第29話 虚構と真実

「そんなの嘘だ!」


 あの時、イルゼは思わず叫んでいた。カルカースに真実として聞かされた話を否定して。


「いいや、紛れもない真実だよ。君と一緒にいた金髪の少年は、西皇国リゼットの第一皇子セレファンス=トゥール=リゼット。その従者であるレシェンドという名の女性は、かの皇国でも隊長級の実力を持った騎士であり、セレファンス皇子の専属を長く務めるほどの忠臣。そしてセオリムの村を滅ぼしたのは、ほかでもないリゼットだ。直接、手を下すような真似はしていないが、寄せ集めた傭兵崩れの集団を使ってね。その証拠に、セオリムの村を襲った暴漢はリゼットの国章が刻まれた剣を持っていたのだろう? 辺境の村を襲うようなゴロツキ共が、そのような剣を持っていたこと自体が不自然だ。盗み出された物ではあろうが、それは彼らがリゼット側と接触したことを意味するだろう」

「でも、そんな……だってレシェンドさんは言ってた。そんなこと、リゼットがする理由なんかないって……」

「いいや、理由はあるよ」


 確信の持った声に、イルゼは思わずカルカースを見た。


「理由は君だ」

「僕?」


 思いのよらない言葉に、イルゼは驚きの表情を浮かべる。


「そうだ、君の存在、君の持つ類稀な能力。それが彼らの目的だった。リゼットの皇族は〈神問い〉という何ものをも見通す便利な『目』を持っている。恐らく、その能力で君という存在を見つけ出したのだろう。先程も言ったように、リゼットの皇族は〈マナ〉を持つ者を多く輩出しており、その事実を掲げて大陸全土の支配者たるは我が皇国だと主張している。だから君のように能力を持った他国の皇子は目障りでしかない。だが彼らにとって幸いだったのが、君はダグラス殿の元で自身をアドニスの皇子だと知らないまま、人知れずに辺境の村で育った。ならばわざわざ危険をおかしてまで稀少な〈マナ〉持ちを殺すことはない。こちらに取り込んで利用すればいいのだとリゼット側は考えたのだろう」

「でも、それが理由だったとしても、なんでセオリムの村を襲う理由が?」


 訝しげにイルゼが問うと、カルカースは更に続けた。


「絶望と悲嘆に突き落とされた君が、深い孤独にさいなまれる中、そこに現れたのは金髪の少年。彼は明るく聡明で、常に君を守ろうとし、心優しく心配してくれる。そんな彼に君は沢山の安らぎを与えられたことだろう。そして今では彼に対して深い親愛を感じるようになっている――違うかい?」

「それは……」


 カルカースが何を言わんとしているのかを察し、イルゼの声は自然と震える。


「君が彼に多大な依存心を抱くようにするためには、君の大切な全てを奪う必要があった。そうすることで君はセレファンス皇子を、たった一人の自分の友人、理解者として受け入れることになるからだ」


 ゆっくりと残酷に、イルゼを押し潰すようにして、カルカースの言葉は冷静に続けられる。


「リゼットは――セレファンス皇子は、君の存在が欲しかった。君の能力は類い希な神の力だ。それも、とても強い。そしてリゼットは、その神の力をとても重視している。セレファンス皇子が君の厚い信頼を得ることができれば、同時にリゼットは大いなる力をも手にしたことになるだろう。君がセレファンス皇子を深く慕うようになれば、彼の助けになりたいと思うのは必然だろうしね」


 そう言ってカルカースは意味ありげな視線を向けてきたが、イルゼは何も口に出せなかった。


「セレファンス皇子は、ゆくゆくはリゼットの皇王となる身だ。いずれは自身の能力と君の大いなる神の力を他国に見せつけ、リゼットの地位を高めていこうと考えていたのだろう。そうなれば君は強大な兵器として扱われることになる。君をリゼットという牢獄に捕らえ、外界から隔絶さえしてしまえば、誰も君に真実を伝え教える者などいないのだから」

(……じゃあ、セレが僕に優しくしてくれたのは――)


 僕の能力が欲しかったから? それだけ?


「違う……!」


 イルゼは自身で強く否定した。


「違う、違うっ、絶対に違う!!」


 イルゼは癇癪を起こしたようにしてかぶりを振った。


「だってセレは、そんなこと一言も言わなかった! あいつがそんなことで嘘を言うわけない! だって、セレは……っ!」

「イルゼ、良く考えてごらん。君はセレファンス皇子と出会ってから、それほど時は経っていないだろう。それなのに何故、そこまで彼を信じて、そう言い切れるのか――それは今の君にとってセレファンス皇子だけが頼れる者だからだ。それこそが彼の狙いだった。君の大切な者を全て奪い、それに自分が成り代わるという算段だったんだ」


 カルカースの言葉は確実にイルゼを追い詰めた。カルカースの示す真実はイルゼの望まないものだった。それを否定できる材料が欲しかった。だがイルゼは、セレファンスのことを何一つ知らなかったことに気づく。いや、知らなかったのではない、知ろうとしなかったのだ。


「裏切られたと認めるのは辛い。だが今、それをここで認めなければ、君はこれからもずっと彼から利用されることになるだろう。君の大切な者を奪った張本人にね。……それでもいいのかい?」


 カルカースはイルゼを静かに見つめ、更に言葉を重ねる。


「私は君を虚構の安息から救いたい。どうしても信じられないと言うのならば、セレファンス皇子に直接、訊いてみるといい。果たして彼は明快な答えを君に与えてくれるかどうか――……


 そしてイルゼはセレファンスに会った。イルゼの追求にセレファンスは驚愕と困惑の表情を見せるだけで、納得のできる答えをくれはしなかった。ただ、言い訳がましいことを何度も言っていたようだったが。


(……いいんだ、もう、こんなことはどうでもいい――)


 イルゼは思考を打ち切った。もはや考えても仕方のないことだった。セレファンスは自分を騙していたのだ――イルゼにとって、それだけが重要で確かな真実だった。


 寝台に横たわり、ぼんやりとし続ける。


 どのくらいこうしているのか、自分でも良く分からなかった。何故、こんなところにいるのかも分からない。何度か、自分の傍らまで誰かが食事を運んできたような気がする。その度に何事かを言っていたような気もする。気づいたら、身につけている服装が変っていたこともある。だから勝手に誰かがイルゼを着替えさせたのかも知れない。そういえば、幾人かの者達が自分を取り囲んで、そのような作業をおこなっていた覚えが微かにあった。恐らく、自分は抵抗する気さえ起こさず、好きなようにさせていたのだろう。


 セレファンスと別れた直後から、視界が狭まって薄暗くなり、ものが良く見えなくなった。感覚が鈍くよどみ、意識が朦朧としている。


 だが、それでいい、それがいい――。余計なものなど見たくもないし、感じたくもない。感情という名の動力を停止し続けてさえいれば、その望みはいつまでも叶う。無理に動かそうとすれば、きっと次々に辛くて嫌なことが自分を襲うだろう――イルゼにはそう思えた。


(以前にも、こんなことがあったっけ……?)


 イルゼはふと思った。そして「ああ、そうだった」と思い出す。故郷を奪われ、フィーナの死を認識した直後のことだ。あの時も同じように寝台へと突っ伏して、いつまでも悲しみに暮れていた。

 また、あの頃に戻ったようなものだな、とイルゼは小さく笑った。


「イルゼ」


 誰かが自分に声をかけてくる。いつからそこにいたのか、その者は寝台に横たわるイルゼに影を落としていた。


「いつまでそうしているつもりだ? そうやって、全ての現実を拒絶してなんになる?」


 凛然とした聞き覚えのある声。それは誰だったか……イルゼはそう思ったものの、それ以上、記憶を掘り起こすつもりはなかった。良く良く思い返せば簡単に出てくる答えだったが、その声の主に少しも興味を持てなかった。


 イルゼは億劫な気持ちで、その存在と声を意識から締め出した。寝台の上で過ごすようになってから、イルゼは自分に構ってくる存在を、そうやって拒絶するようになっていた。そうすれば、煩わしい存在は虚ろな影となり、五月蝿い声は意味のなさない雑音に変化する。


 今、現れた存在も、イルゼの拒絶で同じような影と雑音へと変質する。暫くの間、雑音と化した声が何事かを言い募っていたが、それも徐々に聞こえなくなった。いずれは影のほうも消えてなくなるだろう――とイルゼは思いながら、再び自身の殻のうちへと戻ろうとしたのだが。


「きなさい」


 凛とした命令形の口調。それがイルゼの耳元近くで囁かれた。今度は雑音ではなく、明瞭な言葉だ。続いて両腕を掴まれ、力強く引き起こされる。

 今までとは違う強引な対応にイルゼは少なからず驚いたが、それを声に表す暇もなく、少年の身体は寝台から離れていた。

 揺るぎのない両腕がしっかりと自分を抱きかかえて、どこかへと運んでいく。


 イルゼは籠っていた世界から引きずり出されることを恐れ、怯えた。だが、抵抗する気力を持つこともできない。ただ身を小さく縮込ませ、硬く目を瞑り、現実との遮断を必死に望んだ。


(っ……眩しい!)


 その願いも虚しく、イルゼは明るい陽射しの下にさらされた。目を閉じていても分かるほどの激しい刺激に少年は戦慄く。


(もう、嫌だっ……! もう何も聞きたくない、見たくもないのに!)


 心の中でイルゼは叫んだ。それでもイルゼを抱える存在は容赦なく歩を進める。

 暫くして、続いていた振動が止まった。


「イルゼ、目を開けてごらん」


 先程の声の主――いや、カルカースが柔らかな声音で促す。


「行く先に見える頂はインザラーガ山のものだ。その中腹にある高地にアドニスの都はある。まだ今は見えないが、あと少し経てば皇城の尖塔が見えてくるだろう。まるでインザラーガと一体化したように築かれた美しい城だよ」

(……アドニスの皇城……)


 そこは十四年前に自分が生まれ、生前の母が暮らし、実父が住まう場所――


 イルゼの関心が久方ぶりに現実へと向いた。すると、どうだろうか。先程は支配的にしか感じなかった陽射しが心地の良い温もりへと変わり、頬を撫でる柔らかな風の存在に気がついた。


 イルゼは、そっと双眸を開いてみる。


 目の前に広がったのは光を弾きながら踊る青い水面。それをイルゼは船首から見下ろしていた。


「……海?」


 実際、イルゼはそれを見たことはなかったが、話から想像する風景に良く似ていたので思わず呟いた。


「いや、今はもう海ではなくて川だよ。ザファール運河だ。君は今まで自我を失ったかのような状態だったから記憶にはないかも知れないが……我々はまずウラジミールから南下した港から船に乗り込み、浅瀬を避けて外海に出た。そこからアドニス領へとまわり、今はこの運河の上流に向かって進んでいる。あと数時間ほどで下船して、さらに馬車で東皇都アドヴァールへと向かうことになるよ。夕刻までには城内に入ることができるだろう」


 そんな説明をイルゼは頭上近くで聞いていた。そして、その時をもって少年は自身の有様にようやく気がついた。服装は乱れた寝間着のままで、靴も履かずに素足、それはとても人前に出られる姿ではない。そんな状態でイルゼは、まるで幼児のようにカルカースから抱きかかえられていたのだ。


 一気に狼狽したイルゼは「降ろしてください!」と憤ったようにして叫ぶ。そしてカルカースの身体を押し退け、そこから飛び降りようともがいた。


「ああ、分かったから少し待ちなさい」


 カルカースは体勢を崩すことなく、暴れる少年をしっかりと押さえつけながら我が侭な子供を諭すように言った。そしてイルゼを抱いたまま、横に付き従っていた侍女に履き物を持ってくるように命じる。


 それが用意されると、すぐさまイルゼはカルカースの腕から飛び降りる。が、奇妙なほど足に力が入らず、結局はカルカースの手を借りなければ立つこともできなかった。


「大丈夫かい? 五日も寝台の上で過ごしていたのだから無理もない。体力と筋力が少し落ちているのだろう」

「五日……」


 カルカースの腕にすがりつきながら、イルゼは茫然と呟く。そんなにも長い間、自分は失意の中を彷徨っていたのかとイルゼは驚いた。


「まあ、なんにしろ、気を取り戻してくれて良かったよ。少し強引だったかも知れないが、あのままだと君はいつまでも部屋に閉じこもっているだろうからね」


 カルカースの説明に、イルゼは自分が情けなくなって項垂れた。


「さて、先程も言った通り、今夕にはアドヴァールへと入る。まず君には、皇城へと上がるに相応しい身支度を整えてもらわないといけない――いいね?」


 逆らいがたい視線をカルカースから向けられて、イルゼは頷くほかなかった。




 自分を取り囲むのは五名の侍女、そして傍らにも待機する者が二名。総勢で七名――。その事態にイルゼは酷く困惑し、狼狽えていた。


 カルカースに連れられ、イルゼは船内にある一室に通された。どうやらそこは湯殿であり、布による仕切りの向こうには、柔らかい湯気を立たせる床穴式の風呂があった。そこに侍女である彼女らは控えており、イルゼを見るなり先を争うようにして取り囲むと、失礼しますという一言のもとに少年の服を脱がせ始めたのだった。


 イルゼは当初、呆気に取られ、たちまちのうちに上衣を剥ぎ取られてしまった。だが我に返った途端、抵抗を試みる。しかし彼女達のほうもめげずに自身の仕事を全うしようと、宥めすかすような言葉を口にしながら、恭しくも強引にイルゼの服を脱がそうとする。


 イルゼは彼女達に翻弄されて、ついに耐えかねて悲鳴を上げた。


「あ、あのっ、カルカースさん、これはっ!?」


 その様子を壁を背にして傍観していたカルカースは、にべもなく答えた。


「もちろん、これから君には入浴をしてもらう。皇城に上がるのだから、身は清めてもらわないとね。大丈夫。彼女らに任せておけば君は何もする必要はない」

「な、何もする必要はないって……そんなっ」


 イルゼは絶句した。そんな少年を見やるカルカースは、明らかに状況を皮肉った表情をしていた。まるで喜劇を鑑賞しているかのような雰囲気ですらある。


「カルカースさん……っ! 僕は湯浴みくらい、一人でできます! 止めさせてくださいっ!」


 これ以上、脱がされてたまるかとイルゼは両手で必死に着衣を押さえた。そんなイルゼの懇願にカルカースはやれやれといった様子で息をつくと、少年に群がる侍女達に向かって言った。


「イルファード殿下は一人で湯浴みをしたいとの仰せだ。お前達は呼ばれるまで下がっていろ」


 カルカースの低い声が一瞬、侍女達の動作を止める。しかし途端、その中の一人が憤然とした態度でカルカースに噛みついた。


「いくらカルカース様でも、これ以上、わたくし達の仕事を取り上げるような真似は許されないことですわ。わたくしの実家は、南カスタール地方を古くから治める豪族ですの。代々、そこの家の娘は、アドニスでも有数の高位貴族であるグランドル家へとご奉仕に上がらせていただいております。ここにわたくしがいるということは、グランドル公爵様のご内意であることをお忘れなく」


 侍女の尊大で強迫じみた言葉をカルカースは一笑のもとに伏した。


「グランドル公とてディオニセス陛下の忠実なる臣下の一人だろう。お前達が陛下より与えられた仕事は、イルファード殿下が望んだ時にのみ働くことだ。それ以上のことは無用であると貴女こそ覚えておくことだな」


 刹那、彼らの間に激しい火花が散る。が、それも一瞬のことだった。反論した侍女は忌々しげに眉根を寄せると「失礼いたします」と吐き捨て、退出するために身を翻した。他の侍女達も不満そうながらもそれに倣う。室内にはイルゼとカルカースのみが残された。


 安堵の溜め息をつくイルゼを見てカルカースは苦笑する。


「あれらは君のために用意された侍女だからね。早く君に見覚えてもらおうと必死なのだろう」

「僕のためにって、そんなの……」


 イルゼは疲れた声で呟き、再度、溜め息をついた。


「馴れないかい? だが君は、それだけの身分を持っているんだ。その自覚を早く持ち、環境に馴れないとね。特に君は野育ちとして低く見られることもあるだろう。まずは彼女達を御せる対応の一つくらいは取れるようにならなければ」


 笑みを消してカルカースは言い、それにイルゼは肩を竦める。


「もしかして僕――今まで彼女達に世話をされていたんですか……? あまり記憶がないんですけど……」


 だが、記憶がないぶん、恐ろしいというものだ。

 そんなイルゼの心情を察したのか、カルカースは再び苦笑する。


「安心しなさい。君のことは信頼のおける侍女に任せてあった。だが真面目な話、何故、君のために七人もの侍女が用意されたのか分かるかい? まあ、あれの言い分から察しはつくだろうが……彼女らはね、アドニスの貴族達の推薦を受けて用意された者達だ。つまり、彼女らの目と耳は、貴族らのそれと同様だ。君の存在に興味を持つそれぞれの貴族が、君という人となりを必死に探ろうとしているんだよ。君が利用できる者か否かを見定めようとね」


 だから、あれらに心神喪失の状態だった君を任せることはできなかったのだ、とカルカースは言った。貴族側に皇族の弱みを握られる事態は極力、避けなければならないのだという。


 その説明にイルゼは唖然とする。つまるところ自分は終始、一挙手一投足を誰かに監視されることになるのだ。


「だが、何も心配することはない。君には父君であらせられるディオニセス陛下がおられるのだから」


 不安げな表情を見せたイルゼに対して、カルカースは柔和に微笑んだ。そんなカルカースを見て、ふと思ったことを少年は口にする。


「カルカースさんは少し養父に似ています」


 ぽつりと呟かれた言葉に、カルカースにしては珍しく心底驚いたような表情を見せた。


「ダグラス殿にかい? 私が?」

「ええ。でも、外見とかじゃなくて――ちょっとした対応の雰囲気が。養父は僕が不安になっている時には必ず、そうやって微笑んでくれたんです。不安に思うことなんて何もないって感じで。カルカースさんは、そんな柔らかい雰囲気が、なんだか父と似ているような気がして――」


 イルゼにしたら、これから会う実父がダグラスやカルカースのような人物であればいいと思う。そんな思いを正直にイルゼがカルカースに伝えると、


「セレファンス皇子の次は私かい?」


 低い笑声と共にカルカースは言った。


「え……」


 イルゼは、その言葉の意味をすぐには解せず、だがカルカースの声に明らかな侮蔑が含まれているのを感じとって息を飲んだ。


「どうも君は、他人に依存心を強く持ちやすい性格のようだね。それでは皇城に住まう者達から、都合のいいように利用されるだけだろう。誰にでも容易く懐を開けるような真似は避けたほうがいい。でなければ、セレファンス皇子の時と同じ苦しみを味わうことになるだけだ。時には他人を必要とせず、自己を確立できる強さを持たなければ、君は君の望むものを何一つ、得ることはできないだろう」


 そこまで言ってカルカースは、態度と声音を恭しいものに急変させ、


「では、イルファード殿下。身を清め終わりましたら、お支度をお急ぎください。のちほどお迎えに上がります」


 優美な所作で会釈をし、その後はイルゼと視線を合わすこともなく、素早く身を翻して退出していく。


 その場に取り残されたイルゼは、素直な気持ちを手酷く拒絶された衝撃と動揺に、暫くの間は茫然と佇んでいた。

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