第四話 分断





 ご遺体の片づけはテキパキと進められて、数時間も経たないうちに「まぁ、部屋に入るくらいはできる……よね?」といった程度には片付けられた。


 匂いの方はまだまだ酷くはある、あるが、最初の頃と比べたらまさしく雲泥の差だ。


 検視官や清掃員の方々は、一旦この場を離れていった。


 その間に私たちの仕事をさっさと片付けなければならない、ということだ。


 これよりは陰陽師のお仕事、お祓い開始である。


「建付け悪いなぁ」


 安藤さんが取っ手を手に取ってドアを開閉すると、ギリギリ、きぃきぃという不快な音が鳴る。蝶番がきしんで、扉の開け閉めが困難になっているのだ。さびているのだろうか?


 安藤さんが扉を肩で押し開けながら玄関へと突入してゆく間ハルはというと、呆れた顔で後方を見やっていた。


「そんなに気分悪いなら外に出てろよ」


 ハルの後ろには、青ざめた顔で、鼻を抑えながらよろよろと扉をくぐる楓さんの姿があった。さっき散々吐いてましたもんね……。


「うっさいわねっ!ほっときなさいよ」


「もっかい吐かれたら迷惑だから言ってんだっつーの」


 それはそう。


 さすがに部屋の中で吐くのはNGですよ?わかっているとは思いますけども。


「玄関の手前で亡くなったのか……」


 部屋を入ってすぐのことだった。

 

 安藤さんが、玄関を通り過ぎてすぐ、備え付けのトイレと隣接している床を凝視していた。


 ハルも安藤さんの背中越しにを見た。それから、うへぇと顔を大きく歪ませたのだった。


 そこには、


「うへぇ……ヒト型がくっきり残ってるぜ!」


 仰向けかうつ伏せかはわからないが、人の形の痕が床に染みわたって黒ずんでいたのだ。


「腐って溶けた脂肪が床まで染みこんでるんだな」


「ちょっと、止めてよ!想像しちゃったじゃないっ!!」


 そう言ってぎゃあぎゃあ言いながら腕を抱える楓さん。全身の毛が逆立っているのが見て取れる。


 どうやら彼女、グロにはとことん不慣れらしい。今時の子供はアニメやらゲームやらで耐性が付いているものだが。凄まじい残酷描写がなされているアニメを、ハルは楽しそうに眺めていたことがあったし、実際、ハルは腐乱臭には未だ慣れずとも、ご遺体の方には忌避感よりも好奇心の方が勝っているようである。


 などという風に、最初は足取りも覚束ない様子の楓さんではあったが、しばらくもしない内に真面目に仕事に取り組むようになった。仕事だと割り切ることが出来たらしい。


 三人は玄関を抜けて、部屋へと足を運んだ。この部屋の間取りはワンルームなので、ここ以外に部屋はない。あとは玄関へと続く狭い廊下に隣接する申し訳程度の台所と、反対側に備え点いているトイレのみである。


 そして、これは部屋全体にいえることなのだが、廊下以外の床が全てごみで埋まっている。足の踏み場に困る、という奴である。部屋に入る時も、三人は決して靴を脱ごうとはしなかった。さすがに裸足で何が落ちているかわからないここをうろつく勇気は、三人にはなかったようだ。


 こんな部屋を、亡くなった老人はどうやって過ごしていたのだろうか?ハルの部屋も汚くはあるが、さすがにここまで散らかってはいない。それとも、ハルが老人になったら部屋がこんなふうになってしまうのだろうか。それはちょっと考えたくない。


「この部屋のどこかにいるのは間違いないんですけどねぇ」


 そんなこんなで部屋に巣食う呪力の大元を探しに、人とおり部屋を眺めまわした後、部屋の中央辺りにて、三人は頭を悩ませることとなってしまった。


 呪いの大元、源流が見当たらないのだ。


 うーむ。


 どうやら、中々に隠れるのが上手い妖怪らしい。


「……式を召喚するか」


 徐に安藤さんがそう呟いた。


 おそらくだが、呪力の探知に特化した式神を呼び出すつもりなのだろう。


 が、しかし……。


「……」


 安藤さんは険しい顔で突っ立ったまま、動こうとしない。


 まさかとは思うが、これは……。


「もしかして、今月ピンチだったりしますか?」


 聞き難いことをあっさりと聞く男、ハルはやはり容赦がなかった。


「まぁ、な」


 安藤さんが顔に影を落としながらも、小さく頷く。


 どうやら安藤さんは金銭を利用して式神と契約しているらしい。金銭とは式神との契約手段としてはメジャーではあるが、式を召喚するのに金銭を要求されるうえ、払えなければ容赦なく契約解除されるため、召喚するたびにゴリゴリと金が減っていくのが難点である。


「あははっ、陰陽師って上澄み以外は割と薄給ですもんね!」


「そう……だな……」


 ゲラゲラとハルが笑い、安藤さんが感情の抜けた顔をがっくりと項垂れさせる。


 安藤さん、こんな奴はクビにしちゃってもいいんですよ。なんなら私から直で言い渡しましょうか?


 案の定というべきか、安藤さんが落ち込むのに反比例して楓さんの怒りのボルテージがうなぎの滝登りであった。


 イライラとした表情で眉尻をツンと上げながら、楓さんは言った。


「アンタは私や安藤さんみたいな寒門と違って貴族だから、お金の心配とかもないんでしょうね」


 しかし、ハルは首を振った。


「いや?んなことねぇよ。貴族っつってもピンからキリまでいるし、安倍家はキリなほうだし、ウチじゃ肩身せまいから贅沢もできないし」


「肩身が狭い?なんでよ」


「だって俺、妾の子供だし」


 ハルは平然とそう言った。場が、ほんの一瞬だけ凍り付いたような気がした。


「いや内縁の妻?愛人?まあ何でもいいけどさ。しかもその癖一応長男だから立場がすげぇ微妙なの。たまに会う正妻のおばさんにめっちゃ睨まれる……」


「へ、へぇ……」


 楓さんはドン引きしているようだった。妾だの正妻だの、一般社会ではまずお目にかかれない単語を浴びせられたら誰でもこうなるものなのかもしれなかった。


「そういう話、ホントにあるのね……正直吃驚したわ」


「そう?まあ、つっても腹違いの弟とは全然仲よかったんだけどな。今何してるかなぁ、アイツ」


「そうか……貴族には貴族なりの苦労があるんだな」


 ショックからある程度立ち直ったらしい安藤さんが、同情の眼差しをハルに向けていた。こんなクソガキでも家庭環境が悪いなどと聞けば同情に易い。多少の苛立ちは飲み込んで、心情的にも寄り添えるというものだ。


「まあ、そりゃ。つっても、寒門の人等も大変でしょ?俺が院生に通ってた頃はいびられまくってましたもん」


「……そ……だな……」


「まぁ……」


 ところが、ハルの余計な一言で再び安藤さんのテンションが急降下。ついでに楓さんも。どうやら思い出さなくてもいいような余計な記憶が脳裏に想起されているのだろう。


 寒門、というのは平たく言えば貴族でない人間のことだ。今時の陰陽師は大概が世襲制であり、一般人が陰陽師になるのはほんの一握りなのだ。


 しかも、そう言った特殊なケースの人間が院生に入ると、大抵イジメられる。非常に閉鎖的な院生の環境がそうさせるのだろう。


「あ、そうだ。どうせなら俺が索敵用の式だしましょうか?俺のは安上がりですし」


「あ、ああ、ちょっと頼む……」


 ハルは場の空気を一切読まずに、安藤さんの代わりに式を呼び出す準備を始めた。


 

 Shi-ba-ra-ku                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                


 Toinanbanhokutekiseijyu Tenchikengkongshibakkounosumizumimade Narihibilitaruhakabuhitaruhana...



 ハルがささっと呪文を唱えると、宙に


 ぎょろり


 と、おおきな目玉が一つ、中空に出現した。ハルの式神、一本ダタラの神様だ。ハルはそれを見て満足そうにうなずいた後、


「……ところで、なんで安藤さんは貴族じゃないのにわざわざ陰陽師なんかになったんです?こんな面倒な仕事」


 仕事中も雑談がやめられないようである。本当にしょうがない奴だ。


 しかし、ハルの業務態度を執拗に注意しようとはしない安藤さんの方にも、若干の問題はあるように思えるが。


「……寒門の奴らが陰陽師になる理由は、だいたい同じだよ」


 安藤さんは本が散乱した床に腰を下ろしてから、ハルの方を見やった。


「なる以外に、選択肢がなかったんだ」


 瞬間、私の頭の中に安藤さんの記憶が断片的に流れてきた。



 幼い子供の頃の記憶だ。


 大きなトラック。


 好奇心で近づいた彼。


 それから、


 そんなに近づいたつもりがなかったのに、後輪差が。


 大きな衝撃と、閃光。


 気が付くと、見知らぬ天井だ。

 


「俺の場合は、ガキの頃の交通事故がきっかけで呪いを認知できるようになってな」


 どうやらそのあとは、母親に死ぬほど怒られたようだ。苦々しい思い出として脳にこびりついているのが分かった。


 事故で頭を強く打ったようで、おそらくだがその際に脳に加わった衝撃が原因で、呪いの影響を強く受けるようになってしまったのだろう。


「それからは頻繁に妖怪やらなんやらが見えるようになった……てのを親に話したら、病院に連れていかれた」


 そりゃそうだ。


 子供から、事故の後何か妙なものを幻視するようになっただのと聞かされた暁には、すわ後遺症か!と疑われてもそれはいた仕方のないことだ。


「で、いろんなところをたらいまわしにされた挙句の果てに、たまたま運よく陰陽師と出会ってな。なんやかんやあって院生にぶち込まれた」


 安藤さんのようなケースは、一般人が陰陽師を志すようになる経緯としては寧ろ王道だといえる。というか、それくらいしか基本的にない。街を歩いていたらスカウトされた!なんてこともあり得ないし、陰陽師へと至る道とは非常に狭いのだ。


 じゃあ、逆にどうして安藤さんのようなケースが起こり得るのかというと、


「呪力をコントロールできない奴は、一般社会に適応できないのがほとんどだからな。子供は特に……」


 安藤さんの言うとおりである。


 子供は呪いに対する耐性がない。呪いはそれに対する適切な知識と、身を守るための技を習得していなければ恐ろしく牙を剥かれる。逆に適切にコントロールすることができれば、陰陽師のように便利で強力な力として使役することができるのだ。


 しかしながら、一般人で呪いを認知できてしまうような子供は幼少の頃にまず確実に妖怪やらに食われて死んでしまうのがほとんどなのだ。


「だから、俺みたいなイレギュラーなガキは速やかに保護されて、それから院生で最低限の護身術を学ばせる。と言っても、保護されるのは目覚めた奴らのほんの一握りだけだ。大抵は人知れず呪いに取り込まれて死んでいくか発狂するか、或いはどうにか社会に溶け込む奴もいるかどうか、といったところか……」


「色々大変な幼少を過ごしたんすねぇ」


「ガキの頃は面白い習い事みたいな感覚で院生に通ってたんだけどな。貴族たちも嫌味な先輩、くらいにしか考えてなかった。 苦労したのは、大人になってからだったなぁ。呪いを認知できるってのが、社会でどれだけ生き辛いことなのか、イヤという程思い知らされた。で、色々あって結局はこの能力を生かせる陰陽師になることにした」


「へぇ……楓も似たような経緯で陰陽師になったのか?」


 ハルが「なぁ?」と言って顔を楓さんの方へと向けた。


 楓さんは部屋をきょろきょろと見渡していたところをハルにそのように話しかけられて、少々戸惑いながらも


「えっ?ああ、うん。そうよ。そんな感じ」


「ふぅん」


「まぁ……でも」


 楓さんの瞳の奥に何やらぎらりとした、艶めかしい輝きが垣間見えたような気がした。


「動機は違う。私はイヤイヤで陰陽師になろうってわけじゃないわ」


「そうなの?」


「本気でてっぺん目指してるのよ。だから私はこんなところで……」


 と、


 そこまで言ってから唐突に、楓さんの表情がぎしりと音を立てて固まった。

 

「え」


「ん?なに?」


 楓さんの視線は一方向に固定されている。


「……ア、アンタ、それ、どうやって召喚したのよ。こんなで」


 楓さんは、それから震える指でさきほどハルが召喚した巨大な目玉を指さしたのだった。


 目玉は指さされたことには気も留めず、あっちへこっちへとふわふわ。


「ああ、これ?だけ部分召喚したんだ。索敵するのに全身は必要ないからな」


「そんなことが可能なのか?凄いな……」


 安藤さんが興味深げに目玉をじっと見やってから、そう言った。しかし、ハルの召喚した式神が保有する呪力の総量にはいまだに気が付いていないようだった。


 楓さんは、目玉の潜在能力に気が付いたからこそ、驚きを隠せないでいるのだろう。なにせ、強力な式神の召喚にはそれ相応の時間と費用が必要なのだから。少なくもこれだけ強力な式神を一瞬で呼び出すのはほとんど不可能と断言していい。


「……」


 ハルは何て事のない、といった風に適当に流したが、楓さんは茫然としてじっと眼玉を見やっていた。


 それから、ぶつぶつと何やら熟考に耽り始めたのだった。


「おっ、さっそく見つけたみたいですよ」


 そんな楓さんには気も留めずに、ハルは目玉の方に注力しているようだった。


 その目玉はというと、ふわふわと部屋を漂ったのち、ゆっくりと移動を始めて、やがて部屋を後にした。どうやら、完全に対象の呪力を捉えたようだ。


「玄関?」


 ハルが、それから安藤さんが後をついてゆく。目玉は狭い廊下をスルスルと伝って、玄関へと昇っていった。安藤さんとハルはご遺体の跡を避けるようにしてあるいた。


 やがて、目玉は扉の前で一度静止した後、ズッと扉にめり込んだ。


「外!?」


 ハルが驚いたような声を上げた。


 目玉はめり込んだ状態で静止している。


「そんな馬鹿な」


 安藤さんも目を見開いていた。てっきり部屋の内部に呪いの大元、所謂ところの妖怪がいると思っていたのだが。


 この手の妖怪は大抵部屋の中にいるのが普通なのだ。


 家とは、ある種の結界である。妖怪が家や部屋の中の人間に悪さをするためには、その結界を超える必要がある。だからこそ、二人は妖怪が部屋の中にいるものだと思い込んでいた。


 安藤さんはドアを開けようと取っ手に手を掛けたが、


「なんでこんなに重いんだよ……っ!」


 扉がギリギリと、異様な音を立てて軋む。どこかさびているのだろうか?それにしても異常だ。


 この金属音を聞くたびに、胃が重くなるような、そんな倦怠感を感じるのは気のせいか。


 しかし、大の大人が押して開かない、というワケではなかった。安藤さんは何とか肩で扉を押し開けると、安藤さんのハルの二人は外へと躍り出た。外の空気が一気になだれ込んできて、少しだけ不快感が抜ける。


「おい、一本ダタラ。元凶はどこにいるんだ」


 しばし周囲を見渡して異常が見当たらないことを確認した後、ハルは目玉を顧みてそう言った。


「ん?」


 目玉は、今しがた押し開けた扉を凝視していた。


 正確には、扉と部屋をつなぐ金具、


 蝶番をじっと見やっていたのだ。


「……」


 安藤さんが、ふと、何かに思い至ったかのような表情へと移り変わろうとしていたその時だった。


「あ?」


 バタン


 と音がして、扉がひとりでに、勢いよく閉まった。


「……えっ?」


 二人に遅れて玄関を移動していた楓さんの驚いたような声が、扉の向こうから聞こえてきた。





 ハルと安藤さんが外に、


 楓さんが部屋の中に、



 私たちは、ものの見事に分断されてしまった。







 敵の奸計にハマった、というワケだった。






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