第7話


 しばらく歩くと区役所通り沿いのスナックやパブやクラブばかり入っているの看板がずらりと並んでいるビルの前に着いた。


「ここっすよ」


 ワタリが言い、エレベータで5階に上がり「Z○○○」と言う店の前に立った。

 とても高そうな店構えでドアの所にさまざまなクレジットカードのステッカーと共に「会員制」と記された札が付いていた。


 貧乏学生の俺はもちろんこんな高級な店に一度も入った事がなかった。

 躊躇した俺の背中を押してワタリとツダが店に入った。

 渋い中年の黒服の男がこちらがどぎまぎしそうなほど丁寧にお辞儀をしていらっしゃいませと言い、案内に立った。

 広い店内は決してケバクなく、落ち着いた無茶苦茶高級そうな感じの内装で深夜2時を回っているのにボックス席もカウンター席もほぼ埋まっていた。


 俺はキャバクラと言う所も一回しか行った事が無くてよく判らないが、お店の女の人達はキャバクラなんかと大違いで高級そうな服を着て落ち着いた感じの美人ばかりだった。

 テレビドラマでエクゼクティブな奴らが何か良からぬ相談をするような場面に出てくるような所だ。

 いささか、どころかかなり場違いな感じがして落ち着かない俺を連れてワタリとツダが案内のボーイの後を付いて行き、ゆったりとしたボックス席に座った。

 まるで女優さんのように綺麗で上品で威厳さえ感じるママが3人のこれまた綺麗な女の人を連れてやって来た。


「マエダさんから電話が来ましたよ。

 あら、新しい人?」


 ママからおしぼりを貰いながら俺はいささか緊張ながら頷き、多少声が裏返ってしまった。


「はい、ソノダと言います。

 よろしくお願いいたします」


 ワタリとツダが俺のビビり具合を見て吹き出した。


(本当に今日は何回この二人を笑わせてるだろう…)


「ソノダさん、仕事じゃないから、そんな堅苦しい挨拶いいんですよ」


 ママも苦笑しながらも俺に丁寧に名刺を差し出した。


「はじめまして。

 私は早苗と言います。

 よろしくお見知り置き下さい」


 早苗ママの名詞は和紙を使った非常に手が込んで綺麗なものだった。

 今までこんな名刺を見たことがなかった俺はそれを押し頂いて財布に丁寧に入れて、またワタリとツダを笑わせた。

 店内はまるでテレビドラマに出てくる銀座のクラブみたいな感じで俺はしげしげと周りを見回した。


 横についた女の人が私に水割りですかロックにしますか?と聞かれた時もしどろもどろになって水割りを頼んだ。

 マエダがキープしているスコッチウイスキーのボトルが目の前に置かれている。

 全然名前を知らない銘柄だ、と言っても俺が知ってるウィスキーなんてサントリーのリザーブとか角瓶とかだるま程度だけど…

 ワタリとツダが居並ぶ女の人達に今日は俺の歓迎会なんだと言った。

 女の人達が口々に俺に挨拶をしてそれから乾杯をした。

 爺みたいに古い例えだけど、俺はまるで竜宮城に来た浦島太郎みたいに騰がっていた。

 しばらくしてマエダがやって来た。

 またひとしきり乾杯をして、皆それぞれ隣の女の人と楽しそうに話していた。

 マエダは若い、先週入ったばかりだと言う女の人と話しながらウイスキーをロックで飲んでいる。


「ソノダ、これはロックで飲んでみろ」


 マエダはそう言って女の人にロックを作らせて俺の前に置かせた。


「これはグレンリベットと言うんだ、世界で500樽限定の奴なんだぜ。

 香りが良いからロックがお勧めなんだ」


 俺がグラスを持ち上げると俺が知っているウィスキーほのかに違う良い香りがした。

 一口飲むと強いアルコールの刺激とともに俺でも判る豊かな香りが口から鼻に抜けて行った。


「な?」


 マエダが俺を見て微笑んだ。


「俺はどうも酒の味ってのはいまいち判んねぇんだけど、こいつの香りは気に入ってるんだ」


「おいしいです!

 本当に良い香りがしますね!」


 俺が肯くとマエダはわははと笑いながら煙草を口にくわえた。

 横にいる女の人がぎこちなくライターでマエダの煙草に火を点けた。

 マエダは旨そうにタバコを吸った。

 俺の視線に気づいたマエダが目を細めた。


「ソノダ、女に恥かかせちゃいけねえんだよ。

 女が煙草に火を付けてくれる時はありがたくお願いしろ」

「はい」


 俺は煙草をくわえると隣の女の人が火を点けてくれた。


「な、美人が火を点けてくれた煙草は格別に旨いんだよな~」


 マエダがまた笑った。


「もう、マエダさんて上手いわよねぇ~」


 俺の隣の女の人が笑いながらマエダに言った。

 マエダが限りなく優しい目で女の人を見た。

 マエダは怖い顔をするときはものすごい迫力が出るけど、時々ふっと、とても優しいまなざしで人を見る時がある。

 一日一緒にいただけでそれが判った。

 マエダのそのギャップってどこからくるんだろう…当時ガキだった俺にはさっぱり判らなかった。


 さっぱり判らないけどきっと、何か色々あったんだろうと、そのくらいはなんとなくガキの俺でも判った。


「俺はここじゃ本当の事しか言わねぇよ」

「マエダさん、お上手ねぇ~!」


 女の人が満更でもないような感じで、マエダの手に自分の手を重ねた。


「ところで…ソノダは童貞か?」


 いきなりのマエダの質問で、俺はむせてウイスキーを噴き出した。

 女の人達が笑いながら俺の服やテーブルを拭いてくれた。


「い、いいえ」

「本当か?見得張るな、正直に答えろよ」

「は、はい、本当にその辺のことは済ませました」

「…そうか、ならいいや」

「はい」


 ワタリがニヤニヤして俺に言った。


「マエダさん、はじめてあった時に必ず聞くんすよ」

「当たり前だ、童貞で死んだら可哀そうだろうが。

 あんな気持ちが良いことを知らねえで死んじまったら…なぁ?

 あとで化けて出てきてやっぱり童貞なんですって言われても困るしな、わはははは 」


 俺は又ウイスキーにむせそうになった。

 マエダは時々凄く怖い事を言うが、やっぱりそれ相当の修羅場を潜り抜けてきた人なんだろうな、と思う。

そのあとはしばらく他愛ない話題で楽しい時間を過ごして、マエダはママに会計を頼んだ。


「ソノダ、ここに来た時は俺のボトル飲めよ。

 まぁ、高い店だけどぼったくりと言うほどじゃねえから、手持ちがなかったら付けにしとけよ、給料からさっぴいとくから心配するな」


 マエダはそう言って席を立った。

 はじめはやくざの杯を交わすようなすごい歓迎会を想像してビビッていた俺だったが、異様に金額のレベルが高いことを除けば思いのほかごく普通の歓迎会でほっと胸をなでおろした。

 女の子に送られながら店を出るとマエダがじゃあ明日も頼むぞ、と言いながら店の方向に帰って行った。

 ツダは俺達にお疲れ!と言って区役所通りでたまたま空いているタクシーを拾って帰った。

 俺はワタリと話しながら駅に向かって通りを歩いた。


「ソノダさん、俺、もう一軒行きたいんだけど付き合ってくれます?」

「…ああ、いいですよ」

「やだなぁ、仕事終わったらため口で行きましょうよ」

「ああ…いいよ」

「それじゃ、ちっと楽しい所行こうよ。

 ソノダ…さん、酔っ払ってないすか?

 走れます?」

「やだなぁ、ワタリ…さんの方こそ…駄目だお互い敬語が抜けないね」


 俺とワタリが笑いあった。

 しばらく歩いて職安通りに出て山手線の方向に歩いて行くと、狭い通りの奥のそのまた奥に小さくスナックの看板が見えた。


「ああ、ここっすよ。

 ソノダさん、酔っ払ってないですよね?」

「今日は緊張してあまり飲んでないよ」

「じゃぁ、オッケーすね。

 でも、ここじゃあまり飲まないでください。

 全力で走るような事が起きるかも知れないから」


 ワタリがくすくす笑いながら言った。


 くすんだ感じの建物の2階の店へ狭い階段を上がって行き、やたらに頑丈な作りのドアを開けると中からはべろべろに酔った客の笑い声とろれつが廻らない大きな話し声、女の笑い声が有線放送に交じって聞こえて来た。


「お客さん初めて?」


 ガタイが良く目つきが鋭いマスターらしき男が俺達を上から下までじろじろ見ながら言った。


「うん、はじめて。

 給料日だからこういう店で飲んで見ようと思って」


 ワタリが答えて店の中に入って行った。


 店では奥のボックス席で二人のサラリーマンがべろべろに酔ってそれぞれ隣に座った店の女の人達と盛り上がっていた。

 俺はちょっと妙な雰囲気を感じながらワタリについて行きボックス席に収まった。

 派手な化粧のママがやってきて、やはりじろじろと私たちを見ながら目が笑ってない感じの笑顔でおしぼりを出した。

 やや年増だがそこそこの美人だった。

 しかし、先ほどの店のママとは全然気品と言うか、ちょっと、いやいやかなり下品な崩れた感じだった。

 ワタリがビールを頼むとかなり派手な女の人が2人やって来てそれぞれ俺達の横に身体をぴったり付けて座った。

 2人とも20代後半か30代くらいの人でそこそこの美人だが、なんとなく下品なだらしない、そして油断ならない感じを醸し出していた。

 さっきの店とは大違いのなにやら卑猥で怪しい雰囲気で充満した店に俺はすっかり酔いが覚めた。


 ワタリの顔を横目で覗った。

 その表情から判らないが、俺はワタリは何かを企んでいると確信した。

 何かは判らないけどワタリは俺を見込んで何かを、何かを企んでいる。

 何故かは判らないけど俺はワタリの企みに乗ってやろうと心に決めた。


「お客さん、今日、給料日なんだって?」


 俺の横に座った女の人がビールを注ぎながら尋ねた。


「うん、初めて給料もらったんだ、ほら」


 ワタリがそう答えながら財布を出して中身を見せた。

  財布の中は一万円札がぎっしりと、50枚くらいは入っていた。

 女の人たちも、ママもきゃぁ~!と嬉しそうにと叫んで凄いわぁと言い、はじめに俺達をじろじろと胡散臭そうに見ていたマスターも笑顔になってカウンターの中に戻った。


「すご~い!ねぇねぇ、今日はどんどん飲もうよ!」


 俺の横に座った女の人が俺の腕にぐんにゃりと形が変わるほど胸を押しつけて、俺の太ももに手をおいていやらしい感じで足をさすって耳元に口を寄せて熱い吐息で言った。


「フルーツ頼もうよ、ね!ね!」


 横を見るとワタリがやはり隣に座った女の人の胸に、手を差し込んでニヤニヤ笑いを受かべた。


「今日は飲むぞ!

 フルーツでも何でもどんどん持ってきて!」


 女達が嬉しそうにカウンターフルーツ!と叫んだ。

 ワタリが俺の視線に気づくと意味ありげにウインクした。

 隣の女が俺の耳にキスしながら俺の手をとってノーブラの胸に当てて来た。


「触ってもいいよ」


 女の人が小声で言った。


「今日は飲みたい気分なんだ~!」


 俺はさりげなく女の人の胸から手を離してビールのグラスを持ったが、ワタリがあまり飲まない方がいいと言っていた事を思い出して、少し口をつけただけにした。

 カウンターから大皿のフルーツの盛り合わせが来てテーブル中央にどんと置かれた。


「俺、フルーツ大好きなんだよねぇ!」


 ワタリが言いながらフルーツに手を伸ばしてメロンを一切れ食べた。


「カトウさぁん、飲んでますかぁ?」


 と、ワタリが隣に座った女の人の胸をまさぐりながら俺の肩に手をまわして言った。

 ワタリがわざと違う名前で私の事を呼んだ。

 ちらりと見たらワタリもぐいぐい飲んでいるようでいて、グラスもほとんど減ってなかった。

 ワタリが俺の耳に口をあてて小声で言った。


「笑ったまま聞いて下さい。

 あまり飲まないで、鞄を絶対に離さないで下さい。

 いつでも飛びだせるようにしておいて下さい。

 …走れますよね?」


 俺は笑ったまま頷いた。


「なぁに~?

 何、内緒話してるのぉ~?」


 俺の隣の女の人がしなだれかかって来て尋ねた。

 女は既にかなり飲んでいるようで吐息がアルコール臭かった。


「こいつの横のひととあなたとどっちがきれいか話したんだよ。

 …どっちがおっぱい大きいかなぁ?とかね」


 俺がとっさにウソを言うと女の人はきゃはははと笑い転げた。


「いやだぁ!

 あなたたちってエッチねぇ!

 もっと飲もうよぉ~!」


 女の人がますます俺に体をすり寄せて来た。

 胸が俺の腕に当たり柔らかく形を変えた感触があった。


「カラオケ!カラオケ歌いたいなぁ!」

「いよっし!カラオケ歌おうよ!」


 ワタリが言ったので俺も調子を合わせて声を張り上げた。


「きゃー!元気ねぇあなたたち!いま、歌本持ってくるねぇ!」


 昔は今と違ってデンモクなど無い時代だ。

 歌本という曲のリストみたいな分厚い本を見て何を歌うのか決めていた。

 俺の隣の女の人が立ち上がって厚い歌本を持って来た。


 その時、いかにも悪そうな、安っぽいテレビドラマに出てくるチンピラの様な男が2人、さも馴れた感じで店に入ってきてカウンターに座ったのを視界の端で捕えた。

 俺は何か起こりそうな予感を感じつつ、恐ろしく感じながらもちょっとだけ、ほんのちょっとだけワクワクした。


 女の人は、ねぇ、何歌う~?と言いながら俺の脚の上に本を拡げて体を寄せて来た。

 俺が歌本を見ている間にも女の人が首筋にくちびるを這わせて熱い吐息を吐きかけてきた。

 そして、歌本の下で女の手が俺の股間に伸びてきて大事な所を撫で始めた。


(ワタリは実はこういう店が好きなのかなぁ?ワタリの企みってただエッチな店で飲むことなのか?いや…きっと違うな)


 俺はのどがからからになってごほんと咳払いをしてビールのグラスを手に持って一気に飲み干した。


「きゃぁ~!男らしい~!お酒、強いんだねぇ~!」


 女が空になったグラスにビールを注いだ。

 ワタリがちらりと俺を見た。

 俺はワタリに心配ないよ、と目で伝えた。

 その後はほどほどに飲みながらカラオケを歌って女の人の愛撫にドキドキしながら時間を過ごした。


 奥の席にいたサラリーマンらしき二人連れはすっかり出来上がり、酔い潰れていた。

 サラリーマンについていた女の人達がこちら側に来て、俺とワタリのテーブルはとても派手な感じになった。

 ちらりと時計を見たらもう、午前4時をかなり回っていた。


「ママ、そろそろお勘定ぉ~!」


 ワタリが上機嫌でろれつが回らない感じで言ったが、それが演技である事が俺には判った。

 カウンターでマスターとあとから入ってきた2人の客とひそひそ話していたママが満面の笑顔では~い!と言いながら伝票に何かを書き込んでこちらに来た。

 俺達のテーブルについていた女の人は無理に俺達が飲ませた事もあって酔いつぶれた状態で座っていた。


 ママが差し出した伝票を受け取ったワタリがくすくすと笑いながら俺に伝票を見せた。

 殺伐とした殴り書きで¥380000円とぶっとく書かれていた。


(38万円・・・・)


「なんだ、安いじゃん!」


 ワタリが言うとママがニコニコした顔で言った。


「お客さん、桁間違えてないよね?

 3万8千円じゃなくて38万円よ?」

「ああ、判ってるよ」


 ワタリが立ち上がってポケットからくしゃくしゃの1千円札を2枚取り出してテーブルの上に放り投げた。


「でも、俺、これしか払うつもり、無いから、あははは」


 にこにこ顔のママの顔がホラー映画のようにみるみる般若の顔になって、それでもテーブルの上の千円札を懐にねじ込みながら野太い声で「マスターァアアアアア!」と叫んだ。


 マスターが刺身包丁を持ってカウンターから出てきて入り口をふさぎ、カウンターの2人の客がやれやれと言った感じで頭を振りながら立ち上がり、こちらを睨みつけた。


 やはりカウンターの悪そうな二人は店側の人間だった。

 ここは噂に聞くぼったくりバーというところで、ここの料金を踏み倒す事がワタリの企みだったのだ。

 包丁を持ったマスターが入口を固めるように仁王立ちし、悪そうな2人がワタリの方にゆっくり肩を怒らせながら歩いてきた。


「お客さん、そういう事されると困るんだよ、金持ってるんだからおとなしく払らえば…ぐえぇええ!」


 ワタリがいきなり、しゃべっている男の胸板に前蹴りをぶち込んだ。

 前蹴りが見事に決まって男は咳き込みながら仰向けに倒れて身を捩った。


(うわぁ!こいつ「戦い方」知ってるなぁ!)


 俺は心の中で舌を巻いた。

 そして、俺が一時期習っていた古武術の先生が言っていた事を思い出した。


「いいかねソノダ君、喧嘩をする時は…いやいや、この言い方は適切じゃないね。

 やくざや不良に言いがかりをつけられて身の危険を感じたら先手必勝だよ。

 彼らは喧嘩程度のお遊びなら知っているが【殺し合い】の作法は全然知らないね。

 お遊びの弱いものいじめは知っていても殺るか殺られるかと言う極限状況を全く知らないんですよ。

 彼らはまず無防備に近づいてきて、女のようにべらべらしゃべるんだ。

 威嚇しているつもりなんだろうが、全く愚の骨頂ですよ。

 まったく無造作に間合いに入ってきてしまう。

 どうぞ殺して下さいと言っているようなものですね。

 最後までしゃべらせずに先制攻撃をかけるべきです」


 あの当時御年83歳の先生はにこやかな顔をしながら柔らかな口調でいながら過激な事を俺に言った。


 今、目の前に起きた事はまさしく先生が言った通りの状況に対しての模範解答だ。

 ほんの一瞬の間に先生の言葉が俺の頭の中で鮮やかに蘇った。


「手近にある物は最大限に使いなさい。

 卑怯と言われても良いのです。

 多数で少人数に脅しをかける者達の方がよっぽど卑怯ですからね。

 ほほ、卑怯者から卑怯と言われる筋合いは全く無いんです」


 咄嗟に俺はテーブルにあったフルーツの大皿を掴んでフリスビーのように入り口に立っているマスターに投げつけた。

 大皿がフルーツの残骸を店内にまき散らしながらヒュルヒュルと回転してマスターめがけて飛んで行った。

 マスターが反射的に頭を抱えてしゃがんだすぐ上で大皿はドアに当たって派手な音を立てて砕け散った。

 ワタリがヒャッホー!と叫びながら、大皿に視線を取られたもう一人の男の襟首をつかんで思い切り頭突きをかますと、男はおびただしい鼻血を出しながら両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。


「この餓鬼どもぉおおおおおお!」


 般若の形相のママが両手で割り箸を掴んで身構えながら叫んだ。

 俺はテーブルの上の2本のビールの瓶を両手で掴んで、ママの顔に左右から思いきり叩きつけた。


「いいかね、一度やると決めたら一瞬も躊躇ってはいけませんよ。

 喧嘩をしようとするから負けるのです。

 助かりたいと思うなら殺し合いをすると思いなさい。

 相手が死んでしまっても正当防衛です。

 人間の真の法ではそれは立派な正当防衛なのですよ。

 相手の命を心配して自分や自分の大切な人の命を差し出す法はありません。

 自分や愛する人を守るためにはそれくらいの気構えが必要ですよ。

 私くらいに力があって初めて手加減と言うことができるのです」


 ママがうぎゃぁあああああ!と叫んで顔を抑えて床でのた打ち回った。

 まるで漫画日本昔話で退治された山姥のようで怖かった。

 このママは実は人間ではなかったのかも知れない。

 新宿歌舞伎町と言う欲と悪徳にまみれた魔界に巣食う魑魅魍魎の一匹だったのかも知れない。

 俺は鞄を掴むと、横で酔いつぶれている女の人をふんずけながら入口に向かった。

 ワタリがしゃがんだマスターの顔を思い切り蹴り付けるとマスターは全身の力が抜けて床に横たわった。


 最初にワタリの前蹴りを食らった男が痛みと怒りの形相を浮かべて豚のように吠えながらワタリに後ろから組みついた。

 俺はカバンを斜に肩にかけてから、後ろから男の耳と髪の毛を思い切り掴んでワタリから引き離すと店の奥の方に振り回しながら思い切り投げつけた。

 頭髪と耳を掴んでいた手にベリッ!と気味の悪い感触が残り、男はフギャン!と唸りながらきりきり舞いながら転がった。

 俺は手に残った男の頭髪と千切れた耳たぶを投げ捨てて、ワタリの腕を摑んでマスターの身体を踏み越えながら入り口のドアを開けて階段を駆け下りた。









続く


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