゃないか、エリック。将来有望だな。
「子どもはそれくらい元気な方がいいですよ」
「ありがとう。でも、そろそろ分別というものも学んでほしいところかしら。少しは陛下を見習ってくれるとよいのですけど」
いやーお母さん、それはどうかと思いますよ。あの変態野郎はなるべくお子さんから遠ざけたほうが……などと口に出せるはずもなく、俺は微妙な表情をカップで隠した。
「ところで、ノアさん。立ち入ったことをお伺いするようですけど」
おっと、おいでなすった。身辺調査の始まりだ。大事な息子と大事――かどうかは知らないが、それなりに敬っているらしい義弟の周りをうろちょろするこの男は何者だと……
「あなたは陛下と将来を誓い合っているのかしら」
茶あ吹いた。
「あら、大丈夫?」
大丈夫じゃない。全っ然大丈夫じゃない! いきなり何言ってんの、この人!
「いえね、わたくしこれまで、陛下にいろいろな方をご紹介してきましたの。それはもう、ありとあらゆる方々を、老若男女取りそろえて。なのに、陛下はまるで見向きもされなくて……」
待て、ちょっと待ってくれ。何をどこまでそろえてるって? 「老」と「女」はともかく、「男」てなに。それより「若」て下限どこまで!?
「あの、奥方様……」
「どうぞアデルと。縁結びの神と呼んでいただいてもよろしくてよ」
いや呼ばねえよ。あんたこそ大丈夫か?
「でも、その名も今日限りね。陛下の御心にかなう方を見つけられなかったわたくしに、そう呼ばれる資格はないわ」
えーと、そもそも人間に神様名乗る資格ってありましたっけ。
「じつはね、ノアさん、今日も朝から陛下にご紹介する方々の調書を見ておりましたの。今回はなかなかの粒ぞろいで、わたくしも今度こそと胸を躍らせていたのですけど、そこに」
薄緑の瞳が、ひたと俺を見すえる。
「世話をしてほしい人がいると、早馬で報せを受けたわたくしの気持ちが、あなたにおわかりになって?」
わかりません。まったくわかりません。けど、なんか、ごめんなさい。
「奥様」
側に控えていた年配の女官が、冷静に割って入った。
「夜も遅うございます。そろそろお休みになってはいかがかと。そちらのお客様も」
「ああ、そうね」
アデルはにっこりと俺に笑いかけた。
「気がきかなくてごめんなさい。ノアさんも、今日はさぞお疲れでしょう。すぐにお部屋へご案内しますわ」
いえ、さっきまでは比較的元気だったんですけどね。でも、ありがとうございます。
あと、そこにいらっしゃるご婦人も! すばらしいご采配でした。あなたこそ神だ。
神々に辞去の挨拶を告げて、俺はその場を後にした。左足を引きずりつつ、できる限り速やかに。
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