「電波塔」

「おはよう…」

「座間さん、まだベンチで寝たんですか」


 翌朝、座間澄江はもちろん着替えもしないまま電波塔にやって来た。アルコールはすっかり抜けているが服は乱れており、背中はホコリまみれだった。

「いいじゃないの、それこそこの町がこの町である証拠よ」

「それはそうですけどね、議員さんたちも通るんですからこの辺りって」

 澄江は全く気にする事なく笑う。自分たちが守っているからこそできる行いであり、男たちが介在する限りこんな平穏は来ないと言う自信に満ち溢れたエリートととしての自負。

「って言うか座間さん、婦婦になる相手見つけた方がいいですよ。お母さんも」

「あの人は一人でも幸せだったから、女一人でも子育てはできるでしょこの町」


 いわゆるシングルペアレンツ、と言うか完全な独り身でも育児ができるように、養育施設その他はかなり充実していた。その分児童虐待の罪はかなり重くなっているが、わざわざそんな事を犯すような人間はいないと言うのがこの町の不文律の一つになっていた。

 いや、実際法律としてかなり長期の刑期が科されるようになってはいたが、それでもその事もまたこの町の売り込みの一つとなっていた。当然その手の施設の職員やベビーシッターの求人は凄まじく多く、求人倍率も上がっていた。そして給与もまたしかりである。


「社会が子どもの事を慮れば、町はこうなるだけ。そんなに難しい事なのかしらねえ」

「難しいからこんな場所があるんでしょ」


 だらけた口調のまま歩を進める澄江だったが、手をモニターに合わせる姿はまったく乱れがない。

 あらかじめデータベースに登録されている指紋掌紋との整合が取られ、初めて入場が可能となる。

 このセキュリティを突破しない事には、見学すらできない。


 電波塔と言う名の、防衛システムに立ち入るためには。


 

 そうして一階に入った澄江たちの前に広がるのは、いくつかのソファと観葉植物、さらに噴水があるだけのただだだっ広いフロア。後はそれこそ売店やトイレなどありふれた施設しかなく、勤め人と言えるのは受付やそれらの施設の従業員だけだった。

「って言うか澄江さん、明後日トイレ掃除担当ですよ」

「ここじゃないでしょ」

「そうですけどね、最近汚いって言われてますから」

「それはま、まあね。今度は気合を入れないと、って言うか朝一で来ないと」

 澄江はバッグからカードを取り出してエレベーターに当てる。それで初めてエレベーターのドアが開き、目の前の人間を迎え入れる。


「十五階のトイレってある種の聖域なんですからね」

「そうよね、そこ掃除するだけで大金が入るんだろとか言い出す連中って予想外に多いからね。聖域には入るだけでも困難だってのに」

「出るのは簡単ですけどね」


 澄江の仕事場である十五階にたどり着いた所で、すんなり仕事場に行ける訳ではない。目を大きく見開き網膜認証を行わねば次のドアは開かず、それを通らない限り行けるのはトイレかもう一つのエレベーターだけである。

 そのエレベーターは十五階から一階に戻るだけの一方通行で、上がるにはやはりカード認証が不可欠である。避難用と銘打たれているが実際は帰宅用であり、それ以上に追放用である。


「ああおはようございます…って言うかここで寝ればいいのに」

「お酒飲んでここまで来られるとでも?って言うかそれでぶたれたらシャレにならないんだけど」


 次の部屋に並ぶのは、ベッドと棒。そして冷蔵庫。

 その棒は見た目はコントの道具だが、スイッチを入れれば高圧電流により侵入者を気絶させることができるようになっている代物。もちろん指紋認証ありきであり、登録者以外が所持しても何の意味もない。

「と言うか十五階って呼び名どうにかなりませんかね」

「十五階は十五階でしょ、今更十六階とか言えるわけないし」

 そしてそのベッドの先にあるのは第四の認証システム、16ケタのパスコードだった。もちろん手袋をはめた上で個々人によって違うパスコードを入力する事により、十六階への階段が開く。

 ちなみに座間澄江のパスコードは「1056 6463 0254 BDEC」であり、「0754 61D5 46E4 A169」と言うパスコードを持つ人間もいた。

 1つでも間違えば一階まで戻って二番目のエレベーターからやり直しであり、この時ばかりは座間澄江も真剣だった。


「はぁ…」

「何ため息吐いてるんですか」

「あなたは元気あるわよね」

「澄江さんが二日酔いなんかするからですよ」

「年のせいかしらね」

 実際澄江も二度ほど間違えた事があり、その度に十個下の後輩社員から咎められた。またなぜかパスコードを間違えると言う現象は一定以上の年齢の職員に多く、その度に教育を受けていた。一体それが何なのか澄江も後輩職員に聞いていたが的を射た回答は得られていない。


 とにかく手すり付きの階段を上るとそこには広々としたオフィスがあり、そしていつもの席に着く。

 そしてリターンキーを押し、最後にPCに掌紋認証を行い、さらに先ほどと同じパスコードを入れる。




 —————と言う、五重のセキュリティを突破して、やっと仕事が始められるのだ。

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