第10話


 俺はコンブ茶を持って行きニシカワのゲーム機に置いた。

 ニシカワはゲーム機の画面を睨み付けながら憎々しげに言った。


「さっきの日本茶も置いとけよ。

 ったく気が利かねぇ店だな」


 ゲーム機のボタンをバシバシとひっぱたくニシカワの後頭部を思い切りひっぱたいてやりたい気分だ。

 俺は軽く深呼吸してから身をひるがえしてカウンターに戻る時に、ワタリとツダがニシカワに向かって中指を立てて睨み付け、俺に笑顔を向けた。

 おかげで俺も笑顔になれた。

 しばらくすると遅番のこわもて軍団がやって来た。

 俺たちが交代の為に客の飲み物の交換や洗い物をしている間、着替えた遅番軍団がカウンターの後ろに陣取り、マエダがニシカワを指さして何事か指示を出していた。

 俺たちが控室に入るとマエダが私達の給料が入った封筒を用意して待っていた。


「お疲れ!

 今日は売上上々だったぞ!

 ワタリ、ソノダ、今日は良く我慢したな。

 店から出たらあんなクズの事は忘れちまえ」


 俺たちは、はい!と返事をしてサインして封筒を受け取った。

 今日の給料は日給1万6千円、交通費1万円、大入りが5万円、おこずかいが2万円とプラス5千円貰った。

 マエダは我慢代を足してやったと笑った。

 合計で10万1千円。

 ワタリとツダが食事に誘ってくれた。

 俺たちが出て行こうとするとマエダが俺を呼びとめた。

 ワタリとツダが外で待ってると声を掛けて出て行った。

 マエダは俺に座るように言って、自分もソファーにどっかりと腰をおろして煙草に火をつけた。


「今日は良く我慢したな。

 どうだ?やっていけそうか?」

「ええ、なんとかやって行けそうです。

 ワタリさんもツダさんも気を使ってくれてますから…」


 俺も煙草に火を点けて一息入れた。


「そうかよしよし、その調子で頼むぜ兄貴。

 いくつか言っておくけど、学校や友達にこのバイトの話はするなよ。

 人によっては引いちまうからな。

 この店で起きた事はこの店の中だけの事にしとけ。

 それと、昨日も言ったけど学校はちゃんと行けよ。

 あと、持ち付けない金持って舞い上がっち舞うのは判るんだがなぁ、ちゃんと貯金しとけよ。

 …あとなぁ、お前、ポーカーゲームはプライベートで絶対やるなよ、うちの客を見たらわかると思うけど、はまるとなかなか抜けだせないからな」

「はい」


 俺は今日の朝、ナカガワにこの店のバイトの事を詳しく言わないで良かったと思いながら答えた。


「よし!話はそんなとこだ。

 ワタリとツダが待ってっからもうあがれ」

「はい!お疲れ様です!

 お先に失礼いたします!」


 マエダは鷹揚に手を振ってテレビを点けた。

 俺が店を出るとワタリとツダが待っていた。


「飯、食いに行きましょう」


 ワタリが言って、俺たちは夜の歌舞伎町を歩き始めた。


「しかし、今日来たあいつ…ニシカワでしたっけ?

 むかつきましたねぇ!」


 ワタリが顔を歪めた。


「ああいう奴ってよく来るんですか?」

「そりゃぁ、人間のクズが集まる店ですからね」


 ツダがにこやかに、しかし思いのほか激しい表現で言った。


「うちはまだ一点100円だから良い方ですよ。

 ある程度金持ってないと入れませんからね。

 最近できた10円ゲームの店なんて、本当に本当にクズでコジキが集まってますよ」

「へぇ~、そんなに凄いんですか?」

「まるでおさるのヒステリー大会みたいですよ」


 ツダがくすくす笑いながら言った。


「それにしてもマエダさんて大変なんですね。

 今日もロウさんの代わりに早番やって…これじゃ家に帰る暇、無いじゃないですか」


 そう俺が言うとワタリが寂しそうな顔をした。


「実は…マエダさんは帰る家が無いんですよ」

「え?」

「マエダさんは一年中ほとんどあの店にいるんですよ」

「ええ!そうなんですか?」


 ツダがワタリの後を続けた。


「なんか、離婚した時の子供が今難しい病気らしくて、その治療費に自分が稼いだ金を全部送ってるんですよ。

 自分、見ちゃったんですけど、控室で子供の写真をじっと見てる時ありますよ」

「泣いてるような時あったよね…」


 ワタリが言うとツダが頷いた。


「そうそう、だから一旦こういう世界から足を洗って普通の仕事してたみたいですけど、金が必要になって、住んでた家とか処分して、またこの世界に戻ったって、遅番の人から聞きましたよ。

 組に戻る時に今更何の用だ!ってぼっこぼこにされたけど、何度ぶん殴られても顔が倍くらいに腫上がってもずっと土下座してたって、言ってましたねぇ。

 あの人…根性有りますよ」


 俺はマエダの、普段はおくびにも出さない過去を知って複雑な心境になった。

 俺たちはラーメンを食べるか居酒屋に行くか迷ったが、結局ラーメン屋に行くことにした。

 最近流行り出したとんこつラーメンの店に行き、ラーメンを注文して待つ間3人で話していると、店の隅にパクの連れの小男のキムと言う男が1人でラーメンを食べていた。

 俺のポケットから封筒を抜き取ろうとした男だ。

 ワタリがキムに体を向けて思い切り睨みつけた。

 キムは居心地悪そうに急いでラーメンを食べるとそそくさと店を出て行った。

 ワタリが笑いながら俺に言った。


「あいつら一人だと全然よわっちいんですよ」

「パク達の事、嫌いなんだねぇ。

 俺も大嫌いだけど」


 ちょうどラーメンが来て、ワタリが胡椒をラーメンに振りながら言った。


「大っきらいですよ。

 …俺、在日なんすよ。

 だから、韓国や朝鮮の奴らが行儀悪い事するとすげぇむかつくんですよ。

 あいつら、在日の事馬鹿にするやつらが多いんすよ」

「ふーん、在日の人と韓国の人ってあんまり仲が良くないんだ」

「日本人よりも嫌いあってますよ」


 ワタリがそれだけ言うとラーメンを食べ始めた。


「じゃぁ、俺の家系も元々は在日かもね」


 俺もラーメンをすすりながら言った。


「え?何でですか?」

「ワタリって苗字は俺の母親の旧姓なんだよ。

 母親の家系の出身は北海道の日高なんだけど」

「え?

 俺も日高っすよ」

「え?そうなの?

 俺の母親はブラジルの日系二世なんだけど、俺の母親の家系は明治の時に日高からブラジルに渡ったんだよね~」

「へぇ!じゃ、ひょっとしたら俺たちと遠い遠い親戚かも知れないっすね!兄弟兄弟!」


 俺はワタリが笑顔で手を差し出したのでその手を握り、固く握手をした。


「兄弟兄弟!」


 ツダがラーメンを食べながら言った。


「そういえばワタリもソノダさんも背格好似てますよね。

 後姿とかそっくりですもん。

 本当に遠い親戚かなんかじゃないですか?」

「いやぁ、嬉しいっすよ!

 俺、親とか兄弟いないから、よろしくお願いします!」

「こっちこそ、よろしく!」


 ワタリが嬉しそうにラーメンを食べているのを横で見てると一人っ子の俺は急に弟が出来たみたいで嬉しいようなこそばゆいような気分だった。

 ラーメンを食べながらビールと餃子を注文してしばらく3人で話した後で、店を出てそれぞれの家に帰った。


 今では考えられない人もいるだろうけど、当時の新宿、と言うか盛り場では夜、タクシーを拾うのが大変だったんだ。

深夜になってもタクシー待ちの人たちが行列になってタクシーの奪い合いで喧嘩になることもしばしばあった。

 タクシー待ちの順番争いで殺人事件が起きたなんて事だってあった。

 タクシー待ちの列に並んで20分ほどでやっとタクシーに乗り込み立川のアパートまで帰った。


 アパートについたのが深夜の3時近くだった。

 アパートのドアに紙が挟んであった。

 紙にはナカガワの字で「水曜日 合コン 出るかどうか 月曜日までに連絡ちょ!」と買いてあった。


(どうするかなぁ…)


 俺は迷いながらドアを開けた。

 お風呂を沸かしながら財布を見て、サッシの上に隠していた封筒を開いた。

 財布に残っているお金が12万円、封筒に3万円。

 まさに俺の財布は魔法の財布になった気分だ。


 その当時、俺は父親の望んだ大学のおバカなお坊ちゃんやお嬢ちゃん達の集まるお気楽ア雰囲気が苦手で半年で中退して、大学と同時に入っていた専門学校一本に絞ったので仕送りを止められていた。

 今までは学校に行きながら近所の倉庫などでアルバイトをして学費や生活費を捻出していたが、それだけでは生活できなくて時折母親が内緒で何万円かお金を送ってくれて、何とか切り詰めた生活をしていたんだ。


 俺は封筒に10万円を入れた。

 あの店でアルバイトを始めてから2日しか経っていない事が嘘の様だ。

 昨日、家賃を払っていろいろ買い物をしても、もう10万円の貯金が出来て、まだ財布に5万円も残っている。

 俺はニヤニヤしながらお風呂に入り、そそくさと寝た。


  第三日目



 今日は日曜日で学校は休みだ。

 9時頃に目が覚めて、ご飯を炊いている間に冷蔵庫と冷蔵庫の上の食品置き場を見て、あれこれと食材を手にとって眺めながらどれを食べようかと悩んだ。

 貧乏が板についてかまぼこ状態になっていた俺は、とりあえず残っている粗末な食材を出して炒めて食べた。

 まだ、高級食材(俺にとってだが)を食べるのがもったいない感じがしたのだ。

 食事を済ませて歯を磨いて、サッシの上に隠した封筒を出してしばらく考えてから、財布の中から3万円を出して封筒に入れた。


 13万円入った封筒をサッシの上に隠すと、俺は2万円が入った財布をポケットにねじ込んでアパートを出た。

 まだバイトには早いが新宿でぶらぶらする事にした。

 前から欲しかったコーヒーカップの綺麗なセットを買って、コーヒーメーカーを物色した。


 いつもはとてもとても手が出せない高価な物を見てちょっと悔しかったり寂しかったりした俺だけど、いまは大抵の物が少し頑張れば買えそうな余裕が出て、ウィンドゥショッピングが楽しかった。


 ある時計屋の前で俺はオメガのスピードマスター・プロフェッフョナルと言う、手巻きの時計に目が止まった。


 フゥッとため息が出る。


 中古なのだが、裏がスケルトンになっていてコンディションも上々で40万円の値札が付いてた。

 俺はロレックスやエルメスやブレゲなどの高級だけど装飾性が高いものより実用的な時計が好きなんだ。


 オメガの隣に並んでいたロレックスのデイトナにも少し目が行ったが、やはり視線はオメガ・スピードマスターに戻った。


 俺は頭の中に40万円と刻み込んで店に向かった。


 今のぺースなら一週間もかからずに、しかも生活を全然切り詰めないで、いやいや、贅沢をしながらでも余裕で買える金額だ。

 俺は店に向かって歩きながら、自然と顔がほころんでいた。


「兄貴!おはようございます!」


 俺が控室に入ると着替えていたワタリがにっこり笑って言った。


「兄弟!おはよう!」


 俺も照れくさかったがそう答えた。

 雑誌を読んでいたマエダが顔を上げた。


「なんだ。おまえら?

 兄弟の契り交わしたのか?」

「契っちゃいましたよぉ!」


 ワタリが嬉しそうに答えた。

 マエダが驚愕の表情を浮かべて、雑誌を置いて腰を浮かすとへこへこと腰を前後に動かした。


「なんだ。カマほっちまったのか?

 どっちがタチでどっちがネコだ!

 うわぁ~!最近の若い奴らは凄いな!」


 俺は慌てて否定した。


「いや、そんなんじゃないですよ!」


 ワタリも慌てて言った。


「俺達プラトニックっすから!」


 余計に誤解を受けそうな事を言う。


「あんた!そういうんじゃないでしょ!」


 俺は思わずおかまチックにワタリに叫んだ。

 慌てて声までお姉みたいな感じで高くなった。


「兄貴!すいません!」


 ワタリが頭を下げたのを見てマエダが笑い転げた。


「いやいや、冗談だからよ!

 気にすんなって!

 カマだろうがホモだろうがちゃんと仕事すれば問題ないからよ。

 人間の愛のカタチなんてそいつらの分だけあるからな~」

「いやいや違いますよ!

 そんなんじゃないんですよ!」


 俺とワタリが慌てて否定した。


「でも、兄貴がどうしてもしたいならキスくらいなら…」

「ワタリィイイイイイイ!」


 俺たちそこで吹き出した。

 マエダも笑いながらタバコに火を点けた。


「さて、おもろい話はその辺にしてだな…」


 マエダが一枚の名刺をテーブルに放り投げた。

 和紙製の名刺にブットイ黒文字で広域暴力団の名前とニシカワの名前が書いてあった。


「昨日のニシカワなんだけどよ…遅番の奴らに名刺渡してったんだ。

 まぁ、つまんないくそ野郎がこういう事やるんだけどよ。

 ケツにだれが付いてるかなんて自慢する奴はろくなもんじゃねぇよ。

 一応調べたら本物なんで、まぁ、気をつけろや」


 マエダが名刺を摘んで指で弾いた。


「あの組も落ちたもんだな、こんな奴が組長の運転手らしい。

 けっ!

 どっちにしてもこの店で変な真似しやがったらこの名刺出した事、後悔させてやるけどな、おまえら、ニシカワが来ても変にビビるなよ。

 なんだかんだいって昨日80万位使ってったからよ。

 店としては美味しいや」


 マエダは名刺をポケットに入れて控室を出た。

 俺とワタリが着替えているとツダもやって来た。

 引き継ぎまで間があるので俺は店内のマエダに休みの事を聞いた。


「マエダさん」

「うん?なんだ?」

「あのう…休みの事なんですが…」

「あちゃ!それ決めるの忘れてたな!

 ちっと控え室にこいや」


 俺とマエダが控室に入った。


「うちじゃ週一で休みなんだけどなぁ。

 なるべく平日に取って欲しいんだよ。

 週末とか、かきいれ時だからよ」


「それじゃぁ、水曜日休みでも大丈夫ですか?」

「ちょっと待ってろよ…」


 マエダがポケットから手帳を出してしばらく見つめた。


「…水曜日だな、よし、いいぞ」

「ありがとうございます!」

「その代わりに誰かが急用とかの時に連絡するからよ、悪いけどそういう時は出てやってくれ。

 給料に色つけるから」

「はい、わかりました」

「よしよし、頼むぜ…ぷっ…兄貴」


 マエダが変なしなを作って言った。


「マエダさん……」

「はい!仕事仕事!」


 マエダがそういうと店に出て行った。


 引き継ぎが終わって、マエダが見回りと言って店を出て行った。

 店内は日曜日なのにほぼ満卓で、ひとつだけ台が空いていた。

 ワタリが俺にリサさんが来てる!リサさんが来てる!と小声ではしゃぎながら言った。

 ワタリはなんだかんだいって子供なんだなぁと、当時同じく子供だった俺は思った。


 チャイムが鳴り、モニターを見たツダが顔をしかめた。

 ニシカワが若いチンピラ風の男を連れて店の自動ドアの前に立っていた。





続く

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