第46話 赦されない者

 ある部屋に、二つの飾り箱が運び入れられる。それは先程、アドニスの兵士達によって薄暗い宝物庫へと運び込まれたばかりの荷のうちの二つ――セレファンスとレシェンドが潜んでいた飾り箱だった。


 それは表向き、ラートリーからイルゼへの献上品となっている。ならば運び込まれる先は、イルゼの部屋以外であるはずがなかった。しかし、その部屋の主はイルゼではなく、セレファンスとレシェンドにとって思いもよらない人物だった。


「どういうつもりだ? なんで、あんたがここにいる?」


 セレファンスは部屋から人の気配が減ったのを確認してから、身を潜めていた飾り箱から抜け出すと、すかさず部屋の主である人物へと詰め寄った。


 現在、この部屋にはセレファンスとレシェンド、そしてこの部屋の主である人物しかいない。その主とは、イルゼを殺そうとして失敗し、以後、行方知れずとなっていた青年――カルカースだった。セレファンスらにとっては、ウラジミールでの一件以来の対面となる。


 ここで少し時を遡る。セレファンスとレシェンドの二人は宝物庫に近づいてくる足音を聞きつけ、すかさず他の荷の影へと身を潜めた。


 彼らは隙を見て室外へと突破するか、またはふいをついて現れたる者達を迎え撃つつもりだった。ところが中まで入ってきたのはたったの一人。他の者達は外で待機をしたまま、中に入ってこようとしない。これでは隙をついて外へ逃げることも、一気に彼らを一網打尽にすることもかなわない。


 思惑違いで戸惑うセレファンス達だったが、その後の展開は更に彼らを困惑させるものだった。なんと室内に入ってきた者が、セレファンスらの存在を確かに認識しながら暗闇に向かって声をかけてきたのだ。


「イルゼを助け出したいのだろう? ならば出てこい。ここから出してやろう」


 それが他ならぬカルカースだった。


「先程、お前達をここまで運んできた者達は、私が直接、雇い入れていた者達だ。〈闇からの支配者〉に関わりのある者達ではない。私にしても、お前達に危害を加えるつもりはないので安心したらいい」

「俺が聞きたいのは、そういうことじゃない。何故、あんたがここにいるんだ? それに何故、俺達を助けた?」


 セレファンスが再度、カルカースに問う。だが青年は、その質問に答えようとはせず、自身の前に置かれていた飲みかけの酒瓶を掴んで空になりつつあった硝子杯に中身を注ぎ込んだ。そして並々となった杯を一気に傾けて紅い液体を飲み干す。彼が肘をついてしなだれかかる卓上には、すでに空となった葡萄酒の瓶が二本もあった。その足元には更に数本の瓶が転がっている。


 それらを横目で見て、セレファンスは眉を顰めた。カルカースはかなり酩酊している様子だった。その双眸は怪しく定まりを失って充血しており、身なりはだらしなく着崩れしている。以前まで彼にあったはずの凛然たる雰囲気は消え失せ、そこに自信と矜持といったものは全く見出せなかった。


「……助けた理由は……さてな。単なる気まぐれだろう」


 やっと返されたカルカースの答えは、酒気にまみれた鈍重なものだった。


「そして私が何故、インザラーガにいるのかという質問の答えは、すでにセレファンス皇子の中にあると思うが?」

「ああ、確かに。俺は、あんたがここにいることで確信した。あんたは〈闇からの支配者〉の手先となって俺達を惑わし、イルゼを欺いて〈闇からの支配者〉の手の内に放り込んだんだ。だけどただ一つ、どうしても解せないことがあるんだよ」


 セレファンスは苛立たしげに腕を組むと、カルカースを睨みつける。


「あんたはイルゼを殺そうとした。俺にはそれが理解できない。あんたが〈闇からの支配者〉に帰属する者――いわば〈闇の従属〉であれば〈鍵〉であるイルゼを殺そうとなんかしない。だから多分あんたは、イルゼに個人的な確執を持っていて、突発的な感情であいつに手をかけたんじゃないのか?」

「……だからなんだというのだ。仮にそうだとしても、そこまではお前の与り知るべきことではない」


 鬱陶しいとでも言わんばかりにカルカースは無造作に片手を振る。そんな青年にセレファンスは目を眇める。


「俺には関係なくともイルゼには関係がある。だから俺は知りたい。あいつが苦しまなきゃいけない理由を。俺はできるだけ、あいつの支えになりたいと思っているからな」


 セレファンスの言葉を境に、暫くの間、無音の時が流れた。セレファンスは答えを待つようにカルカースを見つめ続ける。レシェンドは彼らのやり取りを静かに見守る。唯一、この沈黙を破る権利を有するであろうカルカースは、自身が飲み干して空となった硝子杯を気だるげに眺めやっていた。


 と、ふいにカルカースは失笑のように鼻を鳴らした。


「確かに私にとって〈闇からの支配者〉の思惑や目的など、どうでもいいことだった。君の推測通り、私は私の目的を果たすために〈闇からの支配者〉と手を組んだからだ。あの汚らわしい男の血を引く子供が、己の生を認め続ける限り、何度でも目の前に絶望を突きつけてやるつもりだった――」


 カルカースの頬に、悪意ある嫌らしい笑みが浮かぶ。


「生きている限り、お前には容赦を願う資格などないのだと、あれに知らしめてやりたかった。そして、あれが決して赦されない己の身上に気づき、死に場所を求めた時にこそ、その存在を〈闇からの支配者〉にくれてやろうと思っていた。だがあれは――イルゼは、自身を疎ましく思いながらも、いつまでたっても生にしがみついていた。あまつさえ、アラリエル様の身に起こった悲劇を直視せずに、己の人生から切り離そうとした! それを私は絶対に、赦すことなどできなかった!!」


 ダンッと激しい憎悪が卓上に叩きつけられる。跳ね上がった硝子杯が床に放り出され、甲高い音と共に砕け散った。その余韻を掻き消すかのように、カルカースのくぐもった笑声が響いた。


「そうだ、殺すつもりだった、イルゼの存在は赦してはいけないものだった。だから、あれをこの世から消滅させることが私の目的だったんだ――……なのに、何故だ? 何故、イルゼは、あの男の血を引きながらも、あれほどまでにアラリエル様の面影を持つ……!?」


 カルカースは苦渋に顔を歪めて憎々しげに吐き捨てた。


「あんたは一体、何者だ?」


 セレファンスはカルカースの激しい慟哭に当惑しながらも問う。


「……我が名は、カルカース=ルヴァズ=ヴィンクラー……エスティア」

「エスティアだって? じゃあ、あんた、エスティア王族の?」


 セレファンスは驚いたように目を見開く。それにカルカースは隠す様子もなく頷いた。


「そうだ、私はエスティア王族の流れを汲む一端だ。我が貴族家は代々、エスティア王族の身辺を任される騎士を輩出する一族だった。そして私も、アラリエル様の専属騎士で――そして、お互いに慈しみ合う仲だった」


 そう言ってカルカースは目を伏せた。


 今から十七年前、エスティア王国は宗主国アドニスからの離反を目論み、その結果として攻め滅ぼされた。しかし、そこには確固たる証拠も根拠もなく、それ故に豊富な鉱脈を有するエスティアを取りたかったアドニス側の謀略だったのだろうと見るのが通説だ。今思えば、それがアドニスという国の不穏な変容の発端だったのだろう。


 カルカースはエスティア王宮陥落の際、アドニスの兵士達から深手を負わされ、その傷が元で生死の境を彷徨うことになったという。その後、奇跡的に一命を取り留めたものの、戦後の混乱でまともな治療が受けられず、完治までに一年以上の時を要したのだった。


「やっとの思いで私がアドニスへと辿り着いた時には、エスティア陥落から二年以上の月日が流れていた。その時、すでにアラリエル様はディオニセスの妾妃という立場にあり、その上、イルゼを身に宿しておられた。だが覚悟はしていたことだった。生きて捕らわれの身となったからには避けられないことだっただろう。それでも、そんな辛酸を嘗めながらも、アラリエル様が生きることを選び取ったというのならば――私はディオニセスから彼女を救いだし、一生、その傍らで支えになり続けようと思ったのだ」


 だが、カルカースを待ち受けていた運命は残酷だった。彼が目にしたのは、自我を放棄して変わり果てたアラリエルの姿だった。精神を病み、痩せ衰え、その上、イルゼを身ごもっていた彼女を連れてアドニスを逃亡するのには無理があった。


「アラリエル様はイルゼを産み落とされた直後、この世を去った。その時、私に残されていたのは復讐のみだった。イルゼを殺し、この妄執を全て昇華させることができるのならば、悔いなく我が人生を終らせることができると思った。アラリエル様の御子でありながら、あの汚らわしい男の血を引く赤い髪の子供を、この手でくびり殺すことができるのならば――」


 淡々と継がれるカルカースの過去。それが終わりを告げた時、彼は自嘲の如く笑った。


「だが今更、あの子を殺してなんになる? そんなことをしても、アラリエル様は戻らない――……」


 カルカースは目を閉じ、小さくせせら笑った。それは惨めな自嘲だった。そしてセレファンスを見ようともしないで言った。


「さあ、もう気が済んだだろう。さっさとこの部屋から出ていけ。お前達がどうしようと、もはや私には関係がない。もう私には何も残されていないのだから」

「なあ、それって格好良く悟ったつもりでいるのか?」

「……何?」


 セレファンスの言葉にカルカースは鋭く反応した。


「だって、そうだろう? イルゼを殺しても何もならない、だからもう何もしないんだって、格好良く言い訳を作って悟ったつもりになってるだけだろう?」

「……何が言いたい」


 カルカースの声音が剣呑な響きを帯びる。


「俺が言いたいのは、あんたは格好つけたがりの馬鹿野郎だってことさ。本当にしたいことをしようとはせず、そうやって酒を飲んで誤魔化して、悲劇の主人公ぶって体裁を繕ってるんだ。あんたは今の状況を悟って甘受してるわけじゃない。ただ面子ってやつを捨てられず、情けなくも動けずにいるだけだ」

「っ……黙れ! 貴様に何が分かる!」


 カルカースはセレファンスを鋭く睨みつけ、怒鳴った。酒気で濁っていながらも、その眼光と怒声は相手を威圧するのには十分なものだった。しかし金髪の少年は少しも臆することなく続ける。


「そりゃあ俺はあんたじゃないから全部は分からない。でも、その苦しみは多少なりとも察することはできる。だから俺が背中を押してやる。助けてくれた礼だ」


 そう前置きし、セレファンスは淀みのない声で言った。


「カルカース、俺達と一緒にきて欲しい。そして〈闇からの支配者〉からイルゼを助け出す手助けをしてくれ」


 一瞬、カルカースは呆気としたようにセレファンスを見つめ、そして訝しげな声音と表情で金髪の少年を見直す。


「……この私に? イルゼを助ける手助けをしろと?」

「ああ」

「――ふっ……ふ、はっ……はははっ……はっ、はははははははははっ!」


 途端、可笑しくて仕方がないとでも言うようにカルカースは大きく笑い出した。


「はははっ、あれを〈闇からの支配者〉から助け出す手伝いをして欲しいだと? この私にっ? それこそ滑稽の極致だ! いいか、この際、はっきりと言ってやろうか。セオリムの村を襲わせたのは、他ならぬこの私だ! 私の命令を受けて、あの獣にも劣る輩どもは、村の男達を殺し、女達を犯し、村を略奪して火を放った! 私は、イルゼの愛する者や大切な場所を総て奪った男だ! そうやってあの子の心に深い傷を負わせたんだ! 私や〈闇からの支配者〉がつけ入りやすいように……!」


 可笑しくて可笑しくて堪らないとでもいうかのように、カルカースは笑いの交じった声で吐き捨てる。そして一転、苦しげに呻くように青年は顔を伏せた。


「……そんな者に、手を差し伸べられたいなどと思うものか。愛する者の敵である私に助けられるなどと……あの子が良しとするものか」


 カルカースは苦渋にまみれた声音で呟いた。それはセレファンスに問うているというよりも、自問自答のようだった。


「……そうか、あんたはそれをイルゼに知られたくなかったんだな」


 セレファンスは気づいたかのように呟いた。


「だけど、それは自分勝手というものだ。やったことを本当に後悔しているのなら、どんなに蔑まれようともイルゼを助けようとするべきだ」


 再び沈黙の時が訪れる。カルカースは動かなかった。その表情も石膏のように固まったままだ。


「行こう、レシィ」


 セレファンスがカルカースに背を向ける。


「……よろしいのですか、セレファンス様?」


 今まで黙っていたレシェンドだったが、なんとも言えない複雑そうな表情でカルカースを見やる。


「いい。あとは彼が決めることさ」


 そう言ってセレファンスが躊躇いなく部屋から出ていこうとすると、


「待て」


 カルカースの声が彼らの歩みを止めた。


「私も、一緒に行こう」


 その声にセレファンスは振り返る。


「行くのは勝手だが、足手まといになるようなら置いていくからな」

「さそっておいて容赦のない言い草だな、セレファンス皇子。だが、その言葉、そっくりそのまま返そう」


 そう言ってカルカースは傍らに立てかけてあった長剣を取り、椅子から立ち上がる。そして全く危なげのない足取りでセレファンスの横を通り過ぎる。


「あんた――今まで酒で酔っぱらってたんじゃ」


 セレファンスは驚いたように目を丸くする。それにカルカースは扉の前に立って振り返り、自嘲気味に笑う。


「あんな不味い酒と少量では酔えるものではない。私が酔っていたのは、どうやら別のものだったようだ」

「……そういう問題かよ、底なしってやつだな」


 嫌味を軽やかに交わされた負け惜しみか、セレファンスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「だが――君のほうは、それでいいのか?」


 カルカースはセレファンスを見た。金髪の少年は目を細める。


「それは、なんの事実に基づいて訊いている?」

「君の母君と姉君のことだ。きっと君は気づいているのだろう? 十年前、君達が乗った馬車を襲った賊は悪しき力に操られていた。それを彼らに植えつけたのは、この私だ。〈闇の味つけ〉という呪術を施した葡萄酒によってな」


 そう言ってカルカースはセレファンスの双眸を静かに見つめた。まるで、どんな責め苦でも甘んじて受けようとしているかのように。


 セレファンスはカルカースを真っ直ぐに見る。そして冷然とした物言いで返した。


「ああ、気づいてたさ。ウラジミールで起こった出来事に、あんたが暗躍していたことを知った時からな」

「ならば何故だ?」

「俺は――母達のことについて、あんたから謝罪や償いが欲しいとは思わない。そんなものは俺にとって無意味だからだ」

「直接ではないとはいえ、母や姉が死に至る要因を作った私を赦すと?」

「……ふざけるな、誰が赦すものか!!」


 セレファンスは激とした怒りを噴出させる。


「俺にとって無意味だと言った理由は、あんたがどんな償いをしようとも過去を変えることはできず、これからも決して俺に影響など及ぼさないからだ。俺は一生、赦すつもりなんてない。あんたをここから連れ出そうとしたのは、あくまでもイルゼを助けるのに有利だと思ったからだ。あんたを利用したほうがいいと判断したからだ。それ以外に理由なんてない!」


 金髪の少年は怒りのままに叫び、カルカースを睨みつけた。


「謝罪や償いなど、罪を犯した者の自己満足になるだけだ。そんなもの、俺は絶対に受け入れない。俺があんたに求めるのは、イルゼを助けようとする確かな行動だけだ。もしも、あいつまでも俺から奪うような結果になるのなら、俺があんたを殺してやる」

「……殺すまでもないだろう。どちらにしろイルゼが助からなければ、フォントゥネルは混沌の海に沈むのだから」


 それは甘受すべきことだとでも言うように、カルカースは抑揚なく呟いた。


 それにセレファンスは嫌そうに鼻を鳴らすと「俺はあんたと心中なんて、絶対に死んでも嫌だね」と吐き捨てたのだった。

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