第27話 二人の皇子

 東皇国アドニスは、フィルファラード大陸の大部分を分割統治する四大皇国の一つであり、東方の地に多くの従属国を持つ大宗主国家だ。

 その首都アドヴァールは広大な高地に築かれた高原都市で、インザラーガ山の中腹に位置する。


「十四年前、その都にある皇城で君は生まれた。イルファード=トゥール=アドニス。それが君の本当の名前だよ」


 そうカルカースは言ったが、当のイルゼは、その説明を真実として聞き入れているとは言い難かった。


 自分の実父はアドニス皇王で、その妃だった母はすでに亡くなっている――。頭では納得したつもりだったが、感情のほうはそれを事実として受け入れてくれない。

 そんな少年の葛藤を見抜いたのか、カルカースは言った。


「私は偽りのない事実を君に示そう。だから今は、とにかく話だけは聞いておきなさい。それを信じるか信じないかを決めるのは、あとからでも良いのだから」


 諭すような言葉のあとに、カルカースは話を続ける。


「アラリエル様の死後、君は乳母に育てられることになった。本来ならば君はアドヴァールの皇城で、アドニスの皇子として大切に育てられるはずだった。ところがある日、庭で過ごしていた君は、乳母が少し目を離した隙に何者かによって連れ去られてしまった」

「……連れ去られた?」


 イルゼの驚きにカルカースは「ああ」と頷いた。


「だがそれは、君を守るために仕組まれた誘拐劇だったんだ。そして、その実行犯を担ったのが君の養父となるダグラス殿だった」

「父さんがっ?」

「ああ、そうだよ。ダグラス殿は、君の父君であらせられるディオニセス陛下からの密命を受けて、赤子の君を皇城から連れ去ったんだ」

「……なんで、そんな」


 イルゼには理解ができない。何故、実父である人が、生まれたばかりの息子をダグラスに攫わせなければならなかったのか。


「それには深い事情があってね」


 カルカースは苦悩するかのように眉根を寄せた。


「ディオニセス陛下にはアラリエル様の他に数人の妃がおられて、その方々との間にはすでに四人の皇子がいた。君にとっては異母兄となるね。その兄皇子達は君のように〈マナ〉の力を有していなかった。元々、アドニス皇族は〈マナ〉を保有する者の出生率が低い。だから皇位継承順位については特段に〈マナ〉の発現を重要視していなかったのだが――君が生まれた時ばかりは違った」


 ここでカルカースは一旦、話を切ると、


「東西南北を冠する四大皇国の源流が、フィルファラード全統治を果たしていた古代皇国フェインサリルであることは知っているね?」

「ええ、もちろん」


 カルカースの問いにイルゼは頷く。そんなことは大陸生まれであれば子供でも知っている話だ。カルカースは承知したように話を続ける。


「君が生まれる二年ほど前、西皇国リゼットに一人の皇子が誕生した。その子供も君と同じ〈マナ〉の力を有していた。リゼットはアドニスとは違って能力を保有する皇族が多く生まれる。そのためにリゼット皇族は、我が西の皇統こそが正統なる聖皇シエルセイドの後継――つまり、大陸全土の支配者たる聖血だと主張した」

「そんな、リゼットが……」


 イルゼは複雑な心境で、その皇国の名を耳にする。


 西皇国リゼット――イルゼがセレファンス達と共に目指す目的地だ。

 イルゼの故郷であるセオリムの村を壊滅させた賊の一人が、リゼットの国章が刻まれた剣を持っていた。

 それを見たイルゼは、セオリム壊滅にはリゼットが関わっているのではないかと疑い、それを確認するために彼はセレファンスらに伴ってリゼットへと旅立つことになったのだ。


「何か、思うことでも?」


 リゼットの名を呟いて黙り込んだイルゼに、カルカースは探るような視線を向けてくる。


「あ……いえ、ちょっと驚いちゃって」


 イルゼは微かに笑ってごまかした。自分が旅に出ている経緯など今、わざわざカルカースに教える必要はないだろう――そう思ったので、イルゼは別の話を振る。


「だって、まだそんなことで皇国同士が争ってるなんて。大陸統一なんて一昔前の話でしょう?」

「いいや、そんなことはないだろう。分かれてしまった四つの皇国を一つに統治することは、いずれの皇国にしても、いつかは果たしたい悲願だとされている。今は四大皇国の力が均等であり、表立った主張ができないだけで、その係争が途絶えたわけではない。だからこそ水面下では常にさりげなく民衆へと示しておく必要があるんだ。我が皇国の有する血統こそが、聖皇シエルセイドの正統なる血筋なのだとね。それを主張する方法の一つが〈マナ〉を顕現できる皇族の存在だ」


 カルカースの説明にイルゼは眉根を寄せて首を傾げた。


「……でも正直、そんなに能力って大切なものなのかなって思います。だって、こんなの持っていたって、いざとなったらなんの役にも立たない……。大体、皇族にそんな能力があったって、どんなことに役立つっていうんです? そりゃあ天気を変えたりとか、冬越しをした固い土を柔らかくできる力とかだったら、村の皆が喜んでくれただろうけど――」


 イルゼが何気なく発した呟きに、カルカースは目を丸くした。


 あ、変なことを言っちゃったかも――とイルゼは後悔したが遅かった。カルカースは弾かれたようにして笑い出す。


 憮然としたイルゼを前にして、カルカースはひとしきり可笑しそうに笑うと、


「いや、すまない。あまりにも君の考え方が奥床しいものだったのでね」


 と、それでも納まらない笑いを堪えながら弁明する。それにイルゼは更に憮然としたが。


「そうだね、確かに君の言う通り、大切なのは能力自体ではない。必要なのは能力の保有によって顕示される色濃い聖血だ。聖皇シエルセイドの聖皇妃リースシェランは、太陽神の娘であり女神だったと伝えられている。それを史実として捉えるのならば、彼女の持っていた力こそが現在の皇族達の持つ能力の源流だろう。〈マナ〉を有するということは、尊貴なる始祖二人の血筋を受け継いでいるという紛れもない証になるんだ。このフィルファラード大陸の統治は少なからず尊血主義よって成り立っている。だからこそ、この地を統一するのにまず必要なのは、支配者としての器量ではなく、聖皇シエルセイドの血筋なんだよ。支配される側の多くが、それを望んでいるのだからね」

「…………」


 イルゼはなんとも言えずに黙り込んだ。それにカルカースは苦笑し、


「話がずれてしまったようだ。元に戻そう」


 改めたようにして再度、話し出す。


「〈マナ〉持ちの皇子がリゼットに生まれた――ここまで話したんだったね。現在のリゼットにとっては、まさにその皇子こそが聖皇シエルセイドの尊血を顕示できる存在だろう。加えて彼の姉である皇女もまた、能力を保有する皇族だった。そして彼らの母親もね。対してアドニス皇族には、ここ数十年ほど〈マナ〉持ちが生まれていない。このままだとアドニスでは完全に能力を有する皇族が途絶えてしまうのではないか――と危惧していたところに君が生まれた」


 カルカースはイルゼを見る。


「君が〈マナ〉を発現した時、城の者達は狂喜乱舞したそうだよ。それはそうだろうね。数十年間、途絶えていた〈マナ〉持ちがやっと授かったのだから。ところが、ことはそこでは終らなかった。せっかく蘇った色濃い聖血を第五皇子だからといってないがしろにするのはいかがなものかと――そう主張する者が出てきたんだ。そうやって〈マナ〉の力を重視しない因習が、アドニス皇族から能力を奪ったのではないかとね。かといって、今までの慣習がそう簡単に覆るはずもないが、このままだと周囲の貴族達を巻き込んでアドニスの勢力が分裂する恐れがあった。その時点では赤子である君だって、十数年後には立派な若者だ。〈マナ〉を顕現することによって自身の聖血を顕示し、有力貴族と多くの民衆を味方につけて皇位の簒奪を望むようになるかも知れない。ならば、そんな禍根を持つ芽は早めに摘み取ってしまえばいい――そう考える者がいたとしても不思議ではないだろう? 君の上には皇位継承者が四人もいるのだから」

「……つまり僕は、異母兄から常に命を狙われる立場だったってことですか?」


 あまりにも突拍子のない話に、すっかりとイルゼは呆れ返った感覚で言葉を洩らした。


「まあ、異母兄が直接というよりも、その周囲の者達といったほうが正しいかも知れないね。なんにしろ、そういうことだ。そして、それが誘拐を装わなければならなかった理由だよ」


 カルカースは少し話し疲れたかのようにして息をつき、再び話し始める。


「東皇都アドヴァールにいる限り、君は常に生命を危険にさらすことになる。だが、かといって、都から遠ざけたとしても所在が知れていれば同じこと。では、類稀なる能力を持った赤子の皇子を、どうやってお守りすれば良いのか――。一部の側近達が話し合った結果、ある苦肉の策が取られることになった。ならば、ならず者による誘拐を装って、生まれたばかりの皇子を暗殺者の目からくらませてしまえばいい――そして、どこかの地で密かにお育て申し上げれば良いのではないか、とね。その危険な計画の実行役に選ばれたのが、ディオニセス陛下からの信任が厚い近衛騎士のダグラス殿だった」

「父さんが……」


 イルゼは記憶の中の養父を探すようにして呟いた。


 どこかの国に養父が仕えていたという話は聞いたことがあった。だから、てっきり東方に多々ある小国の一つにでも仕えていたのだろうと思い込んでいた。だが、まさか農村出身でアドニスの騎士に、それも皇王の近衛騎士という地位にまでなっていたとは思いもよらなかった。


「ディオニセス陛下からの勅命とはいえ、それは決して他言してはならないものだった。それこそ捕縛されるようなことがあったとしてもね。捕まったとなれば、全ての地位を剥奪され、恥辱的な死罪は免れない。まさに名誉と命をかけた困難な任務だっただろう。だが、それをダグラス殿は見事に成功させ、皇都から君を連れ出して人知れず育てていくことになったんだ。君が成長して、ある程度は自身の身を自分で守れるようになるまではね」

「……じゃあ、父さんが――養父が血の繋がらない僕を大切に育ててくれたのも、いつも一緒にいてくれたのも、皇王様からの命令だったからってことですか? 僕が――その子供だったから?」

「いや……それはきっと違うと思うよ」


 そう言ってカルカースはゆっくりとかぶりを振った。


「任務だけのためだったのならば、ダグラス殿が亡くなったと同時に君はアドニスに戻されていたか、他の者が養育の役目を引き継いでいただろう。だが、ダグラス殿はいずれの措置も取らなかった。それどころか彼は、君を連れ去ってから数年後には定期的な報告義務を怠るようになり、完全に行方をくらませていたんだ。それは君を陛下の元に戻すつもりはなかったということだ。だからこそ私は、長い時間をかけて、君を捜し続けなければならなかった」


 カルカースの説明に、イルゼは養父からの最期の言葉を思い出した。


『一時でも立ち止まってはいけない、振り向いてはならない。目立たぬように、風のように流れなさい。それが、お前とお前の穢れなき心を守る術だと知り、お前の運命だと受け入れなさい――』


「ダグラス殿が、君にそう言ったのかい?」

「ええ、そうです」


 カルカースにイルゼは頷く。するとカルカースは思いみるようにして双眸を伏せた。


「そうか……きっとダグラス殿は、こう考えたのかも知れないな。アドニスに戻っても、やはり君は白眼視される立場だろう。馴れない環境の中で肩身の狭い思いをして過ごしていくくらいならば、このまま皇族としての地位を捨てて、何も知らずに生きていくほうが幸せなのではないかと――」


 イルゼは生前の優しい養父を思い出しながら胸を詰まらせた。


 きっとダグラスの考えは間違っていなかった。セオリムの村が壊滅するまでのイルゼの人生は決して不幸ではなかった。いや、それどころか、あのまま何もかもが順調に進んでいれば、少年は最愛の少女と一緒になって幸福に暮らせたはずなのだ。


「恨むかい? 君を本当の父君の元に返そうとしなかったダグラス殿を」

「いいえ、いいえ……養父は僕を深く慈しんで育ててくれました。血が繋がらなくたって本当の息子のように、いえ、それ以上に愛してくれた。僕にとって養父は、とても大切で尊敬のできる人です」


 イルゼの真っ直ぐな双眸を受けて、カルカースは柔和に目を細めて頷いた。


「ああ、そうだろうな。それは君を見ていれば良く分かるよ。ダグラス殿の罪は問わない。これは陛下のご意向だ。陛下の命に背き、君を隠し続けた罪は重く、今は亡きとはいえども本来ならば地位の剥奪や罪人の烙印は免れなかっただろう。だが、君を隠し続けた行為はそれだけ君を案じ、慈しんで育てていたことを意味するのだろうと、そう陛下はお考えになられた」


 そこまで話すと、カルカースは一息ついたように冷え切った紅茶を一口飲む。そして改めて真摯な視線をイルゼに向けた。


「それで、君の考えはどういったものなのだろう? 今までの話を納得して、私と共にアドニスへきてもらえるのだろうか」


 イルゼは返答に躊躇った。実感は伴わないが納得はできた。恐らくカルカースの言葉に嘘はない――と思う。だが、実父であるアドニス皇王に会うということは、自分が皇族であると認めることになるだろう。それは養父の願いとは裏腹で、その想いを裏切る行為ではないだろうかとイルゼは思ったのだ。


「君の考えていることは良く分かるよ。確かにダグラス殿は君に皇族としてではなく、平凡でも幸福な人生を歩んで欲しいと願っていたことだろう。いずれ出会うであろう愛する人と共に、幸せに暮らしていって欲しいと……。だが正直、今の君に、それを望める展望はあるのかい?」


 その指摘にイルゼは愕然とした。

 カルカースはイルゼの身に起こった出来事を全て知っていた。たまたまセオリムの村で起こった悲劇を知り、そこからイルゼの行方を掴むことができたのだとカルカースは言った。


「……ええ、そうです。僕は全てを失いました。とても大切だった人も、育った故郷も、幸せだった暮らしも」


 そう言いながらイルゼは自分を恥じた。指摘されるまで何故、こんな大事なことを忘れていたのだろう、と。


「やっぱり僕はアドニスへは行けません」


 イルゼはきっぱりとした口調で言い、カルカースを見た。


「全ての理由を知るために、僕はリゼットに行かなくちゃいけないんです」


 口に出すと、イルゼの思いは強まった。そうだ、自分はリゼットへ行かなくてはいけない。フィーナが、村の人々が無残にも殺された理由を知るために。それはたった一人、生き残ったイルゼの使命ではないか。


 カルカースは暫くの間、決意を新たにしたイルゼを見つめて黙っていた。そしておもむろに、こう問うた。


「真実を知って君はどうするつもりだい? 敵討ちでもするのかい?」

「それは……正直、分かりません。ただ知らなければ、そこから僕は進めないと思うんです。知ってどうするか――……その先の自分を知りたいから、知ろうとするのかも知れない……」

「なるほど……その先の自分を知りたい、か。イルゼ、真実は案外簡単で残酷だ。それでも君は知りたいかい?」


 そんなカルカースの言葉にイルゼは目を丸くした。


「あなたは――何かを知っているんですか?」

「知っている。恐らく、君が知りたいと思っていることを全てね」

「じゃあ……!」


 教えてください、とイルゼが言う前にカルカースは素早く言葉を挟んだ。


「ただし、これを知った時、代わりに君はまた、今の全てを失うことになるだろうね」

「え……」

(今の全てを?)


 それはどういう――と思いながら、イルゼの脳裏に金髪の少年の顔が浮かんだ。


(……確かに、ここで知りたいことを全て知ったら、セレとリゼットまで旅をする理由はなくなる……)


 奇妙な話だが、それを残念に感じないとはイルゼには思えなかった。セレファンスとレシェンドとの旅は新鮮で楽しいものであり、彼らと過ごしている間は、あの辛い記憶を忘れていられた。


(でも、それはそれ、これはこれ、だ)


 イルゼは心の中で決心したように頷くと「大丈夫です。教えてください」とカルカースに願った。


「まあ、どちらにしろ、いずれは知る真実だ。今が一番、いい時期かも知れないね」


 カルカースは目を細めて溜め息のように呟いたのだった。

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