第二章 皇帝のお膝元
第9話 海と漁船と水鳥と
「ノア、あっちに海みえる。海!」
「おーどれどれ」
馬車の窓から身を乗り出そうとするエリックの首根っこをつかまえて、俺は遠くのきらめきに目を細めた。
「ほんとだなあ。でも、あれは海じゃなくて湖かなあ」
「そうなの? でもあれおっきいよ?」
「おっきい湖もあるんだよねえ」
片手でふわふわの茶色の髪をなで、もう片方の手で白いもふもふの毛をなでながら、俺は海と湖の違いについて講釈を垂れた。
ギルベルトから取引を持ちかけられた翌日、俺は皇都へ向かう馬車に乗り込んだ。行き先の皇都までは、およそ三日の道のりだ。
皇都に俺を伴うにあたり、ギルベルトが用意した筋書きは次のとおりだった。
神聖騎士団の慰労に訪れた――というのは表向きで、実のところは神聖騎士団の暴挙を止めにきた、とギルベルトは言っていたが――皇帝は、森で動けない怪我人(つまり俺)を拾う。身寄りのないこの怪我人を憐れみ、皇帝は皇都へ伴うことにした……て、これ、あらためて聞くと本当に無理があるよなあ。
まず、いくら可哀想だからって皇都まで連れてくか? せいぜい金を与えてさようならだろうが。
俺がそう指摘すると、ギルベルトは「一目惚れだ」と胸を張りやがったので、無事な方の足で蹴飛ばしておいたけど。
あと皇帝側近の皆さん! 身元不明の人間を主君に近づけるんじゃないよ。そこは必死で止めるとこだろ。俺が同じことしたらバラーシュに叩き出されるぞ。
あ、でも、バラーシュも結局許してくれたんだった。
やっぱり森で拾ったトールを連れ帰ったら城に入れてくれなくて、じゃあいいやってトールと野宿してたら迎えに来てくれたんだよな。
いつも口うるさいくせに、なんだかんだで優しいんだ、バラーシュも。
俺はさしずめ、あのときのトールということだろうか。だったらわからんでもない……と首をひねっていたら「ノア、ノア」と服の裾を引かれた。
「ノア、あれは? あれ船?」
なぜか俺になついてくれたらしいエリックは、旅の初日から馬鹿犬バルトとともに俺の両隣を占拠している。
「目えいいな、エリック。そうだな、漁船かな」
「いま鳥とんだ! 白いの! ノア見た!?」
「あー白鷺かな。水場が近いからいっぱいいるんだろ」
子どもってなんでこんなに元気なんだろ。ひとときもじっとしてないし、興味の対象がぱっぱと変わる。
相手してると体力をごっそり奪われるけど、まあ可愛いから仕方ない。それに、純粋な好意を寄せられるというのは、やっぱり嬉しいものだし。
「ノアはなんでも知ってるな、エリック」
……まあ、それも好意を寄せられる相手によるけどな。
向かいに腰かけるギルベルトの笑顔に、邪気が透けて見えるのは俺の気のせいだろうか。顔立ちはエリックと似ているのに、受ける印象はまったく違う。
エリック、余計なお世話だけど、おまえは叔父さん見習わない方がいいぞ。
「どうした、ノア。そんなに見つめて。嬉しいが、いささか照れるな」
うん、そういうの本当にいらない。
なんだろうな、エリックの相手をしていると体力持ってかれるけど、こいつといると心が削られるわ。そりゃあもうゴリッゴリに。
こういう手合いは無視するに限ると、俺はエリックの肩を抱き寄せた。
はしゃぎすぎて疲れたのだろう、先ほどからうとうし始めていたエリックは素直に俺にもたれかかってくる。
子どもって体温高いよな。左側にはバルトがくっついてるし、ちょっと重いけどあったかくていいや……
「……ノア」
肩を揺すぶられて俺は目を開けた。間近にギルベルトの顔がある。
ああ、うたた寝しちまったのか。やっぱり怪我のせいで気がゆるんでいるのかな。魔王エリアスともあろうものが情けない。
「着いたぞ」
エリックはと見れば、バルトとともに馬車の外に飛び出していくところだった。
「ほら、ノア」
不意に目の前に手が差し出された。え、なにこれ?
「つかまれ」
あーそういう……でもいいや。杖があるから、おまえの手を借りなくても……
「それとも抱き上げた方がいいか」
借ります。借ーりーまーす! から、腰に手え回そうとすんな。呪うぞ。
はなはだ不本意ながらギルベルトの腕にすがって馬車を降りると、夕暮れのひやりとした風が顔をなでた。同時に、
「その方がノアさんね」
やわらかな声が俺を迎えた。
「お会いできて嬉しいわ」
エリックの肩を抱きながら、その女性はおっとりと微笑んだ。
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