第3話 日常の変化(中編②)

 操縦席の少女が機体の搭乗側のボタンを押し、フラップを自動で格納させながら、座る椅子が背後にスライドし、地面の下に折り畳まれていた席を、ただ引っ張る事で完成させ、それに座ったユキトは、対G装備を制服の上から装着し、椅子にある肩や腰などのベルトを体に回し付け、固定させた。

 そして、外れなくなったと確認し、ユキトは手元の膝掛けから、少し前側にあるレバーの更に上の正面板インパネで、一番大きく、現在は何も表示されていない黒のディスプレイに反射する後部座席の少女に、目を向けた。

 そこで背後の少女は、ユキトから手渡されたナプキンを、腕に巻いていた。それが何とも迷いなく、片手でも歯を使い片手の代わりにしていて、非常に慣れた手付きであった事から、ユキトは見入ってしまうが、少女が作業を終え、顔を戻す頃には、ユキトは目を離していた。

「……よし。準備は出来たな。これから、機体のAI補助の起動手順を教える。いいな?」

「うん。どうすれば良い?」

 ユキトが頷いて尋ねると、少女はユキトの席へ身を乗り出し、頭上で視界を合わせた。

「まずは、膝横にあるレバーを両方で掴め。それで、電源が入る」

「分かった」

 説明を受け、ユキトがL字型レバーの掴みを握ると、レバーは認識判別プログラムを起動させ、ユキトの指先の大きさを測りながら、記録し判別を始めた。

 そして、二秒程が経過すると、機体の正面板インパネの黒のディスプレイに電源が入り、丸と正三角形が重なり合ったロゴが表示され、そこの中央部にユキトの写真が映し出された。これにユキトは驚くが、少女は了承するかの様に、一つと頷いた。

「次は、自分の顔が映し出された画面に、手の平を当てろ」

 確かに戸惑いながらも、少女の命令に従いユキトは、自分が映し出されているディスプレイに、右手の手の平を当てた。すると、ディスプレイは再度とユキトの手の大きさを測り、暫くしてから、青の画面だったのが、緑色の画面に変化した。

『ご搭乗ありがとうございます。私は飛行補助型AI・RERAです。貴方の作戦補助から始まり、飛行時の操縦や敵機からの攻撃回避などを自動で行いますので、宜しくお願いします。また、画面を変化致しますので、画面から手をお離し下さい』

「……っと」

 RERAの言葉を聞いて、ユキトはディスプレイから手を離し、そして表示が変わった画面には、自機と思わしき機体のロゴが中央にあり、画面外から飛行して来ている赤色の機体のロゴとの距離や、飛行速度などが表示されていた。また、赤いロゴとは反対の端側には、自機の表示と同じ緑色の機体ロゴも表示されている。

 そんな青の画面を、ただ見ているだけのユキトに対して、少女は眉を顰めて、親指の爪を噛んでいた。どこか、焦っている様に見える。

「ああ、大体は掴めた。取り敢えず、敵機の注意を引くだけで、戦闘は極力避け、戸辺とべフウカ中佐の操縦する機体との合流まで待たせる方針で行く」

『了解しました。では、離陸準備を始めて下さい』

「よし。麻山、左手側のレバーを、徐々に手前へと引け」

「あ、うん。でも、ボク操縦出来ないよ。今まで、飛行した事がないんだ。操縦席に入るのだって、これが始めてなんだし」

「………? 何を言ってるんだ? そんな事はない筈だ。思い出せ。……いや、思い出さなくて良い。ただ、今は引く角度を変えれば、速度を変えて進み、押したり引いたりすれば、左右に進む卓上ボールゲーム板を思い出すんだ。それなら、お前もやった事がある筈だ」

「卓上ボールゲーム…?」

 少女の言葉に、ユキトは記憶を探った。押して引けば進み、押して引けば左右に進む卓上ボールゲーム板。確かに、ユキトの記憶の中には、ソレがあった。

 背景は青と雲だけの空の光景で、所々にある鳥や飛行機マークの障害物を避けて、目的地に辿り着くのがクリア方法であったゲーム。左手のレバーを引けば、板が手前で持ち上げられ、その引く角度を変える事で板の角度が変わり、ボールが進む速度が速くなったり、遅くなったりする。そして、右手にもある押し倒す事も、手前に倒す事も出来るレバーを引けば、左に板が傾いて、ボールが左側へ転がり、押せば右に転がる。

 また、両方のレバーを押し込みながら、その動作をする事で、左ならゴール地点となる所にある穴が開き、ボールが板の下に落ちる事で、ゲームクリアを果たし、逆に右レバーを押しながら前へ倒すと、これ以上進めなくなったボールが板の下に落ち、逆に手前側へと引けば、板の下に落ちたボールの再装填の間隔が短くなり、再ゲームが開始される。

 そんな奇妙な卓上ゲームを、ユキトは兄と一緒にしていた記憶があった。

 そして、その卓上ゲームの時に握っていたレバーと、今ユキトの膝元にあるレバーが、左レバーなら引くだけしか出来ない構造で、右レバーなら前や後側に倒す事も可能な構造をしていて、全く同じであった。

「……じゃあ、もしかして、コレも?」

「ああ、同じだ。細かい事はRERAが調整するから、あの卓上ボールゲームと、大して変わりはない」

「そうなんだ……」

 ユキトは頷いて納得はしたが、しかし何故、少女がその遊びを兄としていた事を知っているのかが、気掛かりになっていた。ただ、そんな質問を妨げる様に、少女は『理解したら、早くしろ。敵機が来てからじゃあ、何もかもが遅い』と、言って急かした。

 それにユキトは、慌てながらも、言われた通りに、左レバーを、ゆっくりと引いた。それに呼応して、機体のエンジンが掛かり、機体の尾羽部分の丈夫から噴射されている鎮火液体によって、一定の距離の草は急激な速度で燃え尽き、ある一定を超える全く燃え上がらない地面が出来ていた。

 こうして、暫くすると、ジェットエンジンの推進力が、機体を押し出し、機体は進み始めた。それを確認し、少女は椅子に座り直し、自身もベルトを装着し始めた。

「いいか、これは先に言っとく。幾ら、装備と機体自身に軽減機能が取り付けられていると言っても、これから、かなりの圧は感じるだろう。だが、死にはしない。だから、意識は耐えれるだけ強く保て。一見、馬鹿馬鹿しく聞こえても、それが気絶しないコツになる」

 少女の言葉に、景色が流れるスピードが、徐々に早くなっている事に不安を覚えて、喉を鳴らしながらも、ユキトは小さく頷いた。そうして、意識を強くし、目を見開き、唾を飲み込んで、レバーを固定させる手を強く握り締めていると、流れる景色の加速度が鰻登りに上がり始め、ものの十秒未満で、一〇〇キロメートル時に見る速度の景色になっていた。

 そこから、更に加速度は上がり、機体の震えから、一つの姿さえ、まともに見れなくなると、ユキトの耳では耳鳴りが聞こえ始め、ここで少女は声を張った。

「今だっ! 右のレバーを、上から押さえ付けて、思いっきり引け!!」

 それは、通常時なら大き過ぎる声であったが、今のユキトの耳閉感に晒された状況や場の状況によって、それでも微かに聞こえる程に聞こえていたが、ユキトは感じ始めた圧力の中で、少女の指示に従い左手と同じ状況を、右手で握るレバーで再現した。

 すると、機体のフラップとスラットが揚力を生み出す様に動き始め、機体の離陸準備を行い始めた。

 そうして、ある一定までの速度まで上げ続け、暫くして離陸準備が完了したとRERAが判断すると、自動的にRERAが昇降舵を上に動かし、機体を浮かばせる状況が整った。

 その間も機体は、加速を止めずに上げ続ける事で推進を行っていて、やがて広場を覆う柵に当たり兼ねない距離で、ユキトは顔付きを強張らせ、冷や汗を掻いたが、結果として機体の上昇が柵の高さを上回り、そのまま機体は離陸を成功させたのだった。

 ただ、これはまだ離陸に成功しただけであり、タイヤの必要がなくなった事で、地上との推進阻害効果がなくなった為、上昇時の加速度はより一層と上がり始めて、それによりGの影響が濃く出始めた。

「……ッ……グッ!!」

 ユキトは初めての重力加速度圧力体験に、歯を食い縛り、目を血走しらせつつあった。そんな時、地上から二六〇〇メートルを超えた辺りで、少女がまた声を上げる。

「よしッ! どちらも押し込んだまま、左手レバーを隣に六十と記載されている位置に合わせ、右手レバーを中央値から、後傾で固定させろ。こちらは三十と書いてある所だ!」

 その声に、ユキトは空気に押されている様で、また引っ張られている感触からの脱却の意思を表すかの様に、素早い動きで、左右のレバーを指示通りの位置で固定させた。

 これによって、ユキトの体に押し付けられていた果てしなく上昇する圧力の感触が、機体の飛行上昇速度が落ちた事で極端に減り、機体の上空方向への傾きは、五十度角から、三十度角に調整された。行われた速度の減少と、上昇角度の低下により、無意識の内に吊り上がっていた肩が落ち、背もたれに貼り付けられていた体は前に倒れ、ユキトは自分が息を止めていた事に気付いて、やっとマトモな呼吸を行えた。

 こうして、酸素の補給をする為、大きく深呼吸をして、慣れない動作の指示に慌てていた心と呼吸を落ち着かせ、ディスプレイに寄り掛かりそうな体勢であったのを整えた。

 それを見ていたミヤビは、口を開く。

「……どうだ? 少しは落ち着いたか?」

「う、うん……。次はどうすれば良い?」

 ユキトが尋ねると、少女は前席の背面にあるディスプレイに目を向けた。ディスプレイの右上端には、現在の高度が二七〇〇に届きそうな勢いで数値が上がりつつ、同じく飛行速度も数値を上げながら、四一〇キロメートルを切ったと表示されている。

「そうか。この上昇状態では、恰好の的だからな。敵を誘き出したいのだが、既にここですら、敵を誘き出すには十分な位置だろう。そう想定して、今からディスプレイの他機の操縦をしている戸辺中佐との距離を近付かせつつ、時間を稼ごう」

「じゃあ、緑のロゴの方に向かって行ったら良い?」

「ああ、ただ直線的に行くのは危険だからな。念の為、こうを描く飛行進路を取り、六秒後に右レバーの横に記載されている三十五度角に合わせろ。レバーの動かし方は、もう分かってるな?」

「うん。今度は押し込まずに、徐々に手前に倒す。そうすれば機体は右に旋回する。これで問題がないなら、大丈夫。やれるよ」

 ユキトがそう言うと、了承するかのように少女は頷き、ユキトの座る座席の背面にあり、少女から見て正面にあるディスプレイに表示されている緑のロゴの機体をタッチし、自身の座席の膝掛け部分にあるボタンを押し込むと、機体内で聞こえていた甲高い音が、数秒後に通信完了を告げる様に、受信を完了させた。

「こちら、A-16改良自動補助装備訓練機の冬織ふゆしきミヤビ少尉です。現在、敵機と交戦中。尚、ダミー識別光線を発動した事で、一時的に距離を離す事に成功しました。今機は、戸辺中佐との合流を目的としながら飛行しており、敵機の注意を引いています。どうぞ」

 と、通信を入れると、無線が通信を開始した様な音が鳴り、無線越しに小さな呼吸音が聞こえた。

『オーケー、了解したわ。それで、今の操縦はミヤビがしているの? 私には、素人特有のぎこちない感じに見えているんだけど』

 その疑問を聞いて、自身をミヤビと名乗った少女は、目を大きくさせ、僅かに口元を緩めた。

「……ええ、その通りです。流石ですね、戸辺中佐。現在、この機体は、腕を負傷している私の代わりに、麻山ユキトという一般学生が操縦しています」

『ん? あさやま……。ああ、そういう事か。これも何かの縁なんでしょう。ただ、幾ら緊急事態だったとしても、一般人に操縦をさせる訳にはいかないわ。――って事で、私の権限で、ただ今を以てして、麻山ユキトは特別臨時第二訓練生にしたってコトで』

「了解しました。それで良いな、麻山特臨時第二訓練」

 無線越しに、一時的な任命をしたフウカの言葉に頷いたミヤビは、不安から進行方向に向いている目を離せないでいるユキトに、改まった言い方で語りかけるが、それにユキトは、理解出来ない状況に軽く思案を起こした。

「え? えっと……」

 考えても、それまで考えていなかった事実が浮き彫りになっていくだけで、より困惑が呼び起こされ、ユキトの目は答えを探す思考の中の様に、至る所に向けられていた。しかし、そんな反応に、背後の少女ことミヤビは、ユキトの異変を察知し、後部席から確認可能な前席の様子に、顔を向けた。

「なんだ、聞いていなかったのか? 今を以てして、お前は臨時の間だけ、第二訓練生相当になるんだ」

「あ、うん。それは分かってるけど、ボクが軍に? ていうか、そんな簡単に決めて良いの?」

「気にするな、問題はない。元々から、地位や権限など破綻しているからな。その上で、有耶無耶うやむやにせずに、臨時的に軍兵に位置付けをしているんだ。有難く受け止めろ。お前も、使われるだけ使われて、戻ってから軍の不祥事として処分されたくないだろう?」

「しょ、処分って。う…うん、そういう事なら、有難く受け取らせて貰おうかな」

『ん。その答えが聞こえて良かったわ。――ところで、ミヤビ? これでお飯事ままごとは終わったけど、優秀な貴方の事だから、わざわざ言わなくても、分かってるわよね?』

「ええ、はい。少し、遅い合流になりそうです。なので一時、通信は切ります。……よし。麻山特臨第二訓練、正面板インパネのディスプレイを見てみろ」

「え―――?」

 ユキトが、再度と膝掛け部分のボタンを押し、通信を切ったミヤビから、突如として語られた命令に従って、正面板インパネを見ると、ディスプレイが拡大され、ユキトとミヤビの乗っている機体の僅か一五〇〇メートル背後に、突如として、赤い機体のロゴマークが現れた。

「――――」

 ユキトは、絶句するかの様に、浅く息を吸っては、ディスプレイの右端に映し出されている背後に現れた機体の映像に、目を大きくさせ、喉を鳴らした。それと同時に、指示を受けてディスプレイを見ていなければ、感じる事もなかったプレッシャーが、ユキトに恐怖心を芽生えさせたのは、確かだった。こればかりは、どれだけの決意があろうが、無駄な抵抗の様にする。

 それ程までに、銀に輝き、巨大で、まるで斧の様な鋭さと、攻撃性を溢れさせているF-35の姿は、敵として現れてしまうと、見るだけで影響を及ぼす形をしていたのだった。

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