ちょっとした勘違い

『竜眼は不幸をもたらすって言ってたな。お前は今、その不幸を断ち切る事が出来る』

『……どういう意味だ?』

『俺と契約しろ』


 困惑するラグナーにフレムは言った。


『俺と契約すれば、お前は“従”となり本物の竜眼を得る事が出来る。付随効果で視力も戻るし一石二鳥だろ』

『そんな事をしてお前になんの利益がある』

『うーん……』


 言われてみると、フレムにはこれといった利益がない。竜眼の取得に視力の回復、得をするのはラグナーだけだ。


『特に何があるって訳でもないけどさ、まぁ、お前がそれで幸せになるならそれでいいかなって』

『……訳の分からない事を』

『でも、契約ってそういう物なんじゃないかな。元々竜ってちょっと秀でた技術を持ってるだけの普通の人間だし、契約したからって従みたいに異能を貰えるわけじゃないだろ?』

『元々竜には得の無い仕組みと言う訳か』

『おっさんが言うには、この世界にない技術や知恵を持った人間が暴走したり権力を振りかざしたりしないように、竜は異能を持たない普通の人間として生まれるらしい。

 従はそんな普通の人間である竜がこの世界で生きていけるよう護役目を追っていて、竜にとって役立つ異能が発現するんだとさ』

『つまり、彫金師であるお前が願えば彫金に必要な石を調達する為の“目”が手に入るという事か』

『そういう事。相性が良いんだ、俺たち』


 仮にフレムが料理人や学者だったら宝石を鑑別するための目をラグナーに与える事は不可能だっただろう。デザイナーと鉱夫、彫金職人と鑑別師だからこそ、竜眼の再現が可能であるとフレムは踏んだのだ。


『竜がかけた呪いは竜が解かないとな。お前が頑張ってるのはよく知ってるし、それで長生き出来る様になるならそれでいいよ』


 フレムの言葉にラグナーは驚いたような表情を見せた。


『……そうか』

『ああ、でも契約するにあたって条件があるんだ』

『条件?』

『そう! ラグナーには弟子を取って貰おうと思ってる』

『弟子だと?』

『体が丈夫になっても、今のままだとニコラスの二の舞だろ? 仕事を分担できるよう、弟子を取って欲しいんだ。竜眼の御子が育てた直弟子なら、文句もある程度は抑えられるだろ』

『……』


 今までずっと一人で仕事をしてきたラグナーは思いがけない提案に考え込む。今抱えている客は竜眼目当ての客ばかりだ。果たして弟子とはいえ、ラグナー以外の鑑別に満足してくれるだろうか。


(恐らく多少は理解を示してくれる者が居るだろう。まずはその客の仕事を弟子に任せて、少しずつ仕事を分けて行けば何とかなるか? 弟子が私と同じような技術を身に着けられればの話だが)


『例えばさ、ラグナーの親戚に宝石に興味がありそうな子供とか居ないのか?』

『私には兄弟はいないし、叔父や叔母は皆宝石業とは異なる仕事をしているからな。……まぁ、私の血縁ならば多少客を納得させる材料にもなるだろう。手紙でも送ってみるか』

『そうしてくれ。まずは根本的な所から改善していかないとな』


 提示した条件も受け入れられ、一安心だ。


『じゃあ、早速だけど契約しちまうか』


 フレムの言葉にラグナーは微かに体を硬直させた。


『……』

『なんだよ、そんなに緊張した顔をして。始めるぞ』


 フレムはラグナーが横たわっているベッドに腰を下ろした。二人の間に束の間の静寂が訪れる。ふとラグナーの方を見ると、ラグナーは硬く目を閉じて身体を強張らせていた。


『……』

『……』

『あの、何してんの?』


 間の抜けた問い掛けにラグナーは目を開けると暫しの間フレムと見つめ合った。


『契約……するのだろう?』

『そうだけど。俺の血を飲むだけだから簡単だぞ』

『血を……飲む?』

『……?』


 何かがおかしい。互いに何か勘違いをしているような、そんな雰囲気だ。


『えーっと、竜の契約は竜の血を体内に取り入れることによって成立するんだ。血が薄まると異能が使えなくなるから、継続的に血を飲まないと行けなくて……』 

『……』

『……もしかして、知らなかった?』

『聞いてないが?』

『そうだっけ?』

『……』

『なんか勘違いしてた?』

『……古来より、神と人との契約は……体を重ねることだと相場が決まっているだろう。実際、エフィとニコラスは夫婦となり子を儲けている』

『……へっ?』


 フレムの脳裏に収蔵庫の竜の部屋で見た本が思い浮かぶ。


(確かに、竜を降ろした巫女……とされてる竜を王族が娶る話があったけど……そういえば、血を飲んで契約するなんて何にも書いてなかなったな……。あの部屋の本……思い返せばがいくつかあったような……。

 もしかして、竜が竜が人だっていうのが隠されているように、竜との契約もに偽装されてるって事か!?)


 収蔵庫の本とラグナーが今考えている事が稲妻のように走り抜け、繋がった。つまりラグナーは、契約とはだと勘違いしていたのである。


『い、いや! 違うから! 何なら神官のおっさんに証言して貰っても良い! 本当だ! 血を飲むだけでいいんだ! ちょっとだけ!』


 ラグナーは顔を真っ赤にして早口で捲し立てるフレムを呆然とした様子で眺めていたが、ようやく理解が追い付いたようで耳まで赤くして布団の中に潜り込んだ。


『……もういい、早く血を寄越せ』

『……あ、ああ、そうだな』


 なんとなく気まずい空気が漂う中、フレムは消毒したナイフを用意すると指先に小さく傷をつけた。


(血を飲めば契約が成立するらしいから、これをラグナーに飲ませれば良いんだよな?)


 じわりと血が滲み出た指先をラグナーの口元へ運ぶ。


『ほら、これをちょっと舐めるだけで良いから』

『本当それだけで竜眼が手に入るのか?』

『多分……。とりあえず試してみようぜ!』


 気楽な返事をするフレムの言葉に嫌そうな顔をしたラグナーは、フレムの手を掴むと指先を口に含んだ。銀髪から覗いて見える少しばかり艶めかしい様子に一瞬ドキッとする。


『……』


 フレムの血を口に含んで飲み下した瞬間、ラグナーは体が熱を持つのを感じた。体の内から何かが湧き出てくるような、じんわりとした心地の良い熱だ。

 それと同時に視界を覆っていた靄のような物が晴れ、徐々にはっきりと物が見えるようになった。


『どうだ?』


 黙ったまま俯いているラグナーの顔を心配そうな表情をして覗き込むフレムと目が合った。


『どうやらお前の言った通りのようだな』

『見えるようになったのか?』

『ああ』

『そうか、良かった……』

『目が治ったどころか、身体も随分と楽になった』


 ラグナーによると、日ごろから感じていた疲労感や不調の様なものも無くなったという。フレムが想像していた通り、「従」の身体は契約によって強化されるようだった。


『お前には借りが出来たな』


 ラグナーは少々不本意そうに言う。


『俺がしたくてした事だから、気にしないでくれ。ただ、約束は守ってくれよ』

『弟子を取る、だったか。……仕方ない』


 大きな窓の外に広がる青空を眺めているラグナーは、どこか晴れやかな顔をしていた。

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