第18話


 俺は心の中で三浦美樹さんごめんなさい!と何度も言いながら、さやかを背負って前かがみになった姿勢で新宿区役所通りを通り過ぎ、大久保方面に広がるラブホテル街に向かった。

 そして、いちばん高そうなホテルの一番高い部屋に突入してさやかと朝まで過ごした。



第7日目



 翌朝、俺とさやかはルームサービスの朝食を食べホテルを出た。

 昨日の晩はほとんど一睡もせずにさやかとのセックスにのめり込んでしまった。

 さやかは飽くこと無く俺の体を貪った。

 果ててしまった俺の体に覆いかぶさっては俺が今まで体験したことが無いようなつぼを心得た、そして執拗な愛撫を繰り返し、その度に元気になった俺をまたセックスへと駆り立てたのだ。

 俺は昨晩は本当にセックスのし過ぎで死んでしまうのかと思った。

 明け方にやっとの事で開放された俺に裸の身体を摺り寄せたさやかは、田舎で何も無い所に住んでいたからセックスばかりしていたと微笑んだ。

 …それはうそでさやかは実は本当に北の工作員だったのかもしれない。


「あの…この事は三浦美樹さんには…」


 ホテルを出てからさやかと歩きながら、我ながらいささか男らしくないなぁと思いながらも口ごもりながら言うと、さやかが俺の頬にキスをした。


「この事は二人の最重要機密事項で」

「ありがとう」

「でも、時々泊まりに行っても良いよね」


 さやかが笑顔で言ったが、目は笑っていなかった。


「う、うん、時々なら…本当に時々なら、いいよ」


 さやかは目だけが笑っていない笑顔で手を振りながら新宿駅に向かって歩いて行った。

 俺はそのまま学校に行ったが、昨日の合コンの時と変わらない服装と、ぷんぷんと匂うシャンプーの香りをさんざんからかわれた。


 俺は一日中からかわれながら授業を受け、そのままバイトに行った。

 店に入ると早番の人達がめかしこんだ俺の恰好を見てはやし立てた。

 ロウさんが俺のキンキラロレックスに目が行き、しきりに褒めた。

 どうも中国の人達はキンキラが大好きのようだ。

 マエダはどこかに出かけているようだ。

 俺は控室で着替えて店に出た。

 ツダとワタリもやがてやって来て早番と引き継ぎをした。

 店は10人くらいの客がいて、賑やかな外国語の会話が飛び交っていた。

 ワタリはリサさんが来ている事を見つけましたが反応がない。

 俺はワタリに聞いた。


「リサさん見ても冷静なんだな。もう、リサさんに興味がないの?」


 ワタリは小声で俺に言った。


「俺、ソープの女の人と一緒に暮らすかも知れないっすよ。

 そしたら彼女も俺が食わせてやらないといけないっすからね。

 もう、リサさんはあきらめました」


 俺はワタリが意外と一途でしっかりした考えを持っている事に驚いた。

 ワタリは親兄弟がいないので家族の温もりに飢えていたようだ。

 やがてマエダが店に来た。

 マエダは俺の所に近づいて鼻をクンクンさせた。


「ソノダ、兄貴、やるじゃねぇか!

 ホテル行っただろう?」

「ええ!?

 判ります?

 匂いますかねぇ?」

「そんくらいなら大丈夫じゃねぇか?

 なにせ俺は鼻が利くからよ。

 まぁ、病気には気を付けろよ、兄貴」


 マエダはニヤッとして控室に入った。


「入れてー!」


 リサさんが1万円札をひらひらさせた。


「はい、ただいまー!」


 俺がリサさんの所に行って点数を入れているとリサさんが目ざとく俺の腕のロレックスに気付いた。


「あら~、凄いじゃない?

 ソノダさんもそういうの付けるようになったんだ~!」


 リサさんが顔をほころばせた。


「いや、貰い物です…」

「こないだの事、聞いたわよ。

 ピストル出してぶっぱなしたやくざを素手でぶっ倒したんでしょ?

 カッコ良いね~!すご~い!」


 ………歌舞伎町は噂が広まるのが速くてほら吹きが多いからどんどん話が派手になって来る町のようだ。

 俺は心の中で、なんじゃそれ?と思いながら曖昧な笑みを浮かべてカウンターに戻った。

 ツダがニヤニヤしながら言った。


「昨日、マエダさんが客にソノダさんの事話してましたよ。

 かなり大げさにね」

「えええ!

 それ、困りますよぉ!」

「店は困らねぇんだよ」


 マエダが控室から顔を出して言った。


「こういう事は尾ひれを付けて大々的に噂を流すんだ。

 そうすればこの店で変な事する奴いなくなるからな。

 さっきもあちこちでお前の噂を流して来たんだ。

 まぁ、ニューヒーローの誕生って事で、よろしくな。

 ひひひひひ」


 マエダは悪魔のような笑顔を残して控室に引っ込んだ。

 俺がため息をつくと、マエダがまた顔を出した。


「おっと、噂を聞いてあちこちからスカウトが来るかもしれねえがその辺は丁重に辞退しろよ。

 ソノダはまだまだこの店に必要だからよ」


 俺はまたまたため息をついた。

 誰だって話は大げさの方が面白いからこういう話に飛びつく。

 歌舞伎町の、いや町の伝説はこうやって出来て行くのかも知れない。

 ブザーが鳴って周さんが入って来た。

 今日はいかつい感じの中国人を連れている。

 周さんが俺を見ると笑いながら話しかけて来た。


「ほうほうほう、強い人いるねぇ!

 今度、うちでアルバイトしない?

 この人、うでっぷし強い人探してるよ。

 一晩5万円だって出すそうよ」


 周さんがいかつい中国人を俺に紹介した。

 いかつい中国人はきらきらした名刺を俺に渡して丁寧に挨拶をした。

 早速のスカウトかなぁ?と俺は丁寧にあいさつを返しながら背筋を冷や汗が流れたのを覚えている。

 店は客がスムーズに入れ替わり、意外と静かに時が過ぎて行った。


 トイレに覚せい剤を使ったらしい跡があって後始末した事と、DJらしき日本人がコカインをゲーム機の上で吸おうとした事以外はトラブルもなく平穏無事で客達は順調にゲーム機にお金をつぎ込んで行った。


 ブザーがなってドアを開けると、ニシカワが連れて来た若いチンピラが入って来た。

 チンピラは俺を見ると笑顔で近づいてきた。


「この前はニシカワの野郎が迷惑かけてすみませんでした」

「いえいえ、仕事ですから…ニシカワ…さん、結局どうなったんですか?…殺しちゃったとか?」

「あははは、金にならない殺しはしませんよ。

 あいつは借用書を書かせて破門ですよ。

 期限までに返済しないと追い込みかけますけどね。

 強盗でもして金作るんじゃないですか?」


 チンピラは屈託なく答えた。


「うちのかしらが今度一緒に飲まないかと言ってましたよ。

 奢りですから心配しないで下さい」

「は、はい、でも自分は学生で、今中々忙しいんですよ。

 その内暇になったらお願いいたします」


 俺はそう答えるとチンピラは笑って、ぜひその内にと言いながら、財布からお金を出してゲーム機に座った。

 マエダがいつの間にか後ろに立っていて「なっ?」と俺に笑い掛けた。


「スカウトに気を付けろよ、兄貴。

 ひひひひひひ」


 マエダは笑いながら俺をつついてトイレに行った。

 俺はこのままずるずると闇の世界に入りそうで少し怖く、少しだけワクワクした。

 今日は時間があっという間に過ぎて行った。

 かなりこの仕事に慣れて来たようだ。

 引き継ぎの時間になり俺たちは控室に入った。

 今日は日給1万6000円、交通費1万円、大入りが5万円、そしてお小遣いが4万円出た。


 合計で11万6000円。


 マエダがほくほく顔で言った。


「今日は静かな割りに売り上げが凄かったからよ。

 毎日こんな感じだと助かるんだけどな。

 皆お疲れ様、小遣い色つけといたからな、明日も頼むぜ」

「お疲れさまでした!」


 俺たちはいそいそと着替えて店を出た。

 ツダが飲みに誘うとワタリが明日は早番をするし、今夜はこれから女の所に行くんですよ、とニヤニヤしながら帰って行った。

 俺とツダは呆れて切り替えが早いワタリの後姿を見送った。

 結局、俺はツダと落ち着いたカフェバーに行って小一時間程色々と楽しく話しながら時間を過ごし、アパートに帰った。


 アパートに帰ると、電話機の留守電ランプがついていた。

 再生すると美樹からの伝言が入っていた。


『 美樹です、この前はとても楽しかったです。

 今度映画に行く時が楽しみです。

 ソノダさんは今お付き合いしている人、いますか?

 今度会う時で良いので教えて下さいね。

 失礼します』


 という内容だった。


 俺はニヤけながら何度も伝言を再生した。

 折り返し電話をしようと思ったが、もう夜遅いので明日返事をする事にして、お風呂を沸かしながら、サッシに隠した封筒を出した。


 封筒の中に20万円、財布には昨日の残りとタクシー代の残りの9万円と今日の稼ぎの11万6000円、合わせて20万6000円があった。


 持ち金を合計すると40万6000円。


 たった1週間の稼ぎだ。


 アルバイトだ。


 俺はテーブルに並べたお札を見てため息が出た。

 全然節約するどころか物凄く贅沢をしてこれだけお金が残るなんて信じられなかった。

 俺は高らかに、しかし小声でまた歌った。


「るるる~オメガ買える~!

 オメガして美樹さんとデート~!

 るるるるる~!

 人生は素晴らしいよぉ~!

 やくざは嫌だよぉ~!

 さやかは時々ねぇ~!

 るるるる~!

 美樹さんがエッチ下手だとどうしよう~!

 でもやっぱり~!

 わたしは美樹さんがぁあああああ!

 さて~!

 お風呂入ろうよねぇ~!

 マンモス洗ってきれいにしようよねぇええええ!」


 俺はいそいそとお札を全部封筒に入れてサッシに隠すとお風呂に入って寝た。



   第八日目


 翌日、俺は電話のベルで目を覚ました。

 電話に出ると可愛い声が聞こえて来た。


「もしもし、ソノダさんですか?」

「はい、ソノダです」


 美樹だった。


「ソノダさん、おはようございます」

「ああ、美樹さん、おはようございます!」

「昨日お電話したけど留守番電話だったから…」

「ごめんなさいアルバイトに行ってたものだから。

 この前はありがとうございました。

 とても楽しかったです」

「私こそ凄く楽しかったです。

 今度パール座行きましょうね」

「はい、是非!僕は水曜日なら大体空いてます!」

「あの…ソノダさん」

「なんですか?」

「あの…今ってお付き合いしている人いるんですか?」


 一瞬俺の頭をけらけら笑うさやかの顔がへろへろ飛びながら横切ったがすかさず蠅たたきでたたき落とした。


「いえ!特定の人とお付き合いはしていません」


 さやかとはお付き合いはしていない、行きずりでセックスしただけだ、ええ、ええ、酔っ払って行きずりでセックスしただけですとも!

 俺は自信を持って言い切った。


「そうなんですか!」


 電話の向こうで美樹の明らかにホッとした感じの声が聞こえて来た。

 俺はドキドキしてぶっ倒れそうな緊張感を持って聞いた。


「美樹さんは…付き合っている人いるんですか?」

「はい、います!」


 俺は思い切りズッコケた。


 やっぱりねやっぱりねやっぱりねそうだよねそうだよねそうだよねそうだよね可愛いもんね可愛いもんねきれいだもんね頭と性格凄くよさそうだもんね男がほっとくわけないもんねそうだよそうだようんうんそうそう………美樹は自慰おかずそれだけの人……うんうんそうだよね…


 俺の顔は悲しみに歪んだ。


「でも、今日で別れます!

 元々凄くしつこく付きまとわれたから仕方なく付き合ってたんです。

 ソノダさん、こんな私で良かったらこれからお付き合いしてくれますか?」


 一瞬事態が飲み込めなかった、が、俺は元気よく答えていた。


「はい!喜んで!

 宜しくお願い致します!」

「よかったぁ!

 こちらこそ宜しくお願いいたします!

 わたし、今日頑張って別れて来ます!」

「応援してます!

 頑張って別れて下さい!」


 俺の張り切った声に美樹が嬉しそうに元気よく答えた。


「はい!

 頑張って絶対に別れて来ます!」


 電話を切った俺は、これは夢じゃなかろうかと思った。

 こんなにとんとん拍子に良い事が起きるなんて、今までの俺の人生では考えられなかった事だ。

 ひょっとして、アルバイトの事もさやかの事も美樹の事も全部何かの夢じゃないかと思い、不安になった。


 俺は財布を出した。

 夢じゃなければ大金(俺にとって)が入っているはずだ。

 恐る恐る財布を開けたらお札が一枚も入っていなかった。

 俺はひぇええええええええ!と悲鳴を上げて財布を放り出し、頭を抱えてうずくまった。


 やはり夢だったんだぁああああ!無念じぁ!と思ったが、ふと見るとテーブルの上にキンキラロレックスが置いてあった。


 俺は夢でない事を知り、胸を撫で下ろした。

 昨日の夜、サッシに隠した封筒にお札を全部入れておいたのだった。

 サッシから封筒を出すと中にはしっかりと40万6000円が入っていた。

 ほっとした俺はお札を眺めながら、今日オメガを買うかどうか非常に悩んだ。

 しばらく悩んでから俺は財布にお札を全部入れた。

 気分次第で買う気が起きたら買ってしまおうと思った。

 どうせオメガを買って40万円使っても、また今日の深夜には何万円か入って来るだから。


 俺は1万円札9枚を、半分に折った1万円札で挟んで10枚ずつすぐ判る様にして財布に入れた。

 店ではツダやマエダがお札をすぐ数えられるように、このようにして札入れに入れていたのだ。

 俺は自分の財布で一度やってやってみたかったのだ。

 朝食もそこそこに、そそくさと着替えるとお札で膨らんだ財布をポケットに入れてアパートを出た。


 今日は朝からびっちりと授業がある。


 俺は1日中浮き浮きした気分で授業を受けた。

 そして、授業が終わるとすぐに学校を飛び出て新宿の時計屋に行った。

 オメガ・スピードマスター・プロフェッショナルがそこに置いてあった。

 俺はオメガを見ながら財布に手を当ててしばらく悩んだ。

 オメガを買うと財布がすっからかんになるからだ。

 悩んだ末に俺は明日買う事にした。

 今日の日当が入れば明日オメガを買っても財布の中には何万円か残るし、安心できるからだ。


 俺はショーウインドウのオメガに小さく手を振ってその場を離れた。

 俺はしばらく歌舞伎町をぶらぶらした。

 クラウンでバイトをするまでは少し怖い感じがした歌舞伎町だったが、今ではすっかり俺のホームグラウンドのような愛着が湧いていた。

 俺はすっかりと歌舞伎町の住人の気分で町を歩いた。

 店の前までくると少し違和感を覚えた。

 いつも店の前に出ている看板が無い。

 俺は一応の用心で周りを見回して異常がないか確かめると店の前に来た。

 自動ドアが少し開いていた。

 俺がさらに用心して周りを見回して自動ドアに近寄って店の中を覗き込んだ。

 薄暗い店の中はきれいに空っぽになっていた。

 カウンターも、ソファーも、ずらりと並んでいたゲーム機も壁に貼られたポラロイド写真も何もかもが無くなっていた。








続く

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