第三話 楓みゆき 登場!







 目玉焼き。


 チーズが乗せられた、食パン。


 それから、黄金色のオニオンスープ。


 食卓に並べられたそれら朝食を、目つきの悪い目でじろじろと不躾に眺めまわした後、ハルは、


「これじゃダメだ」


 とだけ言った。それから、目つきの悪いまま、机の上の牛乳パックを手に取ってコップに牛乳をとくとくと注ぎ入れる。


「栄養バランスが悪すぎる。こんなもの食ったら俺の健康が害されるぞ」


 偏屈爺のようなことを言い始めた。いつも生野菜を食べ残す癖に何を言っているのだろうか、この男は。


「これ、夏奈さんが作った料理じゃないな?いつもは和食なのに……」


 そう。


 ハルが本当に気にしているのはそこだ。朝食が、いつもの夏奈さんの料理でない。ハルは今朝料理を作らなかった夏奈さんの身を案じているのだ。


 全く……心配なら素直にそう言えばいいのに。なんと回りくどい男だ。

 

 ハルは眉間にしわを寄せて、同じく食卓についている「じい」に目を向ける。じいはオニオンスープをずずっと吸いながら、


「夏奈さんは出かけておりますじゃ」


 そう言って、スープから口を離した後の彼の顔は、なんとも言えない渋みを帯びていた。


「どうやら土御門家に顔を出さなければいけないようで」


「本家に!?」


 ハルのギョッとした声が食卓を震わせる。


「あの人の立場じゃ、いびられに行くようなもんじゃねぇか」


「まあそうなんですじゃが……」


 じいは渋い顔のまま、


「息子の縁談が破談になった以上は仕方ありますまい……」


 どうやら、母上はハルの尻ぬぐいをさせられに行ったらしい。ハルがスッと真顔になった。


「おいたわしや、ただでさえ肩身の狭い立場が更に……」


 唐突においおいと涙を流し始めたじいを見て、朝っぱらから勘弁してくれとばかりに大きなため息を吐いたハルは、それから食卓の目玉焼きの目玉をつつきながら、ぼやいた。





「当主の妾なんかになるからだよ」









 研修は毎度違う陰陽師が担当するのだ。


 そして大抵の陰陽師は研修に来た陰陽小属や大属(まだ陰陽師ではない、研修生のような立場の人間)を嫌う。


 彼らにとって、ハルのような存在は仕事の邪魔でしかないからだ。


 だから、ほとんどの陰陽師は、研修に来た子を適当にあしらう。雑務を押し付け、或いは一切の仕事を割り振らず、陰陽師としての経験を積ませない。正直、これでは研修の意味がない。


 しかし、今回ハルを担当する陰陽師は、いつもの彼らとは毛色が少し違った。


「君にはこれから、依頼された訪問診療を手伝ってもらう」


 しっかりとハルにも仕事を振るらしい。しかも、迦十先生とは違い、事前に資料などをメールで送ってくれていた。どうやら今回は訪問診療、つまり患者の家に実際に向かって心療を行う、ということだった。


「俺は陰陽師の安藤だ。よろしく」


 そして、安藤さんとやらは挨拶もちゃんとする。もうこの時点で私の中の彼の好感度はうなぎのぼりだ。挨拶なんて当たり前かと思われるかもしれないが、自己紹介もなしに無言で研修を始める、なんて陰陽師もザラなのだ。


 安藤さんは真面目そうな男性で、歳は三十くらいだろうか。陰陽師にありがちな独善さや高圧さはそれほど感じられなく、寧ろ他者に対する気遣いがよく見て取れる。


 今回はハルにとって良い研修になるのかもしれない。期待が高まった。


「それから、今日は君以外にも、もう一人研修生が来る予定だが……」


 自己紹介の痕、安藤さんはそんなことを言ってから、やけに言い淀んだ。


 なんでしょう。研修生を複数持つことは、そう珍しい話ではない。実際に、ハルも何度か研修生と共に研修を行っている。まあ、会話らしい会話など一切なかったが。お弁当も一人で食べてたし。


 まあ、研修生同士が仲良くする必要などない、ということなのだろう。


 しかし、今回ばかりはそう穏便にはいかないようだ。安藤さんは少しだけ声をすぼめて、こんなことを言ったのだ。


「少しばかり性格に難があってな。だから君はあまり刺激しないでやってほしいんだ」


「性格に難があるって?具体的には何が問題なんです?」


「大の「貴族嫌い」なんだ」


 貴族嫌い。



 ああ~。




 なるほどなー。




 確かにそれは、面倒そうだ。












「アンタなんか大っ嫌いだから」


 件の研修生は、出会い頭にハルに対しキツめのパンチを放ってきた。


 初っ端からこれとは……先が思いやられるというか、これはとんでもない子がやってきてしまった。


「天才だか麒麟児だか知らないけど、アンタ貴族なんでしょ?」


「まあ、そうだけど……」


「だったらアンタとは仲良くできないわねっ!」


「俺もお前と仲良くできるビジョンが全く見えんわ」


 ハルは、研修生の頭からつま先までをじろじろと眺めまわした後、「ハッ」と鼻を鳴らす。こいつも中々に失礼なファーストコンタクトではあるが、云わんとすることはわかる。


 研修生は、いや彼女は相当に若い。おそらく12か13、育ち盛りの娘さん、といった面持ちである。


 研修生はだいたいが若くとも16とかそこらなので、彼女はかなり異質な存在だといえよう。院生を卒業しているはずなので、もしかしなくともかなり優秀なのではなかろうか。まあ、ハルは八つで卒業しているけれども。


「……同じ研修生の「かえでみゆき」だ。二人とも、……仲良くな」


「ちょっと、せんせーい。クソガキならクソガキだってちゃんと教えといてくださいよー、もーおっちょこちょいなんだから~」


 あなたも十二分にクソガキですけどね。わかってると思うけど。


「アンタ、元天才の貴族で院生を最年少で卒業したんですって?」


 楓さんとやらはハルの発言には突っ込まず、顎を高くつきあげながらハルに向かってそう言い放った。ハルはどうやら研修生の中でも有名人らしい。有名、とは言ってもおそらく悪評が広まっているだけだろうなぁ。


「あ?ああ、うん、まあ。貴族っつってもウチは貧乏だけど……」


「でも私の方がずっと上なんだって、近いうちに必ず証明してあげるわ」


 ほう?どうやら彼女はハルに対抗心を燃やしているらしい。こういう娘が近くにいれば、ハルも少しは触発されてやる気を見せるかもしれない。


「ああ、そう。頑張って」


 が、ダメ。


 ハルはあからさまに投げやりな態度で楓さんをあしらった。もう素直に心変わりするような年頃でもないようだ。


 楓さんは、そんなハルの態度を受けて、イライラし始めた。いやまあ、最初から怒ってはいたんだが。


「ほんっと、貴族って嫌味たらしい連中ねっ!」


「んっ?

 何?

 なんでそんな貴族に対して過剰反応するの?

 あ、もしかして院生で貴族共にいじめられた?

 元いじめられっこなんでちゅかね?

 どしたん?

 話きこか?」


 ハルはニヤニヤしながら楓さんを煽りまくった。


 言わなくていいことを言う男、それがハルである。確かに私も「この娘貴族にコンプレックスあるのかなー」とは思ったけども、それを口に出してはいけないだろう。常識的に考えて。


「最っ低っ!


 アンタとは二度と口きかないからっ!」


 案の定ぶちぎれてそっぽを向く楓さん。あーあー。もう収拾つきませんね。これ。


「あの……なかよくな?」


 そんな二人の様子を、ひたすら困り顔で安藤さんは見守っていた。苦労人の香りがする。同情します、安藤さん……。




 というか、二人とも今が研修中だってちゃんとわかってる?










 患者の自宅に向かう途中の車内にて、安藤さんはずっと患者の情報を話続けていた。


 真面目だからというよりは、そうでもしないと車の中の空気が持たないからだろう。ハルと楓さんの二人は始終ギスギスしていた。


「事前に送ってきた資料にある通り、今回の患者は飯田伴三いいだともぞう

 年齢は72歳と高齢。

 患者の家族に依頼されて訪問に来たカウンセラーを刃物で脅して帰らせた事案がある」


 刃物で脅すとは……なかなかクレイジーな老人だ。


 これは相当に病んでそうである。


 やがて車が停まり、車から降りた一行はとある寂れたアパートへとやってきた。


「調査の末患者から「呪力」が検知されたため、陰陽寮が仕事を引き継ぐこととなった」


 どうやら今回の患者はこのアパートに住んでいるらしい。水道管や非常階段に至るまで、徹底してさびついている。中々の荒廃っぷりだ。人が住んでいることすら疑わしい。


 確かに、こんなところに住み着いていては、頭もおかしくなってしまうというものだ。


「今回の仕事は危険を伴う。研修生とはいえ、これが職務であることを重々忘れるな」


「安心してくださいよ。クソガキと違って私情は挟みませんから」


「……そういう仲間に対する稚拙な煽りを止めろと言っているんだ」


 安藤さんがいよいよ怒り心頭、と いった具合にハルを睨んだ。


 あーあー、やっちゃった。


 ハルはものの見事に意気消沈した。ざまあない。


「お前たちが患者と交渉する必要はない。術陣の用意と祈祷の手伝いをしてくれ」


「待ってください!」


 すかさず、楓さんが挙手をして安藤さんの話を遮った。


「研修が始まってからずっと、同じような仕事しかさせてもらえていません。私、もっと色々な経験を積みたいんです!

 今回の件、私に一任させてもらえませんか?そうでなくとも、せめて職務を分担させてください!」


  おお、「経験を積みたい」とは中々どうして気概を感じるじゃないですか。自ら進んで学びたいとは、研修生には大事な積極性である。


 そのあり余るやる気、ちょっとでいいからハルにも分けてやってください。


「いや、今回の相手は狂人だ。子供の君じゃ怪我をする危険がある」


 ところが、安藤さんの答えは「NO」だった。


「子ども扱いしないでくださいっ!私、もう院生を卒業してるんですから」


 楓さんはしかし、それでも安藤さんに食い下がる。


 積極的なのは構わないのですが、ここで引き下がれないのはちょっといただけませんね。


「わがまま言うなよ。やれやれ、これだからガキは……」


 先ほどの御叱りで全く凝りていなかったらしいハルが肩を竦めてにやにやと笑っていた。


 お前はもう一言もしゃべんな。


「~~っ!!もうっ!!」


 案の定、楓さんをいたずらに怒らせる結果となってしまった。安藤さん、こんなに協調性の欠片もない奴はもうクビでいいですよ。


「おいっ、待て楓!一人で行くな!」


 安藤さんは楓さんを引き留めるが、彼女は止まらない。独りで今にも崩れ落ちそうな階段をカツカツと昇ってゆく。


「刃物で脅されたって平気なんですから!霊力でおとなしくさせればいいだけなんだし……」


 あんな調子でサイコ老人と対面して大丈夫なのだろうか。 すごく心配である。安藤さんが慌てて追いかけ、ハルはのんびりとそれについてゆく。のんびりし過ぎて今にも鼻歌を歌い出しそうな面持ちだ。この男はどうしてこの状況でこんなに余裕をブッこいているのだろうか。甚だしく疑問である。というか、人間性を疑うぞ。


「……んっ?」


 どうこいつを懲らしめてやろうと私が本気で画策していたところ、ハルが不意に立ち止まって、いぶかし気な表情でアパートを見上げた。


 それから、


「なんかぞ。この匂い……」


 匂い?


 ハルに言われて、私もようやっと周囲に漂う異臭に気が付いたのだった。


 これは、一体何の匂いだろう。


 まるで、


 生ごみでも腐ったかのような、イヤな匂いだ。


「……っ!?」


 その瞬間のことだった。


 階段を勢いよく駆け上っていた楓さんが、急にぴたりと立ち止まった。


 それから、楓さんは階段に向かって、胃の中のものを残らず吐き出してしまったのである。





 〇






 某アパート(六階建て)の四階、五〇五号室に住まいの男性、飯田伴三は玄関を開けてすぐの廊下に死体となって倒れていた。


 アパート全体に漂っていた腐臭は、この死体から発せられていたものだったのだ。夏場でもないというのにその腐乱臭は強烈であり、部屋の外からでも十分に近づく者の吐き気を催させた。


 安藤さんはマスクもせずに、このままこの匂いを嗅ぎ続けていたら鼻孔や肺が腐り落ちるのではないかというくらいに酷い腐臭が漂うのを、平然とした顔つきで、検視にやってきた検視官と何やら話をしているようであった。


 一方のハルはというと、未だに吐き気のやまない様子でいる楓さんの背中をさすっていた。さっきまで彼女に暴言を吐いていた奴と同一人物とは思えない。


 そう言えばハルは楓さんが階段にぶちまけた吐瀉物も積極的に片付けていたし……。こういう場面で妙に優しくなったり仕事が早くなるのは一体どういう訳なのだろうか。


 私がハルという人物の像を掴みあぐねていると、不意に安藤さんの話し声が聞こえてくる。


「――やはり呪いの類ですか」


「ええ。ホトケさんの腐乱状態から、時期的に最低でも死亡から3日は立っているはずなんですがね。管理人が言うには今朝までホトケさんが生きてたって言い張ってるんですわ。いつも朝っぱらから叫び声が聞こえてくるらしいんで、まあ間違えようはないですな。オンライン対戦ゲームでもしてなさってたんでしょうかね」


 どうやらと話をしているらしい。


 陰陽師の存在は基本的に世間から隠匿されているが、一部の公務員や政治家などはその存在を知っているのだ。特に警察関係者とは、仕事柄関わり合いが多いため、時には高度に連携して職務を遂行することまであるのだ。


「つまり、通常じゃありえない速度で腐乱したというワケですね」


「死後硬直はとっくのとうに終わっていて、組織が軟化。死斑も定着している。死斑の様子からは間違いなく3日経過してます。断言しましょう。少なくともというのはありえないです」


 検視官がそう言って、肩を竦めた。


「腐臭に慣れているはずの清掃員なんかも、部屋に入った途端に悉く体調不良を訴えられましたわ。が、ま、何とか形だけでも片付きはしましたがね。CCR(呪連鎖反応)検査を行ったところ、部屋中べったり。今回はどうやらオタクらの案件のようです」


「わかりました。すぐにこちらで引き継いで調査します」


「どうぞ頼みます。しっかり祓っといてくださいよ。ところで……」


 検視官はそれから、階段でひたすらえずいている楓さんと、背中をさすっているハルを見やった。


「彼らは一体?」


「研修生です」


 安藤さんはそう言ってから、この腐乱臭の中でも一切歪めなかった顔を、ようやっと渋めたのだった。


 





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