走れない車

「私は、その、皆さんを守るためにこうしてここにいるのです」



 つっかえつっかえの口調をしたスーツ姿の女性が、西区に立っている。



 桃山と言う名札を付けた彼女は、スポーツドリンクの入ったクーラーボックスを肩に掛けながら走り回っていた。


「少しでも早く、ですがそれ以上に正確にお願いいたします」

「はい……」


 岸よりはずっと優しく、丁重な口調だった。


 それでも、作業員たちの効率はちっとも上がらない。


「北原さん」

「…………」


 「北原さん」は、黙々と水道管の交換に努めている。

 北原と外山、たった二人で。八時間かけて、マンション一棟分の水道工事をしようとしている。

 本当に二人っきりと言う訳でもないが、今この場に出せる目一杯の人数が二人。

 残念ながら、決して珍しい事ではない。


「皆さんは本当に素晴らしい人間です」

「…………」

「元中さんのために、自ら頭を下げ線香や花を上げるなど、とても真摯なお方です」

「用意したのは桃山さんでしょう」

「求めたのはお二方です」



 元中が過労で倒れた場所、岸が水たまりを踏んでしまった場所。

 そこに花束が置かれ、二本の線香と壺が立っている。


「この町を、誰よりも愛した、元中さん。最後の最後まで、この町に尽くしてくれた素晴らしい方でした。決して彼女を犬死にしないために、なんかできる事はありますか」

「人を下さい」

「大変申し訳ございません、私たちも必死に人員を募集しているのですが……」

「ですよね」

 

 外山のそっけない言葉にも、桃山は必死に平身低頭する。


 もう岸がどうして殺されたかなど、この町の誰もが知っている。岸からしてみれば当然の対応だったのが刈谷からしてみれば最悪のそれであり、自分たちと言うか元中を最大限に侮辱したと見なされたのが原因らしい。

 だからと言う訳でもないが、それこそ目の前の存在にご機嫌取りでもしなければ自分が岸のようになりかねないと考えるのは自然な事だ。


「あ、車来ますよ」

「え」


 桃山が後ろを向くと、トラックがこちらに向かって走って来ている。二十キロあるかないかのノロノロ運転とは言え、二トン以上の鉄の塊の到来である。桃山が慌て気味に車道から歩道に上る中、北原と外山はちっとも動かない。

「ちょっと!」

「ああ大丈夫です、止まりますから」

 相変わらずの口調で外山が言う通り、トラックは止まった。そこから出て来た運転手が慣れた手つきで路上駐車し、荷台を開けて荷物を運ぶ。路上駐車を咎めるにはあまりにも手際が良く、それ以上に水道管工事をしていて封鎖された道路の向こう側に多くの人間が居過ぎた。


 運転手がやって来て、エプロン姿の女性に向かって荷物を手渡ししている。印鑑と現金を受け取り、確認の印を押しては荷物を受け取っている。本来マンションに上って一軒一軒届けるべきなのに、こんなにも長くの行列を作らせている。しかも路上駐車に向かってだ。


「この水道が破損しているのに気付いたのは」

「三か月前です」

「その時からトラックの運行に支障があると思いこうしていたと」

「はい」


 その時は、それこそ水たまりと呼ぶにも値しないそれでありただの雨の跡か子供の粗相の成れの果てかと思った。だが一日、二日と経つたびに徐々に大きくなり、その事に危険を感じた運送業者はこの道を通るのをやめた。元から自動車などめったに通らない道だったが、それでもこのように通信販売などで通るトラックはいた。

「漏水に伴いタイヤが濡れる事がそんなに支障があるのですか」

「ええ」

「……」


 運転手と言うか運搬者の二文字に威圧され口を閉じた桃山は、運送業者の内情など知らない。


 自動車の制限速度は六十キロと言うのが外の世界の常識だが、この町では四十キロ以上出すのは救急車か消防車かパトカーである。女の運転はヘタクソで荒っぽいとか言うミソジニーそのものの思想が外の世界にはびこっている以上、何とかしてプロドライバーからそんな思想を根絶せねばならないと考えた町の首脳陣が作り出した制限速度であり、実は第一の女性だけの町でも一般車両五十キロ、緊急車両七十キロとこの町ほどではないが外の町よりは制限速度が厳しくされている。


 だがこの町では少しでも乱暴な運転をすれば即「オトコっぽい」と言われ、処罰とは行かなくとも白眼視の対象になる。どんなに時間がかかっても、決して事故を起こさぬように優しく親切な運転をしなければならない。

 車体を傷つけるなど論外であり、それこそそういう環境であるとか言う申し開きが出来ない場合は即始末書案件であり、出世の道を閉ざされる問題である。


 此度漏水のあった道路を走らなかったのは漏水により道路が弱まり陥没の危機まであったのもさる事ながら、タイヤを無駄に濡らしていちゃもんを付けられるのを嫌う意味の方が強かった。


 そしてこのような道路は、町中至る所にあった。

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