第2話 日常の変化(中編①)
ユキトとカナデが高校に着き、靴箱の前で別れ、自身の靴を探していると、突如として首に手を回され、背後から飛びつかれた。
「あ、コウイチか」
ユキトの背後には、和かな笑顔を溢れさせているコウイチが居た。その表情は、どこか嬉しさに満ちている。
「おう! んで、どうだったよ? ちゃんとデートの一つでも取り付けたか?」
「デート?」
ユキトは首を傾げる。話の流れが、突如として変化し、ユキトにとって、脈略のない質問になっていたからだ。
ただ、そんな疑問に、コウイチは驚いた様に目を大きくさせ、玄関の入り口扉に、物凄いスピードで顔を向けた。
「あ、どうだった?」
そこには、遅れて入り口を入って来たアヤが居て、先程のコウイチの様に、嬉しさに満ちている表情をしていた。ただ、今となっては、それは嬉しさに満ちた物ではなく、期待に満ちた物なのだと分かる。
期待……それは勿論、ユキトとカナデの事だろう。デートを取り付けたか? とは、そういう意図での質問だった。
しかし、案の定というか、仕方ないというのか、ユキトとカナデにそんな約束はなく、予約もしていない。
それが、コウイチとアヤが期待している事だとしてもだ。
「……失敗だ」
「は? ちょっと何言ってんの?」
アヤは自身の元に来ては、肩に手を置きながら、淡々と語られた言葉に、驚き戸惑った。そして、下駄箱で靴とスリッパを交換しているユキトの方を見る。
ユキトもアヤからの視線に気付いた。
「デートは? カナデと何か約束はした?」
「ん? デートって何を? なんでカナデ?」
「………」
ユキトからの返答に、アヤは息を飲み、口を閉じた。その背後で、スリッパを片手にしたコウイチが、また肩に手を置き、この失敗を甘んじて受け入れさせようと促そうとしたが、そこでコウイチは驚きに顔を染めた。
「アヤ……?」
「……あ、うん。分かってる。やっぱり、失敗したんだよね。また、失敗。本当に残念よね」
取り繕う様なセリフで、アヤは自身の靴箱の前に行き、その短い髪で顔を俯かせて、表情を隠していたが、コウイチは一瞬だけ見えた、確かな“嬉しみ”の表情を忘れずにいた。そして、複雑な表情を浮かべ、眉を顰めていると、ユキトの声が放たれた。
「どうしたんだ? コウイチ」
「あ……あぁ、今行く」
ユキトに呼ばれ、コウイチは校内に足を着ける為、手短にスリッパを履き終わると、ユキトがコウイチの隣に声を掛けた。
「アヤ、今日の日直はアヤだよね」
コウイチが振り向くと、そこにはいつもと同じく、文句を言いたげに沈んだ目をユキトに向けているアヤが居た。
「何が、今日は日直だよねよ! せっかくの作戦を台無しにして!」
「さ、作戦? 一体、何の事を……」
「ええい、黙らっしゃい! 取り敢えず、制裁と女心の理解は必須だから、覚悟してなさい!」
「覚悟って、なんでそんな事になるのさ?」
という弾んだ会話を、コウイチはただ呆然と眺めていると、チャイムが鳴り、意識を取り戻した。
「あ、コウイチ! 早く行こう!」
「何してんのよ! 本当に遅刻しちゃうじゃない!」
「あぁ、悪い」
こうして、コウイチは先に廊下を駆けていた二人の後を追い始めるが、並び立とうとはしなかった。ただ、背後からアヤの方を見つめていた。
「で? 何かお願いがあるんしょう?」
「うん。今日、午後から学校を抜けたいんだけど……」
「ふうん。ああ、そういう事ね。分かったわ。じゃあ、辻褄は合わせとくから」
ありがとう。と、ユキトが感謝を述べた頃、目的の教室から聞こえてきた出席確認の声に、二人は急ぎ始め、コウイチもまた後を追う形で、駆ける足を速めた。
◇
体育の授業が終わり、昼食の時間になると、生徒達が食堂や机の上に弁当を並べたりするのを急ぎ始める中、ユキトは教科書を鞄に詰め込み始めていた。
そんなユキトの周りには、アヤが居て、『はい、忘れてるわよ』と、荷物を手渡していた。
「ありがとう。じゃあ、行くよ」
渡された荷物を鞄を持つ手に握り替え、ユキトが言うと、アヤは廊下に目を向けた。そこには、コウイチが担任を引き留め、必死に苦笑いを浮かべ、何とか話題を絞り出している姿があった。
「ええ、麻山ユキトくんは気分が悪くなって、帰宅したって事で良いんでしょう?」
「うん。宜しく頼むよ。あとコウイチにも、ありがとうって」
「オーケー。それじゃあ、またね」
「うん。また」
言って、手を軽く振って、ユキトが教室を出ると、時期を見ていたアヤが、教室の中から合図を送り、それを受け取ったコウイチは、担任の背を押して、教室に押し込んだ。
これで、十分程まで、何とか担任の足を引き留め、思い出したかの様にユキトの事を報告すれば、二人の任務は完了である。
一方、二人に迷惑をかけない為にも、急いで階段を降りていたユキトは、同じ階段を友達と共に登っていたカナデにも気付かずに、更に下の階に向かっていた。
それにカナデは、何となく察しつつ、下の階に下りているユキトを見送った。
「カナデ?」
「あ、ごめん。ぼぅっとしちゃって」
友達からの呼び声に反応し、カナデはその友達と共に階段を登り始めた。
「えーと、靴は……これだ!」
ユキトは、下駄箱の前で自分の靴とスリッパを、投げる様に入れ替え、靴に履き替えては、玄関前から校門までの道順に教師が居ないかを確認し、玄関を飛び出した。
勢いそのままで、校門を開ける暇も惜しいと、片手で飛び越え、学校前のバス停に停まっているバスに駆け込み、学校を後にしたのだった。
それから、十五分程が経つと、ユキトは一つの停車場で降りた。そこは車道の途中という事からか、人影一つすら望めない全くの無人で、広く見える海の近くであり、階段を下ると、草広場が広がっていた。
「やっぱり、来てたんだ……」
暫くして、取り出した写真には、兄と幼いユキトが、この広場で撮った光景が映し出されていた。幼いユキトは恥ずかしそうに、服の前側を握り上目で、そのユキトの両肩に両手を置き、笑顔を見せている兄という光景だ。
もう取り戻せる事も出来なければ、再現する事も出来ないのは、確かであり、この時にカメラのシャッターを押した両親も、それだけは共通の認識であった。
ユキトは言葉にせず、遠回しに言われずとも、分かりきっているこの事に、ただ泣くもする事はなく、紡いだ首と冷めた瞳で、膝を着いては花の前に写真を置いた。
「………」
立ち上がり、ユキトは顔を俯かせ、手を握り締め、歯軋りを起こした。力を入れ過ぎて、僅かに震えている拳に続けて、ユキトの体もまた小刻みに震え始めた。
そして、ユキトの頬に一つの水の線が伝うが、それに気付くと、直ぐに袖で拭って、兄との写真に背を向けた。
「もう、帰るよ」
と、だけを言って、結局は手を合わせる事も出来ず、ユキトは歩き始めた瞬間だった。
微かに、甲高い音が聞こえ、ユキトは背後を振り返る。――だが、そこには何も居ない。
ただ、続けてバラバラバラという音が聞こえ、その音が自分の上空から聞こえていると知ったユキトは、表を上げて、空の眩しさに目を細めた。
「………?」
不思議がりながら、徐々に慣れてきた目で、空に二つとあり、駆け回っている影を追っていると、ユキトはその影が自身の方へ向かって来ている事に、気が付いた。
「――――!」
更に目を凝らしてみると、ユキトは瞳を大きくした。
自分へと向かって来ている前の影と、追う様に背後に付いている影の二つ共が、何かの航空機体の姿をしていたからだ。
「な、なんで……。この島に飛行場はないのに……」
飛行場がないのにも関わらず、飛行機が来ても意味はない。
そんなユキトの考えは、ものの二秒で破棄された。
機体の影が、近付いて来ているのは変わらず、ただその大きさと曖昧だった姿が鮮明になっていくに連れ、その機体がただの飛行機ではない事を理解したのだ。
果たして、通常の航空機に、あの様な機体の下に丸みを帯びた長細い筒状の鉄の塊があるだろうか。――否、そんな事は、あり得ない。
遠目から観ていても、近付いて来ているのなら、誰もが徐々に判るだろう。何故なら、アレは確かに、銃火器なのだから。
「戦闘機……」
そう。航空機などではない。戦闘機である。それも二機共にだ。となれば、先程の影の交差は、決して虫が戯れている訳ではなく、決して飛行場を探していた訳でもない、まごう事なき戦闘の姿であったのだ。
小さな島の地上から、目視が可能であり、姿が確認出来る程の高度での戦闘。これは異常である。あり得てはいけない。
しかし、問題はまだある。
凡そ、八〇〇キロメートル級の速度で、島へ、地上へ、広場へ、ユキトへと前者の機体が、向かって来ている事だ。
人間がどれだけ走った所で、避け切れる事はあり得ない。
それも、相手は戦闘経験のない学生であるのだ。高速で、自身へと向かって来ている機体の迫力に、体が言う事を聞く筈がない。
ただ、目を大きくさせ、立ち止まるだけ。それが、ユキトにとっての精一杯である。
この変えようのない現状は、全ての意味で、変えるか変えないかの選択が、二機のパイロットに託されている。そして、選択したのは、後を追う機体が先であった。
後者の機体は、機体を斜め上へと持ち上げ始め、上空へと逃げた。これに前者の機体は反応し、地上への推進方向を揚力を増させる事で、水平へと引き戻す。
「――――」
そのまま、一〇〇メートル程の上空を飛び抜け、空に戻って行った機体の後を追う風が、ユキトの体を浮かし兼ねない程に当てられ、反射的に地面に倒れては、藁にもすがる気持ちで草を掴んでいたユキトが置いた写真や、花束が空に舞い上がる。
「………っ! 兄さんっ!!」
これに、ユキトは開いていた片目だけで、それを見て、手を伸ばすが、届く筈もなく、呆気なく見失ってしまった。
また、暫くが過ぎると、やっと風は止み、ユキトが辺りを見回せば、そこにはただ一つ、花束が置かれていた空けた場所以外が、以前の姿を取り戻していた。
「―――ッ! 何なんだよ、一体!?」
ユキトは空へ戻り、後者を取っていた機体の背後を取り、射撃を初めている機体への憤りと、実感が持てない戦闘の光景への不安感から、声を上げるが、その声に反応したかの様に、背を捉えていた機体は、前方の機体の旋回に反応が遅れ、瞬時に追うが遅れを取った事が、空中での三回の位置取りが行われ、結果として背後を取っていた相手から、また背後を取られたという結果になってしまった。
これはいけない。駄目だ。今度は、先程の決死覚悟を思わせる奇策が、通用するとは思えない。
では、また背後を取るのか――と言われれば、それはない。……いや、“取れない”というのが、正確な言葉になるだろう。それは、位置的にも、機体のスペック的にもだ。
ならば。と、パイロットはハンドルを握る力を強くした。
こうして行われる二度目の、地上への直線降下の動作。速度を落とす事もせず、どんどんと上げて行っているのが、先程との違いだった。
しかし、これを予見していたかの様に、背後を取る機体は、銃を発射しながら、背後から姿を消した。
「―――…!」
これは全くの予想外であったのか、機体の主はエアブレーキを展開させ、車輪を用意をしてから、エンジンの逆噴射を行い始める。
一連の結果として、機体の速度は極端に下がり始め、ユキトが見上げる草広場で、人間の一人を視認可能なまでの距離になる頃には、一五〇キロメートルを切っていた。
そして、円滑に地上へ着陸する為、遠回りに沿岸沿いに回り込みながら、草広場への狙いを定め、着陸を始める。飛び出た車輪が、草地を踏み荒らしながらも、機体の安定を図りつつ、更に減速減速……。
やがて、機体は停止する。着陸成功である。また、そこは、ユキトの居る場所から、僅か一〇メートルしか離れていない地点であった。
「…………」
ユキトはただ呆然と、これまでで見た事のない程の至近距離での飛行機体の迫力に、圧倒されていた。
硬く、大きく、勇ましく、美しい。そう感じるのは、必然である。
ただ、そんな悠長な感想を、台詞にする暇もない程の直後で、上空からまた甲高い音が聞こえ、ユキトは振り返った。そこで、ユキトの近くに着陸を果たした機体を目掛けて、機体は機銃を発射を始めた。
「な、何なんだ! 一体!!」
まるで、“硝酸の雨”と表現しても良い程に、激しい射撃時の火薬引火の音と、金属と金属がぶつかり合う無数の音の中で、掻き消されながらも、声を上げるユキトであるが、その背後で機体へ数十発の着弾は余儀なくされていた。ただ、機体の爆発が無かったのは、やはり装甲の厚さが弾丸を弾く程の物であったからだろう。
この一連で、敵機を爆破出来なかった空を駆ける機体は、空への上昇を始め、再度と射撃を目論み、仕切り直しとなる場所へと戻ろうと、旋回を始めていたが、そこで突如として、旋回を打ち止め、逆方向へ旋回を始めた。
「――――」
まるで、逃げるかの様な動きに、ユキトは呆気に取られつつも、あの降り注ぐ様に炸裂した攻撃が、また襲って来ないという事に、命の鼓動を感じた。そんな改めて知る自分に、ユキトは驚きつつも、胸元に手を当てていたが、そこで自分の目の前にある機体の操縦席のハッチが開く音と、機体の操縦席近くにある小型格納庫からタラップが自動で伸び始める音が聞こえて、顔を機体に向けた。
「……そこのお前、ここまで来てくれないか?」
「えっ? ……あ、はい」
ユキトは聞こえてきた声が、想像していた物よりも幼く、また可愛らしい物であった事に戸惑ったが、それでも返事をして、何が何だが分からないまま、お願いに従って、機体の小型タラップを登り、羽部分へ乗り上げ、地面への距離を恐れながら、操縦席へと向かって歩き始めた。
そして、近づくにつれ、徐々に明らかになる操縦席内の様子の中で、ユキトはある事に気付き、自分の恐れなど無き物として、駆け出し、操縦席に近寄った。
「どうして、血を…―――!」
ユキトは、微かに見えた片腕を抑える手と、抑えられた部分の辺りに見える赤い模様に慌てながら、操縦席に座っている人物を確認し、目を大きくさせつつ、口を紡いだ。
「ああ、やっと来たか……」
苦しそうに顔を歪めて、歯を食いしばっているのは、髪の短い少女だった。それも、着ていた軍服ですら、少しだけ大きいと感じる程に、小柄な少女だ。
そんな少女が、冷や汗を頬に伝わせながら、血に塗れた腕をユキトへ差し出した。
「お前、この島の住民なんだろう? なら、私と共に“守り抜く”為に、戦わないか?」
「………守る為に?」
「そうだ。お前は、さっきの奴を見た筈だ。私のこの機体を追って、どこかへと消え去った黒と赤の国旗を掲げる敵――パルデ・カースを」
少女の真剣な顔付きでの言葉で、ユキトは確かに追っていた機体の胴体と、羽部分に掲げられていた紋様を思い出し、それと同時にその機体の攻撃が頭を過り、喉を鳴らした。
「……た、確かに見てた。だけど、守るだなんて、そんなのどうやって」
出来っこない。と、ユキトが続けようとした時、少女は凛々しくも柔らかな笑みを見せた。
「いや、必ず出来る。お前はこの島の住民。それも、麻山ユキトなんだからな」
「な、なんでボクの名前を…?」
ユキトが自分の事を知っているという事に、僅かに後退りをすると、そこで操縦席の操縦機レバーの斜め上側にある赤いボタンが点滅し、警告音を鳴らした事で、少女の表情は元の鋭い顔付きとなった。
「取り敢えず、今はそれどころじゃなくなった。敵が戻って来る前に、操縦席に乗れ!」
「て、敵って……」
ユキトが空を見上げ様と、顎を持ち上げ始めた時、少女は少しだけ機体から乗り出し、ユキトの片手を掴んだ。
「遅い! 早くしろ!!」
言って、腕を引こうと少女はするが、腕に痛みが走ったのか、歯を食いしばって、ユキトの手を握る手の力を弱めた。
「そうだ……。君、血が出てるじゃないか」
と、ユキトは今、自分に責められている選択から、少しでも逃げたくて、関係のない話題をしようとするが、血を流す本人である少女は、ユキトのそんな“弱さ”を目の当たりにし、腕の痛みに歯軋りさえして、叫ぶ様に口を開いた。
「そんなのはどうだって良い。島を“守る”為に乗るのか、自分が“守られる”為に乗らないのか! 今のお前に出来るのは、そのどっちかだ!!」
「――――」
その言葉。その台詞に、ユキト息を浅く吸った。
『なんで、それは兄さんの……』
ユキトの脳裏には、兄と時たまにしていたゲームの中で、ユキトが諦めようとした時に、放たれていた言葉が過った。
“守るか、守られるか”
これは、ユキトにとって、兄の台詞である。そして、それは同時に、ユキトが勇気を振るわし、現実を見るには、十分過ぎる言葉でもあった。
「―――ああ、やるよ!! ボクは“守る”んだ!」
未だに残る不安を押し殺し、真剣な眼差しで、少女を見つめては、ハッキリと放った言葉に、少女は驚いた様に顔を上げ、あの凛々しくも柔らかな笑顔を見せた。
「じゃあ、入れ! 今すぐにだ!!」
「うん!」
こうして、力強く頷いて、ユキトは差し出される手すらなく、自らの意思と行動で、操縦席に乗り込んだ。
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