第三章

第10話 囚われの森

 自分が行きたいなどと言わなければ、こんなことにはならなかったのではないだろうか――


 そう思ってイルゼは謝罪を口にしたが、セレファンスは「そんなことはないだろう。最初に行くって言い出したのは俺なんだから」とあっさり否定した。そしてレシェンドも、諦めきった表情で同意した。


「そうでしょうね。もしもあの時、イルゼが行きたくないと答えていたとしても、セレファンス様ならば宥めすかしてでも連れて行ったでしょうから」

「まあ、そういうことさ。となると、これは必然の結果ってやつだな」


 セレファンスは腕を組んでうんうんと頷く。レシェンドは、もはや何も言うまいといった様子で黙っていた。


 そんな彼らにイルゼはどんな反応をして良いのか分からない。それはオルウッドにしても同様だったようだった。


「……あの、怒っていらっしゃらないのですか?」


 恐る恐るといったオルウッドの問いに、


「怒ったからといって何か状況が変わるのか?」


 と、セレファンスは白けた調子で答えた。


「そりゃまあ、気分は良くないさ。でもそれはあんたに対してじゃなくて、どちらかというと、なんで気づかないかなあっていう自分に対してかな。それに俺達は元々、解決するつもりでここまできたんだ。事がおさまれば、この現象は解消されるんだろう?」

「ええ、恐らく……」


 オルウッドは頷く。そんな彼を見てイルゼは疑問を口にする。


「あの簡単に言えば、村の人達や僕達はこの森に閉じ込められてしまったってことなんですよね? 森の出口に行こうとしても、またここへ戻ってきてしまうんだから……。でもだったら何故、オルウッドさんは僕達を外まで迎えにこれたんですか?」

「そうだ、それは俺も聞きたかった」


 イルゼとセレファンスの視線を受けたオルウッドは「それは……」と言いながら自身の左腕を少年達の前まで持ち上げる。その手首には銀色の細い糸で編まれた腕輪がはめられていた。


「これはラヴィニア様の御髪で編まれたものです。大きな呪力が封じ込められており、これを身につければ一時的にですが森の外へと出られるようになるのです。私はこれをラヴィニア様からいただいていたので、あなた達をあそこで待つことができました」

「え、じゃあ、それさえあれば――」


 イルゼの言葉を遮るようにしてオルウッドは頭を振る。


「ですから一時的に、なんです。私が森の外に出るまでの間が、呪力の持続する精一杯の時間だろうとラヴィニア様はおっしゃっておりましたから。あとは村までの安全な道が示されるだけです」

「……となると俺達が森の外に出るためには、その『ラヴィニア様』とやらに腕輪を作ってもらうか、それとも村の問題を解決するか――二つに一つだな。まあ前者は恐らく無理だろうが」

「え、どうして?」


 あまり深く考えずにイルゼはセレファンスに問い返す。すると彼は少し呆れたようにして続けた。


「あのな、ここまでして連れてきた『救世主』をそう易々と帰してくれると思うか? それにその腕輪は特殊な呪封具の類だ。簡単に作れるものではないだろう。大体、作れるものならとっくに大量生産でもして、村人達を外に連れ出しているだろうさ」


 セレファンスの指摘にイルゼはなるほどと納得をする。


「……全くもってセレファンスさんの言う通りなんです。この腕輪では村人全員を救うことはできません。ですから私達にはどうしても救世主様のお力添えが必要なんです」


 そう言ってオルウッドはイルゼに熱い視線を向ける。イルゼは後ろめたい気分でそれを受けとめた。


 イルゼにしたら『救世主』などという自覚は少しもない。ただ自分の持つ力が少しでも役に立つのならば――と思い、ここまでついてきただけだ。

 だがオルウッドの態度から察するに、自分への期待は思った以上に大きいようだった。村に着いたら、どんな無理難題が吹っかけられるのか――今更ながらに心配になってきた。


(大体、救世主っていうのなら、僕よりもセレのほうがぴったりだと思うんだけどなぁ)


 イルゼは一行のあとをついて歩きながら、誰にも聞こえないようにひっそりと溜め息をついた。


 セレファンスとはまだ少しの付き合いだが、これまでだけでも彼に対して感嘆する事柄はいくつもあった。

 まずはその知識の豊富さ。フィルファラード大陸のことのみならず、大陸外についての知識までも有していた。それらをセレファンスは聞いていて嫌味のない軽快な語り口で披露し、そのおかげでイルゼは静養中の寝台の上で退屈をせずに済んだのだ。


 もう一つは剣術の腕前。これもトゥエアの宿屋においての出来事だが、暇潰しと身体の訛りを解消するために、中庭でレシェンドと軽く仕合っていたセレファンスに、同じ宿の客であろう戦士風の男が何やら嫌らしい笑みを浮かべて言葉をかけていた。その光景をイルゼは部屋の窓から眺めていたので、男が放った言葉の内容までは聞き取れなかったが、セレファンスの微かに動いた表情からして、決して上品な類ではなかったことが窺えた。

 イルゼはセレファンスが男に食ってかかるのではないかとハラハラしたが、その心配は無用だった。むしろ目を釣り上げたレジェンドを宥めつつ、その野次を金髪の少年は微かに肩を竦めただけで聞き流した。しかし、それが逆に男の神経を逆撫でしたようで、今度はイルゼにまで聞こえるほどの大声で下世話な言葉をまくしたて始めたのだ。

 イルゼはもちろん、そんな対称的な二人を遠巻きに見ていた他の宿泊客も、あまりの男の見苦しさに顔を顰めたほどだったが、貶されている当の本人はやはり少しも取りあう素振りを見せなかった。が、それはセレファンス自身の中傷に限られていた時までで、男の悪意がレシェンドに及ぶと金髪の少年の表情が豹変した。


「そこまで言うなら、ご希望通り、あんたと仕合ってやろうじゃないか」


 レシェンドの制止も聞かずにセレファンスが剣の切っ先を男に向けると、彼のほうも自信に満ちた態度で威勢良く腰の剣を抜き放った――が、それは一瞬にして決着がつく。相手となる少年を侮るようにして打ち込まれた剣筋をセレファンスは構えた刀身で滑らかに受け流し、よろめいた男の足元に素早く蹴りを入れて、その身体を地へと鮮やかに落としたのだった。


「さて、どうするんだ? これ以上、醜態を晒したいのか?」


 その首元に剣先を突きつけ、冷ややかな視線で見下ろしたセレファンスに、男は小さく何事かを吐き捨てると一目散に退散していった。直接、剣を交えた相手の技量が分からないほどには未熟ではなかったらしい。


 あとから聞いた話だが、その男は宿屋の廊下でレシェンドに声をかけて素気なくされた者だったという。セレファンスへの態度は、やっかみと腹いせからくるものだったのだろう。


 今はイルゼも帯剣をしている。セオリムの村では一度も手にする機会などなかった代物だ。もちろん上手く扱えるわけもないが、護身用にとセレファンスから手渡されたものだった。


 こうして考えると、オルウッドに協力をしたいなどと言った自分が恥ずかしく思えてきた。一体、自分に何ができるというのだろうか? 今は自分のことさえままならない状態なのに。


「ああ、村が見えてきましたよ。ほら!」


 憂鬱な気分で歩いていたイルゼの耳に、嬉しそうなオルウッドの声が届いた。ふと目を上げると、霧で包まれた行く手に丸太で組まれた家々が見えてきた。


 小さくて密やかな村だった。周囲の木々に隠れるようにして、質素だが丁寧な造りの家が思い思いに建てられている。


「随分と人がいないんだな」


 セレファンスは霧にけぶる村内を見渡し、その様子に感化されたような声で呟いた。するとオルウッドは力なく項垂れる。


「今では皆、昼間でもなかなか外には出てきません。自分達に降りかかるかも知れない恐ろしい厄災に震えて過ごす日々なのです」

「恐ろしい、厄災――」

「はい」


 イルゼの独白のような反芻に、オルウッドは沈んだ顔つきで頷いた。


「とにかく、まずはラヴィニア様に会ってください。そこで全てのお話が――」


 と、ここでオルウッドの表情が驚愕のものへと変わる。その視線はイルゼ達の横を素通りして少し離れた場所に向けられていた。


「お父さん!」


 幼い子供の甲高い声が上がった。イルゼ達が背後を振り向くと、少し離れた場所に幼い少女が立っていた。


「お前……なぜ、ここにっ?」

「お父さん、お帰りなさい!」


 少女はオルウッドの驚きなど全く聞こえていないかのように勢い良く駆け寄ってくる。その頬は嬉しさのためか、ほんのりと上気して見えた――が。


「なぜ、外に出ているんだ! あれほど家の中にいなさいと言っておいたのに!」


 オルウッドの厳しい口調に、少女は瞬く間に頬を硬直させた。


「……あ……だ、だって……お父さんが帰ってきたのが見えたんだもの――だから」


 少女は怯んだ声音で言い、それから「ごめんなさい」と呟いて表情を萎ませる。


「お父さん、ってことはオルウッドさんの娘さん?」


 イルゼは茶色い髪をした少女を見下ろす。その髪は背までの長さがあり、小さな頭上の左右には赤くて細いリボンが可愛らしく結わえられていた。


「ええ、そうなんですが……全く困った子です。外に出てはいけないと、あれほど……」


 更に言い募ろうとするオルウッドに、少女は泣き出しそうな表情を見せる。


「きっと、お父さんが心配だったんだよな」


 セレファンスは少女を庇うようにして言葉を挟むと、すとんと彼女の前にしゃがみ込んだ。


「いくつだい?」


 セレファンスの柔和な問いかけに、少女は微かに口を開きかけた。が、すぐに閉じる。そして、おずおずとオルウッドの背後に下がっていく。


「ええと、七歳になるんです」


 代わりにオルウッドが答えた。


「ふーん、そっか、七歳か。じゃあ名前は?」

「…………」

「さあ、名前は言えるな?」


 オルウッドが促すと少女はコクンと一つ頷き、消え入りそうな声で「メリル」とだけ答えた。


「メリルか。可愛い名前だな」


 ニッコリとセレファンスが笑いかけると少女――メリルは驚いたように頬を上気させ、完全にオルウッドの後ろへと隠れてしまった。


「……すみません、あまり外部の方には馴れていないんです。見ての通り、閉鎖されたような村で暮らしていますから」


 それも今では本当に閉鎖されていますけどね、とオルウッドは力なく笑った。


「メリル、家に戻っていなさい。お父さん達はラヴィニア様のところで大切なお話があるからね」


 オルウッドは自分の傍らにしがみつく娘へと声をかける。


「……ラヴィニア様と? じゃあ、このお兄ちゃん達が救世主様なの?」


 オルウッドの背後から顔を出し、メリルはイルゼ達の顔を順繰りに見た。


「ああ、そうだよ。やっと村に救世主様をおつれすることができたんだ。さあ、もういいから家に戻りなさい」


 再度、オルウッドが命じると、メリルは少し名残惜しそうな表情を見せつつも、しぶしぶとイルゼ達から離れていく。

 少女は何度かこちら側を振り返っていたが、ついには霧の彼方に消え去っていった。


「足どめをさせてしまい、失礼しました。ラヴィニア様のお住まいはこちらになります。行きましょう」


 オルウッドは先頭に立って湿った空間を歩き始める。先程よりも霧が濃く深くなってきているようだった。




 オルウッドに連れられてきた先は、村の一番奥にある高床式の建物だった。個人の住居というよりも、集会場を兼ねた場所らしい。入り口に繋がる梯子の前で「ここからは皆様がたのみでどうぞ」とオルウッドが言った。


 オルウッドを外に残し、イルゼ達は三人で入り口をくぐる。すると、まるで待ち構えていた様子で、そこに立っていた一人の娘がこちらに頭を下げた。


「ようこそおいでくださいました。ラヴィニア様がお待ちです」


 歓迎の言葉とは裏腹に、少しの感慨もない声音で娘はイルゼ達を建物の奥へと導く。

 イルゼは一瞬、彼女が『ラヴィニア』かと思ったのだが、どうやら違ったようだった。娘はイルゼの見たことがない変わった服装を身につけていた。色鮮やかな紅い衣の上に、薄い光沢を放つ白装束をまとっている。もしかしたら、この村独自の信仰に基づく僧衣なのかも知れない。


 奥へと通された一室には、数人の女性達がイルゼ達を待っていた。分厚い霧のせいで十分な陽光を室内に取りこめないためか、昼間であっても灯台には仄かな明かりが灯されている。

 イルゼ達は案内を務めた娘にいざなわれ、床に敷かれた厚布の上に座る。


「お待ちしておりました、救世主様。わたくしの名はラヴィニアと申します」


 頬に朱色の照り返しを受けながら、上座の中央に座っていた女性が静かに口を開いた。ラヴィニアと名乗った女性は、両脇に先程の娘と同じ身なりの女性を控えさせており、自らも似たような装いをしていた。


 ラヴィニアは、銀色の切れ長な瞳と、それと同じ色合いの輝く髪を持った美しい娘だった。年の頃は二十を少し過ぎたようにも見えたが、整った容貌にはあどけなさのようなものも窺えたので、実際には二十歳にもなっていないのかも知れない。ただ彼女からは柔らかさというものが完全に欠落していた。雰囲気も口調も張りつめた糸のように保たれており、それによって時には甘く見られる若さというものを殆ど消し去っているかのようだった。


「できれば、このような強制的な方法を取りたくはありませんでした。ですが、わたくし達にはもはや一刻の猶予もなく、できるだけ早く救世主様においでいただきたかったのです」


 ラヴィニアはセレファンスが開口一番に臆することなく口にした文句――やり方が強引過ぎやしないか、といった苦言に――淡々とした口調で答えた。


「時間がないとはどういうことですか?」


 イルゼの問いにラヴィニアは瞳を逸らすようにして伏せる。


「村人が次々と謎の病に伏せていっているのです」

「謎の病?」


 セレファンスが珍しく険しい顔つきを見せた。


「はい。ですがご心配なく。伝染病の類ではありません。わたくしの見立てでは恐らく長く日光にあたらず、常に湿った空気に身を置いているために起こった変調と思われます。もちろん精神的なものもありましょうが――なんにしてもこのままでは、村人達は弱っていくばかりです」


 ラヴィニアの説明にセレファンスは肩の力を抜く。


「……こんなことになったのはいつ頃からなんだ? 思い当たる原因は?」

「森が霧に包まれるようになってから、かれこれ一年になります。そして、その厄災の原因は恐らく――わたくし達の村の守護樹様が失われたからだと思いますわ」


 そう言ってラヴィニアは、はっきりとした悲しみに表情を歪ませる。この時、イルゼは初めて彼女にも感情はあるのだと認識できた。


「守護樹ねえ? でも『恐らく』ってことは確かじゃないんだろう?」


 どうやらセレファンスは厄災の原因が別のところにあるのではないかと感じているようだった。無理もない。いくら守護樹とはいえ、木が一本失われただけで、このような異常事態を引き起こしたとは考えにくい。


「おっしゃりたいことは理解できます。ですが、わたくしは守護樹様が失われた日、守護樹様の悲鳴と恨みの言葉を夢見で受け取ったのです」

「夢見……そういえば貴女は占術の姫巫女という話だったな」

「ええ、その通りです」


 セレファンスの言葉にラヴィニアは頷いた。


「今から守護樹様の跡地へとご案内いたしましょう。その様相を見れば貴方様がたにも、きっとご理解をいただけると思いますから」


 スッと揺るぎなくラヴィニアは立ち上がると、両脇に控えていた女性達が背後に立ててあった二つの几帳を左右に退ける。すると、その後ろから両開きの扉が現れた。


「この扉の奥になります。どうぞ、こちらへ――」


 開かれた扉の先には、霧に白くかすむ木々が見えた。冷たく湿った空気が室内に流れ込み、蝋燭の灯火を揺らす。


 イルゼ達は求められるままに、ラヴィニアのあとについてその先へと足を踏み入れた。

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