第2話 波紋

 村の集会場を兼ねた村長宅は、二日後に迫った婚礼の準備で大いに活気づいていた。女達は宴に出される料理の下ごしらえをし、子供達は歓声を上げながら手作りの装飾品を持って部屋を行ったりきたりする。

 そこにいる誰もが若い二人の門出を盛大に祝ってやりたいと考え、ここ連日、村の者達は総出で農作業を終えてからも忙しく動き回っていた。


 だが、それらの準備の大半は女達が主導していたため、多くの男達は必然と仕事にあぶれる。かといって大人しく家に帰る気もない彼らは、支度に追われる女達を尻目にし、壁際で控え目に酒盛りを始めるのだった。

 どこからか調達してきた酒瓶を片手に、男達は思い思いに歓談の輪をもうける。その中でも年嵩の男達が寄り合う輪では、婚礼を控えた若い両人のことで盛り上がっていた。


「それにしてもイルゼがこの村にきてから六年か。あの小さかった坊主がもはや結婚とは。時の流れは早いものだな」


 その中の一人が杯を傾けながらしみじみと呟く。それに周囲の者達も同意して頷いた。


「ああ、それに相手はフィーナだ。若い奴らは、さぞかし歯がみをして悔しがっていることだろうよ」

「フィーナは気立ての良い娘だからな」

「ボリスんとこの倅なんぞ、あの娘に袖にされたって話だ」

「はっはっ、そりゃあいい! 若い頃の人生経験は豊富でなくっちゃあな」


 男達のあいだにさざ波のような笑い声が広がる。

 彼らにとれば村の年若い者達は自分の子供と同じような存在だった。そんな『子供達』の恋愛事情は、村の壮年達にとって良い酒のつまみだ。


「しかしイルゼも、やっと自分の家族が持てるということだな。養父のダグラスが死んでから、あいつは一人で良く頑張ってきた」

「ああ、そうだな。本当ならある程度の年齢までは村長の家で預かるはずだったんだが……それをイルゼの奴はことわっちまった」

「十にもならない子供が一人で村はずれの空き家で暮らし始めて。全く、ああいう頑固なところは外見に反して育ての親にそっくりだな」


 ここにいる男達は皆、ダグラスの若い頃を知っていた。彼もまた、幼い頃に両親を病で亡くし、天涯孤独の身だった。

 ダグラスは都会での出世を夢見て十九の時にセオリムを出ていった。その後、東方の都で皇城に仕官したと村人達は風の噂で聞いていたが、ある日、彼はひょっこりと村に戻ってきた。


「あいつは戻ってきたと思ったら、村には住まずに森の中で生活を始めて。奴の性格上、止めても無駄かと思ったから誰も止めはしなかったが……まさかイルゼみたいな拾い子を育てているとは夢にも思わなかったよ」

「ああ、全くだ。あいつは悪い奴じゃなかったが、どこか他人を寄せつけない性格だったし……。しかしイルゼは奴に似ず、気さくで素直で働き者だ。まあ、歳のわりに少し融通のきかないところがあるがね」

「あれは真面目過ぎるのさ。それにはフィーナも苦労することだろうよ。そうそう融通がきかないといえば、あの子が村にきてすぐの時、妙なことを言ってたっけな。覚えているか?」

「ああ、そういえば」


 男の一人が顎に手をやり、思い出したかのように呟く。


「自分が村にいたら駄目だとか、みんなに迷惑をかけるだとか。だから自分は旅に出るんだってな」

「そうそう、そうだった。あれには皆、驚いたものさ。小さな子供が何を言ってるんだって村長などは怒っていたからな。それでも目を離すと村から出て行こうとするし、説得にも時間がかかった。しかし、あんな小さかった子供が何を考えてそんなことを言ったんだか……」

「いや、なんでもダグラスの遺言から思い込んだものらしい。もしかしたら奴は養い子に、この村にとどまっての人生よりも、自分と同じように外の世界へと飛び出して欲しかったのかも知れんなぁ……」


 その言葉に一同はなんとはなしに頷いた。

 それは彼の若い頃を知っている者ならば誰にでも納得のできそうな答えだった。ダグラスという男は、村の穏やかな雰囲気には決して溶け込むことのできない人間だった。いつも外の世界にばかり目を向けて、村の安穏とした生活を持てあましていた。しかし、だからといって村やそこに住む人々を嫌っていたわけではなく、むしろそこに馴染めない自分自身に違和感を持ち、歯痒く思っていたようだった。


「だがイルゼは奴と違って自分の意思でこの村にとどまった。大体、気のいいあの子に都会の暮らしなんぞ向くものか」

「ああ、その通りだ。それにイルゼ自身も、その遺言とやらをすっかり忘れているようじゃないか。今更、俺達がへたらしいことを言って嫁さんともども村を出ていったらどうするんだ」

「あっはっはっ、もっともだな。村にとっては若者の流出は避けたいものだし」

「だが、俺だって、まだまだ若い奴らには負けないぞ」

「そりゃ、気分だけだ。お前、つい最近、腰痛が治らないって嘆いてたじゃないか」

「そういうお前だって――」


 と、ここで男達の会話が途切れる。彼らの視線は、いつのまにか少し離れた位置に立っていた見慣れない男に注がれていた。


「……あんた、誰だ? いつのまに入ってきた?」


 村の男の警戒するような問いかけに、見知らぬ男は少し困ったような表情で首を傾げた。


「ああ、申し訳ない。お話の邪魔をしてしまったようで。あちらのご婦人がたに、話ならあなた達にと言われたもので」


 そう言って彼は穏やかな笑みを浮かべる。そのあまりにも自分とは異なる柔和な反応に、村の男は鼻白んだ顔つきになった。


「見たところ旅人だろう、あんた?」


 別の村人が興味津々と男の身なりを頭のてっぺんから足のつま先までを見る。旅人と言われた男は少し埃っぽいが見苦しくない旅装束で身を包み、腰には一振りの剣を携えていた。その柄は薄く汚れて磨り減り、形だけの護身用ではないことを窺わせる。


「ええ、そうです」


 旅人は、そんな不躾な視線にも嫌な顔一つせず、微笑みながら頷いた。


 年齢は三十歳代半ばくらいだろうか。彼から感じられる雰囲気は、まず村では見られない洗練とされたものだった。その口元を薄く覆った不精髭さえも、嫌らしさを感じさせずに凛然とした男らしさを醸し出している。きっとどこにあっても、さぞかし女の目を惹く存在だろう。その証拠に、先程から村の年若い女達がしきりにこちらを窺っている。


「あんた、テオフィルの都からきたのか?」

「いえ、リゼットからきました」

「リゼット? 西皇国からか? そりゃ国境を越えて遠いところからご苦労なことだな。なんでまた、こんな辺境の村に?」

「この村にダグラス殿が住んでいらっしゃると聞いてやってきたのです」


 旅人の答えに村人達は顔を見合わせる。


「ダグラスって……あんた、奴と知り合いなのか?」

「ええ。以前、リゼットの都で大変お世話になりましてね……」


 村の出身者の知人であると聞いたためか、村人達の態度が少しだけ和らいだようだった。


「そうか……だが残念だったな。ダグラスは六年前、胸の病で死んじまってるよ」

「――死んだ?」


 旅人の声音が今までの柔和さから一変、尖鋭なものに変わる。その急激な変化に村人は一瞬、たじろいだ。


「あ、ああ。だが息子なら、今も村に住んでいるがね」

「……息子――」


 静かな湖面に波紋が広がるように、旅人の表情が軽い感情に揺れ動く。


「確か彼には、奥方様はいらっしゃらなかったはずですが?」

「ああ、そりゃ息子といっても養い子だからな。血は繋がってないよ。イルゼという名で今年で十四になる。いや、なったか。しかも二日後には村の娘と婚礼を挙げる予定さ」

「……そうなのですか。それは――なんとも、おめでたいことですね」


 旅人は優しく柔らかな笑みを浮かべた。それに村人達は皆、明るい笑顔を見せる。


「ああ、本当にな。今は村中がその準備でてんてこまいだよ。あんた、イルゼに会っていくんだろう? あの子ならきっと、いつもの丘の上にいると思うよ。案内しようか?」

「いいえ、どうせですから、のんびりと村の空気を楽しみながら探してみますよ」

「そうかい?」


 旅人の丁重な辞退に村の男は少し残念そうだったが無理強いはしなかった。


「ああ、そうだ、あんた。どうせだったら二日後の宴に参加していったらどうだい? 親父さんの知り合いとなったらイルゼもきっと喜ぶだろう。歓迎するよ」

「ありがとうございます。そうですね……そうしたいのは山々なのですが――先を急ぐ旅路なもので。息子さんには一言、お祝いの言葉だけは伝えていきますよ」


 惜しむような旅人の様子に、村の男は「そうか、そうしてやってくれ」と快く頷いた。

 旅人はほろ酔い気分の男達に頭を下げて礼を言うと、夕暮れ近くなった戸外へと出ていった。




 太陽が黄金色に輝き始めると、村の一日はあっという間に終わりを告げる。

 日がとっぷりと暮れた周辺は、視界を遮る濃紺色に包まれていた。


「では――確認をしたのだな?」

「いいや。不用意に接触をして、こちらの顔を覚えられてもまずいと思ってな……」


 旅人――カルカースは自分に話しかけてきた男に頭を振る。


 そこはセオリムの村外れ。彼らは鬱蒼と茂る木々に身を潜めるようにして立っていた。


「ふむ……しかし確認をせずとも大丈夫なのか? 不穏な種を残すような真似は避けなければならない……」


 そう言う男の容貌は長衣に伴う頭巾によって覆い隠されており、その表情は窺い知れない。だがカルカースは彼の声から憂慮を感じとって小さく笑ってみせた。


「心配ない、恐らく間違いはないだろう。名前の類似と年齢、ダグラスの養子――それらの符合だけで十分だ。大体、顔形の確認など今更なんの意味もなさない。あれが行方知れずになったのは、生まれて間もない乳飲み子の時なのだから……」


 カルカースは一瞬、思い見るように双眸を細め、しかしすぐにその気配を消す。


「それに、そういう万が一の時のために彼らを用いるのだろう? あれらから、こちらの素性が割れることはまずない。だが、もしも間違いであって、貴方の言う不穏な種とやらが残るようであれば、私が必ず始末をつけよう。そしてもう一度、やり直せば済むことだ。貴方ならば、あの程度の傭兵崩れを再び集めることくらい、造作もないことだろう。至高の望みを叶えるためには、少しくらいの時間浪費と犠牲は止むを得まい?」


 カルカースの鷹揚とした態度に、男は安堵を匂わせて肩の力を抜く。


「……まあ、いい。この件についてはお前に一任してある。だが、良いか? 我が君は〈鍵〉を強くご所望だ。今更、成さぬでは済まされないことを、よぅく覚えておくことだな――……」


 男はくぐもった低い余韻を残し、ふと不思議な力によって掻き消えた。


 カルカースは笑みを零すように瞳を細める。男の言葉は脅しであろう。ようは失敗すれば命はないと思え、ということなのだ。


「……もとより命など惜しくはない。私は私の成すべきことをするだけだ」


 カルカースは何事もなかったかのように踵を返すと、自分の指示を待つであろう者達の元へと戻る。


 深い濃紺色に包まれたそこには、複数の男達が息を潜めて身を隠していた。まるで血に飢えた獣のように、興奮した熱い息を無理やり押し殺している。


「仕事だ」


 カルカースが一言、そう告げると、茂みの中の男達が嬉々としてざわめいた。


「いいか、良く聞け。ここに住む村人達を全員、一人残らず殺せ。それが今回、お前達に与えられた仕事だ。振るまいは問わない……好きなようにするがいい。ただし、誰一人として逃すな」


 カルカースの抑揚のない言葉に、人間の姿をした獰猛な獣達は引きつったようにさざめき笑った。




「……誰?」


 小さく鳴った部屋の扉に、フィーナは振り返る。


 ここは教会堂にある部屋の一室。花嫁となる乙女が数日前から籠る場所だ――とは言っても、フィーナは先程、外からここに戻ってきたばかりだったが。


(気のせい……風かしら?)


 一瞬、フィーナはつい先程まで一緒だった少年の顔を思い浮かべてしまった。だが彼の生真面目な性格からしてそんなわけはないと思いつつも、少女は軽い失望を味わって苦笑する。


 フィーナは壁にかけてある婚礼衣装に目を向けた。色とりどりの織物を重ね合わせて仕上げられたそれは、目を見張るほどの華やかさと美しさだ。彼女は、これを農作業の合間を利用して一年近くもの時をかけて織り上げた。


 それまでの日々を思い起こして、フィーナは思わず小さく溜め息をついた。


 婚礼衣装を織り上げるまでは、どこか夢見心地で実感が沸かず、ただただ一生懸命に織り機を動かしていたように思う。だが衣装さえ形になれば、娘らしい甘やかな思いに浸れるものだと思っていた。それなのに次に自分を襲ったものは、漠然とした不安のようなものだった。


 その理由は分からない。それは今も完全には消え去っていない。だが、愛しい少年の表情や仕草、真実を打ち明けてくれた時の声、ぎこちないが自分を労るように触れる温もりを思い出すだけで、そんな暗影は鳴りを潜めていくように思えた。


(……しきたりを破ったのは悪かったけれど……でも、やっぱりイルゼに会ってきて良かったわ。まだちょっぴり不安はあるけれど、これは環境の変化に戸惑っているだけ。私、きっと幸せになれるわ――……)


 フィーナは椅子から立ち上がり、ゆっくりと婚礼衣装に近づく。そして、その上にそっと手を当て、思いを馳せるように微笑んだ――と、次の瞬間。

 ガタンッ


「……!」

(……今のは)


 フィーナは再び扉を振り向く。しかし部屋の扉はしっかりと閉まったままだ。だが今度は気のせいではない。確かに彼女の耳に届いた微かな物音。


(誰かいる……礼拝の間のほう……?)


「……ユーリ? それとも……イルゼ――?」


 少女は優しく微笑む少年の顔を思い浮かべながら、ほんの少しの期待を胸に礼拝の間へと足を向けた。

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