「どうしてこうなった?」(暴力描写注意)

 翌日。




 西区の外れの、普段ほとんど使われていないかび臭いビルの一室。




 そこに刈谷・高遠・佐藤の三人と、岸と彼女の秘書が集まっていた。




「スーツもないのですか」

「ありますけど」

「今すぐ着替えなさい。着替えないのならば話す気などないと見なします」

「そんなにもスーツが大事ですか」

「ええ。話をするにも格好と言う物があります。それをわきまえないとか、」

「私たちは私たちの格好で来ているのです!」


 刈谷たちからしてみれば、それこそ自分たちの仕事の象徴である作業着と言うのはどんなスーツよりも強い服であり、素のままの自分を出せる礼服だった。

「体温は36.3℃……」

 その自分なりの礼服を着た三人に対し、岸の秘書はスマホを差し向ける。秘書が36度3分と言う平熱以外の何でもない数字を口にすると、岸はパイプ椅子の背にもたれかかった。



「はあ……せっかく我々がスーツを提供していると言うのに、なぜ着ないのです」

「はっきり申し上げますが、この一年間一度も着ておりません」

「私も三年間着ていません」

「何の自慢ですか」

「スーツよりも、お金よりも、私たちは欲しい物があるんです」

「女性が二度と虐げられない世界ですねわかります」


 そんな人間に話す舌はないと言わんばかりに、天井を向きながら言葉を吐き出す。なぜそんな事から説明しなくてはならないのか、右足を前に出して左足を前に出すと歩けると言う事から説明しなくてはいけないのかと思うと、これまでこの連中に関わって来た先人たちに畏敬の念を抱かずにいられなくなる。


 そしてその先人たちから聞いていた知恵を、岸は忠実に実行する。



 —————どうせ機械を動かす事しか能のない連中だ。おそらくは学歴もなくこの町の崇高な理念を理解してもいない。

 これら創始者及び初期移民たちの幼少の娘たちの世代がいなくなるか改心すれば、この町は女性だけの町の理念を真に理解した創始者たちと、この町生まれの子どもと、この町を楽園としてやって来た移民者だけの町となる。そうなれば完成は時間の問題であり、本当に理想の世界が出来上がる。

 ならばどうするか。幼少時に外の世界で浴びせられて来た歪んだ教育を正し、自分たちの町で暮らす事が素晴らしいと教えねばならない。


 だからこそ、取るべき手段は決まっている。


「礼節を守らなければオトコから馬鹿にされます。女だけの町とか言いながら所詮は自分たちとちっとも変わらない、全く無駄であると。そうなればこの町は滅び、皆さんは何の庇護もない世界に放り出されるのです、皆さんだけではなく幼子たちも。そうすれば彼女たちは外の世界のケダモノたちによって食い物にされる事は必死、まさかそんな光景を見たいとか言わないでしょうね」


 —————少しばかり脅迫になってしまっても構わない。

 決して暴力を使わず、あくまでも対話に対話を重ねてゆっくりでも考えを変えて行く。肉体労働者でさえも女性だけの町のそれにふさわしい気品と余裕を持ち、決して粗野にならずに礼節を保ちどこに出しても恥ずかしくない立派な人間にする。


「人の話を聞く気がないんですか」

「ありません。それならばもう少し相応しい格好で来なさい。それとも最初からそう説明しなかった私が悪いと言うんですか」

「我々や元中にとって、この服は仕事着であり平服であり礼服です。これと共に仕事をして来た仲間です。これを着ていないならば私たちは道路整備担当と言う名の公務を請け負う存在ではなくなってしまいます」

「…………わかりました、認めましょう。秘書さん、この旨を町長に伝えて下さい。岸の独断専行をどうかお許しくださいと…………」


 そのためには、譲歩も仕方がないと思った岸はやむなく彼女たちの意思を呑んだ。

 意思を飲み、自分一人で三人に立ち向かう事にした。




「では、改めて伺います。あなた方は人員配属、給料増加、休日の増加を求めているのですね」

「はい」

「とは言え急にできる物ではありません。それこそ町議会にかけてそれらの待遇について私たち議員で財源の確保と具体的な金額についての会議を行い、さらに場合に因っては選挙を行わねばならないかもしれません。

 そして残念ながら、現状議会にてあなた方の仕事の実態を把握している人間はほとんどおりません」


 そういう訳でようやく話を進めた風を装ってみたが、結局の所口にしたのはこれまでと同じ先延ばしでしかない。

 議員立法から町議会にかけて法令化、さらに選挙までやるとなるとそれこそ最悪年単位である。さらにそれさえも町議会の勢力からして否決される可能性が非常に高く、仮に真女性党全員が賛同したとしても時間はかかる。

 と言うか実態把握した上でどれだけの人間が待遇改善に乗り気になるか非常に怪しく、それこそ下手に加われば政党を追い出されるか出世街道から外されかねない。最悪の場合、党公認を取り上げられて議員の座さえ失う可能性もある。

 二大政党制のこの町では、無所属議員と言うのは存在しようがない。以前無所属候補が出馬した事もあったが、得票率0.5%を超えた例は一度もない。


「でももう何年も前からやってるんですよ!調査はどうなってるんですか!」

「調査した上で問題ないと判定された、そういう事です。そんなにいきり立って、自分の言葉の説得力をなくしたいんですか、このオトコが」


 刈谷が席を立って迫ろうとしても、岸は全く動じない。

 オトコの醜悪さを知っている人間として彼女にやめろと問いかける。


 それでようやく落ち着きを取り戻した刈谷が佐藤と高遠に止められようやく着席すると、岸は深くため息を吐く。


「って言うかね、私たちはまだまずあなたから聞くべき言葉を聞いていないんです」

「何をですか」

「わからないんですか!」


 だがそんな風に冷静だったはずの佐藤が身を乗り出し、高遠が机を叩く。

 ほんの少しだけ抱いたはずの期待をすぐに裏切られ、ため息を吐く気すら失せてしまった岸は腰を上げた。

 

「あなた方の野蛮さにはほとほと愛想が尽きました。その調子では荒山とか西村とか言う存在もあなた方と同類項の仕様もない人間なんでしょうね」


 冷静に物事を伝え合い話し合えばわかり合えると思っていた。


 それなのに。


 こんな特別な場所を作ってやったのに、誰も理性を持とうとしない。




 だいたい、そちらの目的が目的ならば書類にして持ってくればいいのにだ。




 所得向上、人員補充、休暇増加。それらの現状と要求のほどをまとめて折り合いを付けるのが交渉と言う物だ。


 それもせずに礼節をわきまえない格好で来てこっちがそれを許してやっても一向に収まらない。

 

 やっぱりそうだ。こんな連中の話など聞くだけ無駄。


 どうせ勉強もできない、いやしていないような野蛮な連中ばかり。


 こんな層などいずれいなくなってしまうだけ。


 やはり聞く価値などない。




 そう確信して腰を上げ三人に背を向けドアへと向かった岸の呼吸が、いきなり苦しくなった。




「な、ば、ば、バカ、バカな……うぐ、うぐぐぐ…!」

「何か言う事はないのか!」

「は、はしたない、この、このオトコがぁぁぁぁ……!ああ、ああ、ああああああ……」

「三人に向かって言うべき事があるだろうが!」




 誰に聞かれようが知った事かと言わんばかりに、刈谷が吠える。




 両手で岸の首根っこをつかみながら叫ぶ。




 佐藤と高遠は石化したかのように、椅子から動かない。


「この町の、この町の正義を踏みにじりぃぃ…そのだめにがっでにじぬなどぉぉぉ……」

「ごめんなさいは!」

「ぞれは、あど、ざん゛に゛ん゛がぁぁぁ…」


 岸の口から、元中及び荒山・西村に対しての謝意の言葉は出て来なかった。




 そのまま岸はパンツを濡らし、心臓は止まった。




「警察を呼んでくれ」

「はい」




 死体と化した岸の耳に、刈谷の反省などびた一文ない言葉は入る事がなかった。

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