第二話 蛇は妬む







 ――本当にいたんですよ。


 真夜中にふっと目が覚めて、なんとなく天井の隅に目をやった時にですね。


 べったりと。


 張り付いてたんです。


 蛇が。


 真っ黒な鱗なんですけどね、お腹が血で真っ赤に爛れているように見えました。


 私、その場で悲鳴を上げちゃって、慌てて電気をつけたんですけど、その時にはもう、蛇はどこにもいなくなっていて……。


 その日は眠れませんでした。


 そのあとは、どれだけ探しても蛇は見つかりませんでしたし、きっと白昼夢みたいなものだったんだと思うんですけど。


 そんな変な夢を、もう何度も見るんです……。


 やっぱり、精神的な問題なんでしょうか?













 婚約破棄から大体一週間後。


 ハルは見習い陰陽師として復帰することになった。


 具体的には、陰陽師として活動している人たちの補佐役兼研修として派遣されるのだ。と言っても、ほとんどアルバイトのようなものだが……。


 それでも、ヒキニートのハルにとっては大躍進といったところだろう。




 朝八時。


 安倍家の玄関にて、ハルは夏奈なつなさん――母上から、料理の敷き詰められたずっしりとした重箱を手渡された。


「ハルくん。はい、これおべんとう」


「あ、ああ、うん。あんがと……」


 ありえない重量のお弁当に、ハルは辟易としているようだった。 気持ちはわからなくもないが、母上は朝から早起きして張り切ってそれを作っていたのだ。その想いを無下にするわけにもいかないだろう。


 それにしても、母上は朝から非常にご機嫌である。いつもニコニコしている人ではあるが、今日は特に。引き籠りの息子がやっと仕事を再開したとあらば、世の母親は皆こうなるものなのかもしれない。


「これ食べて、お仕事がんばってねっ。あっ、あとそれから」


 母上は更に、明らかに高級な菓子折りを重箱の上に乗せる。


「これ、今日お世話になる先生にお渡して?」


「いや、いらないって!こんな高級菓子!」


 それは私もそう思います。母上。


「えっ?でもぉ」


「いらないからっ!!」


 ハルが重箱を落とさないよう器用に菓子折りを返却すると、母上はしゅんとした顔でそれを受け取った。


 そんなことをしている間にも、ハルの式神、狐狸こりのチョコとコロネが、いそいそとご主人のために靴を下駄箱から引っ張り出している。なんとも健気である。


「じゃあ言って来るっ!」


 ハルはチョコとコロネが並べて置いた靴をさっと履くと、一目散に玄関を飛び出した。母上が手を振って見送っているというのに、この男は振り返ろうともしなかった。


「……うん、いってらっしゃい」


 後ろで、母上の寂しそうな声が聞こえる。


 やれやれ。気恥ずかしいからって、あまり親を悲しませてはいけませんよ。


 それにしても、今日は随分急ぐのですね。


「初日から遅刻は流石にシャレにならんからな!」


 この男、何事も最初は張り切るんですけどねぇ。


 継続は力なり、とは聞くがハルが何かを継続して行えたためしがないのだ。転生した当初もウキウキで陰陽道を学んでいたというのに、今ではこれなのだから。


 今回こそは継続できると良いのだが。







 徒歩一時間もかからない、とある近所の国立大学病院。


 その敷地内に、人目を忍ぶかのようにひっそりと佇む寂れた施設。


 世間からは「今はほとんど使われていない実験室」とでも思われているようであったが、実は違う。


 国から派遣された陰陽師が、そこで陰陽道の研究の傍ら病院から斡旋される仕事をしているのだ。


「お前が安倍晴爛か?」


 紙やら本やらが所狭しと散らばっている、お世辞にも整頓されているとは言い難い部屋のど真ん中にて、椅子にどっかりと座っている、白衣に眼鏡をかけた妙齢の女性。


「真っ白で不健康そうな肌色だな。日光浴びろよ」


 金沢大学附属病院所属の陰陽師、迦十かじゅう先生である。


 迦十先生はノコノコとやってきたハルの顔面をじろじろと眺めまわし、それから一言、


「噂通りの腑抜けた顔面だ」


 のっけからキツめのパンチを打ってくる。


「言っとくが、オレはお前のケツを拭いたり、おしめを換えてやるつもりなんざさらさらねぇし、仕事の邪魔も一切させねぇ。お前の研修を受け入れたのは、上に命令されて仕方なくってやつだ」


 どうもそう言うことらしい。道理でハルに対して風当たりが強いわけだ。


「へぇ。じゃあ何してればいいんですかね、俺」


 ハルが不貞腐れたようにそう言うと、迦十先生は、


「後ろで黙って突っ立ってろ。一生」


 一生て。


 まあ、ハルはその一生、もう終えてるんですけどね。今は二生目です。


「まあ、一応今日来る患者の診断書は見させてやる」


 そう言うのは事前に確認しなくてはならないのではなかろうか。当日に見せられても……。


 でもまあ、見れるというのなら見させてもらろう。私はハルが手に持っているカルテを覗いた。


 どれどれ?


 患者の名前は「飛葉雁ひばかり かな」。16歳の高校生。どうやら個人経営の診療所からの紹介でやってくるらしい―――





 ―――ここ数日、毎晩のように悪夢を見るんです


「具体的に、いつから?悪夢を見るようになったのは」


 あれから数時間後。


 診察室に移動した迦十先生は例の患者、飛葉雁さんと対面していた。診察室は先ほどの研究室と違い整然としている。


 ハルは迦十先生の後ろに突っ立っているだけで、先生の言うとおり本当に仕事を割り振られていない。この状況でも平然としているハルは、本当にどうしようもないニート根性が染みついているらしい。


 何時までも言われたことしかしなくてよい学生気分の新入社員、といった風である。


「一週間くらい前……だったと思います」


 迦十先生の問いかけに、飛葉雁さんは自信なさげに応えた。


「なるほど……ところで」


 迦十先生は、飛葉雁さんの後ろに控えていた学生二人に目をやった。


「後ろのお二人とのご関係は?」


「あっ、友達です。付き添いの……」


 どうやら同級生らしい。「酸漿ほおずきちか」というツインテールが可愛らしい女学生と、「青山大翔あおやまたいしょう」という短髪の男子生徒だ。中々のイケメンである。しかも優男なので色々とモテそうだ。


「かなったらすごく体調悪そうで、全然眠れてないみたいだったのに無理して学校に来るんから、私が病院まで引っ張ってきたんです」


 酸漿さんはそう言うと、勝気なつり目を更につり上げた。


「ふむ、では青山さんの方は?」


「その……俺もこいつに引っ張られてきて……」


「ばかっ、カレシが来ないでどーすんのよっ!!」


 酸漿さんはそう言って青山さんの頭をバシッと叩いた。そんな二人の様子からは、気の置けない間柄が伺える。


 それにしても、青山さんと飛葉雁さんは付き合っているのか。


 ふーむ。


 二人は、酸漿さんの「カレシ」という言葉を耳にしてお互いに顔を見合わせた後、頬を赤らめた。随分と初々しい反応だが、付き合いたてなのだろうか……。


 と、場の空気が若干弛緩したその時、今までピクリとも動かなかったハルが唐突に、


「二人の関係は?」


 と酸漿さんと青山さんを指さしながら、そう尋ねた。


 迦十先生にぎろりと睨まれるも、本人は全くと言っていいほど気にしていない。


 突然、立場もわからぬ謎の子供に失礼な態度で質問された二人は、少しだけ狐につままれたかのような表情になりつつも、


「幼馴染ですよ。小中高一緒だったので……」


 とだけ答えた。二人の視線には「お前は誰だ?」といったニュアンスの感情が含まれているように思える。


 迦十先生がすぐさまハルのみぞおちに肘鉄を食らわせた。


「グボォォ」


 思いっきり水月に肘が食い込んだハルは、その場に崩れ落ちる。


 いい塩梅の威力だ。これならハルには良い薬となるだろう。


「すいませんねぇ。こいつインターンの学生なんです。こんななりでも一応は「医者の卵」なので安心していただいて」


 迦十先生はニコニコしながらそう言った。


「は、はぁ」


「それで、その夢の内容についてですが……紹介状によると飛葉雁さん、あなたは「蛇に襲われる夢」をみるのだとか」


「はい、その通りです」


 ――できるだけ詳細に、夢の内容を教えてもらえますかね?


 ――わかりました……



 あれは一週間ほど前のことです。


 初めてそれを目にしたのは、部屋のベッドに仰向けに寝転がっていた時なんです。


 天井に、張り付いていたんですよ。どす黒い、縄みたいなのが。目を凝らして見てみると――蛇、だったんです。お腹が真っ赤に爛れていました。


 悲鳴を上げて飛び上がりました。


 でも、ふと目を離した隙にいなくなってて。部屋中、家中ひっくり返して探し回ったんですけど、見つかりませんでした。それで、その日は泣く泣く掛け布団を被って眠ったんです。


 気のせいだったんじゃないか、って。そう思うことにしたんですけど……。でも、次の日も蛇は現れました。今度は壁に張り付いていました。


 それでやっぱり、瞬きをする間に蛇は消えてしまうんです。


 夢なんだ、って思いました。白昼夢?ってものをみてるんだって。


 気にしないように努めました。それでも、その次も、次も。何度も蛇は現れて。ついにはお腹の上にはいずり回るようになって……。


 私、眠れなくなりました。


 眠れないだけじゃないんです。あれ以降酷く頭も痛くて……


 私の様子がおかしいのに気が付いた「ちか」に引っ張られて、精神科とか心療内科とかに行ったんですけど、もらったお薬も全然効果が無くて。


 で、こちらを紹介してもらったんです。


 ……あの、お医者さん……なんですよね?




「もちろん」


 迦十先生は頷いた。臆面もなく嘘を吐く。


「ふぅん。なるほど」


「何かわかったんですか?かなは治りますか!?」


 思わせぶりな態度の迦十先生に、後ろで様子を伺っていた酸漿さんが捲し立てるようにそう言った。中々どうして友達想いの良い娘ではなかろうか。少々気が逸りすぎのきらいはあるようだが。


「もちろん、治りますよ。、女性にはよくあることです。ただ……」


 それから、再び飛葉雁さんの方に顔を向けて、


「力は弱ぇ奴だが、有毒なのか?これは今日中に対応しないと不味いか」


 迦十先生はそれだけ呟くと、


「申し訳ないのですが、今からちょっとしたカウンセリングを行ってもよろしいですか?効果的だと思われる対症療法があります」


 また、後ろの二人に向かって、


「お二人には一度控室に移動してもらいましょう。彼女と二人きりにしてもらいたい」


 二人きりって。


 ハルもいるでしょ。


 と思ったが、どうやら迦十先生はハルは完全にいないものとして扱っているらしい。本当に何もさせないつもりなのか。


 





 


 診察室の中央にて、椅子に座らされた飛葉雁さんの周囲を、迦十先生はぐるぐると何度も回っては口元で怪しい祝詞をぶつぶつと唱えている。


「あの……「ご祈祷きとう」って……。ほかの方法はないんでしょうか」


 カウンセリングと聞いていたはずが何やら怪し気な儀式でも始まりそうな気配に、飛葉雁さんの訝し気な視線が迦十先生に送られた。


「そうですねぇ。これ以外だと頭に電極つなげて電気ショック!なんて対症療法もありますが……どうしてもとおっしゃるなら、今からでも変更いたしますが?」


「いやこっちでお願いします……」


 電気ショックと聞いて恐れをなしたらしい。一応、冗談ではなく本当に多少の効果は見込めるんですけどね、電気ショック。鬱にもよく効くし。


「じゃ、準備も終わりましたしそろそろ始めますかね。……おい、お前はもっと後ろに下がってろ」


 ハルは言われた通りに、一歩だけ大きく後ろに下がった。


 確かに先ほどの位置では少し邪魔だっただろう。


 患者の周囲には、先ほどの迦十先生の祝詞によって顕現した七体の式神――貪狼、禄存、文曲ぶんきょく簾貞れんてい武曲ぶきょく破軍はぐん――が、ずらりと並べられて簡易的な術陣じゅつじんを敷いていた。ハルの簡易式神と違い、迦十先生はヒト型の式を採用しているらしかった。


 陰と陽の狭間、陰陽おんみょうに顕現している彼らを普通の人間は認知できない。酷く怪し気な人影が突如として取り囲んでいるにもかかわらず、飛葉雁さんは依然として訝し気な目のまま先生の様子を見守るばかりだった。


 それから、迦十先生はてのひらを患者に向けて結印ゆいいんした。施無畏印せむいいんによる洗脳パリハライズを仕掛けた。


「……」


 患者がぼんやりとし始めた。それに合わせて、迦十先生による祈祷が本格的に始まった。




Kakemakumokasikoki izanaginoohokami



Tukusinohimukanotatibananowodonoahagiharani



Misogiharahetamahisitokininarimaseruharahedonoohokamitati


Moromoronomagatukgototumikegarearamuwobaharahetamahikiyometamahetomawosukotowokikisimeseto



Kasikomikasikomimomawosu




 祓詞はらえことばを唱えた後、迦十先生はがっちりと両手の指を結びつけると、




 On ara tannoh ma ni jinbara un




 バチっと、



 どこからともなく音がして、不意に天井にスルスルと一筋の影が這った。


 飛葉雁さんに憑いていた一匹の蛇が、大元へと還っていったのだ。


 迦十先生が施無畏印を解除すると、飛葉雁さんがハッと正気に戻った。それから、頭に手を当てて目を白黒させたのだった。頭痛が無くなっていることを不思議がっているらしい。


「……これでご祈祷はおしまいですね。もう悪夢はみないでしょう」


「本当ですか?よかった……」


 体調が戻りつつある飛葉雁さんは、迦十先生の言葉にホッと息をついたのもつかの間のことだった。


 ハルがキョトンとした顔で二人の間に口を挟んだのだった。



「あれ?先生、まだ一匹しか祓ってませんよね?はどうするんです?」



「あ?」


 ハルの言葉を聞いた迦十先生は逡巡の後、


「……っ!!?」


 ハッとして天井を見上げた。


 それと同時に、式神が一斉に姿を隠した。いつの間にか「攻撃」を受けていたらしい。


 するり、と。


 天井に張り付く影が、とぐろを巻いた。


「あっ、あっ」


 飛葉雁さんも天井を見上げて、を視認したらしい。


 真っ黒な身体。しかし、腹は真っ赤に爛れている、小さな毒蛇。


 瞬間、蛇がひょうと体を伸ばして飛葉雁さんに猛然と飛び掛かった。


「きゃぁぁぁああっ!!」


 悲鳴が診察室の中を木霊する。


「まず――」


 

 迦十先生は咄嗟に印を切るが、間に合わない。


 蛇の牙が、


 飛葉雁さんの方へと向かって


 それから、



 空中に突如として飛来した注連縄に、蛇の牙が阻まれた。



 迦十先生も、私も、



 後ろを振り返った。 




「縛せよ、縛」




 ハルが結印していた。




「オン・ア・ウン・ラ・ケン


 バンダ・バンダ・ディバ・ヤクシャム


 ジャク・ウン・バン・コク」



 この祝詞は……呪縛じゅばく!? 


「馬鹿野郎っ!縄で蛇が縛れるかっ!!」


 迦十先生の言うとおりだった。蛇と縄は致命的なかみ合わせの悪さ。縄で蛇を捕獲するのは難しい。


 だが―――

 





 On A Un Ra Ken



 Banda Banda Diva Yaksham



  Jak Un Ban Kok





 救急如律令(速やかに律令に従い御霊をお救い致します)


 


 縛せよ


 縛せよ




 鉤にかけ


 索で引き


 鎖で網にし


 鈴で喜ばせよ



 Jak


 Un


 Ban


 Kok




  Sohaka(成就あれ)


 



 鈴が鳴った。


 鈴の音に合わせて、注連縄が部屋を縦横無尽に飛来する。


 ハルの操る縄は蛇を囲み、蛇よりもしなやか且つ力強く動いた。


 縄の先端の鉤づめが蛇の胴体を捉え、首に幾重もの縄がくるくると巻き付いて、張った。


 そうやって、蛇は縄によって宙に完全に固定されたのだった。



 にわかには信じ難い神業である。


 やはり、ハルは天才なのだ。



 かと思った次の瞬間。


 蛇の首が大きく膨らんで、破裂した。


 その勢いで、首が飛んで患者に牙が再び向かう。敵の最後の抵抗である。


「おっと」


 ハルは袖からするりと扇を取り出すと、


「よっ」


 宙に放り投げた。


「待て!殺すな!」


 迦十先生が叫ぶが、最早手遅れである。


 扇は「陰」を通って姿を隠すと、


 大口を開けていた蛇の口の中に、すっぽりと瞬時に顕現して、



 パッと花開いた。



 それだけで、蛇の頭は四方に弾け飛んだのだった。

 








「馬鹿。除霊しやがって。これは面倒なことになるぞ」


「いやいや、そこは感謝でしょ。俺がいなかったら危なかったんじゃないですかね?」


 ニコニコと調子に乗っているハルに、胡乱な目を向ける迦十先生。


「調子に乗るな……すみません、飛葉雁さん」


 迦十先生はそれから、未だに状況が全く呑み込めずに目をまん丸に見開いていた飛葉雁さんに声をかけた。


「ちょっとばかり事情が変わりました。申し訳ないのですが―――」


 と、その時。


 診察室の扉がバッと開いた。


「すみませんっ!」


 控室にいるはずの青山さんが、焦った顔で診察室にやってきた。青山さんの腕には、ぐったりとした酸漿さんが抱えられている。それをみた飛葉雁さんがギョッとした。


「青山君?……えっ、ちか?」


「なんだか千佳の奴が急に倒れて……それに、すげぇヘンなんですけど、髪が……」


「っ!!?」


 青山さんの腕の中で苦しそうに呻いている酸漿さんだったが、突然の不調よりも不可解だったのは、彼女のツインテールの片房が綺麗に切断されていたことだった。


「その髪っ」


 飛葉雁さんが椅子からやにわに立ち上がって、青山さんと酸漿さんの元に駆け寄った。


「どうしたの!?一体誰に……」


「さっきの蛇ですよ」


 迦十先生はなんでもないことのように言った。


「へ、蛇?」


 飛葉雁さんは目を瞬かせる。


「後ろの馬鹿が乱暴に除霊しやがったんで、呪い返しが起きたんです。蛇に変化した髪が宿主に戻ってこれなかった。腹いせに体の中に毒を送り込まれたんでしょう」


 後ろの馬鹿、というのはハルのことだが、まあ今はどうでもいいだろう。


「……何を言ってるんですか?」


「あなたを呪っていたのは彼女だってことですよ」


 迦十先生は青山さんから酸漿さんを半ば奪うようにして抱きかかえると、今しがた飛葉雁さんの座っていた椅子に彼女を座らせた。


「酷く頭が痛むでしょう?このままでは、毒に侵された身体は一生治りませんよ」


 状況が全くわかっていない青山さんは、目を白黒させながらきょろきょろとしていた。


「ですから、しょうがないので荒療治させていただきます」


 迦十先生は周囲の反応に構わず、懐から短刀を取り出した。短刀を見た青山さんと飛葉雁さんの肩がビクッとした。確かに、状況が理解できない人間からしたら、非常に恐ろしい場面に見えるのかもしれない。


「髪には穢れも煩悩も宿っている。この際ですから、髪と一緒にその想いも毒も、一緒に切り離してしまいましょう」


 安心してほしい。短刀は髪を切るために使うのだ。


「想い……」


「あるから呪ったんでしょう?」


「……」


 酸漿さんは、しばらくじっと地面を見つめて黙りこくっていたが、


 やがて、ぽつりぽつりと本音を話し始めた。


「……私、かなが大翔と付き合うって聞いて、初めて自分の気持ちに気が付いた。大翔が好きだったんだって」


 青山さんがギョッとして酸漿さんを見やった。かなり動揺しているのが見て取れる。だが、飛葉雁さんの方には、それほど驚きが無いように見えた。


「ちか……」


「どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう、何もしなかったんだろうって、二人を見るたびに恨めしかった。でも……こんなふうになるだなんて、思ってなかった」


 愛しさ余って憎さ百倍とは言うが、酸漿さんの二人に対する強すぎる想いが、「しゅ」が彼女の髪に宿って、蛇と化したのだ。


 迦十先生は全てを見抜いていた。しかし、呪いが強すぎて双頭の蛇となっていたことは流石に想定外だったらしい。


「かなを殺すつもりなんて……。本当に、ごめんなさい」


 酸漿さんの懺悔の言葉と共に、迦十先生が短刀を振った。


 ひゅっと音が鳴って、


 そうして、もう片房の髪がばっさりと切り落とされたのだった。


 酸漿さんの横恋慕は、そうやって終わりを告げた。


 酸漿さんは、今まで溜めに溜めていた想いを全てぶちまけるかのような勢いで泣きじゃくり始めてしまった。


 青山さんの身体が駆け寄りたそうにそわそわしていたが、彼はグッとこらえていた。彼は彼で、状況を理解できないなりに色々と察したらしい。


「あの……」


 飛葉雁さんはというと、もうどうしてよいやらわからぬように、何を話すまでもなく迦十先生に声をかけた。


 しかし、迦十先生は鷹揚に頷く。


「ご安心ください。切った髪を結って縁結びのお守りを作ります。それであなた方の関係は切れずに残るはずです」


 どうやらアフターケアも万全なようだ。


 それから、迦十先生はいきなり後ろを振り返ると、切り落とした酸漿さんの髪の束を、ハルに突き渡した。


「おい、お前の仕事だ。結って念を込めとけ」













 あれからしばらくして、三人はハルの作った縁結びのお守りを受け取った後、くたびれた酸漿さんを連れて帰っていった。


 それ以降患者は来ず、ハルは診断室のベッドでゴロゴロとしていて、迦十先生は何かの仕事に追われていた。


「幼馴染ってのは、やっぱり負けヒロインなんだなぁ」


 ハルはベッドの上でアホなことを呟いた。一応仕事中だというとは頭からすっぽりと抜けているらしい。こりゃ三日も経たずにクビである。少なくとも私がバイトリーダーだったらそうする。


 だがまあ、仲の良い幼馴染との恋愛が難しい、という意見については私も賛成である。


 仲の良い幼馴染と、恋人という関係は両立できない。


 つまり幼馴染を恋人にするということは、恋人を得る代わりにかけがえのない友情を一つ失ってしまうことと同義なのだ。しかも、もしも破局、なんてことになれば恋人の親友の両方を失ってしまうこととなる。


 ハイリスクな恋愛なのだ。幼馴染との恋愛というのは。


「あの、迦十先生」


 不意に、ハルは迦十先生に尋ねる。


「なんだ?」


「先生って、呪いの大元がツインテの娘だってわかってたんですよね?」


 ツインテの娘て。

 

 一応、酸漿さん年上なんですよ?


「そうだな」


 迦十先生は当たり前のように頷いた。やはりそうか。


「じゃあ、どうしてを狙ったんです?ツインテの方を直接叩いたほうが楽に事が済んだんじゃないっすか?」


「お前な……。霊力れいりきはまあまあだが陰陽師としてはとことん落第だな」


 だそうですよ。陰陽師として、というか人として落第ですけどね。ハルは。


「いいか?呪いってのはそれ自体を認知しなければ効力を発揮しないだろ?どれだけ恨まれようが、当の本人がそれを知らなければ恨みなんざ怖くねぇ。逆に、それを恐ろしく感じる。呪いってのはそう言うもんだ」


「それがどうしたんですか?」


「だからぁ。患者は自分が恨まれていることを、つまりはんだ。知っていて、患者は野郎と付き合った。もしかしたら早くしないと手遅れになるとでも思ってたのかもな?

 だからこそ、親友に対してある種のがあった。その負い目こそが彼女に蛇を幻視させていた要因だ」


 そうか、わかってたのか。


 呪いなんてのは、所詮は思い込みなのだ。二人とも、相手に対する思い込みが強かったからこそ、蛇の呪いが現れてしまった。


 互いが互いに負い目を感じていたのだ。それこそが蛇の正体だったのだ。


「なるほど?じゃあ、どちらか片方を除霊しても意味なかったってことですかね」


「そういう訳でもないが、今回は毒が強かったから慎重に事を進めたかったんだ。全部お前がぶち壊したけどな。


 ……おい、なあ。オレからも一つ聞いていいか」


「どうぞ?」


「お前が蛇を縄なんかで捕らえることが出来たのは、お前が奴の正体を看破していたからだよな? 」


 ああ、そう言えばハルは呪縛の祝詞を唱えるとき、蛇の正体を見破っていた。先生はそのことを言っているようだ。


「何時から、呪いの正体がだって気が付いていたんだ?」


「いや、そんなの最初からですって」


「は?」


 ハルは当たり前のような顔で、こう言った。





――だって、診察室に来た時からずっと、いたじゃないですか


 酸漿さんのツインテールから生えていた双頭の蛇が


 シャーシャー鳴きながら親友と男友達に噛みついてましたよね……





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