第6話

 時計の針が12時30分を廻った。

 店内はますます混雑してきて、カウンター脇のソファーではゲーム機の空き待ちの客が5人になった。

 そして、俺が常連客に紹介される度に佐久間さんの話題が出た。


 お客の中には一時期テレビに出なかったけれどまた人気を回復したあるグループサウンズのメンバーだった頭の毛が薄い人とか、売れない芸人に無茶ぶりの企画を押し付けるテレビ番組のプロデューサー、最近お笑いブームでテレビに良く出るようになった芸人もいて少しびっくりした。


 ワタリが俺に耳打ちした。


「ソノダさん、ここは芸能人とか有名人来るけど絶対に素知らぬ顔していてくださいね。

 ちょっとびっくりする人とかも来ますけどね」


 ワタリが小声で芸能界の大物俳優だとか、今をときめく歌手だとか国会議員だとかの名前を告げた。


「まじすかぁ?!」


 テレビのバラエティに出たりして有名な国会議員の名前がワタリの口から出るのを聞いて思わず声をあげてしまった。

 やはり国会議員なんかは裏では悪いことしてるんだなぁとしみじみと感じたのを覚えている。


「まぁ、一か月もいれば分かりますよ。

 でも絶対に外で言わないでくださいよ…マジで消されるから」


 ワタリが俺にウィンクした。

 12時45分頃にチャイムが鳴り、とんでもなく迫力がある3人組の大柄な男達が入って来た。

 その内の一人なんかは顔の左側に頭髪の生え際から顎にかけてまっすぐな傷が走っていて漫画に出てくる極悪な極道そのもの様だった。


 俺が緊張して「いらっしゃいませ!」と言うと3人の男は意外と人懐こい笑顔を浮かべて頭を下げると控室に入って行った。

 彼らは遅番の人だった。

 あっけにとられている俺を見てツダがニヤニヤしながら言った。


「すごい迫力でしょ?

 歌舞伎町はこれからがゴールデンタイムですからね。

 あれくらい迫力無いと遅番はちょっと勤まらないですよ」

 本当のやくざかと思いましたよ」


 俺が答えると、ワタリとツダが笑った。


「やだなぁ!本物に決まってるじゃないですか!

 もっとも、今は名目上、元、本物ですけどね」


 ワタリが俺の肩を叩きながら言った。


「本物…」

「あの人達マエダさんの舎弟だったしいですよ。

 よくは判んないけど。

 さっ、そろそろ終わりなんで洗い物全部やって下さい。

 俺は客の飲み物新しく作りますから」


 俺がごそっと戻って来たグラスを洗って、ほぼ片付いた時にマエダが奥から顔を出した。


「ソノダ、ちょっと来い」


 俺が手を拭きながら控室に入るとマエダと遅番の3人がいた。

 4人並ぶと完璧にやくざの一団、それもかなり迫力ある武闘派のやくざの一団だった。

 マエダから3人に紹介されると3人はばかでっかくとてもごつい手で私に握手をしながら挨拶をした。

 3人ともでっかい手にそれぞれギンギラの指輪をはめていてえらい迫力があった。

 この3人が舎弟ってマエダって実は凄い人なんじゃないかと思った。

 3人とマエダが店内に出てゆくとワタリとツダが入ってきてお疲れさまと言いながら着替え始めた。

 着替えながら、ふと二人を見るとYシャツとTシャツの下にきっちりとさらしを巻いていた。


 ワタリが私の視線に気づくと笑いながら言った。


「これ、佐久間さんの事が起きてから腹に巻いてるんですよ。

 銃に撃たれたらあんま意味無いけど、刃物だとかなり違うみたいですよ。

 ソノダさんも買っておいた方がいいっすよ。

 ユニーでも売ってますから」


 ワタリが店の近所の24時間営業のスーパーの名前を告げた。

 俺が複雑な表情で着替えると、マエダが入って来ました。

 俺達がお疲れ様!と言うとマエダが鷹揚にうなずいてソファーに座ると封筒をいくつも出した。


「お前らお疲れだったな、今日の給料だ」


 ツダやワタリがマエダの出した伝票にサインしてそれぞれ3通の封筒を貰った。


「ソノダ、お疲れ、この伝票にサインしろよ。

 今日の日当と交通費、あと、大入りの分な」


 俺がサインして封筒を受け取るとマエダはさらに伝票を何枚か出して俺達に何でもよいから適当な名前のサインをしろと言った。

 俺達がサインするとマエダは自分の財布を出した。


「これは今日の小遣いだ」


 そう言って俺達に2万円ずつくれた。

 ワタリとツダが、さも当たり前のように受取って財布に入れた。

 マエダが私を見てにやりとした。


「きちんと働けば毎日小遣いやるからな。

 今日はお前の歓迎会するからツダたちと先にいってろ、俺は30分くらいあとから行くから」

「はい、ありがとうございます」


 マエダが店内に出て行くとツダが私に言った。


「大入りが少なくても、小遣いは毎日別に2万円ずつくれるんですよ」

「今日の飲み会も全部奢りですからがんがん飲みましょうぜ」


 ワタリがにやりとして俺に言った。

 そして、3人で店を出ると歌舞伎町を少し歩いてかなり高級そうな寿司屋に入った。


「こ、ここって高いんじゃないですか?」


 俺が言うとワタリとツダがくすくす笑った。


「ソノダさん、マエダさんの奢りだから大丈夫っすよ。

 今日も売り上げが中番までで500万くらい行ってるから全然大丈夫ですよ」


 そう言って二人は馴れた様子で店に入って行った。

 俺も二人について行きカウンターの奥に並んで座ると顔馴染みらしい鮨屋の大将が俺達に声をかけた。


「マエダさんが先にやってろと言ってましたよ」


 ワタリとツダはそれぞれ生ビールと刺身のお造りをいくつか頼んだ。


「ソノダさんもビールで良いっすか?

 あと何か食べたいものあったら何でも言った方が良いですよ。

 マエダさん、遠慮すると怒るから」

「は、はい」


 ビールが運ばれてきて俺達はお疲れ様!と言って乾杯した。

 俺はとりあえずビールを一口飲むとトイレに行った。

 さっきから封筒で膨らんでいるポケットが気になったのだ。

 そんな俺を見てワタリとツダが微笑みながら御造りをつまんでいた。

 トイレに入りそれぞれの封筒を開けると、日当が1万6000円、交通費が1万円、大入りが4万5000円入っていた。


 これにさっき貰った祝い金の3万円とシャツなどのお釣り3万円とマエダから貰った小遣い2万円を足すと15万1000円になった。

 お金を財布に入るとかなりパンパンになった。

 今までは何かの支払で銀行からお金をまとまって降ろしたりする以外で財布がこんなにぎゅうぎゅう詰めになった事は俺の人生で一度もなかった。


 今日一日働いた分だけのお金。


 今日一日働いただけで倉庫で重労働一か月分並みの金額が手に入った。


 しかも、このお金は今日全部使い切っても明日の今頃にはまた、最低でも4万6000円が入るのだ。


 当時の専門学校の貧乏学生の俺は魔法の財布を手に入れた気分だった。

 しばらく財布を開けて中身に見とれていた。

 そして俺はトイレの鏡に映った自分の顔をしばらく見つめた。

 怖い顔をしてみた。


(…怖い顔、家でも練習するか)


 辞めようと言う気が少し薄れた。

 少しどころか全然無くなった気がした。

 実はさっきパク達とごたごたが起こりそうになった時、少しだけ、ほんの少しだけ俺はわくわくしたんだ。

 あくまでもこちらが正義の立場で、ああいう人間の屑みたいな奴ら言いがかりをつけてくるのををやっつけるのであれば…少なくとも罪悪感を感じないですむ。

 店からワタリとツダが楽しげに話す声が聞こえてきた。

 俺は2人の話の仲間に入りたくて膨らんだ財布をポケットに入れてトイレを出た。

 俺がカウンターに座るとワタリ達がニヤニヤしながら俺に顔を向けた。


「ソノダさん、金数えたでしょ?」

「皆、初日はそれやるっすよねぇ!」


 俺は照れ隠しの笑顔でビールを一口飲んだ。

 ワタリとツダがグラスを俺に突き出して乾杯を促した。


「ようこそ、金持ちバイトクラブへ!」


 俺もグラスを合わせて3人で乾杯した。


「そろそろ握りも注文しましょう」


 ワタリが言うと鮨屋の大将に大トロ、いくら、うに、カンパチと言う感じでどんどんと頼み始めた。

 カウンターの寿司屋でそんな注文をした事が無い俺は少しびっくりしてお勘定の心配をしたが、ああ、奢りなんだっけと思って安心して俺も食べたいネタを注文した。

 ワタリ達と話をしている内に、ツダは25歳ですでに結婚していて一歳の女の子がいる事、すでにクラウンで2年働いていて、もう一軒家を買えるほど充分に貯金をしたのだけれど税務署が怖くてなかなか家を買えないと言った。

 また、奥さんと別に2人の女性と付き合っているけど奥さんは気づいているけど何も言わないことも分かった。


「俺はちゃんと家に金入れているからねぇ」


 ツダがウニの握りを頬張りながら言った。


「かみさんに毎日毎日2万円ずつ入れているし、一度家に帰ると優しくしてるからなぁ。

 月に一度10万円小遣いやっているしな、誕生日や結婚記念日は必ずプレゼントするし、何にも言わないよ」


 と、ビールを飲みながら笑った。


 ツダは毎日奥さんに生活費として2万円を渡して別の2人の女性と付き合い、その全てを自分の懐から出しながらなおかつ700万円のへそくりがあると言った。

 そういえば2人ともロレックスやブレゲの腕時計をさりげなくしていた。

 おそらく本物だろうと思う。


 そしてワタリがまだ17歳だった事も驚いた。

 奴は1年働いていてもうこの仕事は止められませんよ!と言いながら生ビールを注文した。

 ワタリは1年でもう300万円も貯金したと胸を張った。


「しかも遊びながらっすからねぇ!

 うひゃひゃひゃ!」


 ワタリはそろそろ都心に近い便利なところのマンションを借りようとして色々と物件を探している事を話した。


「でも、名義とかどうするの?

 17歳じゃ不動産屋とかもなかなか貸してくれないでしょ?」


 俺が言うとワタリが笑った。


「それをマエダさんに相談したらマエダさんの知り合いの人の会社名義で借りてくれるって言うんですよ。

 これでどんなマンションも大丈夫っすよ!」


 俺はふーんと感心しながらまた、普段はなかなか注文できない高いネタのにぎりを頼んだ。

 どれも凄く美味しくて美味しくて、言葉が見つからない。

 ちらりとカウンターの壁のお品書きを見たらそれぞれとんでもない額の値段が付いていた。

 中には時価と書かれているものもあった。


 マエダが店に入って来た。

 ワタリとツダがグラスをあげて「おつかれさまです!」と言い、俺も彼らに合わせてグラスを上げて「おつかれさまです」と言った。


 マエダはまぁまぁ、と言う感じで手をひらひらと振って俺達を制して俺の隣の席に腰掛けた。

 マエダは俺を見て微笑みながら日本酒と刺身のお造りを注文した。


「どうだ?なかなか馴染んでいるじゃねぇか兄貴」

「はい、ありがとうございます」


 マエダが煙草を咥えたので俺はすかさずライターの火をつけた。


「まぁまぁ、男は煙草の火なんか点けねぇで良いんだよ」


 マエダは俺を遮って自分で煙草に火を点けた。


「店でも客の煙草に火を点けたりする事無ぇぞ。

 タバコに火を点けたりとか、車のドアを開けたりとか、自分で出来ることを他人にやらせているうちに男は腐っていっちまうからな」

「は、はい」


 マエダは煙を噴き出しながら手元に来た日本酒の猪口を手に取った。


「そいじゃ、ソノダ、初日お疲れ様!」


 俺達はまた乾杯した。


「どうだ、初日は…続けられそうか?」


 マエダは俺の気持ちを探るようにじっと俺の眼を覗き込んだ。

 俺はマエダから視線を外さずに答えた。


「実は、今日は何回か辞めようと思ったんですが…頑張って働らかせて頂きます。


 よろしくお願いいたします!」


「そうか、うん、よし、頑張ってくれよ!」


 マエダが俺の肩を叩いた。

 こういう時のマエダの笑顔はすごく優しくなる。

 本当に古くからの付き合いの親父か先輩のような、何とも言えないほっとする笑顔を浮かべるんだ。


「そのかわりなぁ、ソノダ、学校はちゃんと行けよ。

 きちんと卒業しろ。

 こんな事、俺が言うのも変なんだけどよ…」


 マエダが刺身を口に運んだ。

 俺はビールを一口飲んでマエダの言葉を待った。

 マエダが刺身を飲み込んだ。


「お前は器用に何でもやりそうな感じがするし、度胸も良さそうな気がするよ、だけど…なんかなぁ。

 ちょっと場違いな感じがしたんだよ。

 何つぅか、うまく言えねぇな。

 この仕事はバイトだけで止めときな。

 あまりのめりこむなよ」

「…はぁ」


 マエダは何となく寂しげに笑いながら日本酒の猪口を空けた。

 俺はマエダの言葉の意味が判らず、生返事をした。

 それにしてもさすがに新宿歌舞伎町だ。

 夜中の一時を過ぎてたのに店の中はますます客が入ってきてますます込んで来た。

 そんな中俺達はひとしきり飲んで食べた。


「よし、お前ら腹ごしらえは済んだか?」

「はい!御馳走さまです!」

「よし、次行くか!」


 俺は4人で物凄い量を食べたので少し心配になった。


「あのう…」

「何だ?」

「二次会行くなら少し出させて下さい。

 ここもたくさん食べちゃったし」


 マエダがしばらくあっけにとられて私の顔を見て、そして笑いながらワタリとツダに言った。


「…あっはっはっは!ワタリ、ツダ、少しはソノダを見習えよ!

 気遣いできる奴は違うんだぞ!」


 マエダは俺の肩を叩いた。


「余計な気遣いはするなよ。

 それなんだよなぁ、おまえは妙に真面目と言うか…気負っている所があるんだよな。

 いいんだよ、甘える時は甘えてな。

 俺勘定済まして店に電話すっから、お前ら先に行ってろ」

「はい!御馳走さまでした!」


 俺達が鮨屋を出る時にちらりとカウンターでマエダが支払いをする所を見ました。

 大将が「はい!15万円頂きました!」と言うのが聞こえてきた。


(うひゃー!すげぇ!こんな高い寿司初めてだ!)


 俺は金額を聞いてかなり心臓がバクバクとした。


「これからどこ行くんですか?」


 店から出たワタリ達に俺が聞くとワタリが小指を立てた。


「たらふく食ったら女がいるところですよ!」


 ツダがウンウンと頷いた。


「キャバクラ…ですか?」


 ワタリとツダが笑った。


「そんな庶民的なとこ行かないですよ。

 クラブですよ」


 当時の「クラブ」は今若い人が言うクラブと違い、高級な飲み屋さんの事を主に言う。


「さ、行きましょう!」


 ワタリとツダが俺の背を押して夜の歌舞伎町を歩いて行った。

 俺はちょっと酔っ払ったのだろうか?

 そこら辺りを、顔を赤くして上機嫌で歩いているサラリーマンやOLを見ながら、心の中で俺の方がずっとずっと何倍も稼いでいるぞ!と何となく自慢したくなった。









続く

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