第4話 日常の変化(中編③)

 ユキトは焦っていた。

 汗が手の平や額から滲み出し、呼吸も浅く、入れ替わりが激しい。過呼吸気味である。

 ただ、それが気味だけであって、完全にそうならない理由は、空の浮遊感がユキトに日常感を与えなかった事と、背後に付く機体が恐ろしいと感じたなら、自分の乗って、今や操縦さえしている機体もまた恐ろしいと感じていたからだろう。要はどこまで行っても、ユキトにとって、それは一度、耐えている恐ろしさなのだ。

 まるで、斧のよう。そう感じた背後の機体と、今現在自分が搭乗し、操縦を任されている機体の宛ら剣の切先のような鋭利さで、美しい造形の細い機体。どちらが強く、どちらが弱いなんて事は、素人のユキトには判別が付かないし、同じだとすら思えれば同じになる。

 だからこそ、今はただ、その機銃が背後から向けられている事が、ユキトにして見ると、一番恐ろしい。それによって脳裏を過ぎるのは、あの容赦なく降り注いだ攻撃だ。もはや、奇跡的とも言える、自身には無かった被弾は、次も同じ結果を生むとは限らないし、良くも悪くも、ユキトは自分の操縦する機体の事を何も知らない。こういった不安や不明確な状態が、ユキトにより緊張感を芽生えさせ、それが焦りに起因していった。

 故に、思考を回せば回す程、普通からは離れて行っている事を思い出し、理解させられ、ユキトの“守りたい”という想いにさえ、“逃げたい”という考えで上書きされつつある。

 そんな思考を理解していたのか、ユキトの背後でディスプレイに触り、現状を深く明確に理解していたミヤビは、一切変わらぬ淡々とした表情で口を開いた。

「怖いのか?」

「え―――?」

 ユキトは目を大きくさせ、ミヤビの言葉に驚いた。

 敵が凶器を持ち構え、背を見せている自分に向けられているというこの状況で、逆に怖がらない方が可笑しいと、臆する事なく言い張れる程に、当たり前の事であるのに、ミヤビの言い方ではまるで、全く関係のない人物が放つ様な物であったのが、ユキトには不思議で堪らなかった。

 ただ、怖がりながら振り向いたユキトが見たのは、やはり眉の一つさえ動かさず、落ち着いているかの様な様子だとも受け取れる顔付きをしているミヤビであった。

「心配するな。今はただ前だけを見て、私の指示にただ従え。それが生き残る道だと思うんだ」

 そんな興味外の様な口調の言葉に、ユキトは戸惑いながらも、顔を正面に戻し、頷いた。

「……分かった」

「ああ、それで良い。まずは左のレバーを五秒掛けて、前傾へ全快に倒せ」

「五秒を掛けて……」

 ミヤビの指示に従って、ユキトは徐々に左のレバーを倒し始め、体で感じる圧に耐えながら、機体の速度は上がり始めた。すると、ディスプレイに映っていた機体との距離が遠くなったのか、敵機の大きさが小さくなっていき始めた。

 しかし、実際に小さくなっている訳ではないし、離れ始めても尚、機体の威圧感は凄まじい物である。ただ、それがユキトの中で、確実に余裕を齎しつつあるのは、確かであった。

「いいか。この機体は訓練機だ。旋回や攻撃までの動作が、事故を防ぐ為に、ほんの僅かだが、本来の機体よりも遅く設定されている。ただ、唯一オリジナルと同じなのは、飛行速度だ。そして、その点でなら、A-16機は背後のF-35機に勝る」

「―――!? それじゃあ!」

「ああ、逃げ切れる。ただ、そこで問題なのは、そのまま逃す筈がないという事。その対策として、敵は発砲を始める筈だ。それに対抗し、こちらは左レバーを最大後傾の二十四から十を減らし、十二へと減速。同時に、四秒間でいい。右レバーを、前傾の四十まで倒せ。そこから、四秒が経ったら、先程の数字に各プラス五をして、左レバーは二十に倒し、右のレバーは後傾の四十五まで引け!」

「う、うん……」

 数の多い注文に返事をし、ユキトは一つ一つの台詞を復唱しながら、左レバーの操作を行って、速度を変動させ、同時に右レバーを前傾の四十値に合わせると、機体は横になって、右翼を上に傾かせ、左四十度角へと旋回を始めた。そして、機体が先程まで飛行していた場所に、F-35のカドリングが放った弾丸が通り抜けた。見事なまでの回避だ。

 これにF-35を操縦していた敵の男は、舌を鳴らし、射線から消えたA-16を追って、左旋回を始めたが、これが四秒後に予定されていた、右レバーを後傾の十の所まで引いて倒す操作と重なり、今度は対角となる様に、A-16が四十五度角の右旋回を始めた事で、再度避けの体勢に入られ、飛行速度の上昇と共に、射線上から身を離したのだった。

「――――」

 そんな出来事に、ユキトは驚愕していた。一瞬の判断ではなく、十秒程前から、まるで予見さえしていたかの様に、ここまで簡単な動きで、敵を翻弄としたのかと。それと同時に、ミヤビの計算が見事に当たっていた事に、ゾクリと身の内側で恐れを感じた。また、この一連の流れだけでも、冬織ミヤビを“天才”だと感じるには、十分過ぎた。

「左レバーを十二に合わせ、右レバーを前傾へ全快値の六十に倒して、三秒後に後傾の十で固定。それと並行して、左レバーを四十に。四十になれば、右レバーを押し込んで、前傾の三十五に倒せ」

「うん。分かった」

 ユキトは自分が足枷にならぬ様、細心の注意を払いながら、ミヤビの指示に一つ一つと従って行動を起こしていった。

 そして、それによりF-16は、突如として減速を始めたかと思えば、左への急旋回を始め、続けて機体の後を追う形で、F-35も急旋回を始めると、突如として逆方向への旋回を行い始め、蛇の様な飛行線を描きつつ、飛行高度を下へと下げながら、減速をされた事で、背後に付いていた機体の下側の胴体部分を左上頭上に捉えさせた。

 ユキトは、あれ程まで恐怖していた機体の脆さと、弱さを目の当たりにし、自分にこんな事が出来た事も含めて、信じられないと目を見開いていた。

「よし! 今だ、右レバーのボタンを押せ!!」

「う、うん……っ!」

 ミヤビの声に反応し、ユキトは躊躇なく、L字型のレバーの握りの親指部分にあるボタンを、親指で押し込んだ。――すると、ユキトの視界の中央部を辿る様に、光の輝きが無数にも、まるで一筋の線の様にも捉えられる程の短い一定の間隔を空けながら、放たれた。

「――――」

 これが何であるのか、ユキトは瞬時に理解し、反射的に親指をボタンから離した。

 こういう形で見た覚えはないし、どこかにあるんであろう映像を見ていた訳でもないのに、自機の下部から放たれる光の線が、“弾丸”である事を理解するには、根拠も必要なかった。

「何をしている! 撃て!!」

 ミヤビは声を荒げた。

 彼女にしてみれば、それまで従順であり、順調であった出来事が、途端に中断され、せっかく取った位置を台無しにされ、また敵に射線から逃げられてしまい兼ねない為、当たり前の事なのだろうが、ユキトはミヤビの言葉に驚いた。

「で、でも……! アレは弾丸じゃないか!! そんなのが、もしも当たったら、相手が……!」

「何を言っている! 当たったら、ではない! 当てるんだ!!」

「な、なんで……ッ!」

 ユキトは、『なんで、そんな事をしないといけないんだ』と、背後のミヤビに問い質すが、そんな事をしている間に、正面に捉えていた筈の敵機との距離が離されていっている事に、ミヤビは惜しむように歯を鳴らした。

「―――では、貴様は死にたいのか! 守り切れずに、島を…故郷を壊されたいのか!」

「そ、そんな事ない! 壊されて堪るか! だけど、ボクは守る為に、コレに乗ったんだ!」

 ユキトが、当初の心意気と今から行おうとしていた事に対する矛盾を表明すると、ミヤビは怒りに拳を、ユキトが座る前の席の背面に殴り付けた。

「ならば、死ぬという事か! 貴様のソレは、自分だけじゃなく、友人と家族と故郷を、そんな脆弱さで危険に晒し、殺されて壊されるのを“良し”としているのと同じだ!!」

 ミヤビの言葉に、ユキトは歯軋りを起こし、もはや正面から顔を離し、背後のミヤビに顔を向けた。

「なんでそうなる! そんな訳がないだろ!」

「だったら、甘えるなッ! ここは戦場だ。ついさっき、この島は日常ではなく、戦場になってしまったんだ!! そして、戦場とは何かを守る為に、何かを壊す事も厭わないという意思をぶつけ合う場所だ!」

「確かに、そうなのかも知れない。でも―――」

 撃つのは違う。最初の予定と違うじゃないか。と、言おうとして、食い縛った口を紡いで、自分の意思と現実の状況に、ユキトが俯いて頭を回していると、ミヤビは射線から逃してしまった敵機を見て、『このまま逃げられて堪るか』と考え、ユキトの様子を背後から観察し、口を開いた。

「……分かった。これから、お前が行う行動や行為の選択と責任は、私が担う。お前が殺しても、私が殺したとする。だから、今度は迷うな。ただ私の指示に従って、撃て」

「――――……ッ!」

 ミヤビが端的に述べた言葉にユキトは、レバーを握る力を強くして、ミヤビの方へ『分からずや!』と批難を放つ為に、振り向いた。

 ただ、振り向いて、ユキトは開いた口から声を出すのが、止まった。

「もう、気にするな。何かを守る為には、必ず犠牲というのが付いて回る。考えて、想っても、仕方がない。無意味な行為に過ぎない」

 などと述べたミヤビの表情が、ユキトには何もかもを諦め、何も考えない様にしている様に見えた。そして、同時に今の状況では、その考えや行動が正しいかのように思えた。

 その表情を見て、垣間に捉えたミヤビの意思に、ユキトは冷静となり、顔を元の位置に戻し、機体を操縦する為にレバーを握る両手を見下げ、握る手の力を弱めた。

「……分かった。ボクは君の指示に従う。もう迷わない」

「なら、左レバーを三十六へと倒させつつ、右レバーを後傾四十五に合せ、今度は押し込んでから、前傾三十に合わせろ」

「………」

 こうして、ミヤビの言葉に頷く事もせず、ユキトは指示通りにレバーを動かし、指定通りの数字の所まで、レバーを手前に倒した。すると、機体は右に旋回を始め、距離を離されてはいるが、F-36の胴体下部を上空の一部に捉えつつ、それと同時に下降を始めた。

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ロスト・ロジック 松平 秀作 @emiyahana

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