亡命理由

 翌日。

 


 文字通りの朝一番で、監察官が電話を受けた女性がやって来た。


「名前は」

「大野と言います」

「移住希望とうかがいましたがやはり…」

「ええ、あの時の事は未だに忘れられません……」


 大野と名乗った女性はハンドバッグを抱えリュックサックを背負いくたびれた服を身にまとい、化粧も全くしていなかった。

 そのせいか身分証明書には二十七歳と記されていたが十個は老けて見えたし、それ以上に目が死んでいた。


「できればでよろしいのでその時の事を聞かせていただけますか」

「はい……ある日の事でした」



 大野の口から、ゆっくりとその時の経緯が語られて行く。




 ——————————二か月前。その時彼女には付き合っている「男」がいた。


 関係は良好で、あと半年もすれば結婚もするはずだった。


 きちんとした式を挙げ、新婚旅行にも行き、普通の家庭を作る予定だった。


「ですがあの日……あの男は……」


 仕事帰りで疲れたと言って来るのはしょうがない。

 夕飯も食べずに風呂に入って寝るだけなのもそんな物かと割り切れていた。


 ……だが。




「帰って来たと思ったら呼吸が異様に荒く、そして食事も入浴も求めなかったのです」

「やはり」

「ええ、私の体を求めて来たのです!後先にもほどがあります!」



 まだ同棲であって籍を入れていないのに、身体を求めて来た。



 正確に言えば、性行為を求めて来たのだ。


「それならば先に、先にぃ!」

「籍を入れろと」

「そうなのです!ですがあの男はぁ!」


 入籍してから、夫婦になってから行うべきことを。

 せめてものと言わんばかりに入浴させて身体を清めさせたが、それでも男の様子は変わらなかった。

 むしろ余計に顔が赤くなり、目付きは人間のそれでなくなり、呼吸も極めて荒くなっていた。


「その時逃げようと思いました。ですが私は余りにも非力、そして体が動かなくなりスマホを握る事も出来ずただ震える事しかできず……」

「その話はよく聞きます。それこそ体中が震え、硬直して動けなくなるとか」

「そしてあの男は雑に着られた服をあっという間に脱ぎ捨て、私にもそうなるように強要したのです!」

「大変失礼ですが…」

「はい、その時は私もいつの間にか似たような調子になっていました!あんなにも怖かったはずなのに!」


 恐怖心とは別のそれで、動けなくなる。

 まるで、目の前の暴挙を受け入れてしまうかのように従順にされて。と言うか、こちらが男の体を受け入れようとしているみたいに。




「その後の事はもう覚えていません、と言うか思い出したくありません。気が付くと全てが終わり、私はまともな女ではなくなってしまいました」


 その事を他者になぜ訴えなかったのかとは言わない。訴えた所で無駄であったと言うのがオチだし、実際にこの大野と言う女性も両親に強引にやられたと訴えた所で「何をウブな事を言っているのか」でおしまいだった。


「気に病まないで下さい。この町には外の世界で子供を産んだ女性も多数来ているのです」

「あのもしそれで、子どもが出来てしまった、場合はどうなるのでしょうか!そしてそれが男だった場合は!?」

「その場合は相手に強引に引き取らせます。逆に女児であれば何が何でも我々が親権を取ります、その代わり基本的にお金はびた一文取れませんが」


 その時のショックで彼女は男を捨て、この女性だけの町へ来る事を選んだ。

 だがその時の一件で自分が妊娠しているかもしれないと言う恐怖は男性に対する恐怖以上に肥大しており、その事を語る大野は先ほどの男の行いを語る時以上に震えていた。

 もちろん妊娠中絶と言う選択肢はなかった訳ではないが、それでももし男が生まれたらと言う不安を抱える妊婦の移住者はまれにいた。

 だがその場合妊娠中絶を行う事は、この町ではない。一時的にせよ男が入ってしまう事に不満を抱く層はいない訳ではないが、それでも生命の断絶を嫌う風潮から妊娠中絶はあまり好まれなかった。


 と言うか、実はその手の技術がこの町にはない。産婦人科医と書いて機械により生まれたある種のクローンを生み出す仕事が市民権を得ている以上、そうやって生まれて一度も町の外に出た事のない監察官の妊娠・出産に関しての知識は外の世界の小学生並みかそれ以下だった。もちろん移住者たちもその手の技術を受け継ぐ気も語り継ぐ気もないからどんどん知識は退行しており、これは第一の女性だけの町でもある種の社会問題になっていた。

 その結果妊婦に付いての対応は女児ならば住民とし、男児ならば夫に引き取らせると言うのが定番パターンとなっていた。と言うか強引にでも生物学上の父親に引き取らせ、それができないならばそれこそ提携している孤児院に放り込んでいた。ぶっちゃけた話これは第一の女性だけの町でも同じ事が行われており、今までに十数名の男児が「女性だけの町」で産まれて孤児院で育っている。一応そのための金銭は払っているがどの女性たちも認知しようとせず、お金だけの関係だった。


「とにかく、あなたがそのような体験をしている以上、我々としては最大限のサポートをいたします」


 そんな大野と言う女性に対し、監察官は最大限のサポートを行う事を約束した。




「特権階級」としての。

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