「説得の時間」
追放希望者に対して長々と手順を踏む必要があるのは、第一の女性だけの町とて変わらない。
その事を津居山院長は知っているが、医師たちの大半や東は知らない。
(あんな帳面の上でのそれだけで誰を思いとどまらせる事が出来るものか……)
どうせオトコに体を売りに行くためとわかっているのに、三日ほど門外不出とか言って外の世界の煽情的な衣装やその他を見せるだけ。そんな「研修」で、一体誰が外の世界の恐ろしさを知って考え直すと言うのか。
実際、第一の女性だけの町にて追放前の「講習」を受けた上で考え直した人間は一割どころか1%もいないと言う。これはこの町における割合が10%である事を鑑みると極めて低く、それもまたこの町の人間が第一の女性だけの町の人間に不満を抱くそれになっていた。
本当ならば、ここから出て行く人間などいないはずだ。ここにいる限りは安全であり、少しでも外に出れば即取って食われる。その教育は十分にできているはずなのにと嘆く津居山にしてみれば、ここにいる入院患者たち全員「青い米の神の病院」と言う肩書にふさわしい連中にしか思えない。
この病院のベッドは百床だが、五十床以上埋まらなかったのは八か月前が最後である。入院期間は一律三日間なのに、本当に患者が減らない。流行っていると言えば体裁はいいが、この病院には関係ない。
自分たちが暇であればあるだけこの町は平和と言う事である—————そう追川恵美子町長から聞かされて来た津居山からしてみれば、多忙とは不穏と同義語であり、満室とは敗北と同義語だった。
津居山はまだ昼飯も取らないのに今日三杯目のコーヒーを飲もうと給湯室に向かう。出の悪い水道をじっと睨みながら薄赤い水を待ち、そこから出た水を黒光りするコーヒーメーカーに突っ込む。このコーヒーメーカーを磨いてそこから汲むコーヒーを飲むのが唯一の楽しみと言う生活を送って来た津居山だったが、最近は量が増えている上に正直まずい。
豆は第二の女性だけの町の直属農場に作らせた高級品であり、コーヒーメーカーは去年外の世界の男に寄付させた最高級品だった。それなのにただ苦味ばかりが際立つその泥水をいくら啜っても、気持ちはちっとも落ち着かない。
「教誨師を呼んで来い。三人ほど、あの東にぶつけるんだ」
「ですが今手空きの教誨師は三人しか」
「構わぬ。もう今日皆説法は終わったんだろう。交代交代にぶつけろ」
「はい」
そんな時には、こんな所までやって来た頭のおかしい連中をなぶるに限る。
徹底的に自分たちの愚かさを自覚させ、あわよくば目を覚ましてくれればそれでよし。ダメならばダメでそんな奴がいなくなるならと諦めも付く。全く悪い手段ではないつもりだった。
※※※※※※
「教誨師でございます」
果たして、自分の暮らす六畳一間のアパートより広いだけでサビの目立つベッドに腰かけていた東に対し、真っ黒な服を着た女性が現れた。
「私は死刑でも執行される訳?」
「ご冗談を」
教誨師とか言うのが、受刑者・とりわけ死刑囚を担当するそれである事ぐらい東も知っている。スペシャルドラマではかつてこの町を作るに当たり反発し続け三人の仲間を殺した女性が最後に触れた教誨師により罪を悔い改めてる光景が描かれており、毎年二回放送されているので東も覚えていた。
「あなたはあまりにも勇敢です。しかしその勇敢さを好む人間が同じように勇敢であるとは限りません。むしろ臆病な人間が多いのです」
「はあ」
「その臆病な人間はあなたの勇敢さを利用し、自ら傷付くまいとしてあなたを武器とし盾とします」
「へー」
「自分が使われていると知らない間にボロボロにされ、やがて利用価値がなくなったと知れば捨てられてしまう。そんな存在を見過ごせないからこそこの町は出来たのです」
「ふーん」
「この町に居る限りあなたは死ぬまで安寧な暮らしを得られます。それを外の世界に宣伝しに行くと言うあなたの殊勝な心掛けは実に素晴らしいと思います」
「ほぉー」
「ですが外の世界に出た数多の宣教師たちが迫害を受けています」
「…ひぇー」
だからと言って、その教誨師の話を聞くか聞かないは東次第である。最後にわざとらしくハ行の文字全部を揃えた東は内心で大あくびをしながら教誨師の口から出る音声を右から左へと聞き流していた。
「ちゃんと話を聞かないのであればここにいてもらう事になりますが」
「あんたはこの町から絶対に出てもらいたくない訳」
「滅相もない。ただ外の世界に出るに当たりその恐ろしさを知ってもらわねばならぬと思い、そしてこの町から出た人間として外の世界で軽んじられるような事があってはならぬと思いこうして語り掛けているだけです」
「この仕事週休何日な訳。噓つきはダメだからね」
「最近は一日です」
「こちとら週休ゼロ.五日よ。そうまでして貯めた有給休暇を使ってここまで来たんだから。それで金ももらってんでしょ、私らをエサにして」
東は清掃業勤務の人間であり、それこそ完全な休みは二週間に一度だった。一日の労働時間はさる事ながら給料は安く、そのためサービス残業の概念こそないが残業代稼ぎをせねば暮らせないような従業員が大半だった。そしてその従業員が次々と身体を壊したりこの病院に来たりしているのだから会社は常に人員募集をかけているような自転車操業の極みであり、倒産も時間の問題と言われていた。
「まだ時間はあります。またお話ししましょう」
「ゆっくり寝ていたら?」
そんな人間に対し、それこそほんの少し舌を動かすだけの人間が立ち向かった所でどうにかなる訳でもない。最近労働時間は増えているが給料は東の三倍以上の、神学部卒業のスーパーエリートである教誨師二年生の人間ではあまりにも荷が重すぎた。
その後も津居山院長からの教誨師と言う名の刺客が東に向けられたが、第一手目の段階で余計に守りを固くした東に彼女らの攻撃が通るはずもなく、ハ行のつぶやきを返されただけ最初の教誨師の方がましだった。
「今のうちに、ゆっくりと眠っておくのです。外で淫乱を極めし存在に襲われる前に……まあ、そこまでの勇気がおありならばどこでも眠れるでしょうけれど……」
とただの嫌味にしかなっていない言葉を全く瞼の開いていない人間にぶつけた所で、一体何の意味があっただろうか。
せいぜい、ほんのわずか東が寝るのを遅くしただけである。
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