第11話 森に住む人々

 イルゼ達はラヴィニアに導かれながら鬱蒼とした森の合間を進む。霧は相変わらず周囲を包んでいたが、先程よりは明るさを含んでいるようだった。寒さもあまり感じず、どこか夢見心地でイルゼは小道を歩んでいた。


 突然、ラヴィニアが立ち止まってイルゼ達を振り向く。そして向かっていた先を無言で指し示した。


 彼女の優美な腕の動きにつられて、イルゼ達は揃ってその方向を見やる。重なりあって並び立つ木々の向こうに、ぽっかりと不自然に開けた空間が見えた。

 そこに向かってイルゼ達は足を進め、目の当たりにした光景に息を飲んだ。


「これは――」


 誰もが視線を釘づけにしたまま、暫くの間、二の句を継ぐことができなかった。


 目の前に広がった自然の緑園には、見事な大きさの切り株がまるで中央に備えつけられた不格好な円卓のようにドシリと地に張りついていた。その周辺には、しわがれた老婆の手を思わせる枯れ枝がいくつも無造作に放置されている。

 それは無慈悲な破壊を象徴しているようで、とても物悲しく空虚な光景だった。


「……この空間と残された株から察するに、よほど大きな木だったのでしょうね」


 レシェンドが遮るもののない虚空を見上げながら、やるせないように溜め息をついた。


 イルゼは無惨な薄白い断面を見せる切り株に歩み寄る。大人が手を伸ばして寝転がっても、まだ有り余るほどの広さを持つ丸い断面。そこからは未だにほのかな木の香りが匂い立っているようだった。


「こんなに立派な木を切ってしまうなんて……」


 恐らく千年単位の樹齢を誇る大木だったに違いない。イルゼはそれが悲鳴を上げながら倒れていくさまを想像して顔を歪めた。


「守護樹様を切り倒したのは、テオフィル皇家の使者達でした」


 イルゼ達の背後に立っていたラヴィニアがぽつりと呟く。


「なんでも亡くなった皇王のための棺を作るのだとか――そう言っておりましたわ」

「たったそれだけのために?」


 イルゼは非難に満ちた声を上げる。

 確かに一国の皇王が亡くなったとなれば、それは盛大な喪儀が行われても不思議ではないだろう。だが、だからといって千年以上の時を生き抜いてきた木を切り倒してまで、その棺を造ることは果たしてどれほどの意義があるものなのだろうか。単なる皇国の顕示ならば豪華絢爛な儀だけで十分だろうに。


「確かにテオフィル皇王の崩御の報は一年ほど前に聞いてる。……この村の怪奇が始まった時期と合ってるな」


 セレファンスは言う。それはイルゼも知っている。確かうら若い皇妃と幼い皇子を残しての病死だったという。だが、それがあまりにも急な出来事だったため、影では暗殺ではないのかとの噂が囁かれていた。なんにしても今は幼い皇子が皇王に据えられ、摂政によって国事が執り行われている。


「それじゃあ取りあえずは、守護樹が失われたことによっての怪奇現象だとして――貴女はイルゼに何を望んでいるんだ? まさか木を復活させろなんて無茶苦茶を頼むわけじゃないんだろう?」


 セレファンスの言葉にラヴィニアは頷いた。


「復活させていただきたいのは守護樹様自体ではなく、その御力です。残念ながら一度、切り倒されてしまったものを元通りにする術などありません。ですが御力の源となる魂だけであれば、相応しい器を用意したうえで、この世に再び呼び戻すことは可能なはず――。イルゼ様には、その御力を復活させるための儀に斎主として立っていただきたいのです」

「……まあ、理屈としては可能なのかも知れないけどさあ……」


 セレファンスは困ったような表情を浮かべた。


「ねえ……『サイシュ』って何?」


 イルゼはセレファンスにそっと問う。


「簡単に言えば、願う者と聞き届ける側の架け橋になる人間だな」


 その答えをイルゼは何度か頭の中で反芻してから、おもむろに問い直す。


「つまり――その『架け橋』を僕にやれって? そういうこと?」

「まあ、そういうことらしい」


 セレファンスは肩を竦めて肯定した。それを見てイルゼは顔を引きつらせる。


「そんなの無理だよ! 僕、そんなこと、やったことも聞いたこともないんだから! それをやれっていうのには無理が」

「そんなことはありません。イルゼ様は類希な強い御力をお持ちです。ですから必ずや守護樹様の魂は、その呼びかけに応えてくれるでしょう」


 疑う余地など有り得ないとでもいうようにラヴィニアは断言する。それにイルゼはなんとも言えずに黙り込んだ。


 正直、イルゼにすればラヴィニアの言いようは無責任な期待の押しつけに思えた。だが、ここまで『救世主』としてついてきた――別にイルゼは自ら救世主と認めたわけではないが、否定もしていなかったので当然そうなるのだろう――自分が今更「僕にはなんの力もありませんので、お役に立てそうもありません」などと言えるわけがない。


 確かに自分には強い力があると思う。それは思い出したくもない出来事で分かっていることだ。しかし、それを扱えるかどうかとなると別問題だということをイルゼは失念していた部分がある。


 困惑するイルゼをかばうように、セレファンスは「でもさ」と首を傾げた。


「強い力があるとか、やったことがあるとかないとか以前に、その斎主をイルゼに務めさせようなんて少し強引じゃないか? それなら多少は力量不足でも、守護樹と深い関わりのある貴女のほうが斎主に相応しいと思うんだが」

「そうですね」


 ラヴィニアは力量不足という点に不快を感じたのか、少し不機嫌そうにだが頷く。


「もっともなご意見なのですが、お恥ずかしい話、わたくしを斎主とした儀はすでに失敗に終わっております。この村には、わたくしの他に能力を有する者はおりません。ですから、こうして外の方々である貴方様がたに、扶助を求めるしかなかったのです」


 そうしてラヴィニアは数ヶ月による占術を経てやっと、斎主と成り得る資質を持つ者――イルゼを見つけ出したのだと言った。


「ですがセレファンス様の懸念される通り、イルゼ様が守護樹様の魂に感応することは容易くないでしょう。それに守護樹様の新たな器も用意しなければなりません。ですから、まずは貴方様がたに、あるものをお持ちいただきたいのです」

「あるもの?」


 セレファンスが眉を顰める。


「はい。この森の最奥部にある村の水源地には、聖なる力によって保存されている守護樹様の枝が安置されています。それをもって媒体とすれば、ゆかりのないイルゼ様でも守護樹様との接触が可能となるはずですわ。そして儀式が成功した暁には、その枝を挿し木にすることで新たな守護樹様の誕生が望めるでしょう」


 そんなラヴィニアの答えにセレファンスは早くも疲れたような声を出した。


「となると、まずはそれを取りにいかなけりゃならないってことか……」


 自分達が巻き込まれた事件は、やはり簡単には解決しない物事のようだった。




「それにしても何故、その枝とやらまで私達が取りにいかなければならないのです?」


 森から戻ってきたあとのレシェンドは終始、納得のいかない様子で顔をしかめている。今まではセレファンスの意向を尊重して静観してきたらしい彼女だったが、こちらの都合などお構いなしに要求してくるラヴィニアを見ているうちに、溜め込んでいた不満が噴出したらしい。


 この忠義心の厚い女騎士にとっては、ラヴィニアなど自分の主君である少年を余計な厄介事に巻き込んだ諸悪の根源でしかない。少なからず村の現状に同情は抱いている様子だが、それでもセレファンスに関する事項とは比べるまでもない、といったところだろう。


「まあ、仕方ないさ。ラヴィニアは一日の大半を伏せっている村人達のために見舞って歩いているって話だし」


 セレファンスはレシェンドを宥めるようにして言う。


「それに案外、意味のあることだろう。儀式ってのは、そこまでに至る過程も大事だからな。斎主となるイルゼ自身がそれを取りに行くことで、なんらかの影響はあると思う」

「……セレファンス様が、そうおっしゃるのでしたら」


 レシェンドは少し不満ながらもセレファンスの意見に追従した。彼女の言葉通り、もしもこれがセレファンス以外の言い分であったのならば、その態度は百八十度、違うものになっていたはずだ。


 イルゼ達がラヴィニアの住まいを出た頃には、すっかりと辺りは夕闇に包まれていた。正確な刻限は分からなかったが、腹の空き具合から察するに、とうに夕食時は過ぎ去っているようだった。


 イルゼ達は装束着の娘にいざなわれて入り口先まで戻ってきた。すると梯子の下にたたずんでいる男を見つける。


「オルウッドさん」


 イルゼが名を呼ぶと、彼はこちらを見上げて会釈した。装束着の娘はオルウッドを指し示し、


「此度の寝所は、あの者に支度を言いつけております。明朝、そちらに迎えを遣わせますので、どうぞ今宵はごゆるりとお休みくださいませ――」


 そう言って緩々と深くお辞儀をする。それにイルゼ達は軽く応えてから、順番に梯子を降り始めた。


「皆さん、お疲れさまでした」


 目の前まで降り立ったイルゼ達にオルウッドはもう一度、頭を下げた。


「ラヴィニア様に今夜の皆さんの寝床をお世話するように言われております。今から我が家にご案内いたしますね」


 オルウッドはニコニコとイルゼ達に話しかけてくる。先程よりも彼の様子が気さくなのは、イルゼ達を無事、ラヴィニアに会わせられたことで安心したせいかも知れない。


「大したものは用意できませんが、家ではメリルに夕食を作らせてあります」


 オルウッドは先に立ってイルゼ達を導き始める。


「え、あんな小さな子が食事を?」


 先ほど会った幼い少女を思い出し、イルゼは驚く。そして同時に、オルウッド家の内情をなんとなく察してしまった。

 それがイルゼの表情に表れたのだろう、オルウッドは少し困ったように苦笑いを浮かべた。


「妻は一年ほど前に他界をしておりまして。今は娘のメリルが私にとって唯一の家族です」

「一年ほど前ってことは……もしかして今回のことと何か関係が?」


 セレファンスの少々不躾ともいえる質問にオルウッドは頭を振る。


「いいえ、今回の件とは無関係です。ですが妻は守護樹様を失ったことで大変な衝撃を受けましてね。元々、病弱な身の上でしたし、それによって体調を崩してしまい、見る見る間に衰弱していって……ついには帰らぬ人となってしまいました」


 そう言って微かに微笑むと、オルウッドは哀切に瞳をくゆらせた。そんな彼の様子を見て、質問をしたセレファンスはもちろんのこと、他の者もばつが悪そうに口をつぐんだ。


 少しの間、重たげな空気が彼らを包んだが、それに気がついたオルウッドは慌てて話題を転じた。


「ああ、ですが夕食の心配はありませんよ。父親の私が言うのもなんですが、あれでメリルはなかなかの料理上手なんです。そろそろ出来上がっている頃合いですし、早く戻りましょう。皆さんだって、お腹が空いていらっしゃるでしょう?」


 笑顔に戻ったオルウッドを見て、イルゼ達は「そういえば……」とばかりに顔を見合わせた。


 今日は精神的にも肉体的にも自身を酷使し続けた一日だったのだが、それに見合った食事を取っていないことに一同は気がつく。そうなると生理的な欲求である腹の音がにわかに騒々しくなってきた。


「さあ、あれが我が家ですよ」


 前を歩くオルウッドが示した先には、淡い橙色の光を灯した一軒の家が見えた。


 その暖かな色合いと微かに香る美味そうな匂いに惹かれながら、イルゼ達はメリルが待つであろうオルウッド家へと足早に向かった。




「ああ、美味かった。ごちそうさま、メリル」


 そう言って満足そうに椅子の背もたれに伸びるセレファンスに続いて、イルゼも「おいしかったよ、ごちそうさま」と言い、レシェンドも可愛らしい料理名人に丁寧な礼を述べた。するとメリルは、はにかんだような表情で微笑む。


 イルゼ達がオルウッド家の玄関をくぐると、もうすでにテーブルの上には見ているだけで涎の滴り落ちそうな食事が燦然と並べられていた。オルウッドは客人達に椅子を勧め、メリルは湯気立つ料理を手際良く器に盛りつけた。


 森地鳥のクリーム煮や山菜のサラダ、香ばしい香りの胡桃パン、出汁が良くきいた茸のスープに甘酸っぱい林檎の果実酒。それらがイルゼ達の旺盛な食欲を十分に満たすほどに用意されており、彼らは初めは遠慮がちに、だがあまりにも美味な味つけに刺激され、さほどの時間を要しないで全てをたいらげてしまったのだった。


 メリルは見事に空となった食器を片づけ始める。イルゼ達も楽しげな会話を交えながらそれを手伝った。そうして食事の後片づけが終了する頃にもなると、初めは大人しくて控えめだったメリルもすっかりイルゼ達に打ち解けて、無邪気な笑顔を浮かべるようになっていた。


「じゃあ、イルゼお兄ちゃん達は、そのリゼットっていう大きな国まで旅をしてるの?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、ずーっと馬車で?」

「いいや、途中から船に乗るんだ」


 居間にあるソファーの上で、小さな少女は両脇に座った少年二人の話を順繰りに聞く。幼く繊細な顔を上げて、外の世界の様子に目を輝かすメリルに、イルゼとセレファンスはせがまれるがままに色々な話を重ねた。


「お船かぁ……いいなあ、お兄ちゃん達。メリルね、海も見たことないの。ずーっとこの森に住んでるから」


 残念そうにメリルが下唇を突き出す。


「じゃあ今度、お父さんと一緒に行ってごらん。きっと、その大きさに吃驚するから」


 セレファンスはメリルを覗き込むようにして言う。どうやら彼は、この愛らしい少女をいたく気に入った様子だった。


「ううん、無理」


 メリルが大きく首を横に振る。


「なんで? ここからならそう遠くはないよ」

「だってメリル、ここから出られないもの」


 少女の言葉に一瞬、目を軽く見開いたセレファンスだったが、すぐに「ああ」と納得して頷く。メリルも、この村の現状を知っているのだろう。


「それなら大丈夫さ。な、イルゼ?」

「え? えっと……」


 急に話を振られ、思わずイルゼは言葉に詰まる。そんな彼に小さな少女は真っ直ぐでつぶらな瞳を向けてくる。


「……うん、そうだね、大丈夫。メリルは自由に外へ出られるようになるから」


 イルゼは多少の不安を抱えながらも、少女のあどけない瞳を柔らかく見つめる。しかしメリルは揺るぎのない声音で言った。


「ううん、駄目なの。メリル、ここから出たら生きていけないもの」


 イルゼは思わず少女の顔を見直した。『生きていけない』なんて小さな子供が口にする言葉ではなかった。まさかメリルも、どこか身体が悪いのだろうか――彼女の母親は病弱だったとオルウッドは言っていた。だが、この少女の表情は病弱な自分をあえて甘受するようなものではなく、それがまるで当然とでもいったように平然としている。


「すみません、娘のお相手をさせてしまって」


 台所にお茶を淹れに行っていたオルウッドが戻ってきた。手には人数分のカップを乗せた盆を持っている。その後ろにはオルウッドを手伝っていたレシェンドが、茶請けの菓子を盛った器を手にして立っていた。


「メリル、そろそろお二人から離れなさい。疲れていらっしゃるんだから」


 オルウッドが諭すようにメリルへと声をかけたが、彼女は小さく頭を振って少年達の袖をひっしと掴んだ。

 そんなメリルにオルウッドは軽く顔をしかめて再び口を開きかけたが、それよりも早くにレシェンドが「そうしているとまるで、リディア様が隣に座っていらしゃるかのようですね」と目を細めて微笑んだ。


「リディア?」


 初めて聞いた名前にイルゼは首を傾げる。それにセレファンスは歳の離れた妹だと教えてくれた。


「旅に出てからの二年間、ずっと会ってないんだけど、今は六歳になっているはずだから――ちょうどメリルと同じ年頃なんだよな」


 そう答えた金髪の少年はメリルの茶色い髪を優しく梳いた。その軽く微笑んだ表情には、ほんの少しの寂しさが浮かんでいる。


 どうりで、とイルゼは納得をする。セレファンスは小さな子供への対応が馴れている様子だった。きっと妹と同じ年頃のメリルが可愛くて仕方がなかったのだろう。


(あれ、でも……)


 ふとイルゼの頭に疑問が浮かんだ。確かセレファンスの母親は十年前に亡くなっているはずだ。六歳の妹では年数が合わない。

 そんな疑問をイルゼの表情から察したのだろう、セレファンスは「リディアは俺の母が亡くなったあと、父が再婚した女性との子供なんだ。腹違いの兄妹ってやつさ」と補足をする。


「ああ、そうだ、メリル。今度、この村にリディアを遊びに連れてきたら、メリルは友達になってくれるか?」


 セレファンスのニッコリとした笑みに、メリルは大きな瞳をぱちくりとさせたが、すぐに笑顔で頷く。


 そんな彼らを見つめていたオルウッドは、娘を少年達から引き離すことを諦めたようだった。


「さあさあ、冷めないうちにお茶をどうぞ。特別に調合した香茶ですから、飲んで眠れば明日にはすっかり疲れが取れているはずですよ」


 オルウッドが盆の上のカップをイルゼ達に手渡す。受け取ったカップからは白い柔らかな湯気がたゆたう。甘みのある香りが心地良く鼻腔を擽った。


 その夜、それぞれのベッドにもぐりこんだイルゼ達は、オルウッド家の優しい居心地を感じながら穏やかな深い眠りへと落ちていった。

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