第六話 学校へ行こう!
―――もう、止めなってぇ
―――あははは!
学校の廊下でさぁ、トモエとアユメとでふざけ合ってたんだよね。
そしたら、トモエがアユメの方をちょっと押した。あゆはちょっとだけよろけて、近くに立て掛けられてた鏡に手を突いたの。
そしたら、
そしたら、
こう……ずぷ、って感じで、アユメの腕が鏡の中に入ってった。
鏡の中の私たちが、ニヤニヤしながらアユメを鏡の中に引きずり込もうとしていて……
それで私とトモエは必死になってアユメを引っ張って。
そしたら、
そしたらさ
アユメ
凄い悲鳴上げてさ
こう
鏡の向こうとこっちとでさ
身体、半分に裂けちゃった
ははは
これ昨日見た夢の話なんだけどさぁ
……アユメ?
〇
「嫌だぁ!!もう嫌だ!!」
朝食の席にて、ついに我慢の限界とばかりにハルが絶叫を上げた。
もう、わがまま言わないの。
「なんで一週間連続で麺類なんだよ!!妖怪のせいなのかぁ~?」
テーブルの冷やし中華そばを凝視しながら、ハルは御膳に唾を吐きかけん勢いでそう怒鳴った。
まあ、ハルが気まぐれで応募した懸賞が当たって、我が家に生麺詰め合わせ一か月分が届いちゃったからなんだが。
よーするに自業自得である。
「麺なんてもう見たくもない!」
……。
一週間前は「俺、これからは働かずに懸賞だけで生きていきます。人生イージーぃ!!」とか宣ってたくせに。
まあ、そんな水ダウのスベりそうな企画よろしくの、下らない思い付きが長続きするはずもなかったか。
「でも、私は家計が浮いて大助かりだよ?」
真向かいに座って麺をすすっていた母上――夏奈さんがほほ笑みながらハルにそう言った。貴族なのに家計の不安とはおいたわしい。没落寸前だからしょうがないけど。
「本当にありがとう、ハル君」
このところ、部屋に引きこもりがちだったハルが部屋から出るようになったのが嬉しいのだろう。一週間連続で麺類だとしてもニコニコしながら食べている。
「あのさ、夏奈さん……その、そろそろ和食に戻してくれないかな?」
しかし、ハルは始終渋い顔で食卓に着いている。
「えっ、でもぉ。生麺だからあしが速いし……それにまだまだいっぱい余ってるよ?」
「うへぇ」
それからふと、壁に掛けられている時計に目をやったハルが、ギョッと目を見開いた。
「うわっ!?やべぇもうこんな時間か」
ちょろちょろと麺をつまんでいた箸を放り投げて、椅子の横に置かれたカバンを引っ掴んでから、ハルは立ち上がって部屋を出ていく。
「ご馳走様。いってくるわ!」
「あ、ダメだよ!あさごはんはちゃんと食べないと」
ハルは母上を無視して駆けだしていった。
そんなハルの背中を、母上は不安そうな目で見守りながら、
「からだにわるいんだからねー!」
とだけ声をかけたのだった。
〇
陰陽師の仕事は多岐に渡る。
主な仕事は呪力の除去だが、それに付随して妖怪や怪異、呪術に関する研究や、呪力による犠牲者の治療など、その業務は非常に幅広い。
今回の実習はとある私立の高等学校にて、生徒たちのカウンセリングである。学校というのは呪力が集まりやすい施設であり、生徒たちが妖怪やら怪異に悩まされて心身を病んでしまう事例は枚挙にいとまがない。
だからこそ、こうして定期的に陰陽師が学校を見て回ることが多々ある。
「アンタおそかったわね」
ハルが現場の高校の校門に到着すると、楓さんが呆れたような、同時にげんなりしたような表情で出迎えた。
大分にお疲れのご様子である。
「なんでそんな顔してんだ?」
「ん」
きょとんとした顔のハルに、楓さんが顎で示したその先には、
「やーん♡もう院生を卒業したのね、みつあき君!!おめでとう!!」
「ありがとうございます」
おそらく今回の指導員であろう女の人と、ハルと同い年くらいの男の子が、少し離れた場所でしゃべっていた。男の方は中々の美青年だ。
「きゃー!!声もカワイくてカッコ・い・い♡」
「はは……」
女の人の方は目がハートである。腰をくねくねさせながら男の方にすり寄っている。男の子は苦笑いを浮かべながら、控えめに身を捩って彼女の接近を許さない。
「なんだありゃ」
「あの下半身丸出しみたいな言動してる女が陰陽師の
「へー」
言いながらハルが真顔で視線を件の方向へと向け続けていると、向こうがその視線に気が付いたのか、男の方がハルたちの方へと徐にやってきた。
それから、にっこりと愛想の良い笑みを顔に浮かべて、ハルに話しかけた。
「初めまして、
「あれ?なんで俺の名前を?」
「有名人だからね」
有名人か。
それ、悪名とかじゃないといいですけどね。十中八九悪名だろうけども。
「なーんか胡散臭いわね」
「……」
挨拶もそこそこに元の位置に戻っていった光明とやらの背中を、ハルは神妙な顔で見やっていた。
ちなみに、指導員の市川さんは仕事に取り掛かるまでハルと楓さんには目もくれず、始終光明にメロメロだったのだ。
仕事の時間になるとさすがにベタベタは控えていたが……どうにも今回のメンツは色々と不安である。
〇
ぎぬろと、レンズの汚れた眼鏡が怪しく光った。
肌もどす黒い油でテカった。
「わざわざ教室に行く必要なくないすか?僕塾通ってるんで、別に授業受けなくてもぉ、いい大学行けますけど」
保健室にて。
丸椅子に腰かけた男子生徒が、途轍もない早口で目の前の保険医に捲し立てた。保険医は飛んでる飛沫を首を心なし動かして気持ちだけでも避けると、それから苦笑を浮かべながら、
「うーん、でもね?学校って勉強だけしに来てるわけじゃないでしょ?やっぱり教室にはいった方が」
「あの、なんだろ。なんかそう言うデータあるんですか?だったら提示してもらえますかね」
「とまぁ、こんな感じの子なんですけど……」
保険医が視線を男子生徒から隣の市川さんへ移すと、市川さんはうんうんと頷いた後、
「安心してください。この子は病んでるわけじゃなくて、元からこういうゲロみたいな性格しているだけです」
と言った。
「エッ」
男子生徒がギョッとした目を市川さんに向けるが、彼女は一ミクロンも意識を相手に集中させていない。
「先天性の疾患みたいなもんです。ですから治療のしようがないですね、はい」
「……あの、本当にカウンセラーの人なんですよね?」
どう考えてもカウンセラーではない。
それもそのはず、彼女は陰陽師である。
「アイツも呪力の影響を受けているわけじゃなさそーね。今回は私たちの仕事、無いのかしら」
市川さんの診察から少し離れた場所にて、彼女の診察の様子を眺めていた楓さんが小さくあくびした。それを聞いていたハルがうんうんと頷く。
「性根を叩き直す必要はありそうだけどな」
「でも、それは僕たち陰陽師の仕事じゃない、ってことだよね」
「お前なんでナチュラルに俺らの会話に入ってきてんの?」
ニコニコとした表情で話しかけてきた光明に、しかしハルの反応はいたく冷たいものだった。
「賀茂って有名な貴族よね?私貴族嫌いだから、アンタは話しかけないでくれる?」
楓さんもハル同様、冷え切った眼差しを光明に向けていた。
「あれ?でもそれだったら晴爛君も貴族じゃないか」
「あ?なんで知ってんだ」
「アンタゆーめいだからでしょ。堕ちた天才だって」
「堕ちてねーよ!」
いや堕ちてるでしょ。自分の生活を顧みてから言いなさいよ。
「あの、ちゃんとカウンセリングしてもらえます?」
「いやですからぁ、こーいう出っ歯で眼鏡で糸目の男は遺伝子レベルで――」
そこまで言いかけてから、市川さんはふと何かに気が付いたように後ろを振り返った。
「んっ?」
カーテンの掛かったベッドを指さしながら、
「カーテンの向こうにいる方は?」
「あぁ、体調不良でお休みしている子ですよ。でも不登校の子じゃ……」
「……あぁっ!!」
急に大きな声を上げて顔を歪ませたハルに、楓さんは焦ったような表情を浮かべる。
「な、何よ急に、どうしたの?」
心配した様子の楓さんに、しかしハルはニヤリと薄ら笑いを浮かべた。
「ちょっとトイレ言って来るわ」
「うわ、ウザっ」
「ちょっと失礼……」
保険医の忠告を無視して、市川はカーテンを勢いよく開けた。
カーテンの奥には、ベッドに蹲る女生徒が。派手に染められた髪色や豪華なネイルからは想像もつかない程顔色が悪い。それに加えてすすり泣きまで聞こえてくる始末である。
「大丈夫ですか?」
市川が女生徒に近づくと、女生徒の独り言が彼女の耳に入ってくる。
「こ、殺される……」
「別にアイツとは仲良くないから」
「そうなの?僕には、二人が仲良さそうに見えるけど」
「まさか!」
「アユメも、トモミも、みんな……夢のとおりに死んじゃった」
「死んだ?」
「アユメは、新幹線にぶつかって……身体が真っ二つに……。トモミも階段から落ちて首が折れて……。次はきっと私……」
市川はハッとして天井を見上げた。
「うっ」
天井に昏いシミが広がっているのが見えた。
「死んだ。私、串刺しにされて、死んだの」
即座に、市川は結印した。
瞬間、
天井から市川へと放たれた怪しい輝きを、市川が咄嗟に反射する。
「あ」
反射された呪力があらぬ方向へと、駆け抜けてゆく。
「えっ!?」
楓と雑談していた光明が、驚愕の声を上げて顔を上げた。楓もすぐに異変に気が付いた。
天井いっぱいに、強力な呪力を感知したのだ。
ばたりと、何かが倒れ込む音がした。
「クソガキぃ」
先ほど市川が診断していた男子生徒の顔面に、大量の文房具が突き立てられていた。
彼の顔面から噴き出た大量の血しぶきがカーテンに降りかかって、華のように飛び散っている。
女生徒の甲高い悲鳴が保健室全体に木霊した。
その間にも、保険医は鬼のような形相で体温計を握り締めて、男子生徒の眼鏡をかち割って眼孔にそれを突き立てる。
「馬鹿で、臭くて、厭味ったらしいガキの世話をぉ、なんで私が……」
楓と光明が急いで女生徒と市川の元へ駆け寄る。
ハルは、まだ来ない。
「しなきゃいけないのよぉっ」
先ほどとはあまりにも雰囲気のかけ離れた、ドスの効いた保険医の声が轟く。と同時に腕を男子生徒の顔面に叩きつけた。
男子生徒の頭が爆散して、突き刺さっていた文房具やらが、血しぶきと共にあたりに飛び散ってゆく。
「ホホオホホホォォ」
保険医の高らかな笑い声。
そんな保険医の真上にて、怪しい輝きで彼女を照らす、不気味な鏡が、
天井にべったりと張り付いていたのだった。
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