第2話
それから月日はあっという間に過ぎ、私は第一子を出産した。
麻酔薬を使用する通常分娩と、昔ながらの有痛分娩のどちらで出産するか問われて、医療行為である有痛分娩を選択したことを、私は分娩中に後悔した。すごくすごく後悔した。なんでも昔に準じればいいという話ではないらしい。こんな痛みを味わうぐらいならば子供なんてもういらないと、私はいきみながら何度も思った。昔の『母親』が子供を一人か二人しか作らなかったのも頷ける。
そういった経験から、新生児の子育てはあまり古典的な方法にこだわらないことにした。乳児用の酸素カプセルだって使ったし、母乳ではなくミルクにした。夜泣きがひどい時はヒューマノイドを申請したし、新生児教育の教材だってホログラムを採用した。もちろんカリキュラムは私が組んだけれど。
そして、生後半年を過ぎたあたりで、出産した医療機関から通知が届いた。
子供のDNA検査の結果通知だ。DNAから予測される将来の性格や、行動。生活習慣病のリスクやそれぞれの病気のなりやすさ。IQ、EQ、AQなどといった指数の予測。それらから推測される職業適性。言うなれば、子供の初めての通知表である。
私は第一級母親試験の合格通知を開く時以来の緊張感で、タブレットに表示された通知を開く。
そして、再び歓喜した。
健康面はもちろんのこと、性格面も問題なし。医者の適性も、弁護士の適性も、外交官の適性ももちろんあったし、官僚の適性も揃っていた。引っ込み思案の気があるというのだけは気になったが、ほとんど思った通りだ。望んだ通りの子供である。
完璧だ。これ以上ないほどに完璧だ。
私は寝ていた子供を抱き上げると、ぎゅっと抱きしめた。安眠を妨害されたからか、子供はすぐに泣き出してしまう。けれど、しばらくゆするとおとなしくなった。
「すごいわ! ルイ、本当にすごい!」
私は頬擦りをしながら子供の頭を優しく撫でる。それはまるで、お母さんがレミーにしていた行動そのもののようで、私は胸が熱くなった。だって、自然にお母さんと同じような仕草が出てきていたのだ。私もお母さんと同じような立派な『母親』になれるのかもしれない。
私が喜んでいることが伝わったのか、子供は大きなまんまるほっぺを引き上げて、「あー!」と声を上げた。そして「えっえっえっ」と目を糸のように細めて笑う。
ちなみに、ルイというのは私が産んだ子供の名前だ。
生物学上の性別は女性だったけれど、今後のことも考えて女性でも男性でも違和感のない名前をつけた。
これならもし失敗して、次をはやくもうけることになっても大丈夫だからだ。
今の科学をもってしても男女の産み分けは難しい。
再び眠ってしまったルイをベッドの上に降ろすと、私は胸に手を当てた。大丈夫だ。お母さんの教えはずっとこの胸に生きている。先ほど自然に出てしまった行動がその証拠だ。
私だって、あの時のレミーのようにお母さんに撫でてもらうんだ。
◆◇◆
ルイは順調に大きくなった。大きな病気も怪我もすることなく、偏食と少しの癇癪は私を困らせたけれど、それもさしたる障害とはならず成長した。
正確には、その時々で私は困ったし悩んだけれど、振り返ってみればどうとない話だったという話なだけだ。
ともかく彼女は五歳になった。
その頃の私には二つの大きな悩み事があった。
一つはもちろんルイのことだ。
五歳になり、初等教育の前段階として私は彼女にいろいろなことを教えていたのだけれど、彼女はとても落ち着きがなかった。勉強が始まってから最後まで机についていられないのだ。最初の十五分などはきちんと机に座って私の話を聞いているのだが、段々と姿勢が悪くなり、ペンを手で弄ぶようになり、タブレットにも集中しなくなる。勉強に身が入っていないのは明白で、何度注意しようがそれは変わらなかった。
私としては、育児にも慣れてきたし、次の子供をそろそろ……なんて考えていたのに、これではちょっと次などは考えられない。
さらには、五歳になった月から、月に一回の学力診断テストが始まっていた。
オーダーメイドとして生まれた者の義務であるそのテストで、ルイは常にうちの地区一番の成績を残していたのだが、その成績順位表でルイとは別に気になる子がいたのだ。
玉坂リリコという、レディメイドの子である。
ルイ以外にも二人ほどオーダーメイドがいるその地区で、リリコはルイに次いで二番目の成績を残していた。しかも、点数はルイとあまり差がないのである。
これに私は危機感を覚えた。
オーダーメイドの子が、レディメイドの子に負けるわけにはいかない。
これは第一級の『母親』が持つ共通認識で、ゆえに私も今までに増してルイに勉強をさせなくてはと、妙な焦りを持っていた。
「おかあさん、わたし、絵がならいたい」
ルイがそう言ったのは、私が彼女に対する指導をさらに厳しくし始めて一ヶ月ほどが経ったある日のことだった。
彼女が両手で抱えるようにして持っていたのは、先日図書館で借りた西洋絵画の分厚い本。
普段は勉強に必要な本以外読ませないようにしているのだが、どうしても借りたいと言うので渋々借りるのを許可した本である。
きっと断られると思っているのだろう、ルイの顔は緊張でこわばっていた。
私はそんな彼女を見下ろし、しばらく考えてから、口を開く。
「いいわよ」
「え?」
「いいって言ったの。いい先生を探しましょうね」
瞬間、彼女の顔はまるで太陽のように輝き「ありがとう!」と頬を染めた。
正直に言えば、私はルイに絵を習わせたくなかった。
当然だろう、彼女には芸術系の適性がないのだ。それはDNA検査の素養適性でもはっきりしていることで、そこを伸ばしたところで、将来なんの役にも立ちはしないことは明らかだった。だから、本当はそんな無駄なことさせたくなかったのだ。
それに、ルイには今まで以上に勉強に打ち込んでもらわないといけないのだ。そんな無駄なことに使える時間なんて一秒たりともないのである。
それでも、私がいいと言ったのは――
「その代わり、今まで以上に勉強を頑張ること。いいわね?」
「わかった!」
彼女とこの約束をするためだった。
人に思うように動かすためには、時にはその人間の要求を飲まなければならない。
人を従わせるためには、その人間の大切なものを握っておかなければならない。
どちらも、お母さんに学んだことだった。
お母さんの教え通りに動いたからか、絵を習い始めてからというもの、ルイはさらに勉強に打ち込むようになった。リリコとの点数の差も広がり、私は改めてお母さんの偉大さを実感した。
……同時に打ちのめされてもいたのだが。
「やっぱり、返ってきていないか」
ルイに絵を習わせ始めてから数ヶ月後、私はメールアプリをスクロールしながら、肩を落としていた。
これが、私の二つ目の悩みだった。
実は数年前から、お母さんからのメッセージが返ってこなくなっていたのだ。
最初の頃、それこそ『第一級母親試験』に合格した時は、私のメッセージにお母さんは何行ものメッセージを返してくれていた。
驚きの言葉から始まって、『それは、よかったわね』という私の努力を労う言葉が後に続き、その後は私のよくないところが書き連ねてあり、お母さんの頃の母親試験の方が厳しかったなんて昔話も入っていたりして、最後には『私に迷惑をかけないように、これからも頑張りなさい』なんていう、叱咤激励なんかも書いてあった。
ルイを身籠った時も、産んだ時も、一才の誕生日を迎えた時も、私の写真付きメッセージにお母さんは『そう』『わかったわ』『よかったわね』なんて、簡潔だか律儀にメッセージを返してくれていたのに、今では全く返してくれなくなっていた。
今回だって、お母さんの教え通りに動いてルイの成績が上がったことも報告したのに、全く反応を返してくれない。
お母さんが返信しやすいように幾重にも重ねてお母さんのことを褒めちぎったし、
『ルイもお母さんのこと尊敬しているみたいだよ』
なんて、ありもしないことを書いたりもしたのに……
「まだ、足りないんだろうな……」
私は唇を噛む。
優秀な子を産んだからなんだ。
成績が少し上がったからなんだというのだ。
お母さんはもっと優秀な子を育ててきたし、きっとこれからも私の優秀な兄弟たちは増えていくのだろう。
ルイをもっと優秀な子に育てなければ。
ニュースになるような、世間の注目を浴びるような子に育てなければ。
そうすればきっとお母さんは私のことを見てくれる。
褒めてくれる。
全てはルイだ。
ルイが優秀な子に育てば私は。ルイを、もっと――
「おかあさん、あのさ」
私の思考を止めたのはそんなルイの声だった。
私が「なに?」なんてつっけんどんな言葉を返すと、彼女は少し身体をびくつかせた後、もじもじとつま先を擦り合わせた。
「今度ね、絵の発表会があって。お母さんに見に来てほしいんだけど……」
「お母さんは忙しいの」
イライラしていたからか、口から出た言葉は思ったよりも刺々しかった。いつもならばこんなふうに感情を表に出すようなことはしないのに、タイミングが悪かったのだろう。
しかし、いつも通りではないのは私だけではなかったようで、「ちょっとだけでいいから!」とルイはめずらしくかぶりついてきた。
「おねがい。勉強、頑張るから……」
「考えとくわ」
私がため息混じりにそう言えば、彼女は「うん」と一つだけ頷き、自分の部屋に帰っていった。
正直、ルイは甘えていると思う。私はあんなふうにお母さんに何かを強請ったことはなかった。
この前、公園に連れて行った時もそうだ。
子供の成長に必要な運動量の確保に週に二回は彼女を公園に連れて行っているのだが、そこで彼女は私に「一緒に遊ぼう」と言ってきたのだ。
私はこれに驚きを禁じ得なかった。
だって『母親』は彼女の庇護者ではあるけれど、監督する立場ではあるけれど、お友達ではないのだ。あまりの言葉に言葉をなくしていると、彼女はさらに「あそこのお母さんは一緒に遊んでるよ」と、たまたまそこに来ていたレディメイドの『母親』を指したのだ。まるで、彼女たちよりも私が劣っているかのような台詞にカッとなった私は、そのまま彼女を引きずって家まで帰ってしまった。
後からお仕置きとして二、三度殴ったが、もう少し殴っておけばよかったと後になってから後悔した。
「なんでこんなにわがままなのかしら……」
ルイが去っていった方向を見ながら、私はそうため息をつく。
私はあんなふうにお母さんになにかを強請ったり、お願いしたことはなかった。
子供の成長に必要な運動量の確保だって公園に行かず家で済ませていたし、一緒に遊んでもらった経験なんて全くない。強請ったことならば一度だけあったけれど、その時は「貴方に遊んでる暇があると思うの?」と手の甲をペンで刺されてしまった。その時の傷は未だ手の甲にほくろのような形でしっかりと残ってしまっている。
「ずるい」
漏れた声に自分自身が一番驚いた。何がずるいのかわからなくて思考が停止する。
もしかして私は、ルイに嫉妬しているのだろうか。お母さんに何かを強請れる、わがままを聞いてもらえる彼女を、羨んでいるのだろうか。
そんな自問自答に答えが出ないまま、やっぱりお母さんからの返信は来ずに、それからまた一週間ほどの時間がたってしまった。
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