第二章
第21話 闇を渡る者
夜半のウラジミールの街は、突然の騒動に翻弄される空気と、酒気を孕んで緩慢となった気配が入り混じる不思議な空間と化していた。
「叔父さん、何か手伝えることはありますか?」
交易協同組合の事務所内で忙しそうに組合員とやり取りを交わすグリュワードの姿を見つけ、セレファンスは彼らの会話が一段落するのを見計らってから声をかけた。
「おお、セレファンスか。それにイルゼやレシェンド殿も。わざわざきてくれたのか」
少年達の姿を認め、グリュワードの声音が少しばかり明るさに富む。しかし、その表情は険しいままだ。
「叔父さんを迎えに行った者が一人で戻ってきたので気になり、きてみたんです」
「ああ、せっかく迎えにきてくれて悪かったが、どうやら今夜は家に戻れそうにないのでな。一旦、帰したのだ。彼から話を聞いたのか?」
「ええ、なんでも市内の中心部で不審火が多発しているとか。これは故意の放火ですよね」
「ああ、何が目的かは知らないが、様々な場所から火の手が上がっているのだ。しかも放火の場所は現在も増え続けている。ウラジミールは山の麓近くに位置する街なので常に強い風が吹く。少しでも初動が遅れると、小火が大火になりかねん。これは放火犯が捕まるまで気が抜けんよ」
「今は、どのくらいの人員で犯人を捜しているんですか?」
「当組合で編成している自警団が捜索の指揮を取り、市民も自発的に協力をしてくれている。ただ今の時間帯では、明瞭な意識を保っている者は少なくてな。本部のほうからも全ての会員業者に伝達をし、人手を派遣するようにと頼んではいるのだが……こちらは追い込みの激しい今の時期、なかなか手は回してくれん」
やれやれとばかりにグリュワードは頭を振った。それにイルゼは信じられないとばかりに語気を強める。
「そんな……だって、このままだと街が危険なのでしょう? その人達は、自分達の暮らす街が焼けてもいいと思ってるんですか?」
「そんなことは誰も思ってはおらんよ。ただ、他の誰かがなんとかしてくれるだろうと根拠のない思い込みをしているだけでな」
そう言って苦笑したグリュワードに、セレファンスが「俺も犯人の捜索に加わります」と申し出る。それにイルゼも「僕も手伝います」と意気込み、レシェンドも「私も微力ながらお手伝いをいたします」と続く。
「それは助かる。人手は多いほうがいいからな。市内には腕章をつけた自警団員が歩き回っているはずだから、彼らから指示を仰いでくれ」
「分かりました」
セレファンスはグリュワードから自警団の腕章を受け取り頷いた。
イルゼ達は会話を終えると同時に踵を返して事務所をあとにする。そして、不穏な息苦しさに満ちた街の中心部へと足を向けた。
「君達には、ここの区画の倉庫を確認して欲しい。まあ、ここは火災の起きている中心部からは外れているし、頑丈な高塀に囲まれているから大丈夫だとは思うが、念のために犯人捜索と安全確認を行うことにしたんだ。中に入ったら、まずはこの鍵で他の立ち入りを防ぐために内側から鍵をかけて、それから探索に入ってくれ。何事も無く見回りを終えたら、最後に外側からしっかりと門扉を施錠して、この区画を封鎖すること。そして一度、組合事務所に戻って鍵を返却する。それじゃあ、よろしく頼むよ」
自警団員の男は区画入り口の門扉を開けながら一方的に喋り終えると、鍵をセレファンスに手渡して、慌ただしく自身の持ち場へと戻っていく。
明るい方角に向かう彼の背を見送ってから、イルゼ達は殆ど光源のない区画に目を移した。
「――さてと。それじゃあ早速、しらみ潰しに確認していくか。それにしても、中心街を離れると本当に真っ暗だな」
その暗然とした様子にセレファンスは眉を顰める。
「今夜は朔月ですから。恐らく犯人は、それを見越して今日の犯行に至ったのでしょうね」
「ああ、だろうな」
レシェンドの推察にセレファンスは頷く。そして「放火犯の奴らは一体、何が目的なんだろうな」と呟く。
先程、去っていった自警団員の話によると、どうやら犯人は単独ではなく複数犯らしい。同時に離れた場所から火の手が上がっているのである。しかも時間が経つほどに放火の数は増えども、いまだに犯人達の行方は掴めていない状態だった。
「月のない闇夜とはいえ、これだけの人数で捜索しているにも関わらず、いまだ犯人が一人も捕まえられないというのは……」
レシェンドは訝しげに首を傾げた。それにセレファンスも同意する。
「加えて、その目的が見えないのも不気味だな。かといって単なる愉快犯とは思えないし」
「とにかく、早く犯人達を捕まえないと。大きな火災が起こったら取り返しがつかなくなるよ」
イルゼの尤もな意見に三人は頷きあった。
「よし、ここは手分けしたほうが効率的だな」
そう言ってセレファンスが目を向けた先には、煉瓦造りの倉庫が闇に薄らと浮かび上がっている。
この区画内にはウラジミールの業者が各戸に所有する倉庫が建ち並び、それらを頑丈で高さのある煉瓦壁が取り囲む。なので、この区画に入るためには唯一の出入り口である鉄柵状の門扉を必ず通らなければならない。
「ここら辺りの倉庫は今回輸出分の荷の搬入が完了しているので、灯火を点けていないとのことだ。それこそ火災の原因になるからな。そして全ての倉庫の扉は鉄製で、一つ一つに厳重な施錠がされているらしいから、もしも犯人が区画内に逃げ込んでいたとしても、倉庫にまで入り込むことはまずないだろう」
「では、捜索するのは倉庫周辺の暗がりですね」
「そうだな」
レシェンドの確認にセレファンスは頷く。
「じゃあ、レシィは向こう端の倉庫から、こちら側の倉庫に向かって順番に周囲を見回っていってくれ。俺は、あっちのほうから見て回ってくるから」
セレファンスの指示にレシェンドは「はい」と了解する。ここでイルゼは「僕は?」とセレファンスに問う。
「イルゼはここで入り口を見張っててくれ。一応、内側から鍵はかけたが、不審な奴が近づいてきたら教えてくれ」
「分かった」
正直、犯人捜しに使命感を燃やしていただけに、待つだけの役割に少々気抜けはしたが、見張りも重要な役目だと考えて気を入れ直す。
レシェンドが携帯用のランプ二つに灯を灯す。そして、その一つをセレファンスに、もう一つを自身で持つ。
「それじゃあ、捜索開始だ」
セレファンスの宣言にレシェンドは指示された場所に向かって歩んでいく。セレファンスも自身の役目を果たすためにイルゼから離れていった。一人残されたイルゼは、入り口に立ちはだかって前後左右に気を配り始める。
そうして一刻ほどの時が経っただろうか。特に何事もなく時間が過ぎており、イルゼは注意散漫になりそうな自身を叱咤しながら見張りを続けていた。
「イルゼ、そっちに異変はないか?」
そんな声と共にランプを手にしたセレファンスが戻ってきた。それにイルゼは「特に何もないよ」と答え、労いの言葉をかけながら彼を迎える。
「こっちも不審な点は見当たらなかった」
セレファンスは少し憮然とした顔つきで答えた。彼もイルゼと同様、犯人捜しに張り切っていた口なので、出来れば犯人捕縛への直接的な貢献ができればという気持ちがあったのだろう。
しかし現場の最前線は、現在も放火が発生し続けている都市中心部であり、このような外れでの見回りは後方支援が目的なのだから、イルゼ達が直接、犯人達と遭遇する可能性は低いと思われる。それは血気盛んな年頃の彼らにとって、いささか物足りなさを禁じを得なかった。
「やっぱり、そうそう簡単には見つかりそうもないね。じゃあ、レシェンドさんが戻ってきたら門扉に鍵をかけて一度、組合へ――」
「セレファンス様!」
勢い込んだ声音がイルゼの言葉を遮った。
二人の少年がレシェンドのものである声に振り向くと、一人の青年を捕えた彼女が、こちらに勇ましく向かってくるのが見えた。
「この男が倉庫前で不審な行動を取っておりましたので連れてまいりました」
レシェンドは驚いた顔の少年達を前にして、引きずるように連行してきた青年を冷たい視線で見下ろす。すると青年は途端、憤慨したように眉を吊り上げてレシェンドを睨み返した。
「不審だなんて! 僕はただ、確認したいことがあって、あそこにいただけだ!」
しかし女騎士は、そんな青年の言い分には全く耳を貸さず、セレファンスに続けた。
「昨晩、酒場で暴れていた男達の片割れです。彼は倉庫の鍵穴に何度も棒状のものを差し込み、執拗に探っていたのです。恐らく鍵外しを試みていたのではないかと思われます」
「なっ、ち、違う! それは、どの鍵が合うのか確認していただけで……! 途中でランプの油が切れちゃって、こんな暗がりだと鍵に刻印されている識別番号が判読できなかったんだよ!」
「サニエルさん」
セレファンスは少々、気の抜けたような表情と声で青年の名を呼んだ。すると青年は「え」とばかりに金髪の少年を見つめる。
「あ、あれ? セレファンス君? それにイルゼ君も」
青年――サニエルは呆けたように口を開いた。するとレシェンドが怪訝そうに彼女の主である少年を見る。
「セレファンス様……馴染みの者ですか?」
「ああ、まあね。サニエルさん、何故、こんなところにいるんですか?」
「それは……」
青年は顔を曇らせて言い渋り「とにかく、まずはこちらの彼女を説得してくれないかな。僕は本当に理由があって、倉庫前にいただけなんだ」と懇願した。
「レシィ」
「あ、は、はい」
セレファンスの促しにレシェンドは慌てて青年を解放する。
「ふう……」
サニエルは安堵したように息をつくと、レシェンドから後ろ手に囚われていた手首を軽くさすった。男にしては華奢に見える手首には赤い手形がくっきりと残っていた。
セレファンスはレシェンドにサニエルの素性と昼間の一件を簡潔に話した。すると女騎士はサニエルの潔白を認めると、決まり悪そうにして青年を見た。
「……では、こちらの完全なる早とちりだったわけですね。てっきり放火に関わる人物かと……。サニエル殿、大変失礼をいたしました」
深々と頭を下げるレシェンドを見て、サニエルは慌てたようにして頭を振った。
「いや、今は街で騒ぎが起こっている時だし、確かにこんな時間帯じゃあ、不審に思われても仕方がなかったよ。僕が悪かったんだ」
「ところで、サニエルさん。本当にここで何をしていたんですか? まさか、一人で見回りなんてことはないですよね?」
セレファンスの探るような問いに、青年は困り切った様子の表情を浮かべた。
「いや、それは……」
「もしかして、今回の騒動と何か関係があるんですか?」
イルゼも続けざまに質問をする。
そんな少年達の好奇心をサニエルはどうにか回避したいようだったが、それは無理というものだった。何せ二人の少年は、はぐらかされて堪るものかといった雰囲気で青年を見ていたのだから。案の定、サニエルは諦念の溜め息と共に口を開くことになる。
「いや、今回の事件とは関係ない……いや、関係ないと思う」
「と思う?」
妙な言い回しにセレファンスは眉を顰める。
「何かあったんですか? 僕達が手伝えるようなことがあれば、お手伝いしますけど」
そう言ってイルゼがサニエルを気遣った理由は、この時の彼の表情があまりにも思い詰めたものだったからだ。
イルゼの言葉に青年は泣く寸前のような表情を閃かせる。そして、とうとう耐えかねた様子で少年達を驚かせるのに十分な事実を告げた。
「レワが――レワが、何者かに攫われたようなんだっ……!」
「レワが?」
イルゼは驚いて目を見開く。サニエルは二つ折りになった小さな紙を示してみせた。
「ここにあるどこかの倉庫の中に捕らわれていると、この手紙には書いてあったんだ!」
「手紙って……それは信用のできるものなんですか? 悪質な悪戯という可能性は?」
セレファンスの疑問にサニエルは泣き荒ぶようにして「悪戯なんかじゃない! これを見てくれ!!」と叫んだ。そして肩にかけていた革鞄から明るい緑色系の物体を取り出した。それは何かを包むようにして折りたたまれた布だった。
「これは……」
それを目にしてセレファンスの眉根が険しく寄せられる。その色合いには見覚えがあった。
昼間に出会ったツワルファ族の少女が被っていたショール――その包み布は、まさにそれと同じ色だったのだ。
続いてサニエルは手に持っていた先程の小さな紙を差し出す。
「これとこの手紙が一緒に僕のところまで届けられたんだ。届けてくれたのは小さな子供で、その子は誰かに頼まれただけみたいだったけど……」
セレファンスはサニエルから手紙を受け取り、視線で青年に許可を得てから素早く中に目を通した。そして他の二人にも内容が把握できるように、その文章を声に出して読む。
『お前の大切な者を預かっている。取り返したければ東の倉庫区画に一人でこい。そこのいずれかの倉庫に、お前の大切な者が捕らわれているだろう』
「でも、これだけじゃあ『大切な者』というのがレワだとは分からないけど――」
セレファンスは問いかけるようにして青年を見た。すると彼は、おもむろに手に持っていた包み布を開き始める。そして、その中にあったものを目にして少年達は息を飲んだ。
「……銀色の……まさか、髪の毛ですか?」
レシェンドは訝しげにそれを見つめる。彼女が推察した通り、それは大量の銀髪だった。皮紐によって束ねられ、艶やかに薄く輝いている。いかにも無造作に切られたそれは、切断跡が痛々しくも生々しい。
少年二人には、それがなんであるのか瞬時に理解できたが、ツワルファ族の少女と面識のないレシェンドにとっては一瞬、単なる銀糸の束にでも見えたのかも知れない。
「これを見た瞬間、僕はいてもたってもいられなくて……! とにかくレワを捜さなくちゃと思って、これを持ってここまできたんだ」
そう言ってサニエルは、ジャラジャラと音をたてる鍵束をイルゼ達に見せた。
「それは――倉庫の鍵ですか?」
セレファンスは鍵束を見つめながら問う。
「ああ、組合で管理している全倉庫の鍵さ。あくまでこっちは緊急用の予備だから、普段は使用しないものだけれどね」
確かに束ねられた鍵は、どれも真新しいように輝いている。
「……組合で管理しているものってことは、もちろん叔父さんもこのことを知ってるんですよね?」
「え? ――あ、いや、それはその……」
サニエルはまずいとばかりに口ごもる。
「まさか、無断で持ち出したとか?」
セレファンスの声音が、にわかに険しくなった。組合で管理をしている鍵がなくなったとあれば、組合の長である彼の叔父グリュワードの監督不行き届きになってしまうからだろう。
不穏になった金髪の少年に、サニエルは慌てて弁明をする。
「わ、悪いことだとは分かっていたよ。でも、あの時はどうしようもなくて……! 手紙には一人でこいって書かれているし、いずれかの倉庫にいると言われたって、一つ一つ中を確認する以外に方法はない。そんな状況の中、今の組合事務所は慌ただしくて、簡単に鍵を持ち出せたから、つい……。もちろん、あとから事情を説明してグリュワードさんには謝るよ」
「セレ、今はレワを捜すことが先決だよ」
イルゼがサニエルを庇うようにして言うと、
「分かってる」
セレファンスは無愛想に答え、再びサニエルに目を向ける。
「犯人に心当たりは? その手紙と包みを持ってきた子供からは、頼まれた者の外見を聞いたんでしょう?」
「……聞いたには聞いたけれど、どうやら外套を目深く被っていたらしくて、容姿が全く分からなかったみたいなんだ……。声から男だったとは言ってたけれど」
「つまり、肌や髪の色は分からないようにしていたってことか」
そんなセレファンスの独白に、サニエルは意外そうに目を見張る。
「もしかして君は、ツワルファの者が犯人じゃないかって疑っているのかい?」
「いえ、決めつけてるわけじゃないですけど――ツワルファ族はウラジミールと対立があるって話を聞いたので、そういう可能性もあるなと」
「でも、恐らく彼らではないよ。大体、同じ部族のレワを襲うなんておかしい話じゃないか。それに倉庫の鍵は組合で管理している予備と、倉庫を所有する各人が持っているものしかないんだ。いつも組合に出入りしている僕ならまだしも、ツワルファ族の者に鍵を持ち出せるとは思えない。だから僕は、鍵を管理している人達の中にレワを倉庫内部に監禁した犯人がいるんじゃないかって思ってる。アーロイス商会の者達を始め、僕やツワルファが提議する問題を心良く思っていない者は多いからね」
「いや、それよりも――倉庫の中にレワが捕らわれているってこと自体が嘘なのかも知れない」
セレファンスが呟くと、サニエルが「それはどういうことだい?」と怪訝そうに金髪の少年を見た。
「捕らわれているのは本当でも、倉庫内部にレワが監禁されているわけじゃないってことですよ。つまり、犯人達が鍵を持っているとは限らないってことです」
「でも、なんのためにそんな嘘を?」
イルゼが首を傾げる。それにセレファンスがすかさず答える。
「もちろん、サニエルさんを利用して倉庫の鍵を開けて回らせるためさ。レワを想起させる大量の銀髪を送りつけて、いずれかの倉庫に大切な者が捕らわれていると伝えれば、必ずサニエルさんは必死になって倉庫を開けて巡るだろうと犯人は考えた――」
そこまで言ってセレファンスはイルゼからサニエルに視線を転ずる。
「さっき確認したんですけど、倉庫には裏手にも出入り口がありますよね。あれは内側からだったら簡単に鍵がはずせますか?」
「え? ――あ、ああ、内側からなら簡単にはずせるよ」
「じゃあ、サニエルさんが中でレワを捜している間、こっそりと開いた正面口から中へ入って、あとから裏口を開いて出入りすることは可能ですよね?」
「……あ!」
金髪の少年が何を言わんとしているのかに気づき、イルゼは小さく声を上げる。それにセレファンスはご名答と言わんばかりに頷く。
「つまり犯人は、レワのことでサニエルさんを操り、倉庫内に進入することが目的だった。では、なんのために犯人は倉庫内に入る必要があったのか――そこが一番重要だな。手紙には、その意図が見受けられないし……」
セレファンスは今一度、自身の推理を吟味するようにして目を伏せると「やっぱり一連の放火事件に絡んでいるのかも……タイミングが良過ぎる」と呟いた。
「レシィ」
セレファンスは彼が最も信頼を置く女性を呼んだ。
「はい、セレファンス様」
「俺達を内側に残して、この鍵でこの区画を封鎖してくれ。そして、このことを詳しく叔父さんに伝えてくれないか? あの人なら的確な判断をしてくれるだろうから」
「内側に残すとは……セレファンス様はどうなさるおつもりですか?」
レシェンドは予想はついているものの、問わずにはいられなかったようだ。案の定、セレファンスは揺るぎのない声音で言った。
「俺達は引き続き、ここで犯人を捜す。この区画や倉庫内には、レワをさらった犯人が潜んでいる可能性が高い。少し不明な点はあるが、今後、ここでなんらかの動きがあるように思えるんだ。それに、その包み布は確かにレワが身につけていたショールだ」
セレファンスはサニエルが手にしたままの包み布に目をやった。
レワに良く似合っていた大判のショールは、もはや原型をとどめていなかった。髪を包み込むのに丁度良い大きさにするためか、美しい色合いのそれは無造作に切り裂かれていたのだ。
「その中にある切られた銀髪のほうは、確実にレワのものとは言えないが、ツワルファ族のものには間違いない。もしかしたら本当に誰かが事件に巻き込まれて危険な目に遭っているのかも知れない」
「いや、これはレワの髪だ」
サニエルは言い切った。そんな彼を金髪の少年は怪訝そうに見やる。すると青年は補足のように続けた。
「この髪に残る香りが、僕がレワに贈った香水のものと同じなんだ。その香水はテオフィルの皇都にある専門店で購入したものだから、ウラジミールでは手に入らない。ましてやツワルファ族には香水を使う習慣なんてない。でもレワは、僕に会いにくる時には必ず、この香水をつけてきてくれたんだ。だから今日だって……」
サニエルは苦しげに呻いた。それを聞いたイルゼは、青年を慮りながらも口にする。
「それじゃあ、やっぱりレワ本人が捕らわれている可能性が高いんじゃあ……」
「ああ、そうだな」
セレファンスは頷く。そんな少年達の声を聞いた青年は微かに頬をこわばらせた。
レシェンドはセレファンスに指示された通り、彼らを区画の内側に残して鉄柵に施錠をかけた。そして後ろ髪を引かれる思いなのか暫し金髪の少年を見つめていたが、意を決したように背を向けると、すぐさま街の方角へと走り去っていった。
「倉庫の中じゃないとしたら、レワはどこにいるっていうんだ……!」
サニエルが悲嘆にくれた様子で嘆くと、セレファンスが唐突に青年に求めた。
「サニエルさん、その包み、ちょっと貸してもらえませんか?」
「……これを? でも、これには髪しか入っていないよ。他に手がかりになりそうなものは何一つ……」
「いいんです、それで。それ自体が有力な手がかりになりますから」
戸惑いを見せるサニエルに対して、セレファンスは少しの迷いもなく包みを受け取る。イルゼは「どうするの?」と首を傾げて訊ねた。
「〈神問い〉をしてみるよ」
簡潔なセレファンスの答えにイルゼは目を瞬いた。
「〈神問い〉って……確か、君のお母さんが得意だった『知る能力』のこと? セレもできるの?」
「ああ、本当は得意じゃないけどな。でも、この街は風の加護が強い地で、俺の性質と相性の良い場所なんだ。だから風の精霊と意思疎通が取りやすく、質の高い扶助が望める。きっと苦手な〈神問い〉だって上手くいくさ」
セレファンスの説明を聞いて、イルゼは以前に教えてもらった〈神問い〉についての知識を思い出した。
〈神問い〉は〈マナ〉の一種であり、それを行使しようとする者は自身の天分のほかに精霊からの扶助が必要不可欠となる。セレファンスは風の精霊からの寵愛が厚い身で、彼が顕現する〈マナ〉には風の属性が色濃く表れる。つまり年中、強い風の吹くウラジミールは、セレファンスが〈マナ〉を最も効果的に顕現できる場所なのだ。
「それに〈神問い〉は知りたいことに関する品物や詳しい知識があれば、得られる情報の内容も明確になりやすい。反対に何も無い状態で得る情報は、断片的で理解しにくいことが多い。ようは、どれだけ対象物に関する知識や物を集められるのかが〈神問い〉の成功率に繋がるってわけだ」
対象が生き物であった場合には、身体の一部となるものが用意できるのであれば、かなり正確な〈神問い〉の情報を得られるそうだ。
「今、ここにはレワの髪がある。だから恐らく、かなり正確な彼女の居場所を探ることができるだろう」
そう言ってセレファンスは包み布に目を落とした。サニエルには少年達の会話が理解できないのだろう、不安そうな顔で彼らを見つめていた。
セレファンスはイルゼとサニエルから少し離れると、レワの髪が入った包み布を胸に抱き、目を閉じて上空を振り仰ぐ。暫くの間、そうしてセレファンスが立ち続けていると、
「……彼は何をやってるんだい?」
遠慮がちにだがサニエルは多少もどかしそうな様子でイルゼに囁く。彼にすれば少しでも早くレワを捜しに行きたいところなのだろう。
そんな青年にイルゼは、なんと説明をすれば良いのかを考えあぐねた。と、ちょうどその時、一陣の強風が彼らの合間を駆け抜ける。
「うわっ……!」
イルゼは思わず顔をしかめた。そんなイルゼの細めた目には、金色の髪を風にたなびかせ、まっすぐに夜空を見上げるセレファンスが映った。
「見えた」
ぽつりと金髪の少年は呟いた。そしてサニエルを振り返ると「アーロイス商会の倉庫ってどこにあるんですか?」と訊ねる。
「アーロイスの? ああ、それなら、ここから右側の奥にある倉庫で――って、もしかして、そこにレワがいるのかいっ?」
途端、顔色を変えたサニエルはセレファンスに詰め寄った。その勢いに押されながらもセレファンスは「ええ」と頷く。そして「確定ではないですけど、たぶん――」と、どこか気懸かりを含んだように呟いた。
「だったら急ごう! こっちだよ、早く!」
サニエルは居ても立っても居られない様子で倉庫の方角に足を向ける。今の彼にとっては、レワの居場所に関する情報であれば、それがどのようにして得られたものであるかなど、どうでも良いことのようだった。まさに藁にでもすがりたい心境なのだろう。
セレファンスは何かを案じるようにして、走り去っていくサニエルの背を見つめていた。そんな彼に「何か心配事でも?」とイルゼが問うた。
「いや、ただ〈神問い〉で感じた中に、何か嫌な感覚が含まれていたんだ。なんというか、失う前兆のような、警告のようなもの――なんだったんだろう、あれは……」
セレファンスは首を傾げながら一人ごちる。
「まあ、でも今はとにかく、レワの身の安全が最優先だな。俺達も急ごう」
気を取り直したようにセレファンスはイルゼを促し、二人の少年はサニエルのあとを追った。
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