第5話 シカ

 突然ですが、逃げてますっっっ!ぎゃーーーーっ!


 踏んだ砂利が音を立て、リュックの中身ががっさがっさと騒ぎます。寝ていたネコは私の頭の上に移動し、瑠璃の触手を逆立てて追っ手を威嚇してくれている。でも爪っ、ツメがっ、頭に刺さってるっ、痛い痛いっ!


バオォッ


 鳴き声、と呼んでいいかは分からない排気音。私の二倍以上の体高を持ち、縦に三つ並んだ合計六個の黒い目を光らせる四足動物。ごわごわとした黒茶色の毛皮を有し、頭に四本と首に二本の枝分かれした屈曲つのを生やす異獣。


 シカ。


 それが追跡者の正体です。


「偶発的遭遇っ、不運っ、過ぎるっ!!」


 ネコを供にして歩き始めてから一時間。もうそろそろお昼ご飯かな、と考えていた時。ガサッという藪を掻き分ける音と共に鉄路へ、のそりとシカが現れたのです。


 咄嗟に私は動きを止め、シカはこちらをジロリと見る。変に目を逸らせば襲われる、逃げようとしても襲われる、どうする?


 私は刺激しない程度の動きで右手をゆっくりと下げて、腰のホルスターの拳銃を握りました。素早く抜いて撃鉄を引き、狙いを付けて放てば倒せるはず。撤退が不可能ならば勝利する以外にないのです。


 ただ、先手を打てなければ意味がありません。


 という訳で結果、先手を打たれて追いかけっこが始まったのです。


 自分に向かって突っ込んでくる相手に銃撃して、万が一外したら相手の攻撃がクリーンヒット。一か八かの大博打、そんな事は出来ないのだっ!


「足が四本あるなんてっ、卑怯だぞっ!」


 ショルダーベルトを握って荷物の揺れを抑え、不満を口に出しながら一目散。ある程度の距離はあったものの四足で走るシカと、二足歩行プラス積載物アリの私では勝負になりません。


 あっという間に距離を詰められ、振り上げられる角がリュックを掠めます。ヤられるッ!


フーッ、ニャッ!

バチッ!

「あ痛っ!?まぶしっ!?」


 頭の上のネコが短く強く鳴いたと同時に、私の頭に針が刺さったかのような痛みが走ります。発生した音から考えるに、電気が発生して私に通電したのでしょう。


 いや、それよりも何よりも、目が眩むほどの強烈な光が頭の上で生じたのです。幸いにして後方へ向けて放たれたようで、一瞬目を瞑るだけで私は無事でした。


バオォォッ!?


 ですが追跡者はそうはいきません。六つの瞳に閃光を受けたシカは、あまりの光に目が眩んで足が止まります。


好機チャンスっ!」


 勢いよく振り返るのと同時にホルスターから拳銃を抜き、二つのついを持つ撃鉄を左手で引っ張る。ガチンと音がする所まで引けば、発射準備完了です。


 我が武器は上下二連式のダブルバレル拳銃ピストル。一般的な拳銃とは異なり、片手で撃鉄を起こせない発射体制に出来ないのです。更には中折れ式で一度に銃弾を二発しか込められない、ついでに言えば引き金を引いたら二発とも発射される。


 速射性なんて全く考えられていない、不便極まりないハンドメイド銃。


 ですがですが、私がこれを作ったのには理由があるのです。それは。


「喰らえッ!」

ガヂンッ!

バドンッ!!


 威力。


 万が一にも異獣に襲われたならば、生中なまなかな力では生き残れない。逃走する事も簡単ではありません。つまり倒すしかない。


 その時に重要となるのは、弾を素早く吐き出す事よりも一撃の重さ。私はそう考えたのです。そしてそれは、いま目の前で結果を出しました。


 発砲の衝撃で大きく跳ね上がる銃と私の両腕。それによって私の瞳を遮る物がなくなり、着弾した相手の事をしっかりと映します。


 顔面の中心に弾を受けて外皮血肉、骨髄脳漿全てをまき散らすシカの顔を。変異した獣であっても生物である事には違いありません。頭を吹き飛ばされて生存できるはずも無し、です。


どだぁぁん


 力を無くした巨体はぐらりと揺れて、鉄路の脇に倒れました。当然ながら二度と動く事は無く、私の命の危機は過ぎ去ったのです。


「ふ、ふぃぃ……助かったぁ」


 額に生じていた冷汗を袖で拭い、安堵の声を漏らします。いや、本当に何とかなって良かった、死ぬかと思った。


なーお

「ありがとー、ホンットにありがとーっ。助かったよ、ネコちゃん~」

シャッ!

ざくっ!

「痛ぁっ!?」


 地面に降りていたネコをお礼の言葉と共に抱え上げようとしたところ、強く拒否されて爪の一撃を食らいました。酷い……。


 さてさて異獣を打ち倒したわけですが、このまま素通りする理由など有りません。折角入手した獲物、最大限に有効活用せずしてなんとするっ!


 厚手の革手袋を取り出し、リュックサックの横に差していた鉈を抜き、シカに向けてチャキっと構えます。我が一撃、食らうがいい!


 な~んて事はせず、細かく丁寧に刃を入れる。首筋にスッと入れて浅く裂いていき、筋肉と皮の間を滑らせて毛皮を剥がしていきます。


 さくさくサクサク。もうこんなのは慣れたもの、ですよ。今回の様に自分で異獣を倒す事もあれば、コロニーで解体を手伝う事もありますからね。


「よぉーし、毛皮完了!」


 首周りの皮をぐるりと剥がし、内側を表にして地面に広げて置きます。


「次は角~」


 よく使う故に損傷が目立つ頭の角ではなく、首の中程から伸びるものを選択。その根元を目掛けて鉈を振り下ろします。


バギンッ!


 太さの割に容易く折れました。シカの首角くびつのは柔らかく、解体時も楽に取り外せるのです。ともあれ、これで素材と呼べるものは十分確保できました。


 シカの身を全て解体したいですが、流石に一人でそんな事はやってられません。丸一日かけても終わりませんし、そもそもそんな量を運ぶ手段が無い。程よい大きさに折ってリュックに括れる角と、それに巻き付けて運べる毛皮で限界なのです。


 ですがですが、それよりも重要な事があるのだっ。


「肉だっ、肉だっ!」


 そう、肉です、肉なのです。肉だ、にく、ニクっ!


 ああっと、失礼。コロニー以外で肉を食べられる機会なんてそうそう無いもので……。銃弾勿体ないし、そもそも危険ですからね、狩猟って。


 こうした偶発的な形でしか肉を得る事は無いのです。


 本当ならば放血血抜きモツ抜き内蔵除去なんかをしたい所ですが、流石にそんな時間はありません。というわけで焼いて食べられる柔らかい所だけ、太ももの肉を切り取ります。


 ササっと薄切りにして、食べやすいサイズに。


「ほーら、ご褒美だよ~」


 その内の数枚を今回の功労者へと差し出します。


ニャッ

ガジッ

「あ痛っ」


 うぐ、指ごと噛んできた。

 実は私の事を獲物と認識してる、とか無いよね?大丈夫だよね?


 気を取り直してリュックから調理セット一式を取り出し、湯を沸かしたのと同じようにコッヘルを加熱します。ほんの少しだけ削り取っておいた獣脂を中へ入れて溶かしてから、肉を一枚投入!


じゅううう……


 素晴らしい音色が響きます。肉が焼ける音というのは、なんと良いものなのでしょうか。口の中に、思わずよだれが生じてしまいますねぇ。


 贅沢を言うなら塩が欲しい所ですが、残念ながら今は持ち合わせていません。必需品とまでは言えないものなので、調味料はどうしても…………。


キュピーン!

「むむっ!」


 良い事閃いたっ!


 リュックの中を探り、ズボっと取り出したるはゲロまず産業廃棄物カリカリ


 これを砕いて~、砕いて~。ほーんのすこーしだけお肉に振り掛け~。


 十分に火が通って焦げ目が付いたシカ肉と、それに舞い降りた黒い粉末。肉に砂が載ったみたい、見た目が最悪だー。


 いや、だがしかしっ。閃きが正しければっ。


 いざ、実食!


「はぐっ、もぐもぐ…………。ん、んんんっ!美味しぃくはないっマッズ!!!」


 血抜き無しで捌かれた事で臭みが取れていないシカ肉。それに振りかけられた苦み溢れるカリカリ。化学反応奇跡何か魔法で美味しくなると思ったのに、相乗効果で苦みとえぐみがマリアージュ。更に追い打ちで、増幅された臭みが鼻にドーン。


 ぐぐぐ…………失敗だ。肉焼きにコッヘル使ってるからお茶を作ることが出来ない、口の中が酷い。


 ええい、他の肉を食べてリセットだ!臭みだけなら問題ない、そんなのはいつもの事だからね!美味しそうに肉にかじりついているネコを横目に、私は次の肉をコッヘルに放り込んだ。


 ああ、そういえば。今回の功労者たるこの子に名前を付けてあげようじゃないか。いつまでも脳内呼称が『ネコ』じゃかわいそうだからね~。


 うーん、何が良いかな?


 ネコだからネッコ……いやなにも変わってないじゃないか、論外。

 体が白いからシロ……まあ及第点。

 目が青いからアオ……及第点パートⅡ。

 触角の色からルリ…………良いんじゃない、コレ?


 瑠璃、ルリ。この子はメスだし、ちょっとだけ捻った感じで良い感じ。よし、決まりだ、ルリと呼ぼう。私には学など無く、悩んでも他に候補なんて出ないのである。


「これからもよろしくね、ルリ」

ガジガジ

「キミの名前だよー、ルリ~」

ペロペロ

「おーい、ルリ~」

くあぁ

「ルリさん、せめて何か反応して」

にゃぁ


 『なんだ、それは私の名前か』とでも言いたそうな顔で、ルリはひと声だけ鳴いた。


「ルリ」

にゃ

「る~り~」

にゃあ

「ルリちゃーん」

キシャーッ

ざくぅっ

「痛ってぇ!」


 何度も名を呼ぶ私が気に入らなかったのか、ルリが襲い掛かってきた。そして、私が焼き育てていた肉を奪い取っていった。


 その後は焼いた端から奪い取られ、私のお昼ご飯は随分と少なくなってしまいましたとさ。ああ、私のお肉が…………。

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