さようなら、大馬鹿者!

「馬鹿を言え」

「どっちの意味ですか」


 東を病室に帰した後、看護師から東の「病状」について説明された津居山は仕事帰りに気まぐれにケーキを買って来た夫を見るような目で看護師をにらみつけた。

 そんな目で睨まれたら多くの人間が腰を抜かしそうになると言うのに、看護師も看護師でちっともひるまずに言い返す。その空間が二人きりのそれである事が、他の人間にとってどれほど幸運だっただろうか。


「私は決して、あんなのをどうにかするためにいる訳ではないの。もう救いようがない存在を救えるほど余裕はないの」

「そうですか」

「でどうなの、あんたのを目から見て彼女は、救いようがあるって言うの?それならば私だって動くわ」

「ご冗談を。あれはもう末期症状です」


 二日の入院で末期症状だと判定できるほどには、腕利きの看護師。その彼女の診断を疑う気もなかったが、それでも本来の自分に戻る気もなかった。

「タイラン、あの栗江って輩は」

「あれはとにかく逃げたくて逃げたくてしょうがないと言うそれだけの存在だったので」

「そうね。でも今思うと、って」

「ついさっきまでレッツゴー真四角でも見てたんですか?」

 タイランに指摘されて首を縦に振った津居山は、その体勢のままタイランが投げたゴムボールを右手でつかみ取る。


 その技はとても五十路の医師のそれではなく、相当に鍛えの入った人間の反応だった。

 もっともタイランもタイランでほとんどノーモーションで投げており、二人とも只者ではない事を示すには十分すぎた。いつの間にか二人の目が輝き、壁の向こうの敵を探し求める人間のそれになっている。


「まだ私たちは寛容すぎるのです。より徹底的に殲滅し、少しでも他者を傷つけんと欲する者を滅しつくさねばなりませぬ」

「そのためにオトコたちを傷つけさせているのにか」

「これはまだ未確認情報ですが、第一の女性だけの町では犯罪者となった番号を封印しているとか」

「656京分の1をわざわざ消して行くの?」

「ええ。その繰り返しでいずれは犯罪者の遺伝子を全廃できると言う事なのでしょう」

 656京分の1を消し続ければ、いずれは世界平和の事を思う真の人間だけが暮らす世界が出来上がるかもしれない。

 思えば、今自分たちがやっている事も変わらないと言える。この町に適応できない、する気もないような不適合者たちを放り出すと言う点では。


「ねえ、覚えてる?五年前の事」

「ええ。あの時はそれこそ五人ほど…」

「あれはもはや、どこでも暮らせないような存在だった。だから私たちは…」

「で、今度の東は」

「SABCのBよ」

「やっぱりそうですか」

「不満そうね。

 でもあなたの言う通り、私たちはまだまだ寛容すぎる。今も電波塔で戦っている人間たちのためにも、私たちは足元を守らねばならない」

「あの栗江とか言う女性でさえも、ああなってしまうのですからね……」

「彼女の母は尊敬できる人なのに」



 この病院の意思決定は、個々の医師ではなく津居山にある。

 もっとも津居山の判断に待ったがかかったのは十回に一回であり、SがAになる事はあってもAがSになる事はない。五味栗江についてもBランクの予定だったがCランクにせよと待ったをかけた人間がおり、実際津居山も迷っていた。五味栗江の母は電波塔の有力者でありその母親を裏切ったとなればその罪は重いのだが、あくまでも個々人の行いでしか評価できない以上津居山にはCランク判定を下す事は出来なかった。


 ましてや今回の東の家族には、そのような類の人間はいない。基本的に一般家庭であり、数千軒に一軒出てしまう程度の追放希望者だった。その類の連中は、基本的にAランクかBランクである。



「では明日には許可が出ると告げてくれる?」

「了解しました」

 プライベートの愚痴が終わった二人は仕事の口調に戻り、タイランは元の看護師として東の下へと向かい、津居山はまた今度やって来る入院患者のデータに目を通した。そして津居山の今日だけですでにもう五杯も呑まれたコーヒーカップはとっくの昔にコーヒー色に染まっており、はるか遠くにある缶コーヒーの自販機が退屈しているのを羨ましがっていた。


「そうですか、それは素晴らしいですねと」

「ああそう……」


 で、東に追放を伝える使い走り同然の役目を引き受けて戻って来た部下が、半分ほどしかなさそうな缶コーヒーを飲みながら戻って来た。飲酒喫煙当然ながら御法度のこの場所にて缶コーヒーを含む清涼飲料水は職員たちの娯楽だったが、津居山に言わせれば焼け石に水だった。

 全く、びた一文迷いのない、晴れ晴れとした別れの言葉。

 なぜ自ら、危険で不寛容な場所に飛び込んでいくのか。

「一応いざとなったら遠慮なくわめけと言っておきましたが」

「定型句を言うのも楽な仕事じゃないな……」

 追放とか言う単語を真に受ける事もせずに、浮かれ上がって頭がおかしくなっている女。

 そんなのを、この仕事に就いてから嫌になるぐらい見て来た。中にはその対処が嫌でこの病院を辞める人間もいる。どんなに頑張っても十人に一人しかSランクと言う名の残留・撤回を勝ち取れないのだから、まるで屠殺場にいるような気分になって来るとこぼす従業員もいる。もちろんその十分の一を勝ち取れる喜びを味わえる人間もいるが、少なくとも津居山とタイランはそうではない。








「さようなら、大馬鹿者!」


 だから、そうやって思いっきり吠えるのだ。

 この楽園から、自ら追放された愚か者。

 

 これから先、これまで守られていた苦難を一挙にかつ一身に浴びる大馬鹿者。

 一時の感情に駆られて、全てを失うガンギマリ女。


 それがBランクと判定された、五味栗江や東の末路。


 そのはずなのに、大馬鹿者こと東はまったく曇りのない笑顔を向ける。タイランが歓迎していない証とばかりにゴムボールを全力で投げ付けるが、東はちっともリアクションしないまま額で受け止める。


 痛いはずなのに、東の笑顔は全く曇らない。



 これまでの人生で、一番きれいだろう笑顔を浮かべていた。



 その姿が完全に見えなくなったのを確認した津居山は、院長室に戻った。




 東が来てからの三日で、トータル二十五杯目のコーヒーを入れるために。

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