第六話 姉弟


 オモイカネ工業本社ビル地下区画を大和が歩く。そこは福利厚生の一環という建前で建造された居住区格でありオモイカネ社員寮。だがその実態は《大崩壊ドゥームズデイ》を見据えて要塞化された堅牢なシェルターだ。高レベル転生者も常駐しており、セキュリティレベルは極めて高い。


「ただいまー」


 その一角、の前に立ち止まると懐から取り出した合鍵で扉を開ける。そのまま勝手知ったる気安さで靴を脱ぎ、中に入り込んでいく。

 室内は電気が消されており薄暗い。一見しては家主不在と思われたが。


みそぎ? みそぎ、いるー? いるよね、引き篭もりだし」


 年中外出しない家主を探して声を出すと、大和の耳に微かな音が届く。音がしたのは大型のソファとテレビが置いてあるリビングルーム。大体家主の少女が常駐している空間だ。


「ただいまー」


 挨拶に合わせてパチリと電灯を点けるとそこには乱雑にモノが散らばったリビングルームが広がっていた。

 テーブルには積み重なった漫画や資料の山。テレビの前にはゲーム機とコントローラーが散らばり、そこかしこに脱ぎ散らしたと見られる(女物の下着を含む)衣服すらあった 。

 実に家主の人間性が伺える空間だ。


「……おかえり」


 ソファの上で包まっていた毛布からと顔を出した少女が眠そうな声で返事をする。

 彼女の名は姫神禊。

 ネット上ではみそPと名乗る大和の自称姉であり、ある災害をきっかけに家族になった少女。ダンジョン配信者:黒鉄大和の活動をバックアップする無二の相棒である。


「寝てたの?」

「……昨日からずっと起きてたから。配信と幹部会議もあったし」

「また徹夜からの寝落ちルート? 今度は何? 徹夜でゲームとか言ったら布団に巻いてベッドに放り込むよ?」

「し、新作ゲームが出たから。文明崩壊までにやり尽くさなきゃいけないから。私はいま限られた時間を精一杯楽しんでるの!」

「はいアウト―。今夜は覚悟しときなよ?」

「お、お慈悲を……!」


 残念な性格の自称姉に大和はニッコリと笑った。

 ワタワタと露骨に焦った顔で大和の顔色を窺い、なんとか機嫌を取ろうとする少女を見、胸の内だけでこっそりとため息を吐く。


(相変わらず顔はいいなー、顔は。それだけでなんとなく怒る気になれないんだから美少女ってお得)


 大和が胸の内にこぼした通り彼女を見た者は一人の例外もなくこう呟くだろう――”美しい”と。

 烏の濡れ羽色に輝く黒のロングヘア。女神か妖精じみた美しく整った顔立ち。やや不健康な程に細く、儚げな肢体はほっそりとしていたが、要所に女の子らしい柔らかさをしっかりと備えていた。唯一欠点と言えそうなトロンと眠たげな目ですらささやかな隙となって女神のような美しさに潜む愛嬌を映し出している。

 総じて絶世の美少女と美貌の持ち主だと、鋭い者ならばそう評するかもしれない。


「まあとりあえず今はいいや。はい、お土産。昼間の配信の報酬。岩戸屋の醍醐味プリン一丁お待ち!」


 尤も大和にとっては人生の半分以上を一緒に過ごした家族だ。太陽のように輝く美貌だろうと見慣れていればさして心を動かすこともない。手心を加える気もあまりない。

 得意げな顔で醍醐味プリンを差し出す大和に禊が目をパチクリとさせた。1年先まで予約でいっぱいの醍醐味プリンの話は有名なのだ。


「ほんとに醍醐味プリンだ。すごい。どうやったの?」

「配信の後に岩戸屋さんから連絡あってさー。クエスト受注する代わりに前払いで幾らか譲ってもらってきた」

「クエスト?」

「長鳴鳥の強壮卵の納品クエスト。プリンの予約が1年待ちなのって結局食材入荷の問題だから」


 醍醐味プリンを作るには一部の高難易度ダンジョンにのみ出現する常世長鳴鳥とこよのながなきどりからドロップする稀少な卵が必要なのだ。

 見かけは鶏の癖に恐ろしく強いモンスターだが、もちろん大和ならば問題はない。明日からはしばらく狩場で虐殺シーンが続くだろう。


「あ、あとでSNSにもエピ付きでアップするからなんかいい感じにえる写真撮って。僕そういうの良く分かんないし」

「おぅけぃ、全てお姉ちゃんに任せなさい」


 禊はうきうきと弾む足取りで機材を揃えると早速撮影にかかる。普段は鈍い割に興味のある分野にはフットワークが軽いのだ。

 プリンのアップや少し引いて美味そうにプリンを載せた匙を咥える大和の姿を何枚ずつか。被写体に撮られるための心構えがないため、それなりの数撮り直したとなったが、満足のいく出来に仕上がった。

 禊も顔が映らない範囲で自撮りして弾数を増やす。顔がなくともその美少女オーラが漏れているのか禊の写真が載った投稿は大抵反応がいい。


「早速SNSにアップしちゃうよー」

「よろー」


 大和のアカウントに短くまとめた経緯と写真付きの投稿を上げると瞬く間にリプやいいねの山が積み上がっていく。フォロワー母数千万の暴力は単純に強い。明日には岩戸屋の醍醐味プリンはトレンドに上がっているだろう。


「うまうま」

「だねー」


 が、二人の関心は既にプリンの方に移っていた。

 口に含めばとろけるように柔らかく、深いコクを湛えた甘やかなプリンをパクパクと平らげていく。普通のプリンとは明らかにクオリティが段違いな美味さに押され、なんとも気持ちのいい食べっぷりだ。

 特に禊はあっという間に平らげてしまった。包み袋の中にはまだ醍醐味プリンが2つ残っている。


「……もう1個」

「はい1日1個までね」


 プリンに延ばされた禊の手がパシンとチョップで叩き落される。

 禊が大和を睨んだが、もちろん気にせず自分のプリンを美味しそうに味わっている。抗議の視線に怒りが加わった。


「姉に逆らう弟なぞ存在しねぇ」

「そもそも僕に姉なぞ存在しねぇ」


 机を挟んで睨み合う二人は確かに血の繋がらない家族と呼べる絆で結ばれている。が、それはそれとしてお互いが主張する関係性は必ずしも一致しないのだった。


「っ!? こんな可愛くない弟をお姉ちゃんは持った覚えはありません!!」

「だから僕にお姉ちゃんなんていませんー。そもそも僕ら同い年でしょうが!!」


 いつもと同じ話題でキレ散らかす二人であった。

 が、いつも大体禊が勝つ。何故なら――、


「その背丈じゃ誰がどう見ても私がお姉ちゃんだから」

「いま僕のことチビって言ったな???」


 姫神禊、身長162㎝。

 黒鉄大和、身長159㎝。

 その差、3㎝。悲しいかな。同い年の彼女が姉を自称する一因がここにあった。

 フフンと得意げな顔で文字通り見下された大和が額に青筋を浮かべ、反撃する。


「大体禊はいつも僕が取っておいたお菓子を勝手に食べるじゃん!? ちょっとは我慢してよ! そんなだから僕が口うるさく言うんだって!」

「聞こえませーん。それこの会話と何か関係あった?」

「これまでの積み重ねだって言ってんだよ分かれ自称姉」

「小生意気な弟め。粛清してやる!」

 

 ギャアギャアと、ワァワァと。

 最早口論の原因であるプリンすら置いてきぼりにして二人の口喧嘩が始まった。


 ◆


 机を挟んで睨み合い、悪態を吐きあい、遠慮容赦のない口喧嘩をくり広げ。

 原因も忘れて非生産的な互いへの愚痴へ移ろうとした頃。


「大体禊はさー」

「――大和」


 その呼びかけは

 声の調子からそれを読み取った大和がこれまでとは違う眼差しを対面へ向ける。禊も思い詰めた顔で大和を見ていた。

 

「……なに?」


 一呼吸空け、問いかける。自然と声は低くなった。

 

「もう全部、止めちゃわない?」


 それは少し曖昧で、不吉な色を孕んだ提案だった。

 対面に座り、膝に落とした拳をギュッと握り締める禊の顔を見る。少しだけ後ろめたそうな、でも誰かを思う顔だった。


「全部って?」

「全部。戦うのも、守るのも、全部」

「迷宮攻略も?」

「うん」

「ダンジョン配信も?」

「……うん」


 最後に質問だけは少し躊躇いがちに、しかしはっきりと禊は頷いた。


「ライバーズもギルメンもみんな好き勝手ばかり。なのに大和が大変なのは変わらない。何を言っても、どれだけ頑張ってもみんな変わらない。?」


 姫神禊は決して博愛主義者ではない。むしろ世界と比較して個人を選ぶ。狭く閉じられた関係を善しと容れる少女だ。

 彼女にとって大和と世界を比較し、どちらを取るかなど迷う余地すらない”当然”だ。


「……んー。でも僕がいなくなったら割と真剣に世界がまずいし」

「誰か一人がいなくなった程度で滅びるのなら滅びればいいんだよ。私達には関係ない」

 

 力の籠らない反論を禊がバッサリと切り捨てる。

 これは禊が正しい、というよりそうでなくてはいけない。エンタメでは軽々しく世界の命運は主人公に託された、などと煽り文句を使う。だが本来世界の命運など個人に背負わせていいものではない。

 倫理ですらない実務上の問題として――


「私と大和だけなら《大崩壊》だって何とかなる。ならあとは家族わたしたちがいればいいじゃん。?」

「……んー」


 返す言葉に困り、頭を掻く大和。

 実のところ大和自身の考えも禊とそう大差はない。人類最強、護国の英雄などと持て囃される黒鉄大和が守ろうとしているものは実のところとても小さくてささやかなものに過ぎないのだ。

 だから試しにそうなった後を想像し……すぐに訪れるだろう未来を口に出した。


「でもそうなったら醍醐味プリンは食べられないよ?」

「……む」


 禊はその指摘に考えていなかったとばかりに腕を組み、考え込んだ。かなり真剣な顔である。女の子にとってスイーツの補充は死活問題なのだ。

 だがやがて苦渋を満面に浮かべつつも仕方ないと頷いた。なんとか家族愛が食欲に勝ったらしい。なんとか。


「……我慢する」

「あと僕も禊も料理下手だし」


 大和の方は料理もするが大体食べられればいいというレベルでお世辞にも美味いとは言えない。禊の方は大体レトルトやインスタント食品だ。それでスタイルが崩れないという世の女性から嫉妬の視線を向けられそうな体質だった。


「……こ、これから上手くなるし……なって?」

「そこは自分で努力するところじゃない?」

「私、興味ない分野は無理」


 目を泳がせた挙句きっぱりと首を横に振る禊。

 神楽舞、電操歌唱サイバーチャント、引き篭もり。最後は少し違うが、禊は基本的に特定分野にのめり込み、それ以外を疎かにするタイプである。


「あのさ、この話ってもしかしてさっきのBと関係ある?」


 幹部会議で大和が口にした方策。彼自身決して良手とは思っていないが、必要と思ったから提案し――受け入れられた。正確には大和を止める術がなかった、が正しいが。


「……当たり前。弟を心配しない姉なんていません」

「なしじゃないとは思うんだけどなぁ」

「ありとも思ってないでしょ」

「まあ、ね」


 状況に背中を押されなければ積極的に挑もうと思わない程度にはリスクがある。そういう方策だ。


「そもそも自分から厄ネタワールドクエストに首を突っ込むとか正気じゃない」

「でもクエスト報酬は魅力的だよ。物理的に戦力アップできるし」


 ワールドクエストの報酬が大和の狙う戦力アップの当て。だがその”報酬”こそが問題なのだと、禊は思い切り顔を顰めた。

 

NPC。優秀な現地冒険者をパーティに組み込める可能性は確かに高いけど」


 かつてのゲーム時代、一部のワールドクエストで実装されていた報酬の一つとしてクエストキャラのプレイアブル化があった。彼ら彼女らをサポートNPCとして自由にパーティへ組み込み、共闘できたのだ。キャラのスペックは総じて高く、PCプレイヤーに劣らないキャラも多くいた。

 現実リアルとなった今でも文明崩壊案件ワールドクエストを達成することで彼ら彼女らをパーティに組み込める確率は高い。それはいずれAランク迷宮にも届きうる戦力へ化けるかもしれない。


「やっぱりワールドクエストに挑むのは反対?」

「違う。それもあるけど一番の問題はパーティを組んだ”後”」


 大和ならばワールドクエストでも達成の見込みは十分ある。ダメでも見極めさえ誤らなければ死ぬことはない。

 だから禊が危険視しているのは”報酬”そのもの。


NPC

「……えーっと、まあ、その、うん」

 

 偏見である、とは言い切れない大和は言葉を濁したまま曖昧に頷いた。

 前例があるのだ。それも山ほど。

 《文明崩壊ダンジョンサバイバー》のクエストストーリーはその世界観に違わず。特に達成報酬となるようなメインキャラの背景バックグラウンドは大概厄ネタが埋まっているし、なんなら文明崩壊級のクエストボスを張ったヒロインキャラまでいる。とにかくキャラクターのクセが強いのだ。


「ゲームならただのフレーバーテキストだったけど今はリアルだよ。人格キャラクターは絶対無視しちゃダメ」

「人間関係でパーティ崩壊とかあるあるだもんねぇ」


 能力的には好相性、人間的には水と油。長期的にパーティを組むなら重視すべきは後者だ。

 迎え入れたサポートNPCとの関係が破綻するならまだマシで、再びクエストボスとして戦うことだってあるかもしれない。もう遊戯ゲームではない、システムもルールもないのだ。

 その意味で大和が挑もうとしている道は分がいい賭けとは言えない。


「もう一度聞くね。大和がそこまでする必要はある?」


 大きなリスクを負って、リターンはごく僅か。

 黒鉄大和と姫神禊は多くを望まなければこの文明崩壊ゲームから一抜けできる準備を整えている。

 それをしない理由はあるのかと、禊は問いかける。もしこの期に及んで世界のためだのとあやふやなことを言うなら一生この部屋に監禁して逃がさない覚悟すらあった。

 そして問われた大和は――、


「あるよ」


 禊と目を合わせ、力を込めて真っ直ぐに答えた。

 とてもささやかでちっぽけだが――揺るがぬ願いは既に大和の胸に宿っている。それを示すように。


「それはなに?」


 どんな答えが返って来ても驚くまい、と身構えていた禊も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 だけど結局こそが大和の偽りのない本心、この物語の始まりスタートラインだ。


「最初は手段だったけど、今はライバーズのみんなが好きだから続けてる。それを世界の終わりだとかで諦めたくない」

 

 なんて馬鹿馬鹿しい言い草だろう。禊は思わず目を丸くした。

 大和にとってダンジョン配信はただ文明崩壊へ対抗するため、効率良く情報を拡散するための手段だった。だけど配信を重ねるごとに増えていくライバーズとの小気味いいやり取りがいつしか好きになっていった。


「そりゃいつか僕の配信活動も終わるよ。。なんだって終わる時は終わる。そういうもんだよ」


 だから、と言葉を繋げる。


「それまではもうちょっと頑張りたいかなって」


 黒鉄大和のモチベーションは世界平和でもなんでもない。ただ画面の向こうの友達ライバーズと楽しく馬鹿をやっていきたいという、ただそれだけの願いなのだ。

 子どもっぽい、馬鹿らしいと他人からは笑われるかもしれない。それでもいいと大和は思う。だけどそれが黒鉄大和の本心なら、自分の心に嘘は吐けない。


「……そっか」


 その気持ちは禊にも分かるから、それ以上は言わなかった。姫神禊の一番は黒鉄大和でも、二番目以下ライバーズが大切じゃない訳ではないのだ。

 当然だ。禊だって本当は何一つ取り零したくないに決まっている。


「……でも、このまま変わらなかったら?」

「それはその時考えるよ」


 問題の先送りにすぎなくても、まだ決断するのに遅すぎはしない。

 そして弟はとなればできる子なのだ。けしてやって欲しい訳ではないけれど、その時になったらやるだろう。それを禊もまた認めた。


「うん、いいよ。それがヤマトのやりたいことなら……応援するのがお姉ちゃんワタシなのです」


 だから、禊は微笑わらった。

 花がほころぶように、太陽が輝くように、弟のやんちゃを見守る姉のように。荒野を目指す少年へ精一杯の祝福を告げたのだった。

 

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