第3話
お母さんが死んだ。
高校生に上がったばかりの、夏休みに入る直前の話だ。
葬式はもうとっくに済ませていて、建前上はお父さんと私の心の整理の為に、ちょっと早めの夏休みに入った。
本当の理由は、主にお父さんの為だ。
お母さんが入退院を繰り返してる間、私はお父さんと二人で生活していた。
もちろん家事は二人の分担で、けれど今思ってみれば、お父さんの負担はそれでも大きかったように思う。
仕事は休まず手を抜かず、お母さんが入院してる時は、お見舞いにほぼ毎日行き、分担した分の家事をこなし、休日はたまに私と買い物に出てくれたりしていた。
そんな生活を何年も続けていれば、当たり前にどこか悪くする。
お母さんが死んですぐ、お父さんは心を病んでしまった。
身体も過労でボロボロで、私はお母さんが死んだと電話で聞いて、心と身体が限界で崩れ落ちるお父さんを、泣きながら抱きしめることしか出来なかった。
流石に、高校生になったばかりの娘に喪主は無理だ、と最後の力を使って、お父さんはおばあちゃんに電話してくれた。
急いで駆けつけてくれたおばあちゃんと、おばあちゃんに呼ばれて来てくれた、疎遠だったお母さんの妹さんのおかげで、葬式は滞りなく終われたのだけど。
お父さんは見事長期入院コース。
心身ともに、今は休んでいたほうがいいらしい。
幸い、すぐにでも死ぬとか、治せない病気だとかはなく、ほっとしたのを覚えてる。
しかしお父さんは入院、お母さんは死んで、私も疲れ果てていた。
学校に行く気力もなく、家事をする気力……は、ギリギリなんとかあったけど、とにかく休みを欲していた。
だから、ちょっと早めの夏休みを迎えた私は、おばあちゃんの家に行くことにしたのだ。
毎年うきうきとした気持ちで通っていた道を、憂鬱な気持ちで歩いていく。
周りのひまわりは嫌味なほど元気に太陽の方を向いて咲いていて、なんだか私の憂鬱具合が浮いている気がする。
汗で張りつく髪を手でよけながら、小屋への道を辿った。
「今年は早かったね」
そこに、彼はいた。
平日の真っ昼間にも関わらず、新しい、けれど見慣れた型の制服を着た黎也。
幻覚か何か?
思わず目を擦る。
「だめだよ、目が悪くなる」
いつの間にか近づいてきていた黎也は、私の手を掴んで目から離した。
「いや、幻覚かと、思って」
「幻覚?なにそれ」
笑う黎也につられて私も少し笑う。
そうだ、きっと黎也は学校をサボってここにたまたま来てたんだ。
そうに違いない。だって頭良さそうだし、授業つまらないとか平気で言いそうだもん。
「……どうしたの」
「え?」
「涙、出てる」
黎也の指が、私の手から目元へと移る。
そっと目元を触れば、確かに私は泣いてるようだった。
「あれ?おかしいな……なんでだろ、」
「誤魔化さないで」
強い口調で言われて、両手をぎゅっと握られる。
少し屈んでこちらを見てる黎也の目は、金色に鈍く光っていた。
「お、おかあ、さん……がっ」
「うん」
「おかあ、さんがねっ……」
「うん」
死んだ。
その言葉を口にしたら、もう本当にお母さんと会えないという実感にのまれそうで、怖くて、悲しくて。
涙がたくさん出てしゃくり上げる私を、黎也は相槌を打ちながら、静かに待ってくれていた。
「おがあ、ざんがぁ……!」
「うん」
「し、しん、しんじゃっだ……!!」
「……うん」
とうとう口にした言葉に、堪らず大声を上げながら泣きじゃくる。
お母さん、お母さん……!
いつも優しかった。
どんな時も笑顔で、怒る時はちょっと怖くて。
私にたくさん、大好き、愛してるって言ってくれた。
本当は、もっとずっと生きていて欲しかった。
いつかひとり立ちして、立派に社会人やってるよって、スーツ姿を見せたかった。
せめて、せめて二十歳の振り袖だけでも、見せてあげたかったのに。
色んな気持ちが溢れ出して、止まらない。
うわんうわんと声を上げて泣く私を、黎也はそっと抱きしめてくれた。
不思議と暑さは感じず、むしろ心地良い気さえする。
悲しくて、不安で、苦しくて、後悔でいっぱいで。
そんな気持ちを埋めるように、強く黎也を抱きしめ返した。
私達はしばらく、ひまわりの中で抱き合いながら立っていた。
「水、飲んだ方がいいよ」
「ゔん……」
どれくらい時間が経ったか分からないけど、結構な時間抱き合っていた私達は、秘密基地の中に入って少し休憩していた。
黎也が持っていた水を分けてもらい、椅子に座って一息つく。
「……ありがと」
「うん」
いつまでも泣いてるわけにはいかなくて、涙を拭った。
椅子に座った私とは反対に、黎也は立ったままだった。
黎也はただ静かに、私の頭を撫でる。
「ミヨちゃんは、」
「うん?」
「ミヨちゃんは、死後の世界とか、魂とか、幽霊とか、信じる?」
何を言ってるんだろう。
もしかして、私に気を利かせてくれてるのかな、お母さんのことで。
「うーん、祟られたり、呪われたりは怖いけど……お母さんが、そばで見守ってくれてる、とかなら、信じたいかも」
「……そっか」
「はは、都合がいいよね」
でもどちらかと言うと、あんまりオカルトの類は信じてない。
だってもしお母さんがそばにいるなら、段々やつれていくお父さんに、何かしてあげてたと思うから。
「ううん、誰だってそうだよ」
「そうかな……?」
「うん、きっとそう。……ミヨちゃんは、優しすぎるから」
「え〜、そんな事無いと思うんだけど!」
「ミヨちゃんは、優しいよ」
黎也はそんなことを言うと、後ろから抱きしめてくる。
なんだか今日は、いつもより距離が近い気がする。
私が泣いたから?けど、黎也の前で泣くことなんて、今まで何度もあった。
蝉がいきなり動いてびっくりした時、派手に転んで膝から血が出た時、夏休みの最後に黎也とお別れする時。
どの時も、結構わんわん泣いたのに。
……なんだか、ちょっと、胸が苦しい気がする。
「れ、いや?どうしたの?」
黎也は何も答えない。
今日は、なんだか変だ。
私も変だったけど、黎也はもっと。
「……ねぇ、ミヨちゃん。好きだよ」
ぽそりと、耳元で黎也が口にした言葉に、顔が熱くなった。
なんで今、なんて?
「え、あの、黎也?」
「僕、ミヨちゃんが大好き。愛おしいってこういう事かもしれない」
「え!?」
大好き!?愛おしい!?
どうして、なんで、いつの間に?
そんなこと考えてる暇も無くて、黎也は私の顎をすくう様に指先で操って、自分の方へ顔を向けさせる。
眼前には、今までにない近さの黎也の顔。
「ねぇ、ミヨちゃんは僕の事、どう思ってるの?」
黎也の金色に光る瞳が、ギラギラと怪しく輝いて見えた。
彼の指先は冷たくて、ほてった顔の熱で溶けそうなくらいで。
「わか、んないよ、そんなこと、急に言われても……」
必死に、頑張って絞り出した言葉は、嫌になるほどか細くて、いつもの私じゃないみたいな高い声で、なんかもう、全部が限界だ。
「そうだよね」
黎也は、なんだかよく分からない感情で笑っていて。そっと私の顎から、黎也の冷たい指先が離れていく。
小学生の頃に出会ってから、ずっと一緒にいたのに、まるで見たことない感情で笑っているのが分かった。
「ごめん……」
「謝らないで。僕こそ、ごめんね。ミヨちゃん、落ち込んでたのに」
「ううん」
色んな感情がごちゃまぜになって、心がぐちゃぐちゃになっていく。
変に高ぶった心が、落ち着かないまま、どこにも行ってくれない。
こんな気持ち、初めてだ。
「……明日」
「え?」
「明日、必ず答えを出すから!だから、今日は、いつもみたいに遊ぼう。……おねがい」
気まずくて思わずうつむく。黎也にお願いするなんて、初めてかもしれない。何もかも初めてで落ち着かない。
「……うん、分かった。ありがとう」
弾んだ声音で言われるから、どんな顔をしてるのか気にしなって、ちらりと黎也を盗み見る。
やっぱり、よく分からない感情で微笑んでいて、やっぱり、うつむいた顔を上げられない私は、しばらく頭を撫でてくる黎也にされるがままに、されていた。
次の日、秘密基地に行くと、黎也はいなかった。
何時間待っても、日が落ちるまで待っても、何日待っても、黎也はひまわり畑へ来なかった。
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