第8話 外への旅立ち
イルゼが紙に描いた『それ』を見ると、セレファンスは眉を顰めておもむろに口を開いた。
「これ、本当に奴らの持っていた剣の柄に?」
「うん、間違いないよ。あの時、教会堂でしっかりと見て覚え込んだんだから」
「……ふぅん」
セレファンスは再度『それ』に青い目を落とすと、特に感慨はなさそうに軽く鼻を鳴らした。
この宿屋でイルゼが目覚めてから三日が経っていた。そして彼は今、部屋に備えつけられていたテーブルに向かい、セレファンスと相対して座っている。その傍らには黒髪の美女――レシェンドも控えている。
この三日間、いや、眠り続けた日数も足すと約一週間、セレファンス達は随分とイルゼに良くしてくれた。十分に休養のできる場所と栄養のある食事、医者の手配――。見ず知らずの者に対しては手厚い対応だった。
イルゼは彼らに向き直ると、まずは改めて今までの世話に対する礼を述べ、おずおずと自分が今、それらの恩に代わる手持ちがないことを伝えた。
するとセレファンスは、そんなことなど考えてもいなかったかのように目を丸くし、
「お前を助けたのは俺が助けたかったからで、そんなものはいらない」
と、きっぱり断わってきた。イルゼは少し気が引けたが、実際、支払えるようなものは何一つ持たなかったので、その好意に甘えることにした。
「――ま、常套手段ってところかな」
セレファンスは手に持っていた紙を背後に控えていたレシェンドに手渡す。それを受けとって眺めたレシェンドも頷いた。
「え? 何が?」
イルゼだけが理解を共有できずに疑問の声を発する。
「いいや、こっちの話。で、イルゼは、これを知ってどうするつもりなんだ?」
「……どうするつもりって、別に……」
セレファンスの問いにイルゼは口ごもる。
ただイルゼは知りたいと思っただけだ。フィーナ達が何故、殺される羽目になったのか。あの村が滅ぼされた意味はなんだったのか。単なる盗賊行為の果てなのか、それとも他に理由があったのか――。それを知ったあとのことを問われてもイルゼの中に明確な答えはなかった。
「……でも、それを知りたいと思うのは、当然のことなんじゃないのかな……」
目的の所在が分からないままに、イルゼはどこか独白のように呟く。それにセレファンスは一瞬、何かを言いたそうに眉根を寄せたが、すぐに「まあ、それもそうだな」と理解を示した。
「それに君達にも聞きたいことがあるんだ。何故、僕を助けてくれたのか、どうしてセオリムの村にいたのか――」
「ああ、それは確かに疑われても仕方がない状況ではあったな。俺達が奴らの仲間なんじゃないかって」
「そんなこと」
イルゼは傷ついたかのような心地を覚え、同時に後ろめたさも感じた。
実はこの二日間、そんな疑いを全く持たなかったと言えば嘘になる。だが、この金髪の少年が、あの手の輩と同類には見えなかったし、イルゼもそうであって欲しくないと思っていた。しかし、このセレファンスという少年は、あまりにも不可解なことを知り過ぎていた。
たとえばフィーナの名前、教会堂での出来事、フィーナを埋葬するために選んだ丘のこと――。イルゼとフィーナしか知り得ないようなことまで彼は知っていた。
何よりもイルゼは自らセレファンスに名前を名乗ったことなど、今までに一度もなかったのだ。
「だって君は、フィーナや僕の名前を」
「待った!」
いきなり話を遮られて、イルゼは怪訝そうにセレファンスを見た。
「取りあえず順を追って話そう。それらの疑問にもきちんと答えるよ。初めからそのつもりで、ここにきてもらったんだから」
セレファンスは真摯な双眸をイルゼに向ける。
(……別に、はぐらかそうと考えているわけではないみたいだ)
そう考え、イルゼはセレファンスの意向を了承した。
「じゃあ、まずはこれだ」
ポンとセレファンスはレシェンドから戻された紙をテーブルの中央に置く。それにはフィーナを襲った男達の剣に刻印されていた紋章――教会堂で見た『どこかの国の国章』が描かれていた。イルゼが思い起こしながら描いたものだ。
「それはリゼット皇国のだよ」
セレファンスは軽く放るようにして答えた。
「……リゼット? 西方にある海の国って言われる大きな国の?」
「そう、四大皇国が一つ西皇国リゼット。それは、そこの国の国章さ」
(……そうか、どうりで……)
イルゼにも見覚えがあるはずだった。
西皇国リゼットといえば、世界でも有数の貿易国家であり、ここフィルファラード大陸では、ありとあらゆる物流を支配するとまで言われている国だ。その中心である西皇都リゼンブルグは、西方に広がる海路を股にかけ、世界各地と繋がる商業都市として発展し続けている。特に現皇王の治世になってからは、それが目覚しいと聞く。
そんな豊かで大きな国が、中立を保つ他国を一方的に侵犯するなんて。しかも何故、あんな辺境の村を――?
「リゼット――その国が……フィーナ達を」
「まさか、そんな馬鹿げたことがあるわけがありません」
イルゼの暗い呟きをレシェンドが少々きつい声音で遮った。
「失礼ながら、あの小さな農村に国境奥深くにまで入りこんで襲撃をする利益は全くありません。何より今代のリゼット皇王は、歴代の皇王の中でも取り分け和平に尽力をされている方。それほどの御方が、そんな愚かしい意味のない真似をなさるわけがありません」
冷たい言い方もさることながら、言葉の端々から世間知らずとも言われているようで、イルゼは心を萎めて項垂れた。
そんな様子をセレファンスは苦笑いで見やりながら、
「でもさ、レシィ。そんなことを並べ立ててもイルゼにとっちゃあ、なんの意味もないんじゃないのか? だって奴らがリゼットの国章入りの剣を持っていたことは事実なんだから」
そうだろう? とばかりにセレファンスはイルゼを見た。
「だったらさ、そこに一緒に行ってみないか?」
「え?」
「リゼットにだよ、俺達と一緒にさ。実は俺達も、あそこから船に乗る予定なんだ」
「――え、で、でも……」
イルゼは言葉に詰まり、口ごもる。いきなり一緒に行こうと言われて即答できるはずもなかった。
「一見は百聞にしかずだ。その目でリゼットを見てみればいい。それに知りたいんだろう? 村が襲われた理由を。だったら今ある手がかりで動くしかないんじゃないのか? それとも他に何か当てでも?」
「…………」
あるわけがない。この二日間、それを考えても行く先など思いつかなかった。
「どうやらないみたいだな。じゃあ決まりだ。いいだろう、レシィ?」
セレファンスはイルゼの答えを待たずに、もはや決定事項として背後に控えるレシェンドを見やる。レシェンドは「セレファンス様のご随意に」と追従の意を示す。
イルゼは暫しその強引さに呆れ返ったが、ありがたい申し出ではあると思った。イルゼには旅の経験などなく、それどころか村から一歩も出たことがなかったのだから。
セレファンス達に全てを甘えるつもりはなかったが、彼らと行動をともにすることによって、これから必要になるであろう知恵や技術が身につけられるかも知れないとも考えた。
様々な思いを一巡りさせてから、イルゼはセレファンスの提案に同意した。すると金髪の少年は悪戯っぽく微笑み、
「ただし旅の基本は野宿だ。今回は特別だったんだからな。食事にしたって、いつもは保存食とか味気のないものばかりだし」
イルゼは頷く。それは百も承知だし、そんなことで弱音を吐ける状況でも立場でもない。
「じゃあ、そっちのほうは話がついたってことで。改めてよろしくな、イルゼ」
セレファンスは気軽に手を差し伸べてくる。イルゼは奇妙で唐突ともいえる縁に少し複雑な心境を抱きながらも、その手を遠慮がちに握り返した。
「こちらこそ、よろしく……セレファンスさん」
「セレファンス。セレでいいよ」
金髪の少年はイルゼの胸中を知ってか知らずか常に無邪気な笑顔を向けてくる。それにイルゼも応えて、ぎこちなく微笑んだ。
「じゃあ……よろしく、セレ。あの、レシェンドさんもよろしくお願いします。迷惑をかけることになるとは思いますけど……」
「私はセレファンス様の御意向に従ったまでです。お気になさらず」
レシェンドは少しも表情を変えることなく抑揚のない声で言った。それが嫌に冷たく聞こえ、イルゼは内心、肩を竦める。
どうやらこのレシェンドという女性は、自分が彼女達に同行することを快く思ってはいないようだった。
「じゃあ次に、イルゼの疑問を解消しようか」
セレファンスは改めてイルゼを見る。
「まずは何故、俺達がセオリムの村に行ったのかというとだな――フィーナに頼まれたからだ」
「……え?」
あまりにも思いのよらない答えにイルゼは眉根を寄せて問い返す。
「フィーナに頼まれたんだよ。お前を助けてくれって」
そう繰り返すセレファンスをイルゼはまじまじと見つめた。それは簡潔で分かりやすい答えだった。しかしイルゼにとっては全く有り得ない回答でもあった。
……冗談にしては、あまりにも酷い出来ではないか――?
「それ、本気で言ってるの?」
「本気も何も本当のことだ」
「それを僕に信じろと?」
「信じてもらえなきゃあ、お前の中では疑惑のままだろうな。でも俺は、嘘は言ってない」
セレファンスの口調には少しの揺らぎもなかった。しかも疑われること自体、想定済みとでも言わんばかりであっけらかんとしている。
イルゼは沸々とした怒りを感じながら語調をきつくする。
「……そんなの、信じられるわけがないじゃないか! 大体、その時、もうすでにフィーナはっ」
「確かに俺が出会った時のフィーナは、もうこの世界の住人じゃあなかった」
イルゼは眉を顰め、その意味を探るようにしてセレファンスを見つめる。
「その時のフィーナは夜空に透けた姿をしていたんだ。まあ、ようするに精神体のみの姿――分かりやすく言うと魂ってやつだったんだ。彼女は俺に必死な表情でイルゼを助けてくれって頼んできたんだ」
「――そんなの……」
嘘だと思いながらも、イルゼの脳裏には自分のことを案じてくれる少女の姿が思い浮かんだ。そういえば、この金髪の少年は、そういう存在が見えると言っていた。
「お前だって聞いたんじゃないのか? あの光の中でフィーナの声を」
「…………」
確かに聞こえた。イルゼに戻ってきてくれと懇願する少女の声が。だが今となっては、あの声は自分の願望が生んだ幻聴だったのだろうと思っていた。しかしそれでもフィーナの存在が自分を救ってくれたことには違いないのだと。
「……じゃあ、あれは本当にフィーナの声だった……?」
自問のようなイルゼの呟きにセレファンスは頷いた。
「そうだろうな、俺にも聞こえたから。あの時、別に覗くつもりはなかったんだけどさ、俺もああいう現象は初めてだったし、良くは分からないが――たぶん、フィーナを介してお前の記憶が少し、こっちに入ってきちゃったんだ。だからお前達のことも分かったし、あの丘や教会堂のことも知り得たというか……」
「――覗く? 僕達のことも、記憶って」
訝しんだイルゼの声音に、セレファンスは慌てて弁解する。
「あ、でも全部が全部ってわけじゃないからな。一瞬の出来事だったし、断片的なものだけだ。……まあ、教会堂でのことや、丘でのお前達の様子が少し、見えたくらいのもので……」
セレファンスが気まずそうに口ごもる。そんな彼の様子からして、イルゼは色々と思い当たる節を思い出して一気に頬を赤らめた。
「とにかく、そういうことだったんだ、わざとじゃないんだ、悪かった!」
セレファンスは勢い良く頭を下げる。
そんな少年の金髪を目におさめながら、イルゼは羞恥心を吐き出すようにして大きく溜め息をついた。
今ではセレファンスの言葉を疑う気にはなれなかった。いや、恐らく彼の言っていることは本当なのだろう――イルゼにはそう思えた。
「……もう、いいよ。そのおかげで僕は助けられたんだし」
イルゼの呟きにセレファンスはゆっくりと窺うようにして顔を上げる。
「……信じてくれるのか?」
「信じるも何も、本当のことなんだろう?」
イルゼが言うと、セレファンスは本当に嬉しそうな表情を見せた。普通では有りえない不可思議な力のみが証拠の真実。それをイルゼに信じてもらえたことがそんなに嬉しかったのだろうか。もしかしたらこの少年も、その特異な能力のために辛い思いをすることがあったのかも知れない。
「君の力は、その……死んだ人を見たりすることができるものなの?」
「いいや、普段は見ないほうかな。よほど波長が合うとか、何か特殊性を感じたり、見ようと努力をするとか――時と場合による。フィーナの時は恐らく向こうが俺の持つ能力に気づいて波長を合わせてきたんだろうけど」
「フィーナは――もう見えない?」
「……お前を助けたあと、もういなくなってた。本来、そういう人達は、この世にとどまるべき存在じゃないしな」
「そっか……」
イルゼは気が抜けたようにして呟く。
分かってはいた。なんとなく、フィーナがもう手の届かないところへ遠ざかって行くのを感じていたから。
「それとさ、他にも話しておきたいことがあるんだ」
セレファンスはイルゼに向き直る。
「お前が持つ不思議な力は〈マナ〉と呼ばれるものなんだが――それは知っていたか?」
セレファンスの言葉にイルゼは首を横に振る。
「ううん、知らない……。〈マナ〉なんていう言葉自体、初めて聞いたよ。……そうだ、僕は君に聞きたいことがたくさんあったんだ。ねえ、君はなんで力のことを知ってるの? 何故、この力に詳しいの? 僕は、この力についても自分の出生についても何一つ知らないんだ。唯一、事情を知っていたはずの義父は何も言わずに亡くなったから」
それがこんなにもやるせなく思う日がこようとは思ってもみなかった。全てを失ってみてから、自分自身のことを何も知らない恐怖を感じた。
「僕は今まで自分のことなのに何も知らずに生きてきた。でも、それでもいいやって思ってたんだ。優しい義父に育てられて、温かい人達に囲まれて、フィーナが傍にいて、それがとても幸せで……! それだけで十分だと思ってた! そりゃ、少しは本当のことを知りたいって思ったことはあったけど、これ以上、望むことなんてない、本当の親なんて無理に知る必要はないって! でもっ……今になって僕は全部を失って……! もう、本当に何も残ってないんだ!!」
イルゼはむせぶように焦燥を吐露する。
今までイルゼが『セオリムの村に住む平凡な少年』であることができた要素は全て失われてしまった。残っているものは、普通ではない能力を持つ自分、本当の父母を知らぬ自分、全てが不明確であやふやな自分――
「ねえ、もしかして君は僕の本当の父や母のことを知っているの? もしも知っているのなら」
「……悪い。俺がお前に教えられるのは、お前の扱える力が〈マナ〉って呼ばれているものってことだけなんだ」
「あ……」
イルゼは理不尽な懇願に気づき、途端、きまりが悪くなって項垂れた。
「……そ、そっか、そうだよね、君が僕の本当の父や母のことを知っているわけがない……。ごめん、なんか混乱しちゃって……」
「……いや……」
セレファンスは気にするなといったように頭を振る。
「あの、それじゃあ……君が力に詳しい理由は……」
「ああ、それは――うん、見せたほうが早いかな」
「え?」
(見せる?)
イルゼが怪訝に眉を顰めると、セレファンスは先程の国章が描かれた紙を手渡してきた。
「これを手の平に置いて、そのまま動かないでいてくれるか?」
「うん……?」
イルゼは意図が掴めぬままに頷き、取りあえず言われた通りに手の平を上に向け、そこに紙をのせる。
「こう?」
「そう。そのまま動かないでくれな」
そこでセレファンスは、まるで祈りを捧げるかのように双眸を伏せる。
(……何をするつもりなんだろう?)
そこからほど数呼吸分ほどの時間が経った。今のところ、目を瞑り続けているセレファンスにも、イルゼの手の内にある紙にも変化は見られない。だがイルゼは、何が起こるのか分からない一秒一秒に対する不安と期待に少しばかり緊張をしていた。手に乗せている紙が微かに震える。そうして更に時間が経過する。
(まだ、かな……)
とうとうイルゼは、黙っていなければならないという緊張のためか、思わず少しだけ体勢を動かしてしまった。すると手の平に乗せていた紙がフワリと逃れ落ちる。
(あ、しまった……!)
慌てて舞い落ちる紙へとイルゼは手を伸ばした――が、それを再び取り戻すことは叶わなかった。拾おうとした紙は瞬く間に天井近くまで舞い上がり、続いてイルゼの頬や髪を緩やかな風が撫でつけたのだ。
異変に気づき、イルゼは周囲を見渡す。するとそこには不可思議な状況が生まれていた。
窓を覆うレースのカーテンが不自然にはためき、飾られた調度品がカタカタと細かく揺れている。部屋中の空気が渦を巻くように流れ、まるでそこに緩やかなつむじ風が発生したかのようになっていた。
(まさか、これは――セレがっ?)
イルゼは信じられない思いでセレファンスを見る。だが彼は何事も感じていないかのように目を閉じたままだ。その金髪が風に弄ばれ、軽く揺らめいていた。
こんなの信じられない――これではまるで、自分の持つ能力と同じではないか!
イルゼは見えない風を目で追うようにして再び部屋中を見渡した。
と、暖炉の上に飾られていた絵皿が落ちた。顔をしかめたくなるような甲高い音をたてて床に砕け散る。続いて棚にあった花瓶やら水差しやらが次々と床に叩きつけられる。
「え……ちょ、ちょっと……」
(これ以上やると、まずいんじゃあ……っ?)
イルゼはセレファンスを振り返った。しかし金髪の少年は目を閉じたままだ。ますます風が強くなってくる。だんだんと息をつぐのさえも辛くなってきた。
「わっ……うわあっ!」
イルゼは目前まで飛んできた分厚い本を必死に身をかがめて避ける。
今では部屋中が嵐のようになっていた。全ての調度品は倒れるか床に落ち、レースのカーテンは千切れんばかりに旗めいている。これ以上、風が強まれば、部屋自体を破壊しかねない勢いだ。
「セ、セレ! や、やめっ……うぷっ」
あまりの強風にイルゼは声を詰まらせる。
「セレファンス様!」
レシェンドも風圧に顔を背けながらも懸命に叫ぶ。
それでもセレファンスは一向に目を開こうとしない。まるでイルゼ達の声も周囲の騒音も何一つ耳に入っていない様子だった。
「セレファンス様!!」
再び上がった鋭いレシェンドの声。それは甲高く悲鳴に近かった。そこでやっとセレファンスが双眸を見開く。途端、周囲から風が消え、宙に飛んでいた品々が再び重力の支配を受けて床へと落下した。
「あ? レシィっ? 何かあったのか……って、あ、あれ?」
静まりかえった部屋の中、セレファンスが間の抜けた声を出す。今まで何が起こっていたのかをまるで理解していない顔。
レシェンドが口元に手を添え、大きく息をついた。イルゼは唖然としてセレファンスを見る。そして次には部屋の扉が外側から乱暴に開け放たれる。
「おいおい、一体何事だあっ?」
「この部屋から凄い音がしたんだが! って、おうわっ? ……なんだ、こりゃあ、酷いな! 一体、何があったんだ!?」
大きな物音を聞きつけたのであろう人々が、野次馬根性よろしく散乱した室内を覗き込んできた。
それにイルゼは固まり、セレファンスはポカンとするばかりだ。ただレシェンド一人だけが、その場を慌てて取り繕おうとする。
しかし何を言ったところで、この見事な惨状を納得させられる理由などあるはずがない。かといって真実を言うわけにもいかず、言ったところで信用もされないだろう。
こうしてこの日、この部屋で起こった出来事は、謎の怪奇現象として暫くの間は宿屋を訪れる客の娯楽話となって花を開かせることになったのだった。
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