職業、母親

秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ

第1話

『合格通知書

 合格通知番号:第三四-三二〇四六三号 氏名 阿母 十(あぼ みつる)

 上記のものは児童福祉法第十八条に基づき実施された第一級母親試験に合格し、『母親』として国家に認定されたことを通知します。

 合格通知日 永安二十年 一月十五日』


 その通知をもらった瞬間、私は手に持っていたタブレットを落としそうになった。全身が熱くなり、手が震え、目は何度も瞬きを繰り返す。呼吸が浅くなっていることに気がついたのは少し苦しくなってからで。深呼吸をすると、滞っていた血液が酸素と一緒に喜びまでもを全身に行き渡らせた。


「やっと!」


 私は感情を押し殺したような小さな声をあげる。本当は跳ね回りたい気持ちでいっぱいだったけれど、そこはグッと我慢した。だって、私はもう立派な大人だ。『母親』だ。そんなことで、子供のように跳ね回ったりなんかしない。

 心は浮き立っているけれど、足は地につけて……


 私は居住用に政府から貸し与えられている3LDK、そのリビングにあるソファーに、いつの間にか浮かせていた腰を落ち着かせた。そうして信じられない面持ちで、もう一度政府から来た通知書をじっと見つめる。穴が開くほどに見つめる。

 確かに、一次試験の一般教養試験も、専門試験も、DNA試験も、ほとんど満点だったし、面接だって緊張することなく受け答えすることができた。

 最後の実技試験だけは緊張してよく覚えていないが、こうして合格通知をもらっているのだ。きっと大したヘマはしなかったのだろう。

 でもまさか、倍率一〇〇〇倍とも言われるあの難関な試験を自分が突破しただなんて信じられなかった。しかも、第一級だ。『オーダーメイド』の『母親』だ。


 私はタブレットを胸に抱き、瞳を閉じて、震える心臓を落ち着かせる。

 全力疾走後のような鼓動がようやく落ち着きを取り戻し、呼吸が整って、私はそこでようやく自分が『母親』になれるのだという実感を得た。


 昔『母親』は職業ではなく、子供を産んだ女性全員に冠される役割の名称だったらしい。男性の『母親』がいないというのは今では考えられないが、生殖機能の関係でそうなっていたのだろうということは想像に難くない。

 立場であり、身分であり、境遇だった『母親』は、今やこの世の中で最も尊い職業とされている。

 そして、『母親』は二種類ある。いいや、正確には、人類は二種類あると言った方が正しいかもしれない。


 それが、『オーダーメイド』と『レディメイド』だ。


 オーダーメイドは、上位数パーセントの選ばれた人間の卵子と精子を組み合わせ、将来の職業もある程度決めた上で生み出す一点ものである。彼らは将来、国を動かしたり、偉大な発明をしたりして、国に、世界に、貢献をすることを求められる。

 反対にレディメイドは、適当に選ばれた卵子と精子を無造作に組み合わせただけの大量生産人だ。使われるのはもちろん、私たちが十八歳になると提出する卵子と精子である。彼らの目的は人口の調整で、レディメイドのおかげで人類は人が増えすぎることも減りすぎることもなくなり、安定的な種となった。


 そして、オーダーメイドを育てる『母親』を第一級。レディメイドを育てる『母親』を第二級と区別する。もちろん、第一級の資格を取る方が第二級を取るよりずっとずっと難しい。


 生まれる前に将来がある程度決まってしまうこの制度を批判する者もいるが、私はこの制度をとても良いと思っていた。この制度のおかげで私たちの世界は随分と効率的で、機能的で合理的になっているからだ。

 それに、お母さんもこのシステムに賛同する一人だった。

 私のお母さんもオーダーメイドで、第一級の『母親』だった。しかも、オリンピック選手と、政治家と、世界屈指の名医を育て上げ、国からも表彰された素晴らしい『母親』だ。ニュースにも何度も取り上げられて、その度にキャスターAIが『「母親」適性のみなさん、彼女みたいな「母親」を目指しましょうね』と、私の代わりにお母さんのことを全国に自慢してくれた。

 私はそんなお母さんが誇らしくて、自慢で、尊敬していた。だから私も、お母さんみたいな『母親』になりたくて、今まで頑張ってきたのだ。


「優秀な子供を育てたら、お母さん、褒めてくれるかな」


 私の唇からはそんなふうに漏れていた。


 合格通知を受け取った次の日から、私の仕事は始まった。

 最初の仕事はもちろん、いい父親選びである。最初にして最大の仕事だ。

 第一級の『母親』になると、国から子供を育てるための十分な衣食住と父親のカタログが与えられる。当然、私の元にも同じものが贈られていた。

 私はタブレットに表示された父親のカタログを捲る。

 年齢、身長、体重、性格傾向、遺伝子的な相性にどこの大学を卒業して、どんな職についているか等々。最後には、生まれて来るだろう子供の予想写真と予想される職業が添えられていた。

 それが二十人分。

 遺伝子的にはどれを選んでも優秀な子供が生まれて来るはずだ。そのどれもが嫌だという話ならば、申請後、また違うカタログが送られてくる。


 私がカタログで重要視した項目は二つ。

 一つはもちろん、どんな子供が生まれてくるか、だ。これが最も重要である。政府の発表によると、最近足りないのは、法律・士業・政治系の素質がある子供らしい。特に官僚に適性がある子が足りないと書いてあった。逆にアスリート系の素質がある子供は数年前のブームもあり、少し飽和状態だという。

 このへんの見極めも『母親』の仕事だ。特に第一級の『母親』にとって子供はトロフィだ。自分の子供が将来より優秀なポジションにつけるように、素質人口の分布まで見極めて子供を作らなくてはならない。


「廃棄になるような子だけは、作らないようにしないと」


 私は気になった父親にチェックをつけながら、そう零す。

 傷害や窃盗などの重大な罪を犯した子供は、『母親』の申請により、廃棄されることがある。ここら辺は『母親』の裁量なので、子供に情が移ってしまい問題児を一生懸命育ててしまう『母親』もいるのだが、大抵は碌な結果にならないらしい。もちろん殺人などを起こした子供は問答無用で廃棄なのだが。

 カタログをさらに捲る。

 私が重要視したもう一つの項目、それは古典的受精をしてくれるか否かだ。

 古典的受精。つまり、性行為である。

 今はもう子供を作るためにそんな蛮族的な行為を人間に求める人はほとんどいないけれど、今でも稀にそういうのを許容している男性がいて、カタログにも古典的な受精方法をしてくれるか否かが記載されているのだ。

 私がこんな不良的な行為を望むのには理由があった。

 とても信じられない話かもしれないが、私は自分の子供を自分の腹で育ててみたかったのだ。


「なんでわざわざそんな危ないことするの?」

「人工子宮と人工羊水で育てた方がIQの高い子が生まれるって話もあるのに!」

「そんな時代遅れなことやめなって!」


 私の話を聞いて、友人たちはそんな悲鳴をあげていた。


「でも、昔はみんな自分の腹で自分の子供を育てていたんだよ」

「水泳の衣手選手だって、古典的受精と古典的出産で生まれたらしいじゃん」

「優秀な子供が産まれないなんてのも嘘だよ」


 私がそんなふうに反論すると、彼女たちはまた気炎を上げた。中には「行為に興味があるだけなら、そういうの好きな人、紹介してあげるからさ」なんて、侮辱的なことを言う人だっていて、優秀な子達だと思って仲良くしていたけれど、レディメイドの見識なんてそんなものかと少しがっかりしたりもした。

 それに、私のお母さんも最初の子だけは人工子宮に頼らずに自分の腹で育てたと言っていたのだ。なら私も、お母さんがやったようにやらなくっちゃいけないだろう。


 程なくして私は、古典的受精によって第一子を授かった。

 父親は医師をしているドイツ人で、遺伝子的な相性は最高。将来は彼と同じように医者か、弁護士か、外交官あたりの子供が産まれてくるらしい。官僚の素質だって十分に確保できたと思う。


 受精に至るまでの行為自体は気持ち悪いとしか言いようがなかった。痛かったし、内臓が引っ掻き回される感覚が苦しくって、私は何度も行為中に泣いてしまった。興奮しているのか、男の息遣いが荒々しくて、しかも乱暴で。会った時はどちらかといえば紳士的だったのに、その豹変ぶりも本当に恐ろしかった。しかも一度だけでは受精に至らなかったので、それから五度ほど彼と私は行為をした。五度目の行為になるともう慣れてきて、さすがに泣きはしなかったけれど、子供を授かったとわかった時はもうあんなことをしなくていいのだと、別の意味で泣いてしまった。


 私はまだ大きくもないお腹を撫でる。自分の中に違う生き物が入っているのだと思ったら、ちょっとどころかだいぶ変な気分だ。


「私、ちゃんとしたお母さんになれるかな……」


 メンタルケアを怠っていたからか、そんな不安が口から漏れる。

 こんなことではいけないとわかっているのに、頭の中には得体の知れない靄が広がり、呼吸が浅くなった。


 お母さんのような『母親』にならなければ。

 誰もが認めるような、お母さんが褒めてくれるような、素晴らしい『母親』にならなければ。


 期待と不安と願望が入り混じって、頭の中を駆け巡る。

 これが教科書で読んだマタニティブルーというやつなのだろうか。

 私は現実から逃げるように瞳を閉じた。すると、すぐに睡魔が足元から這い上がってくる。

 妊娠すると眠たくなるのだと知識の上では知っていたけれど、実感するのはその日が初めてだった。


◆◇◆


 レミーが自分の子供を食べたのは、私が十歳の時だった。


 その時の光景は、今も鮮明に覚えている。昨日のことのように思い出せる。

 透明なプラスチックのゲージの中に敷かれた木屑。

 陶器で出来た小さな餌の器。

 壁際には回し車があって、手作りの巣箱の中にはいつものようにレミーがいた。

 彼女は巣箱のまあるい穴から顔を出したり引っ込めたりしながら、まるでいつも通りだった。可愛い可愛い、ジャンガリアンハムスターだった。

 しかし、そんないつも通りのレミーの側に、いつもは見かけないものが落ちていた。

 それは肉塊だった。

 正確には彼女の腹の中にいたはずの子どもの頭部だった。

 生まれて間もなく食べられたのだろう。小指の先ほどもないその小さな頭部は、目を開くこともなく、ただ静かに転がっていた。

 私は悲鳴さえも上げることなく、ただただ無言で、彼女が産み落とした命のかけらを見つめていた。

 その時の気持ちは、今振り返ってもよくわからない。


 悲しかったのか。

 怖かったのか。

 羨ましかったのか。

 ただ驚いてしまっただけなのか。

 もしくはその全部だったのか。


 私は子どもに向けていた視線を、餌の器にスライドさせる。そこには私の予想と反して昨晩やった餌がまだ残っていた。


「どうして……」


 呆然と立ち尽くす私に、いつの間にか後ろにいたお母さんが優しく声をかけてくれる。

 私の肩に手をかけて、耳元で囁いてくれる。


「レミーはいい『母親』ね。この子は育てられないって、自分で判断したの」


 お母さん曰く、ハムスターなどの動物は、産んだ子どもが弱っていた場合、育てられないと判断して胎盤と一緒に食べてしまうことがあるそうなのだ。だから、決して餌が少なかったとか、栄養が足らなかったとか、そういう理由でレミーは自分の子どもを食べてしまったわけではないらしい。

 自分のせいではなかったとほっとする私に、お母さんは更に教えてくれる。


「自然界ではよくあることなのよ。他の子どもを育てるために、出来が悪い子は仕方なく食い殺すの。レミーも辛かったでしょうね。でも、仕方がないことなの」


 お母さんの言葉に私は、そうか、と思った。

 レミーは自分の子どもを『食べた』のではない。『殺した』のだ。

 殺す手段として食べたのであって、レミーの目的は栄養を取ることでも、お腹を満たすことでもない。子どもを処分することにあったのだ。


 他の子供を育てるために。優秀な遺伝子を残すために。


 お母さんはレミーを自身の手のひらの上に乗せると、まるで褒めるように彼女の背中を撫でた。私にもめったにそんなことしてくれないのに……とちょっとむくれそうになったが、お母さんには何も言わなかった。

 だって、お母さんに褒めてもらえるようなことをしない私が悪いのだ。優秀でない私が悪い。オーダーメイドなのに、適性が少ない私が悪いのだ。


 そういえば、レミーだけだった。失敗しても殺さなくてよかった子は。

 あの子だけは最期までお母さんに可愛がられていた。

 レミー、レミー、レミー……

 あのレミーは一体何番目だっただろうか。

 あぁ、そうだ。三番目だ。

 子供を食い殺したのは、確か三代目のレミーだった気がする。

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