ブルー・コメット・ゴッド病院

「いらっしゃいませ」


 びた一文歓迎していない様子で垂れ流された機械音声の鳴り響く、薄汚れた手動式ドアを押しながら東は入った。


 町役場で手続きを終えた彼女が次に向かったのは、外の世界に向かうための研修施設と言う名の、この病院。


 津居山恵美と言う名の女性が院長を務める、BCG病院。


 別に対結核用ワクチンの病院と言う訳ではないのにBCG病院と言う数か所ほどさび付いた看板が立つ病院。 


 

「ではこの病院に三日ほど入院し、その上でその後どうするか患者さん自身で決定していただきます」


 町役場の係員の機械音声にも似た言葉を受け、一日一往復のバスに乗って向かった東に対して、この病院はあまりにも問題だった。


 何と言うか、それなりに整備されているはずなのに妙に古臭い。

 古臭いと言うか、どこか不安定だった。

 確かに外見と病院の廊下に並ぶベッドや椅子、カウンターなどはまともだったが、全てがなんとなくずれている。まっすぐな廊下のはずなのになぜかまっすぐ歩けず、目線も定まらない。

 その事を指摘しようにも前を歩く人間はまったく動じる事もないため、突っ込む事は出来ない。ここに来た患者すべてが、たどる道だった。




「ブルー・コメット・ゴッド病院へようこそ。院長の津居山です」

「はい…」


 やがて病室に案内された東に相対したのは、医者にしてはやけに肉体の引き締まった、これまでと同じくやたら無愛想な女性。医師らしく白衣は着ているが、どこかマネキンめいた不自然さがある。

 ジュエルドプリンセスになどめったに行かない東でさえも、マネキンとわかるほどのマネキンぶり。

 そのマネキンから出る野太い声に、これまで自信を持っていたはずだった東の口が鈍った。

「あのですね、外の世界ではオトコたちがこんな風に威圧して来るのは日常茶飯事です。この程度で怯えてどうするのですか」

「怯えていません、不思議なだけです」

「言葉を飾るのは素晴らしい事ですがね」

 ついうっかり本音を漏らしてしまった東に対しても、津居山は淡々としている。抑揚など全くなく、ただただ必要だと思う事だけを口から吐き出す。


「このブルー・コメット・ゴッド病院がどんな場所なのか、知らずにいたと言うのですか」

「はい」

「それは大変に幸福な事であり、今のあなたは凄く不幸です。ブルー・コメット・ゴッドと言う名前を頂戴してしまったのは、これまでの数多の死者たちのせいなのです」

「人間は死ぬと夜空の星になり、神様に魅入られると」

「それは冗談ですか本気ですか」


 それでも東はユーモアを返す程度には余裕もあったが、津居山の言葉はちっとも柔らかくならない。

 死んだ人は夜空のお星様になり神様に魅入られるとか言う昔話はこの町にもあったが、そんなのが昔話に過ぎない事は中学生になる前に理解する。と言うかそれこそある意味もっとも縁起でもない話であり、生きて退院する事を目標とする病院としては一番縁起の悪い名前でしかない。


 もっとも、通院と言う名の治療や退院と言う名の完治を目的としていればの話だが。



「一から説明する必要があるようですね。なぜ当院がブルー・コメット・ゴッドなどと呼ばれているか。

 ブルーとゴッドはわかるでしょう。青色の青と、神様の神です。

 それにコメットとは、決して彗星などではありません。ただの米です」

「ブルー・ライス・ゴッドじゃないんですか」

「ええ。ブルー・コメット・ゴッドと言うのは、あなたがさっき抜かしたようにこの病院にかかった人間はお空のお星様になると言う意味も兼ねています。

 そして青と、米と、神です。もうこれ以上説明は要らないでしょう、ねえ……。

 まさかこの程度の事もわからずにこの病院へ来たとか」

「言いますけど」

「はぁ……………………」


 混じりけのない出来の悪い生徒の言葉に、マンツーマン指導を任された教師は大きな溜息をぶつける。

 ここに来るような生徒はそれこそ補習授業を何度も受けているような劣等生中の劣等生であり、もし許されるのならばすぐさま切り捨ててやりたいほどだった。


「もうはっきりと申し上げます。ここに来ると言う事は、既に相当におかしいと思われていると言う事です。

 これ以上ここに留まり続けるのならばそれこそこの町に居場所などなくなります、いやこの楽園に居場所など」

「知ってて来たんです」

「あなたはまだ何も知らない。あなたがそんなに自由な格好をしていられるのは、この町に居られるからです。外の世界では」

「もう聞き飽きました」

「あなたの目、鼻、髪の毛、胸、腰、尻」

「はいはい」

「真面目に聞きなさい!」

 年季が経っただけの机を津居山が叩くが、東は反応しない。

 もう何度も聞きましたからと言わんばかりにうっとおしげに答えて見せる姿は、とても真面目な人間のそれではない。



 だが実際、その通りだった。


 小学校一年生、いや幼稚園児の時からオトコは女のありとあらゆる場所を狙って来ると言う教育をされており、高校三年生はおろか大学四年生になっても頻度の違いはあれど言われ続ける。

 半ば面白がって目、鼻、髪の毛、胸、腰、尻とか言う子もいて少しばかり教師たちも辟易していたが、オトコへの危機意識を植え付けてくれるのならばそれでいいと修正をする事はなかった。

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