第4話

黎也が姿を見せなくなって、一年が経った。

誰にも言えるわけがなかった。

本来は会っちゃいけない場所で、お互いに名前だけしか知らない状態で、ひっそり会ってたたった一人のことを、誰に聞くというのか。

周辺の事故や事件の情報を集めても、黎也の名前は無し。

それどころか、おばあちゃんにそれとなく聞けば、この辺に私と同じ歳の子供は住んでいないと言う。

だから、たった一つあった高校も廃校になったと。

廃校になったから、なんて無理矢理思い込んだ。

急に廃校になったから、私がお母さんが死んで落ち込んでたから、きっと黎也は引っ越すことを言えなかったんだ。

だってそうじゃないと、説明がつかない。

まるで、黎也なんて最初から存在しなかったみたいで怖い。

黎也が、あのひまわり畑で消えてしまったみたいで、無性に怖かった。


「ねぇ、おばあちゃん」

「なぁに?」

「あのひまわり畑、どうして出来たの?」


おばあちゃんと二人、スイカを食べながら話題を振る。

今年も私は、おばあちゃんの家に来てる。

お父さんは夏季休暇中だ。

去年入院してから、お休みを大切にしてるお父さんの邪魔をしたくなくて、腰の悪くなってきたおばあちゃんの世話も兼ねて来ていた。

ひまわり畑には、まだ行けてない。


「あらぁ、ミヨちゃんは知らなかったかねぇ」

「うん。あそこによく遊びに行ってたけど、なんであるのかは知らないよ」


行ってた、なんて過去になってしまった事実に胸が勝手に痛む。

おばあちゃんはスイカに塩を振りながら答えてくれた。


「あそこはねぇ、ミヨちゃんのおじいちゃんが作ったんだよ。おじいちゃんは、気難しいけど家族には優しい人でねぇ」

「へぇ」

「そうだ、仏間に写真があったよ。出して来ようかね」

「うん」


おばあちゃんはスイカに手を付けるのをやめて、仏間の方に歩いて行った。

どこかウキウキしてるおばあちゃんを止めることも出来なくて、戻ってきたらすぐ、おじいちゃんの話が始まる。

おじいちゃんは、私が生まれる前に亡くなったから全然知らない人だし、この機会にどういう人だったか聞くのもいいかも。


「おじいちゃんにはね、弟さんがいたんだよ。でも、弟さんは裏の山に遊びに行ったきり、行方不明になってしまって。ほら、これがお前のおじいちゃんと、弟さんと、おばあちゃんだよ」


そう言って、おばあちゃんは一枚の写真を見せてくれた。

そこには信じられないものが写っていた。

びっくりして、スイカを食べる手が止まる。


「おじいちゃんも、弟さんも、男前だろう?おばあちゃんは、弟さんとはあまり話した事がなかったけれど……おじいちゃんは、弟さんを可愛がってたみたいでねぇ」


歳が離れてたからだろうね、とおばあちゃんは笑う。

私は、ちっとも笑えなかった。

若いおばあちゃんと、おじいちゃんと、その弟が写ってる写真に、釘付けになる。


「この、写真って、いつ撮ったの?」

「え?さぁ、いつだったか……多分、二十は過ぎてたと思うけど」


おばあちゃんが二十歳過ぎなんて、相当昔のはずだ。

けど、ここに写ってる彼は、おじいちゃんの弟は。

去年姿を消した黎也そのままだった。


「それでね、弟さんが行方不明になってから、おじいちゃんは一人でひまわり畑を作ったんだよ。弟さんが無事に帰ってこれますようにって。昔はひまわり畑ほど色鮮やかな場所なんて、この辺になかったからねぇ。前は小屋や祠も拵えてあって……今はどうなってるのか分かんないけどねぇ」


おじいちゃんのことを嬉しそうに喋るおばあちゃん。

いつもだったら、おばあちゃんが嬉しそうだと微笑ましい気持ちになってしまう。

だけど私は今、それどころじゃない。


「おじいちゃんに、弟がいるなんて知らなかったな。名前、なんていうの?」


なんとか震える声を抑えて、なんでもないふうに装う。


「話した事なかったものねぇ。名前はね、」


おばあちゃんは、懐かしそうに目を細めて名前を言う。

心が一気に冷え切って、同時に頭も真っ白になった。


「ねぇ、おばあちゃん……この写真、もらっていい?」

「え?」

「私、若い頃のおばあちゃんとおじいちゃんの写真、持ってないから。いい写真だし」

「あらぁ、本当?嬉しいわぁ。いいわよ、おじいちゃんとの写真は、いっぱいあるからねぇ」

「ありがとう」


でも、嫌なくらい取り繕うのが上手いらしい私は、さも当たり前のように写真をもらって、おばあちゃんと談笑しながらスイカを食べきった。

おばあちゃんの話はなんだか透明な壁の向こうに聞こえて、スイカの味はしなかった。


その日の夜、おばあちゃんの家を抜け出して、こっそりひまわり畑へ向かった。




夜のひまわり畑は、昼と違って妙な迫力がある。

田舎の夜は暗くて、部屋の奥に仕舞ってあったカンテラがなかったら、きっと何も見えなかった。

見慣れたひまわり畑を、ただひたすらに進んで行く。

いつもの、秘密基地へ。

永遠にも思えた時間は、目の前が突然開けたことで終わった。


秘密基地は、まるで魔法が解けたみたいに、形の無い木板の集まりとなっていた。

雨風を一応凌げていた屋根は無く、壁は穴だらけになっていて、扉も地面に倒れてる。

ひまわりが不気味にもその周りを取り囲み、咲いていて、闇の深まった小屋の中を思うとゾッとした。

けど私は、中を見なきゃいけない。


おそるおそる、慎重に小屋に近寄って、ひとまずカンテラだけ小屋の中に入れた。

小屋の中も、外と同様に酷い変わりようだった。

本棚は倒れており、中身の本は雨風に晒されて読み物にならなそうで、椅子は脚が壊れて使えない。

ただ、机に乗った花瓶と、何故か咲き誇っているひまわりだけが綺麗で、不気味だった。

あの花瓶には、確かにひまわりを活けた。

けどそれは一年前の話で、今年はまだ活けてない。

恐怖で見が竦んで、机に背を向けて小屋を出ようとした。


「おかえり、ミヨちゃん」


一年ぶりに声を聞いた。

身体が固まる。

逃げたい、怖い。

そう思っても、懐かしい声が気になって、振り向きたくもあった。


「ねぇ、ミヨちゃん。あの日の続きしようよ」


黎也の声は、どこか弾んでる。

嬉しそうで、無邪気なその声が、今の状況では浮いていた。

私が、言わなきゃいけない。

終わらせなきゃいけない。

意を決して、後ろを振り返る。

黎也は、一年前とちっとも変わらない姿で立っていた。

本当に、何も変わらず、あの日のまま。


「ミヨちゃん、可愛くなったね。大人になってる」


あの日のように、よく分からない感情で笑う黎也。

もう、その微笑みの意味が分かった。

だから、話をしなくちゃいけない。


「黎也、貴方って、幽霊なの?」


黎也は何も言わない。


「写真、見せてもらった。若い頃のおばあちゃん達と写ってる、小学生くらいの黎也の写真」


ポケットから写真を取り出して、黎也に見えるよう、目の前に掲げる。


「山に行って、そのまま、行方不明だって」

「違うよ」


今まで聞いたことない、低い声だ。

思わず身構える。まさか、黎也がこんな声を出すなんて。


「山に行って?まさか、違う」

「じゃあ、貴方は、何なの」


黎也は、珍しく怒っていた。


「殺されたんだよ、兄に。だから、ここから離れられない」


びっくりして、今度こそ感情を隠せなくて、盛大にカンテラを落とした。


「殺された?」

「うん、そう。ミヨちゃんにとってのおじいちゃんにね」

「……じゃあ、黎也は」

「幽霊だよ。厳密にはちょっと違うけど」


なんだか身体に力が入らなくなって、その場に崩れ落ちる。

黎也が、幽霊。

そんなの、全然分からなかった。


「幽霊って、夜に出るもんじゃないの!?」

「厳密には違うから。僕は活動時間を問わないの」

「そんなの、分かるわけない……」

「知ってもらおうとも思わなかったから」


それもそうだ。でも、なんか、仲良かったんだから一言くらい、なんて思わないでもない。

でも今一番気になるのは、そこじゃなくて。

ああもう、考えがまとまらない。


「何から話そうか」

「……とりあえず、なんで幽霊になったの?」


幽霊であっても幼馴染。

私のキャパが超えてることはお見通しらしい。

微笑みながらこっちに手を差し出した黎也の手を取って、カンテラを持って立ち上がる。

もう何年も一緒にいるのに、祟りだ、呪いだ、怖いだなんだで騒ぐなんて、今更すぎる。


「君のおじいちゃんに……兄に殺されたんだよ。僕の方が、兄よりなんでも出来過ぎたから」

「そんなことで普通、殺さないでしょ!」

「遠い昔の話だからね。その頃は、家の跡継ぎどうとか、当主がどうとか、当たり前だったから」


黎也はやっぱり怒ってるみたいだった。

そりゃそうだ、自分が殺されて怒らない人間はいない。


「僕の方が兄より何でも出来たから、兄は自分が跡継ぎになれないと思ったみたい。あと、許嫁だった君のおばあちゃんを取られるって思ったらしいよ」


もう絶句だ。

これって嫉妬で黎也は殺されたってことだろう。

まさか、本当にこんな理由で人を殺せる人がいるとは思わなかった。

まさかそれが自分のおじいちゃんだったなんて、もっと思わない。


「山に遊びに誘われて、埋められて、その後また掘り出されて、今はここ」


そう言って、黎也は机の下あたりを指差す。

もう限界だった。

かろうじて後ろを向いて、その場で吐く。

黎也を殺した人間の血を引いてることを思うと、黎也の身体の上で彼と呑気に遊んでたことを思うと、気持ち悪くて仕方ない。


「あ……ごめんね、ミヨちゃん」

「……いや、悪いのはおじいちゃんだから」


治まったところで、また黎也に向き直る。

黎也はこんな私なんかに、本当に申し訳なさそうに眉を下げてた。


「黎也は……なんで、私と仲良くしてくれたの?おじいちゃんの、自分を殺した人間の孫なのに」


聞きたくなかったことが、口から滑り落ちる。


「君が、あんまりにも綺麗だったから」

「は?」


いやいや、綺麗だなんて理由で?

はにかむ黎也。こいつおかしいのか?

私は、復讐のためとか、いつか殺すためとか、なんかそういうドロドロした暗い理由かと思ってたのに。


「最初は、すぐ死にそうだなって思って、面白そうだから遊んであげようって思ってたよ。でもさ、ミヨちゃんがあんまりに……可愛いことばっかりするから」

「かわっ」


可愛い!?なんか幽霊だってバレてから、黎也の性格変わってない?

なんか、いじわるになってる気がする。

そんなこと言ったら、私が困るって分かってるはずなのに!


「だんだん、君と遊ぶのが本当に楽しくなっていって。帰るって聞いた時は、寂しくて仕方なかった」


黎也は少しずつ、私に近づいてくる。


「ミヨちゃんと遊ぶ度に、再会する度に、僕はなんで死んでるんだろうと思ったよ。そうじゃなかったら、春だって、秋だって、冬だって、君に会いに行ったのに」


黎也のことを、もう怖いと思えなかった。

最初っから思ってなかったんだと思う。

多分、彼が生きてないって事実だけが怖かった。


「僕と違って、成長していくミヨちゃんは、いつか恋人が出来て、結婚して、子供が出来て、僕の知らない幸せを手に入れると思うと、いっそ僕と同じ存在にしてしまおうかと思ったけど」


黎也は、哀しそうに笑った。

一年前と同じ顔をしていた。


「出来なかったよ。ミヨちゃんが好きで好きで、しょうがなくて、なんにも知らないでケラケラ笑ってるミヨちゃんの顔を思い出すと、どうしても、生きて欲しいって願ってしまう」


抱きしめられて、抱きしめ返す。

いつも感じていた黎也の冷たい身体は、幽霊だったから、死んでるからなんだって、今更気づいた。


「ミヨちゃん、君が愛おしいよ」


黎也の声は震えていて、私の目からは涙が溢れる。

だって、こんなに嬉しいのに。

私達には未来が無い。

しばらく、お互いに泣いてる気配がした。

ひとしきり泣いたあと、どちらからともなく離れて、代わりに手を握る。


「黎也」

「なぁに」

「私、黎也の身体、掘り返すよ」


そう言うと、黎也はびっくりしたみたいで、明らかに手が跳ねた。

そんなにびっくりすることかな。


「な、んで?今更だよ、もう大きい骨しか残ってないよ」

「好きな人に会ってみたいって、思っちゃだめ?」


言った瞬間、信じられないものを見た顔をする黎也。

失礼な。私だってもっと言い方あったかな?って思ったけど、タイミングが無かったんだから仕方ないじゃない。


「ミヨちゃん……」

「なに、だめなの?」


黎也は良いとも悪いとも言わず、ただ微笑んで消えた。

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