第五話 楓みゆきと蝶番(ちょうつがい)





 どうやら、我々はまんまと敵の術中にハマり、ものの見事に分断されてしまったらしい。安藤さんとハルが外に追いやられ、楓さんが中に閉じ込めれらた。


 安藤さんが勢いよく扉にタックルする。


 しかし、錆びついてボロボロのはずの扉はびくともしない。


「クソっ!!ダメか!」


「安藤さん、あれ見て」


 安藤さんとは対照的に冷静なハルが、扉に取り付けられている蝶番を指さした。


 蝶番は異様なほど錆びついており、また、それが大きくかつどす黒い呪力を帯びていることは、陰陽術に精通している二人なら一目で理解できたのだった。どこにいるのかと思えば、そんなとこにいたとは予想外である。


「なるほど、部屋の外と中の境界線上にいたってわーけか。なーほーね。これは盲点」


「おいっ、大丈夫か!!楓っ!」


 呑気に敵を分析しているハルとは対照的に、安藤さんは扉の向こう側にいる楓さんに必死の形相で呼びかけていた。


 私も彼女のことが大層心配である。ハルはフリでも構わないからもう少し同僚の身を案じた方が、少しは常識的な人間に見えるはずなのに。


 私はハルを放って、少しばかり彼から意識を切り離すと、ドアをすり抜けてドアの向こう側の様子を覗いてみる。


 すると、楓さんがドアに寄りかかって背を凭れさせているのがすぐに分かった。


 また、異様なことに私たちのいる外とは違って、部屋全体にぎぃ、ぎぃという、思わず耳を覆いたくなるようなお腹の底から不快な金属のこすれるような音がこだましていた。


 どうやら蝶番に潜む呪いは、この音を媒介にして楓さんを犯しているようだ。瘴気が耳の穴を通って鼓膜を破り、内耳に染み込んでそこから触手を生やして寄生している。


 ここに住んでいた老人にも、こうして狡賢く寄生してから、ゆっくりとなぶり殺していったのだろう。


 楓さんは音が鳴るたびに強烈な吐き気を催しているようで、周囲には吐瀉物が撒き散っており、今なおえずいている。かなり辛そう、というより最早命の危険すら感じる状況である。このまま弱り切って衰弱死してしまえば、あの老人のように急速に腐敗してしまう、ということか。


 私は一度部屋を出ると、ハルに中の状況を報告した。


「ヤバいみたいですよ、アイツ」


 ハルは私が必死に状況を説明してなお、ケロッとしている。本当にこいつは何を考えているのか理解できない。さっきまで割と楓さんのことを心配していたはずなのに。


 まあ、無駄に慌てても状況が好転するわけではないのだから、寧ろ未だに冷静であるハルは陰陽師としては及第なのかもわからないが、少しくらいは表情に心配の色をにじませておくのが人情というものだと私は思う。


「楓っ!!」


「……安藤さん」


 安藤さんの呼びかけに、楓さんの弱弱しい声がドアの向こう側から届いてくる。


 それから、




「……救急如律令(速やかに法令に従い実行します)」



 



「なんだとっ!?」


 ここで、「救急如律令」なるものについて、いい加減に説明しておこう。


 救急如律令は元々、「急急如律令」、つまり「速やかに、律令の如く」という意、更にかみ砕くと「大人しくさっさと法令に従ってね」、現代で言うところの「けーさつ呼びますよ?」みたいな九合の脅しの意味が込められた祝詞だったわけだが、今では専ら、術陣による怪異の説得或いは交渉に失敗した際に、それらをこちら霊験で無理やり調伏する際の敵側に警告としてのだ。


 この祝詞を唱えなければ、呪いに対する攻撃は不当なものとみなされ、呪いに対して有効的なダメージを与えにくいことはおろか、調伏し終わった後もそれなりのペナルティが課される。だから、陰陽師が呪いに対して直接的な攻撃を加える際は必ず「救急如律令」を相手に宣告しなければならないのである。


 救急如律令の祝詞を発した楓さんは、これより蝶番の呪いを調伏することが可能だ。しかし、救急如律令はもろ刃の剣である。救急如律令を唱えると、たしかにこちらの霊力が相手に通じるようになるのが、相手の呪力の影響もより濃く受けることとなるのだから。当然相手も全力で応戦してくる。そうなれば、今以上に死のリスクを負う羽目となるのだ。


 安藤さんが驚いたような声を上げるのも無理はない。


「やれるのか?コイツ思ったよりもずっと手ごわそうだぞ?少なくとも大の大人のタックルじゃびくともしない。柔な式神を召喚しても無駄だぜ」


 扉越しに、ハルが楓さんに呼びかける。ハルは暗に「戦うな」と言っているのだ。彼我の実力と状況をハルは直感で理解しているのだろう。


 しかし、ハルの忠告を楓さんは鼻で笑った。


「ふんっ」


 それから、扉の向こう側で、力強く結印した!


「このくらい、猪口才ちょこざいよ」


 ドア越しに広がる光景に、私は目を見開いた。


 楓さんの周りに、大小さまざまのがしずしずとぬかづいている。それから、一斉に輪唱を始めた。





 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko



 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko



 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko

 Nanatsuhyokohyokoyahyokohyoko





 式神による祝詞の詠唱の補助。多重詠唱。


 暴力的なまでの和声が部屋中を包み込んだ。


 おお。


 確かに、これならば蝶番の呪力を破壊するだけの、強力な式神を召喚できるはずだ。


「マジかよ?これオリジナル?」


 ハルは素直に感心している。しかし、これには懸念すべき点がある。


「待てっ!


 ソイツを出すには時間がかかりすぎる!それじゃ間に合わない!!俺が対処するからお前は禹歩で身を守れ!」


 安藤さんの言うとおりだ。


 強力な式神を召喚するには、それなりの時間と費用が必要。強さとコストはタイなのだ。


 が、しかし。



 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko

 Nanatsuhyokohyokoyahyokohyoko


 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko

 Nanatsuhyokohyokoyahyokohyoko

 KokonohyokohyokoTohyokohyoko



 楓さんは安藤さんをガン無視で祝詞を唱え続けていた。

 

 自分の選択した行動に自信を持っているのか、或いは


「今回の敵は特定の条件下に置いて強力なタイプですよ。おそらく内側からじゃないとこのドアは開けられない」


「そんなことはわかっている。だが、コイツを調伏するにはそれなりの式が必要だぞ」


 このドアを楓さんがぶち破るためには、強力な式が必要。その意味では楓さんの選択はただしい。


 だが。


「それを召喚する余裕は、アイツにはない!」


 そうなのだ。


 楓さんが蝶番を破壊できるほどの式を召喚する間に蝶番に呪い殺されてしまうことを、安藤さんは懸念しているのだ。


「……そうっすね」


 それは杞憂でも何でもない。


 呪いは恐ろしい速度で楓さんを侵食しているし、私が見る限り楓さんの詠唱は間に合っていない。


 、だが。


「まぁでも、部屋から出る分には」


 ハルは楓さんの意図を正確にくみ取っているようだった。


「全身は必要ない……ってことだよな。おそらく」


 部分召喚。


 式の一部分だけを限定的に召喚するならば、強力な式をコストを抑えて召喚することが可能だ。


 楓さんはハルが片手間に行っていた部分召喚を模倣しようとしているのだ。


「ぶっつけ本番!?出来るのかっ!」


 部分召喚はそんな簡単にできることではない。


 しかも楓さんが部分召喚の概念を知ったのはついさっきなのだ。伏線回収の早いにもほどがある。


「やめとけやめとけ。何を強情になってるか知らんが、大人しく式にダメージスワップさせとけよ」


 陰陽師はそのほとんどが禹歩によって形代とした式神に自らの精神的、或いは肉体的ダメージを移すことが可能だ。


「馬鹿を言う」


 だが、楓さんはなぜかそれをしない。本当なら彼女がダメージを式に移している間に、安藤さんとハルが事態に対処するのが最も安全な選択のはずなのに。


 彼女が一体何を考えているのか、その表面的な思考が、私にはわかってしまった。


 楓さんはハルに対して強情になっているわけでも、まして自身の能力を過信しているわけでもないようだった。


「アンタにできて、私にできないわけないでしょうが!」




 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko

 Nanatsuhyokohyokoyahyokohyoko



 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko

 Nanatsuhyokohyokoyahyokohyoko

 KokonohyokohyokoTohyokohyoko



 Keheruhyokohyoko Mihyokohyoko

 Yohyokoitsuhyokomuhyokohyoko

 Nanatsuhyokohyokoyahyokohyoko

 KokonohyokohyokoTohyokohyoko

 Awasetegojyunihyokohyoko




 ドアが、ぎしりと軋んだ。


「っ!!離れろ!」


 巨大な陰の開放を瞬時に察知した安藤さんが、即座にドアの前から飛びのいた。


 ハルも遅れてドアから離れた直後。



「うぉっ!!?」



 ドアが一瞬だけゴムのように膨らんだかと思った次の瞬間には、勢いよく弾け飛んだ。


 玄関先の中空に、ぬらりとした巨大なガマガエルの右腕が出現していた。


 楓さんが召喚した、大蝦蟇の式神だ。この式が平手でドアを吹き飛ばしたのだ。


 どうやら楓さんは、部分召喚という高等技術をあっさりと会得してしまったようだった。


 ……もしかしたら彼女の才能はハルをも凌ぐかもしれない。そう思わされた。


「大丈夫か!?」


 玄関先にて、仰向けに転がっている楓さんに、安藤さんが駆け寄った。


 楓さんは安藤さんの心配そうな顔に頷きかけると、それから、遅れて部屋に入ってきたハルに向かって、「してやったり」といった具合にニヤリと笑いかけた。


 それを受けたハルは……。



「うわっ、お前ゲロまみれじゃん、きったなっ!!」 


「……」



 まあ、確かに彼女の服は吐瀉物で塗れていた。


 今言うことでは決してないだろうけど。









「ったく。錆びる前にドアの建付けくらい直しとけっての!!」


 あれから数時間後。安藤さんに命じられて、ハルは古くなった蝶番を新しいものに替えていた。


 DIYに関してど素人のハルは、スマートフォンを片手に四苦八苦しながら取り付け方法を調べていた。


 それにしても、と私はハルの膝元に捨てられた古い蝶番に目をやった。


 こんな蝶番ではドアの開閉にも一苦労だったろう。普通だったらどれだけ面倒でも交換を検討するくらいには、この蝶番は錆びに錆びていた。


 こんなことにすら気が廻らない程、この部屋に住んでいた老人は憔悴していたのだろうか。蝶番も替えられない程。


「あら、まだ終わってないの?」


 ハルがガチャガチャと金具を取り付けている最中、先ほどまで部屋の中で、安藤さんの手伝いとして術陣を敷いていた楓さんが、ハルに話しかけてきた。


「おっ、着替え終わったのか」


 楓さんは先ほどのまみれの服から、安藤さんが特急で購入してきたラフな私服へと着替えていた。楓さんに似合わぬ男物っぽい服だが、安藤さんが買ってきたものだということでいた仕方がないといったところか。


「まだ若干酸っぱい匂いがアレだけど……」


「うっさいわね」


「無茶苦茶に吐きやがって……あれ掃除したの安藤さんと俺なんだからな。感謝しろよ」


「わかってるわよ。もう散々頭下げた後でしょ」


「あーあ。適当な式を形代にして呪いを移せば、そんな目には合わずに済んだのにな」


「……」


 ハルがからかい口調で楓さんに言った。


 楓さんは黙りこくってしまった。


 それから、


「式神だって生きてんのよ」


 とだけ言った。


「あ?」


「アンタ、やっぱ私のきらいな貴族だわ。考え方が」


 それだけ吐き捨ててから、楓さんはわざとらしくそっぽを向いて安藤さんの元へと歩き去ってしまったのだった。


「……「やっぱ」ってなんだよ」


 ホントは仲良くなってみたかったんじゃないですかね。 


 ちょっとは期待していたんですよ、きっと。でも、ハルがこんなだからさ。

 








 それから数か月後。

 

 新たに入居してきた母子の二人組が、五〇五号室から外に出てくる。


 蝶番は何一つ音を立てることなく、スムーズにドアを開閉させた。


 と、その時。


「あっ、ちょうちょ!」


 母親に手をひかれる小さな子供が、自らの顔を掠める二つの影に気が付いて、虚空を指さした。


 ふわふわと、つがいの蝶が母子の間を抜けるように空へ飛んでゆく。


 母親が優しい声色で言った。


「あら、夫婦かしらね」


「ふーふー?」


「お父さんとお母さんってこと」


「ふぅん。おとうさんいつかかえってくるかな」


「……うん、そのうちね」


 これから二人はどこに出かけるのだろうか?


 つがいの蝶は、二人の頭の上をふわふわと飛び回って、二人の行く末を見守り続けるのだった。











 安藤さんらと別れた後、私たちは帰路に着いた。


 夕暮れの中、ハルは服に染みついた嫌な匂いを祓う様に袖をパタパタさせながら、私に話しかけてくる。


「あの蝶番、今度は悪さしないかねぇ」


 安藤さんは優秀な術師ですから、きっと大丈夫ですよ。


 これからは住居者を守ってくれる、そんな神様に変わったはずです。


「それにしてもさ」


 ハルはニヤニヤと笑いながら、


「あの部屋!ひっでぇ汚かったよな!」


 まるでハルの部屋みたいでしたね。


「うっ」


 私の言葉に対し動揺を隠せないのか、喉が詰まったかのようなうめき声を上げた後、ハルは気まずそうに真っ赤に染まった夕空を見上げるのだった。




「……掃除、しとくかぁ」




 それから、戸の建付けも、ね。



 



 建付けの良さは心の余裕の現れなのですから……。





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