第一話 安倍晴爛と換気扇 前編





―――あおいさん、そんなところに登っていては危ないですよ



 一人の美少年が、桜の木の枝に立つ幼馴染の少女に声をかける。



―――……ハル、私たち、大きくなったらケッコンするんだって



 遠い日の思い出。色あせた、少年の頃の記憶。



―――ねぇ、ハル。もしケッコンしたら、私をこの家から出して



 少女はそう言って、少年の方へ振り向いた。



―――……ええ、もちろん。約束します



 それから、二人の幼子が交わした、拙い約束事。


 桜の花びらのように儚くも美しい、在りし日の約束である。



―――そう……ケッコン、楽しみだね



 少女は眼下に広がる街並みを見下ろした。それは、普段は垣根に遮られて見えない景色。


 少女は木から降りて、少年の元へと下る―――


 彼女はこれ以降、もう二度と桜の木には登らない。


 少女から、大人の女性へと成長してゆく……。



 やがて、数年の時が経ち――






 見習い少年陰陽師おんみょうじ安倍晴爛あべの はるらんが百年に一度の大天才、麒麟児きりんじうたわれておそれられたのも今や昔の話。


 時を経てよわい十四となった彼は……


 食っては寝て、食っては寝ての引きこもり生活。


 世紀の大うつけ者と成り下がっていた!!


 私、土蜘蛛の精が、安倍晴爛――ハルの強大な霊気に中てられてとり憑いたのは、彼が齢にして八つの頃。あの頃のハルは史上最年少で陰陽小属おんみょうのしょうぞく、言うなれば「見習い陰陽師」として名を馳せていたものだ。才能に満ち溢れた少年だった。


 しかし、生来の怠け癖がグイッと首をもたげ始めたのが運の尽き。


 徐々に陰陽師としての仕事に行かなくなり、


 自分の部屋からも中々出なくなり、


 挙句の果てには昼夜逆転。


 「アレ?なんか様子がおかしいな」と家の者がようやく感付いた頃にはもう手遅れ。


 朝から晩までゲームにネットサーフィン。


 立派なダメニートの出来上がりであった。


 こうなってしまった人間はもう、てこでも動かせない。押しても引いても梨の礫で、家内の者は早々に説得を諦めてしまった。


 ハルが引き籠れば引き籠るほど、家での彼の立場はどんどん悪くなってゆく。そろそろ追い出してやろうか、なんて陰口がこちらにまで聞こえてくるようだった。


 それでもハルは余裕をブッこいていた。


 なぜか?


 第一に、ハルは腐っても天才陰陽師と謳われただけのことはあり、その実力と才能は伊達ではない。


 その事実が、彼に要らぬ余裕を与えてしまっていた。


 第二に、ハルには婚約相手の幼馴染がいる。葵という、三つ上の美人な女性である。土御門つちみかどという、由緒正しい(?)有力な現代貴族の末裔であり、彼女はその土御門の現当主の娘。


 彼女との婚約、というのは、つまりは「玉の輿」という奴なのである。


 わかりやすく言えば、「超お金持ちで権威もある家のお嬢様との婚約が確約されている」という状態であり、ハルはそれが分かっているからこそ、安心してニート三昧の現状になんの憂いもなく胡坐を掻いている、という始末なのだ。


 第三に、


 安倍晴爛はである。


 とある大人の男の魂が現世をさまよい、果てに安倍晴爛の肉体へと宿って生まれ変わったのだ。


 姿こそ育ち盛りの14歳ではあるが、その中身はまるで別。精神年齢、などというものがあるならば、彼はおそらく、実年齢の三倍は年を食っているだろう。


 ほかのどの同年代の子供よりも、突出した才能、それから少年が持つにあり余る膨大な知識量。成熟しきった精神。


 それらを悉く兼ね備えていたハルは、それはもう、図に乗った。


 まあ、乗るなという方が無理な話なのかもしれないが……。


 結果としてハルの自尊心はブクブクに肥え太り、精神は堕落した。


 なんてことが理由で、というワケでもないのかもしれないが、ハルは生来の出不精も相まって現在では引き籠りのニート、俗にいう「ヒキニート」という奴になってしまったのである。


 前世でも似たような生活を送っていたようだ。何故前世での失敗を顧みようとしないのか……。


 私も、彼にとり憑く妖怪ながら、心配で何度も忠告はしたものの、人の話など聞こうともしない。子供の清らかで素直な心など、転生した彼はとうに捨ててしまったのだろう。


「転生して俺TEEEEE!!なんか知らんけどチート特典もあるみたいだし?しかもかわいい幼馴染との結婚も確約してるなんて、人生勝ち組!超イージー!」


 とは彼の言である。何を言っているかさっぱりわからないが、きっと恐ろしく下らないことだろう。 


 葵さんとの結婚ねぇ。


 まあ、こんな彼でも結婚すれば少しは真面目になるかもしれない。まだ十四だし(中身はおっさんですけど)?


 結婚すれば……



 結婚……




 けっこん?




 こけっ……こ



 






「婚約を破棄はきさせていただきます」










「……はき?」


 安倍家の茶の間にて、それは宣言された。

 

 長年ハルに仕えていた老人、「じい」が愕然として聞き返す。今にも抜け落ちそうな白髪がプルプルと震えているのが見て取れる。


 あんまり心労を掛けないであげでくださいよ。もう年なんだから。ショックでぽっくり逝く、なんてこともあり得るんですよ?


「はい、破棄です」


 ハルとじいの二人の向かい側に座る、年若い女性、眼鏡をかけた性格のきつそうな彼女は、土御門家つちみかどけに仕える式神の一人、ツさんである。


 名前の通り溌剌とものを言う快活さは中々見ていて気持ちの良いものではあるのだが、今はそのはっきりとした言動が逆に恨めしい。


「かひゅ……」


 案の定、じいは驚きすぎで呼吸が浅くなってしまっている。ああ、おいたわしや。


「な、な、何故?」


 じいは何とかそれだけ声を振り絞って八ツさんにそう尋ねると、彼女は眼鏡に手を掛けつつ、


「何故?当たり前でしょう」


 ぎろりと、


 そんな音が聞こえてきそうなほどの勢いで、じいの隣にてボケッと座っているハルを、睨みつけた。


「出不精、職務怠慢、挙句の果てが引き籠りのニート。

 ダメ人間へのABCを完遂した晴爛様には最早何の期待もしていません。彼のような人間は、我らが土御門家つちみかどけに相応しくない、と主様は判断いたしました。

 よって、葵様との婚約はこれをもちまして破棄とさせていただきます。正式な手続きは後日。

 では失礼します」


「お待ちくださいっ、お待ちくださいぃっ!!どうか、どうか」


 もう一秒たりとも居座りたくない、といった風にさっさと退出しようとした八ツさんを、じいが渾身の力を振り絞って袖を掴んで引き留める。無理しないでください、骨折れますよ?骨密度低いんだから。


 八ツさんは必死なじいの形相を見て、おおきなため息を一つ。


 それから、ハルに厳しい目を向けつつ、


「晴爛様、ご参考までに、昨日は何をしていらっしゃったのか教えていただけますか?」


「えっ?俺?


 えーっと……ご飯食べて、風呂入って、トイレして、ゲームして、ユーチューブ見て……それからあとは……」


 あとは寝るだけでしょ。


 まだ何かある、みたいな言い淀み方はやめなさい。みっともないから。


「この際ですから、はっきり言わせてもらいます」


 八ツさん、めがねくいっ。


 レンズの奥の眼光が、怪しく光る。



「あなたのような、ただ飯食らって糞して寝るだけの、何の価値もない尿は葵様に相応しくありません。代々受け継がれてきた土御門の良血があなたの血で汚れるだけです」



 ついに、はっきりと言われてしまった。


 全くその通りだから、反論のしようもない。ハルはというと、ショックで口をパクパクさせている。碌に運動もせず、寝転がりながらジャンクフードばかり食べているハルの血は、確かに油分多めで汚そうだ。体形維持ができてるだけでも奇跡だろう。


「それでは」


「あっ待ってください!!葵は、葵は何て言ってるんです!?」


 最後の望みとばかりに、ハルは葵さんに縋った。


 しかし、案の定というか、八ツさんの返答は冷えに冷え切っていた。


「葵様も婚約破棄には納得しています。次の結婚相手も主様がお決めになりますから」


「時代錯誤だ!!自分の結婚相手くらい、自分で決めさせてあげるべきだろ!!」


 いや、それは婚約が決まったときにこそ物申すべきだったのでは?今の今まで何も言わなかったくせに、自分に都合が悪くなった途端に現体制の批判にまわるのは色々と卑怯でしょ。


 というか、「葵様も婚約破棄には納得している」って言っているようですし。


「ご心配なく。我々でせいぜいあなたよりは良い物件を見繕いますから」


 八ツさんはぴしゃりとそう言い捨ててから、客間を出ていった。


 ハルよりも良い物件、ですか……。




 掃いて捨てるほどありそうである。




 茫然と八ツさんの後姿を見送るハルの間抜け面を見ると、そう思わざるを得ないのであった。










 その日の夜のことである。

 

 さすがにあんな騒動があった後で部屋に引きこもるわけにもいかなかったらしい。ハルは家の庭を不安げにうろついては、悪態を吐いていた。


 そんなご主人様の荒れた様子を、たぬきの式神「チョコ」とキツネの式神「コロネ」が不安げに見守っていた。


 この子たちも、厄介な主人と契約してしまった者である。霊力だけは一級品だけども……。


 さて、聞きたくもないがハルの悪態に耳を傾けてみようか。


 どれどれ。


「葵が結婚できずに行き遅れたらどうするんだっ!」


 なんという物言い。


 どう考えても余計なお世話である。


「全く、葵がかわいそうだぜ」


 いいから、いいから。


 あなたはまず自分の心配をしなさい。


「グチグチ言ってないでカルマンもこの危機的状況を何とかする術を一緒に考えろ!!少しは役に立て!!てめぇ俺の心の中に居座ってるくせに家賃も支払わないんだからよ」


 ハルはそうやって、さっきから定期的に私のことを貶してくる。


 なるほど、確かにこれは最悪の物件だ。


 引っ越しできないのがなんとも悔やまれる。


 などと、一人の人間とそれに憑く一匹の妖怪、共に美しい月夜の元で互いを貶し合う中、それを見守るタヌキとキツネも、ご主人に触発されてポコポコと喧嘩をし始める。


 そんな間抜けな集団に、いそいそと近づいてくる人陰があった。


 じいである。


「若、すぐに身支度を整えてくだされ」


 じいはそう言うと、手に装束を掲げた。


 陰陽師の正装ともいえる、昔ながらの「束帯」である。少々昔過ぎる気もするが。


「なんで?」


 受け取った束帯を迷惑そうに眺めた後、チョコとコロネに受け取った服をぽいと投げやってから、ハルはじいにそう聞き返した。服は大切に扱いなさい。


「葵殿の所にいくのです!!」


 じいは力強く握りこぶしを握る。言動にも心なしかこぶしが効いているような気もしないでもない。


「頭を下げて婚約を取り消してもらいましょう!!」


  それから、全く上手くいくビジョンの見えない提案をした。じいには悪いが、成功するとは思えない。


「ええ~、なんか女々しくない?いやだなぁ」


 案の定というか、ハルは全く乗り気でない。


 引き籠りのニートというのは、自尊心だけは無駄に肥え太っているものである。安売りしたって買ってくれないような頭でも、そう簡単には下げないぞ。


 しかし、じいの続けざまの言葉が、形勢を著しく変えたのだった。


「このままでは最悪、一層立場が悪くなって家を追い出されてしまいますぞ!!」


 ピクリと、ハルの耳が動く。


 引き籠りのニートにとって、家とは聖域そのもの。そこを追い出されると聞いては、黙っちゃいないだろう。


 まあ、ハルの重たいお尻に火をつけるには、それくらいのペナルティが丁度いいのかもしれない。


「ったく、しょーがねーな」


 あっ、ほら。


 追い出されるかもと言われた途端にやる気を出し始めた。ニートは自分のねぐらを全力で死守する傾向にありますからね。そのためなら育ての親に対する恐喝、DVなんかも平気な顔でするようになりますから。


 ハルは、庭に丁度良いスペースを見つけて満足げに頷くと、


 それから「祝詞のりと」を唱え始めた。



 Ryō Hyaku Yu Jyun Nai Mu Syo Sui Gen Gi



 九字くじの祝詞の拡張、十文字じゅうもんじの祝詞である。


 ハルが祝詞を唱えつつ、宙に指で線を複数回切るところ、庭の中央に、「いん」に隠されていた「牛車ぎっしゃ」がひょうっと顕現した。


「おお!!さすがは若。腐ってもこのような祝詞を扱えるとは……」


「まあ、これくらいちょちょいのちょいよ」


 人目を忍んでコンビニに行くのとかに常用してましたもんね。


「余計なことは言うな!!」


「は?何か言いましたか?」


 私に向かって叫んだハルを、じいが不思議そうな目で見やる。彼には私が見えていないし声も聞こえないのだから、無理もない。


「何でもない。じゃ、ちょっと言って来るわ」


 ハルはじいに向かって「じゃっ」と手を振ると、じいから渡された束帯は身に着けずに、チョコとコロネを連れて牛車に飛び乗った。普段着の黒のパーカーのままである。


 飛び乗るのと同時に、牛車のおおわが霞みを纏い始める。それから、ゆっくりと空に舞い上がった。


「若ー!!必ず葵様を説得するのですじゃよーー!!」


 どんどんと空に昇ってゆく牛車に、じいが健気に手を振りつつ、叫んだ。


「はいはい」


 対するハルの態度は冷たい。


 はいは一回!


「うるさいなぁ」


 月光が冴えわたる中、霞に浮かび上がる月の光を踏むようにして、牛車は闇の深い夜空を昇ってゆく。


 眼下には、科学の力によって燦然さんぜんと輝く、美しき現代都市が広がっている。


 闇夜を祓う人工の灯りは、しかし天空の闇を一層深くするばかりであった。


 その闇が、空飛ぶ牛車を覆い隠すのである。




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