竜の逸話

「ここか」


 竜の意匠がついた鍵を鍵穴に挿して回す。カチャ、と音がして鍵が開いた。他の部屋とは違う、「翼が生えた竜」のレリーフがついた立派な扉だ。竜を祀る一族ならではのこだわりを感じる。


 部屋の中に入ると大きな竜の銅像が目に入った。大きくて真っ赤なルビーを目に嵌めこみ、鱗を一つ一つ丁寧に彫り上げた精巧なつくりをしている。


(恐らくこれが、ニコラスと契約したとされる竜の姿なんだろうな)


 翼が生えた竜――実際は存在しない架空の生き物である。妻であるエフィが「竜」であることを隠すために、または分かりやすい形で「竜」の姿を後世に残す事によって子孫たちが「竜」と自らの繋がりを感じやすくさせるためにニコラスが作らせたのだろう。


 子供用の絵本や神殿の壁画にあるような「翼が生えた生き物」に寄せる事で、架空の生き物をそのまま「妻」の隠れ蓑として使った。

 隠れ蓑として作られた偶像は恐らくニコラスが想像していた以上に効果を発揮した。ラグナーの竜信仰がその証拠である。


「さて、とりあえず片っ端から読んでいくか」


 部屋に設置されている本棚には世界各国から集めたと思われる絵本や書物が収納されていた。どれも二冊一組になっており、一冊は原本、もう一冊は翻訳版だ。翻訳版は本文のみ書き写したもので、手書きの所を見ると個人的に依頼をして作ったものだと推察される。

 竜に関する資料の収集はニコラスや歴代当主の趣味のような物だったのかもしれない。


『トラムの竜婚文化について』


 砂漠の国、トラムの王家には珍しい習慣がある。王は必ず「竜」を嫁に迎え、竜の血が流れている者のみが王家の人間として認められるのだ。


 「竜」は巫女の体に宿り、「竜憑き」となった者を娶るとされているが、彼女らが本当に「竜」を宿しているのかは不明である。一種の伝統儀式のような物で、それ自体に意味は無いと述べる学者もいる。


『竜と戦争』


 遥か昔、竜は民と共にあった。竜は民の中で暮らし、民は竜から知恵を授かり暮らしは豊かになった。しかしある時、悪い人間が竜の力を独り占めしようとした。竜から得た力で人々を従え、全てを自分の物にしようとしたのだ。


 侵略されそうになった人々は別の竜に助けを求め、ついには竜と竜が争う戦争になった。町は荒れ、人と人は傷つけ合い、竜は死んだ。


 それから後、竜は民の前に姿を現さなくなった。人々は悲しみ、自らの行いを悔いて竜を祀る神殿を建てた。再び竜が人々と暮らせる世の中を夢見て。


『ユラクの娘』


 ユラクという国にヤタという娘が居た。ヤタは薬師の一人娘で、村人から愛される素直で優しい娘だった。


 ある年、ユラクで疫病が流行した。疫病は国全土に広まり、ヤタもまた疫病に侵された。ヤタは自らの無力を嘆き、疫病を直す薬を求める旅に出た。


 しかしどこを探せども薬は見つからず、ついに力尽きて倒れてしまった。その時、天から竜が舞い降りてヤタに民を救うための力を授けた。


 ヤタはたちまち元気を取り戻し、竜から授かった知恵を使い疫病に効く薬を作りだした。


 国を救ったヤタは救世主として讃えられ、今でも多くの国民に愛されている。


「……」


 竜はどの国にも存在する。竜は神が世界を豊かにするために遣わす存在である。どの国にも平等でなければならない。しかし、竜の在り方は国それぞれだ。


 竜は王の物であるとする国もあれば、竜は流れる物であり人が干渉すべき物ではないとする国もある。フレムが暮らすカラドのように神殿で大切に育てられる竜も居れば、生まれた時から「道具」として扱われる竜も居る。


 この本棚に置かれている本を全て読んで分かった事は、竜が神殿に匿われるようになるまで、竜も従も他者を虐げ屈服させるための道具として非道な扱いを受けていたという事だ。


 「竜」が「人」であると知ったうえで読むと何とも後味が悪い話が多く、人に異能を授ける竜がどのように扱われて来たのかを知ったフレムは自分がいかに恵まれた環境に生まれたのか実感した。


(思えば、神様って勝手だよな。異界から勝手に魂を持って来て『竜』なんて役割を押し付けて。『この世界を豊かにするため』って、俺たちを道具として見ているようなもんじゃないか。

 竜も従も、そんな身勝手な理由の為に戦争の道具にされたりして、俺たちの不幸は世界を幸福にするためには仕方ないって事なのか?)


 それが世界の仕組みだと、そうやって世界が発展してきたのだと言われたらそれまでだ。しかし、ラグナーの不幸や過去に竜達が受けた仕打ちが「世界のため」のやむを得ない犠牲だと言われても納得は出来ない。


(竜のせいで、異能のせいで、竜眼のせいで不幸になる人間がいるなんてあってはならないんだ)


 今でこそ竜の存在が秘匿され、竜と従を利用しようという人間は現れなくなったが、ニコラスが残した竜の幻影は未だに子孫であるラグナーを苦しめているし、「竜眼」という名を利用すべく近寄って来る人間は後を絶たない。


「結局今も昔も変わらないな」


 人間の本質は変わる物ではない。それが本物であろうと偽物であろうと、地位や名声、得意な力がある物に人は引き寄せられる。


「いっそのこと、このまま目が見えない方があいつにとって幸せなんじゃ……」


 無意識にそう呟いて「何を言ってるんだ」と頭を振る。竜眼の呪縛から解き放つ。そうすればラグナーは今背負っている重荷を全て下ろす事が出来るだろう。


 このまま目が治らなければいずれ竜眼を失った事を公開せざるを得ない。そうなれば「竜眼」という付加価値に引き寄せられてきた客は離れ、仕事の量も落ち着くはずだ。いや、落ち着くどころかもしかしたら店が潰れてしまうかもしれない。


 それでも、一生かかっても消費しきれないほどの財をラグナーは既に持っている。今抱えている仕事や店を整理して隠居しても死ぬまで暮らしていくのには困らないだろう。

 過労から解放されれば寿命も延びるだろうし、疲労で弱った身体も回復して良い事ばかりだ。


 だが、ラグナーはそれを望んでいない。


(あいつは、竜眼に誇りを持っている。こんな目にあっても尚、竜眼を取り戻そうとしている。だったら、今俺に出来ることは――)


 フレムは意を決したように一冊の本を手に取った。

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