二つの理由

 歌うたいの猫は仔猫たちの雪だるまを抱え、時計塔の下で立ちすくんでいました。実は彼が雪のオルゴールを手にするのは、これが初めてだったのです。


 もちろん、歌うたいの猫には、地上に優しいおかあさんがいましたし、あたたかいおうちもありました。灰色の仔猫のように、ずっとお外で隠れて暮らしていたわけではありません。


 それなら、どうして彼はこれまで雪のオルゴールを手にすることがなかったのか……。


  彼には雪だるまが届かなかった?


 いいえ。毎年、虹の橋に雪が降る日には彼の元にも、ちゃんと雪のオルゴールは届きました。でも、決して彼は受け取ろうとはせず、雪だるまはそのまま地面に落ち、壊れてしまいました。むろん、その音色も一度だって聞いたことはありません。

 なぜ、歌うたいの猫は雪だるまを受け取り、オルゴールに耳を傾けようとしないのか——。



 理由は二つありました。

 一つは、地上のおかあさんの歌声をあまりにも彼が愛しすぎていたせいです。彼のおかあさんの仕事は、その美しい声でうたうことでした。彼のおかあさんは歌姫だったのです。

 おかあさんの歌声は毎日色々なメディアから流れ、地上のどこでも聞くことができました。

 だけど、彼にとって、それはにすぎませんでした。おかあさんの歌は、すぐそばにおかあさんがいて彼にうたう歌だけが本物だったのです。

 だから、彼はかたくなに雪のオルゴールを拒みました。おかあさんが目の前にいないのに聞こえてくるオルゴールの便たよりなんて、なんの意味も価値もないのです。


 そして、もう一つの理由。

 彼は怖かったのです。雪だるまを受け取れば、オルゴールを聞かずにはいられなくなります。一年に一回しか届かない調べを一度でも聞いたら、彼とおかあさんが虹の橋と地上で別れ別れであることを否が応でも認めざるを得なくなります。それが怖くてたまらなかったのです。


 彼だって今し方、仔猫たちに教えたように、虹の橋に渡って来たばかりの猫たちには雪だるまのことを伝え、オルゴールの調べを覚えておくようにアドバイスをします。だけど、他には言えても、自分では受け入れ難いのです。



 舟を降りるとき、渡し守から渡された鈴の音はまた別です。彼が地上にいたとき大切だったものを鈴の音にして虹の橋に持ってきたものだからです。

 だけど、雪のオルゴールから聞こえる調べは、から届いたもの。その違いでした。

 地上にいた証しの鈴の音と、彼が地上のどこにもいなくなってからの調べ。

 彼はもう地上のおかあさんとはいっしょにいないのだということを突き付けられるようで耐え難かったのです。


 彼だって、わかっていました。雪のオルゴールは、今も彼のことを大切に思っているおかあさんからのお便たよりだということを。

 だけど、頭ではわかっていても、心がついて来ないのです。

 おかあさんがそばにいない、もう会えないという現実がどうしても受け入れ難いのです。

 彼の耳に触れるのは温かな手でなければならず、冷たい雪だるまであってはならないのです。



 降る雪の中で、彼は寒さに震えながら立ち尽くしていました。

 胸の中には地上への想いがこんなにも溢れかえっているのに、今すぐおかあさんの温かい胸に飛び込み抱きしめてもらいたいと願っているのに—— 地上はあまりにも遠すぎます。



 体は凍て付き、かじかんだ彼の腕から仔猫たちの雪だるまは滑り落ちてしまいました。

 いくら、仔猫たちが調べを覚えてしまったとはいえ、大切な雪だるまです。彼は慌てて拾おうとしましたが、すぐに地面に積もる雪と見分けが付かなくなりました。


 ずっとこらえていたものが胸の奥から涙となって溢れ出て、冷たい雪の中に零れ落ちて行きました。


 涙で雪が溶けたとき、歌声が聞こえました。歌声は彼の名を呼んでいます。



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