庶民たちの日常生活

 薫と静香の婦婦は、今日も笑顔が絶える事はない。


 薫は誰も乗っていないベビーカーを押し、静香は第一子である薫子を抱えながら、児童公園に向かって歩く。


 あまりにも単純かつ、いい意味で変形したデートだった。


「お花がきれいね」

「どうしてこんなにきれいなんだろうな」


 二人の愛の結晶である薫子は、もうそろそろ六か月になる。

 当然ながら両親どちらにも似ていない赤ん坊は静かに笑いながら、静香の胸に抱かれている。


「この子はどうなるんだろうな」

「別に、幸せになってくれればどうでもいいけどね」

「そうするのは私らの役目って事で」

「そうそう!」

 

 薫も静香も、同じように笑う。




 文字通りの幸せな家庭が、ここにはある。

 間違いなく、理想の家庭が。




「で、あなた現場でいられそう?」

「大丈夫だ。一応日々鍛えてるからさ」

「でも現場って大変だってよく言うけどね、薫の職場の最年長さんって」

「現場担当ならば五十八歳だよ、それこそ定年間近の」

「うらやましいわねそういうのって」

「これから酒は控えないとな」


 薫の職場は、ゴミ処理業者。それこそこの町におけるスーパーエリートであり、毎年相当な就職希望者がやって来る狭き門。

 そのヒエラルキーは現場>>焼却炉>>内勤であり、給与もそれ相応である。入社してからずっと現場担当である薫は、既にマイホームを現金で買える程度には富裕層だった。

 とは言えゴミ捨て場からゴミを運ぶ仕事は文字通りの肉体労働であり、身体を痛め付ける行いであるから定年までずーっとと言うのは不可能だった。既に町が出来た最初の世代は定年退職したり墓の中に入っていたりしたが、最後まで現場担当でいられたのは現役のまま亡くなった二人だけだった。

 年を取ると体が追い付かなくなり内勤にされ、あるいは指導役に回される。後者はまだともかく、前者は言うまでもなく稼げない。一応年功序列はあるが、それとて部署格差を埋める物ではない。悪い言い方をすればあぶく銭を稼いでいるような状態であり、将来的な収入低下までは行かないとしても収入上昇が見込めないのもまた事実だった。


 無論その点を議会だって気にしていない訳ではない。ギャンブルと言う代物を徹底して廃絶しているとは言え後先を考えない買い物や怪我などを予測しきれずにローンを組んでしまった例は少なくなく、高所得層なればこそ節制を心掛けよはこの町でも変わらない理屈だった。肉体労働者は金遣いが荒くなりやすいと言う事で一部の職場では銀行と提携し給与の一部を半強制的に預金させると言うシステムを取っている所もあるが、薫の職場では導入されていない。女性が足る事を目的として作られた町では、である事も求められると言う理屈だ。

 もっとも薫は独身時代から給与の一~三割を貯蓄しているような真面目な女性だったから問題は少ないが、それでもマイホーム購入でかなりなくなっており今は就職以前、学生時代のそれと同額ぐらいしかない。


「ゴミの量はどうなの」

「そりゃ出るよ。ってか」

「あ」


 そんな夫婦の不幸でこそないにせよ多難な人生を予測するかのように、薫子が泣き出す。

 一人の親の仕事を増やすかのように、薫子は新たなるゴミを作る。人間、無駄をいくら省こうとしてもゼロにするなど不可能だと言わんばかりに。


「手伝おうか」

「大丈夫よ、あなたはその後を頼むから」

「はいよっと」


 泣きわめく薫子をベビーカーに置き、ベビー服を脱がせていく。この辺りはやはり一日の長があるのか静香の手際はかなり良く、薫は何もできず背中のリュックを下ろして見下ろしているだけだった。

 薫子はリュックからおしりふきと小さなビニール袋、さらにおむつを取り出す。

 幸い小さいほうだけだったからやりやすかった事もあり、サッとおむつを脱がせて小さなお尻を拭き、パンツ型のおむつを履かせる。汚れたおむつをしまうのだけが薫の仕事だ。


「ああ、またいい笑顔になってる」

「お前がさせたんだろ」

「ありがとうね」


 気持ち悪さがなくなった薫子はすぐ泣き止み、泣き疲れたのか目を閉じる。ベビーカーに寝かされ、寝息を立てる彼女。その瞳には何の憂いもなく、どんな金銀財宝よりも価値があるかのように輝いている。




 ——————————そんな自分たちがどう思われているかなど、二人ともどうでも良かった。




 そう、どうでもいいはずだ。


 だが、正道党の人間に言わせれば彼女らはノンポリでしかなく、既得権益の持ち主であり、外の世界に取り残されている人間だとなる。


 それこそ、この町が正道党とそれに賛同する人間にとって住み良い町でないと言う何よりの証左だった。

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