第一話 後編



 〇





「ここから出してやるっ!」


「っ!」


 茫然とハルを見つめていた葵さんの目が 、ぎょっと見開かれた。と同時に、葵さんとハルは男の造り出した異界の外へと飛び出した。


 救出成功である。まさに間一髪の所であった。


 さすがは腐っても天才陰陽師、安倍晴爛である。

 

 葵さんの、ハルを見る目もどことなく熱を帯びているような……?


「これで婚約破棄は無しだからなっ!!」


 と思ったら、ハルの余計な一言によって熱が颯爽と引いてしまったようだ。


 余計なことは言わんでよろしいというのに。


 というか、なんかもの凄い恩着せがましいようですが、そもそもあなた最初は葵さんのこと見捨てるつもりだったでしょうが……。





 そう、それはつい先ほどのことだったのだ。





 妙な気配を追って庭を引き返していたハルは、そこで葵さんの悲鳴と、葵さんを襲う妖怪を目撃した。


 目撃したハルは、その瞬間、






 踵を返して全力で逃走を始めたのだった。


 いやいや。


 私はハルを叱咤した。


 ハルっ!!逃げてはいけませんっ!!


「バカ!!あの呪力は想定外だっつーの!!準備無しに勝てる相手じゃねぇよ!!」


 確かにそうだ。パッと見ただけでも敵の呪力は相当のものだった。おそらく相当の人間の生き血を食らった危険な妖怪だろう。


 しかし、しかし、襲われているのは葵さんなのだ。


 幼馴染で、婚約者なのですよ!!?


「その婚約は破棄されたばかりだろうが!!助ける義理なんてもうねぇよ!!」


 本気で言っているのかと問い詰めようと、鬼の形相で詰め寄ろうと思ったら、ハルは芝生の凹凸に足を取られて、コケた。


「いてぇっ!」


 私は、うつぶせに転んだハルの後頭部に話しかける。


 今こそ見返す時ではありませんか? と。しかし、ハルの反応は鈍かった。


「見返す?何を?無理に決まってんだろ」


 ハルの声は、どことなく棘があった。しかし、その棘は脆く、しかも棘の先は己に向いているように感じられる。


「ずっと俺のことを傍で見てきたお前ならわかるだろ?

 せっかく転生して第二の生を得たっていうのに、ぐーたら三昧で、気が付いたら引き籠りのニートだ。これじゃ前世の暮らしとなんにもかわらねぇ」


 確かにそのとおりだ。


 彼は、前世ではどうだったか知らないが、少なくとも今生では天才と謳われるほどの才能があった。


 でも、彼はその才能を腐らせてしまった。


「当たり前だよな。何回転生したって、俺は俺のままなんだから」


 本当は、ハルだって葵さんを助けに行きたいのだ。でも、動けない。彼のこれまでの経験が、失敗の体験が、


 「呪」が、


 彼を縛っている。


「ダメな奴は何をやったってダメなままなんだ」


 ……。


「だったら何もしないほうがいい。ひろゆきも言ってたぜ、無能な働き者が一番――」


 待ってください。


 誰があなたにその「呪」をかけたのですか?


「あ?」


 ハル。


 他人の言霊に惑わされてはいけません。

 

 どんなに駄目な人間にだって、自分の生き方を変える機会はきっとあります。あなたにとってもそれが「今」なのではないのですか。

 

「……」


 今、葵さんを見捨てて逃げ出せば、あなたは今後一生その記憶、「呪」に縛られて、もう二度と身動きが取れなくなるでしょう。何かを為そうとするたびに、「葵さんを見捨てた」という事実が、あなたを更に臆病にするのです。このままでは本当に一歩も外から出られなくなりますよ。


 ハルはそれでいいんですか!?



「よくねぇよ」



 じゃあ、勇気を出してくださいよ。

 


「よくねぇよっ!!」




 ハルは、自分を変えようと願った。


 自身にまじないをかけたのだ。




 しかし。




「でもよ……これは」




 葵さんを引っ張り出したはよいものの、 妖怪【換気扇】は更に頭部を膨れ上がらせていた。怒り心頭、といった様子である。


「チョコっ!!コロネっ!!」


 ハルの後ろに控えていた二匹は、呼びかけに答えて、二人同時に宙に飛び上がった。


 くるりんぱと一回転し、


 チョコが下半身、コロネが上半身。


 大きな青鹿毛の馬へと融合変化した後、葵さんを背に乗せて庭を駆けてゆく。


 これで一先ず彼女の命は助かっただろう。


 だが……


「くそっ!!逃げられない」


 服が、


 髪が、


 体全体が、【換気扇】の風に掴まれて、身動きが取れない。


 完全に【換気扇】の呪力に囚われてしまった。


 風を何とか振りほどいたハルは、素早く地面に力強い足跡を踏みつける。


 独特の乱拍子、反閇へんばい


 

 Tenpō


 Tennai


 Tenph


 Tenshin


 Tenkin


 Tennim


 Tenyō


 …Yubu



 大地に踏みつけられた七つの足跡が柄杓を描く。


 陰陽師の護身術の基本、禹歩うほ

 

「簡易式神召喚


 貪狼たんろうっ!巨門きょもんっ!禄存ろくそんっ!」


 掛け声と共に、三体の陰、狼、象、鹿がひょうとハルの前に顕現した。


 禹歩とはいえ、僅か数秒で三体の式神を召喚する。


 やはりハルの才能は本物だ。並みの陰陽師ではここまで短時間で三体も召喚できないだろう。


 貪狼、巨門、禄存の三体の式神が、【換気扇】の前に立ちはだかる。


 

 が、ダメ。



 三体の式神が一瞬でチーズみたいにスライスされた。


 やはり簡易式神では、奴に太刀打ちできない。せめてチョコとコロネがいれば……。


「やっぱりだめだったじゃねぇかっ!!」


 ハルは身を仰け反った。


 その瞬間、風が、ハルの脚を掴んだ。


「あっ」


 ハルの身体が宙に浮いて、



 爆散した。



 【換気扇】の見えざる刃によって、切り刻まれたのだ。


 庭の上空に、血の花が咲く。



 ――……¿



 【換気扇】が首を傾げた。


 ハルの、死体が消えた。


 

 違う。



 ハルは今、の中に顕現したのだ。



 私が足を踏みしめると、【換気扇】はようやく私の存在に気が付いて、振り返った。


 ハルの持つ固有の「いん」に潜んでいた私――土蜘蛛が現世に顕現したのだ。



 ハルの黒いパーカーを肉に、そして、ハルの肉体を骨として。


 

 ハルの身体にまと



 ハルの心にかさなった。




 魔纏まと襲音かさね、土蜘蛛。




 羽衣を身に纏い、鬼の仮面を付けた、朱色の髪の、醜い妖怪よ。








 庭の芝生に降りそそぐ


 月光を踏みしめて


 私は換気扇にゆっくりと




 近づく。

 



 

 換気扇はそこでようやく、自分の翅が廻らないことに気が付いたらしい。首をぎちぎちと鳴らし始めた。


 私が神速で投げつけた「なまりの糸」が換気扇の翅に絡みついているのだ。


 もう、換気扇は回せない。


 

 私は手をかざして、妖刀膝丸を現世に顕現させた。


 

 そして、最早身動きの取れない【換気扇】を、





 縦に一刀両断。



 


 【換気扇】は左右にバカリと分かれた後、



 切り口から、どす黒い血を吹き出して、




 死んだ。

 



 









 ――換気扇を両断したとき、彼の心が垣間見えたのだ




 帰りの牛車の中でのことである。


 葵さんを屋敷に寝かした後、颯爽と、というよりは逃げるように牛車に飛び乗った私たちが、ホッと一息ついたときに、私はそれをハルに話した。


 私には、人や物、森羅万象しんらばんしょうの心を知る力がある。


 換気扇を切ったとき、彼の記憶を知ったのだ。換気扇が血を吸って妖怪になったこと、滅されようとしたところを幼いころの葵さんに助けられたこと、その葵さんを迎えるために人を食って力を付けたこと。


 ハルは一連の話を聞くと、肩肘をついて考え込んだ。


「うーん?」


 それから、


「お前の話を信じるなら、換気扇は葵に命を助けられたわけだろ?じゃあどうして恩を仇で返すような真似をしたんだ?」


 葵さんは確かに換気扇を助けた。


 しかし、その助け方が拙かった。他者を助けるというのは、ただ手を差し伸べればよいということではないのだ。適切な知識と、それ相応の覚悟と誠意が必要なのだ。


 助け方を間違えてしまえば、葵さんのように、助けた相手に憑かれてしまう。他人ならともかく、呪いを助けるのは特に難しい。素人には務まらない。


 だからこそ、陰陽師が必要なのだ。


「なるほど、ね?」


 換気扇はヒトの生き血という、甘美な味を一度覚えてしまっていた。


 そんな妖怪を勝手に野に離せば、その内我慢出来ずにヒトを襲っては血を吸って、そのたびに多くの呪力を得てしまうのは必然。


 妖にとって、人の血は麻薬のようなもの。


 一度味わってしまえばやめることは難しい。

 

「ヒトも妖も、一度食べたら止められない程美味すぎるもんには、手を付けちゃいけない、ってことか」


 ハルはごろんと横になって、それから胡乱な目で私の方を見た。


 なんでしょう。


「いや、お前。あんなに強かったのなら先にいえよ。死ぬかもーとか思ってた俺の覚悟が馬鹿みてーじゃん」


 あんなに強い?


 いやいや、「魔纏い襲音」は危険な業ですよ。


 土蜘蛛の力に頼るようになればなるほど、その内精神だけでなく肉体までもが土蜘蛛と融合してしまうでしょう。(肉体の影響を抑えるためにわざわざ服を依り代にしたというのに……)そうなったら最後、二度と人には戻れなくなります。


「ハイリスクな超必殺技ってところか」


 そんな軽いノリの技ではないのだが。


「つーか、やっぱお前、俺の転生特典って奴だったんだろ?陰陽師なのに妖怪に憑かれてるなんて、なんか可笑しいと思ったんだよなー」


 特典?


 何を言っているのやら……。


 この男、まだまだ人生楽なゲーム感覚であるようだ。


 人生とは、ゲームのような、一本道の易しいものではないのですよ。


 しかし、


 まあ、


 それでも、自分の命をなげうってまで葵さんを助けようと飛び出した、あの覚悟だけは認めてやらねばならないだろう。


 あの時ハルに芽生えた覚悟は、これからハルの行く道の先々を照らす希望の光となって、人生の暗い闇夜を祓う祝福となるはずだから。


 ですから、今日は特別です。


 ハルの第二の人生。


 今日という日が、その門出となることを祈っておきましょう。


 きっと、ハルの呪いは解けるはずです。







 とか思ってたら。


「……なぁ、ちょっと思ったんだけど。


 お前の力があったら、なれるかな?」


 いきなり、ハルが奇妙なことを言い始めた。


 えっ?


 何に、ですか?


陰陽頭おんみょうのかみ


 ……。


 あの、陰陽頭ってなにかちゃんとわかってます?


「知ってるって。言うなれば、陰陽師の中の陰陽師、トップオブザワールドって奴だろ?でもさ、お前のチート能力があれば、今すぐにでもなれるんじゃね?そしたら全員俺の事見直すでしょ!!」


 この男、やはりいつまでも他力本願の極みである。


「ねえ、どうなんだよ?」


 ……目標があるなら、己の力のみでの成就を志しなさい。









 後日談……というより、今回のオチを語ろう。



 あの後、葵さんを部屋に寝かせてさっさと帰宅した私たちではあるが、当たり前だが結局ハルの屋敷侵入も、それに乗じて屋敷内に妖怪が入ってきたことも、それで葵さんが命の危機に陥ったことも全部バレてしまい、


 結果として婚約破棄の決定に拍車がかかり、晴れてハルと葵さんは婚約解消、という運びとなってしまった。


 無念。


 というわけ、いよいよ家での立場を失したハルは、今すぐにでも見習い陰陽師として働かなくてはならないのだった。


 そんな彼の陰陽師としての活躍は、



 まあ、



 またの機会に語ろうと思う――


 







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